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第二十六話

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 ハミグと私。二人共無言で次の行動に移った。
 なるべく人目につかない位置を見つけて、梯子を掛け、屋根に上がる。

 平屋とはいえ、やっぱり高い。雨で滑らないように気を付けないと。

 私は、書いてもらった地図を雨に濡らさないようチラ見してから懐にしまった。
 右手にはハミグが用意してくれた、下に降りるための尖ったフックがついた縄。左手に虫かご。
 忘れものはない。
 急がなければならないけれど、さっきみたいなことにならないよう、慎重に、落ち着いて行こう。

 進む方向を決めて、振り返ったら、ハミグがダンゴムシみたいに屋根の上で丸まっていた。

『ハミグっ?』

 ダンゴムシがブルブル震えている。

 ハミグは、震える小さな手を前に出しては引っ込めるというのを繰り返すばかりで、足がついてこないのか、その場から動けないようだった。
 握った拳に爪を食い込ませ、悔しさで涙を滲ませている。

 もしかして高所恐怖症……。

『ハミグ。私っ王妃がへぃやっいく。ハミグが、フラミアへぃやへ行く。べつぅな行動。あとので一緒する』

 私は、頭に浮かんだ可能性を確かめることもせず、励ましたりもせず、ハミグを置いて行こうと決めた。諦めたのか、切り替えたのか、わからない。進まなければという焦りしかなかった。

『でも……ぼく』

 フラミアさんが居る部屋に行くには、どのみち王妃の部屋の屋根を通っていく予定だった。もしもハミグが追い付いてきたとしたら、毒を盗んだ後に合流すればいい。
 来なかったとしたら、全部終えたあと屋根から回収すればいい。

『フクっ』

 私は、ハミグの返事を聞かず、屋根の上を進みだした。
 めちゃくちゃ心細い。本当なら二人がいい。
 でも時間がない。

 肩の痛みで片腕に力が入らず、何度も虫かごを抱え直した。
 薄暗い景色に目を凝らして、ときどき地図を見て、足が止まりそうになったら、外套をギュっと掴んだ。

「っ……」

 王妃の邸の屋根まで辿り着いたときには、相当息が上がっていた。
 ここから、王妃の部屋の屋根を見つけるには、ハミグの地図を見つつ、感覚で距離を掴むしかない。

 二人を置いてきたんだ。進むために二人を置いてきた。

 欠片もわいてこない自信の代わりに二人のことを考え、無理やり目星をつけた。

 穴を空けようと決めた個所を外套で囲い、その中で虫かごの布を取って、黄色い光を葉っぱにあてる。
 固まっていた液体が溶けだし、雨で流れていく。

 葉っぱのツヤがなくなってきた。

 虫かごを置いて、ゆっくり端を引っ張ったら、簡単に剥がれた。

 いけそうだ。

 私は、頭の中でシミュレーションした。
 体が通るくらいの穴が開いたら、ロープをひっかけて降りて、それから毒を探して再び上る。 『気密性の高い瓶に入っとるじゃろから、同じ瓶なんじゃないかいな?』 とおばあさん医者が言っていた。同じような瓶を探せばええねんとロップが言いなおしてくれた。
 下に人が居た場合、少し待たなきゃいけない。トイレにぐらい行くだろうし、数分……数時間は部屋を空けてくれるであろうことを願う。もしくは寝ていてくれれば、こっそり侵入して……。

「よし」

 あと一枚剥がせば穴が開くというところまで葉っぱを剥がして、今度は、聞き耳をたてよう。
 慎重に……慎重に……。

メリっ

 不穏な音がした。

ん?

 振り返った瞬間。
 体が沈んだ。

 オーマイゴット。私の大馬鹿!!

 足元で虫かごが光っている。一番体重のかかっている個所にカバーもせず放置していたのだ。外に光が漏れないようにって外套の中に入れておくことしか考えてなかった。

 ズババっ!!

 足元の葉っぱが沈んで思わず掴もうとした虫かごが屋根の上に飛んで行った。

「ぐっ!!」

 天井の梁で背中を打ち付け、肺の中の空気が外へ押し出された。

 ドサっ!!

「いっ……」

 右足の側面から着地して、足首が妙な方向へ曲がった。
 息出来ない。
 痛みでくらくらしながら前を見たら

「きゃああ!!」

 なぜか空風コトリが居た。
 叫び声をあげて、背中を向け、逃げようとしている。

 部屋間違えた。
 助けを呼びに行こうとしている。

 私は、痛くない方の足に、全能力、全神経を集中させて立ち上がり、かつてないほどの跳躍で彼女の腕を掴んで、ロープ付きの先が尖ったフックを……細い首筋に突き付けていた。

「やっ!!!」

「ごめっ……」

 思わず謝った。
 けれど、フックは突き付けたままだ。

『コトリ様っ!! 何事ですか!!』

 ガチャっと目の前のドアが開いた。
 私と目が合うや否や、スワルさんが、腰の剣を抜いた。

『貴様っ……なにをっ』

 これぞ殺気。
 というものをもろにくらって、ただでさえ苦しい息が、止まりかけた。
 私は、一生懸命空気を吸って、必死に息を……息を吐くのではなく

「下がれ!! 下がらないと!! あれっ……こっ……殺す!!」

 ヤバイことを言っていた。

「!? フクちゃんっ!? どうしたの? なんでこんなとこに……なにやってんの?」

 私だと気付いた空風コトリが、いたずらだとでも思っているような雰囲気を滲ませたので、フックを動かし、彼女の着ているブラウスの襟を破いた。

「っ!?」

 スワルさんが、無言で後退した。私は、ヒっと短い息を吐いた空風コトリの体を押して、廊下に出た。

 作戦が失敗した。

 追い詰められた犯人状態になってしまった。

 大混乱……大混乱っ!!

「空風さん。私の言うこと復唱して。でなきゃ殺す」

「っな……何言ってるの? 変だよフクちゃん。そんな物騒な……」

「変じゃない。この世界に馴染んだだけ。命のやり取りが近くにある世界なんだって理解しただけ」

「っ!? ……何言って…………」

「本気だって言ってんの。一言一句間違えずに復唱しなきゃ本当にやるから」

 頭の中はめちゃくちゃなのにスラスラ言葉が出てきた。
 毎日毎日、異世界語を頭の中で訳してから声に出す生活をしていたから、日本語でしゃべれるのが楽で仕方ない。
 思ったことを口に出せばいいだけなんて、簡単だ。

 私は、彼女の耳元で、囁いた。

「王妃を呼べっ……でなきゃっ音の子を殺っ……」
『何事じゃ!!』

 ガタっ!!

 隣の部屋のドアが勢いよく開いた。
 そこからきらびやかな人……ものすごくタイミングよく王妃が現れた。

 ああ……あと数メートルほど屋根の上を進んでいたら。虫かごにカバーをかけていたら。

『何事にございますか!』

『いかがなされた!』

 王妃の声に反応した人々が前から後ろから、いろんなところから出現した。

 後悔してる暇もない。

 目の前が白くなりかけた。
 あまりの恐怖に諦めかけた。

 両手が塞がっていて、外套を掴めない。

 私は、家族のこと、学校のこと、ここでのこと、落ち着くために思い出そうとした……けど……無意味だった。
 何もない。こんなわけのわからない状態で役立つことなんて何にもない。

 私じゃだめだ。私のことなんて考えても意味ない。

 何もかも一切を振り切って、ただひたすら、ハミグやロップ、フラミアさんや……リリョスさんのことだけを想った。

 絶対もう一度会う。会って……話をして……一緒に……。

「っ王妃……リリョスさんに盛った毒をっ渡せって……言ってるよ。そうしなければ音の子を殺すって……フクちゃんっ」

 空風コトリが、声を震わせながら私の言葉を復唱した。

『毒っ?』

 スワルさんの持つ剣先が揺れた。
 王妃は……愕然とした顔を、さっきみたいに袖で隠したりせず、立ち尽くしている。
 今私がやっていることは、してやったりなのか、それともまだ彼女の手の打ちから逃れられていないのか、全然わからない。

『毒っ……など……どういうことだ? われは知らぬぞっ!! 音の子様になんということを!! お前っ自分が何をしておるかわかって』

『黙らっしぃ!!』

 私の大声に、王妃が口元を震わせた。

「さっさと毒を渡せっ。私は、王妃が、毒の瓶を持っているのをこの目で見た」

 口から出まかせを空風コトリに言わせた。
 誰が敵で、誰が味方なのか、毒がどこにあるのか、何かしら知っている人が居たら反応してくれるかもしれない。

 ハっと驚いた顔で王妃を見たスワルさんは、味方じゃないけど敵でもない……ということにしていいのだろうか。

「渡さなければ。殺す。早くっしろっ……助けてスワルっ」

『コトリ様っ!!』

 私は、余計なことを言った彼女の腕を締め上げ、喉元に刺さる寸前でフックを止めた。

『ああっ……なんとっ……なんということを』

 王妃は、ついさっきあんなにひどいことを、笑みながら実行したとは思えないほど青ざめてはいるが、毒を渡そうという素振りは一つもない。

『っお前……音の子様がっこの世界にとって……私にとってどれだけ大切かっ知らぬのかっ……このようなことをしでかした罪っお前だけではなく、一族郎党に及ぶものであ…………………』

 空風コトリに、王妃の言葉を訳させたところ、逆に私を脅そうとしていることがわかった。
 これ以上王妃にグダグダ言わせるわけにはいかない。いかないけれど、渡さなければ殺す、お前が毒を盛ったんだ、以外の攻撃手段が即座に浮かばない。

『そうかっお前……』

 王妃が再び口を開いた瞬間。

『何事だっ!!』

 太い声が廊下に響いた。

 その他大勢が一斉に頭を下げて端に寄ったため、私たちと王妃だけが廊下の真ん中に取り残された。
 開けた廊下の向こう、王妃の後ろから堂々歩いてきたのは、立派な髭のおじさん……ここへ来た初日に見たおじさんと、イグライトさんだった。
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