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第十八話

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 来るときと違って私たちはゆっくり静かに下降して、リリョスさんの家……ではなく、一番上の階層と思われる、見知った門から中庭に入った。

 ここは、私が魚を捌いていた庭だ。

 この時間帯はまだ作業台に人は居ない。私の後任はどんな人か少しだけ気になる。

 パサっ。

「ワプっ」

 突然頭の上に布をかけられた。

 リリョスさんが、かぶれというようなジェスチャーをしたので、私は、日焼け対策とかかな? と思いつつ、頭に乗せられた薄紫の布をほっかむりした。

 すると、グイっと目元まで布を降ろされ

『こっちだ』

 なんだかよくわからないまま彼の後について行った。

 渡り廊下を二人で歩いていると、通り過ぎる人が皆、リリョスさんに頭を下げて道を開けた。中には頭を下げた後に渡り廊下から走り去る人までいて……。

 もしかして、リリョスさん仕事場ではめちゃくちゃ怖い上司なのだろうか。若いのに、年上だろうが老人だろうが頭を下げるし。

 ここがお城なのだとしたら、上の人といえばやっぱり王様で女王様でお姫様と王子様。あとはなんだかよくわからないけれど、やたら悪役が多い宰相とか。大臣? 元老院? 武将……。

 そもそもここに居る時点でそこそこの地位であるはずだ。

 無言でモーセの十戒しているリリョスさんの堂々とした後ろ姿がなんだか遠い。

『何してるんだ?』

 あ。本当に遠かった。

 私は、速足で彼を追いかけて、全然知らない道を通って通って、二度と戻れないような気がしてきたところで、大きな門の前に立っていた。

 生垣でも藁でもない、白い石の壁にある立派な門の前には、門番らしき男性が二人立っている。

『イグライトは居るか?』

『っリっリリョス様っ!?……あの……その、イグライト様は陛下のもとではないかと』

 一人の門番が明らかに怯えた顔で答えた。肩まで伸びた長い髪があまり似合っていない、優しい顔のおじさんだ。

『そうか。ではフラミアを呼んでくれ』

『よろしければ私がイグライト様に伝えに参りましょうか?』

 もう一人の門番が落ち着いた声で言った。こっちはコンビニの前に居たら入るのを躊躇したくなるほど目つきが悪い坊主頭の若者だ。
 二人共赤い軍服みたいな上着に、紺色の袴をはいている。

『いや。どちらでもいいんだ。ハミグのことでな』

『ハっミグ様の?』

 長髪の門番がまた怯えた声を出した。

 すると、リリョスさんは私が抱えていたリュックをヒョイと取りあげ、中に入っているものを長髪の門番に見せた。

『大嵐の晩、うちの庭に落ちてきたものだ。侍女がハミグのものではないかというので、届けに来た』

 長髪の門番は、リュックの中を見た途端、ものすごく驚いた顔をしたが、横から同じようにリュックを覗いた坊主の門番は、表情を変えることなく

『確かにハミグ様の絵ですね』

 淡々としている。
 そんな珍しいものは入ってないはずだけれど、この両極端なリアクションは一体。

『なあおい……近頃ハミグ様の元気がなかったのはこれを失くしたせいだったんじゃねーか?』

 長髪の門番がポムっと坊主の門番の肩を叩き、割と大きな声で耳打ちした。二人は、顔を見合わせてから正面を向き。

『わざわざ……これを届けにいらしたのですか?』

 坊主の門番が、幾分か柔らかい声で言った。

『そうだ。おかしいか?』

『いえっ。ですが……わざわざリリョス様が来られる必要はないかと……』

 坊主の門番の言葉に目を見開いた長髪の門番が、バシっと坊主の門番を小突いた。

『すすすっすみませんリリョス様っ!』

『いや。そう思うのも無理ない……が……そうだな。たぶん、死地へ向かうまえの気まぐれだ。作戦の実行が決まってな』

 リリョスさんが、フっと悲し気な声を出した。
 途端に二人の門番は、とりわけ長髪の門番の方が、ワっと泣きそうな顔になった。本当に人の良さそうなおじさんだ。この人になら、言葉がわからない私でもお手洗いの場所とか聞けるかもしれない。

『中でお待ちください! フラミア様を呼んでまいります!』

 長髪の門番が慌てて門の中へ入っていき、坊主の門番が、スっと門を開けてこちらに頭を下げた。
 通行の許可が取れたらしい。

 門の中へ入っていくリリョスさんを追って、私も坊主の門番に頭を下げながら中へ入った。

 途端に、なんだかいい匂いがした。

 バラのような香りだ。

『少し待つ』

 リリョスさんが、スっと手のひらを私に向けた。
 察するに、この家の人が出てくるのを待つのかもしれない。長髪のおじさんが走って行ったし。

『はい』

 私は、一応返事をして、リリョスさんの斜め後ろあたりに立って、ふと庭に目をやった。

 あの奥に見えるビニールハウスのような透明な建物はなんだろう。花でも育ててるのかな。異世界の花って、そういえばハミグの絵でしか見ていない。

 私は実物が見えないかと目を細め……

『フクーー! フクーー!!』

 声がした。

『ハミグっ』

 バっと首を動かし、一直線に走って来る懐かしい姿を捉えた私は、両手を広げて前に出たものの、グイっと腕を引かれて横へ数歩移動してしまった。

 おかげで私の横を走り抜けたハミグが、ザザっと止まり、きょとんとした顔で振り返った。

 避けさせられた?

 私は、私の腕を掴んでいるリリョスさんを見上げ、それからハミグを見下ろして、二人して目をぱちくりさせた。

 危ないと思ったのかな……?

『リリョス殿。子供にまで嫉妬するな。恰好悪い』

 顔を上げると、玄関から出てきたフラミアさんがこちらへ歩いてくるところだった。

 ここは……もしかしてフラミアさんの家? リリョスさんっ私の言葉を理解して連れて来てくれたの?

 嬉しくてリリョスさんを見たら、居心地悪そうな顔で腕を離された。

『して? どういう風の吹き回しじゃ? 堂々と訪ねてくるとは……』

『俺は別に逢引きに来たわけじゃない』

『そういうことを言っておるわけではないわ』

 会ってそうそう、険悪なムードだ。

 あれ。これまた……あれ? 違うよね。喧嘩ではないよね。そっとハミグの方を見ると、気配を消すようにギュっと口を結んでいた。大人の会話を邪魔しないようにしているのかもしれない。

『一応フクの顔は隠した。ここへ来るまでにフクに意識を向けているものもいなかった』

『そなた……どこまでフクの事情を知っておる』

『どこまで……そうだな』

 リリョスさんが、首を斜めにしてフっと口の端を持ち上げた。

『音の子の召還に巻き込まれてここに居ること。イグライトの側近が、クソみたいな忠誠心から独断でフクをあの小屋に追いやったこと。王妃殿下の怒りを買い……とまあ買ったのは俺やあなただが、嵐に乗じて小屋を破壊されたこと……程度か。確か夫に言っておくとあなたの口から聞いたように思うが、堂々と入って来るなとは意味深だ』

 適当っぽい早口で話すリリョスさんに、フラミアさんの綺麗な形の眉がピクっと動いた。

『夫は今……この地獄から救ってくれるかもしれぬ音の子にかかりっきりで他所を見る余裕がない。わらわは妻として……波風立たぬよう、密かにこぼれた不遇を拾おうとしておるだけじゃ。報告してはおらぬが、夫に反発しておるわけではない』

 とここまで沈んだ表情だったフラミアさんが、目を細めて眉を吊り上げ、フーっと短い息を吐いた。

『しかし、嵐の晩は遅れをとり、フクをかわいそうな目に合わせてしまった。ときどきフクを見張るよう頼んでおいた者が『うちが家ん中おれ言うたからフクが潰れてもーた』とひどく憔悴してのう。王妃にバレぬよう、瓦礫の中を探るのは苦労した。事情通であったらしいそなたが勝手なことをしなければ、そこまで苦労することはなかったはずじゃがのう』

 二人共低音ボイスで目つきも悪いが、罵り合っているのだとしたら、長文すぎやしないだろうか。実は情報交換してるだけとか?

『助けてくれて感謝すると言わなかったか?』

『それはそなたが何も知らぬと思うたからじゃ。知っておるのならわらわに一報してもよかろう』

『仲睦まじいあなたとイグライトが別行動をとっているなど、知らなかったもので』

『嘘をつけっ! 嫌味か!』

 だんだんと激しくなってきた。

 オロオロしながらハミグを見ると、私と同じくらいオロオロしていたので、同志がいてちょっとだけほっとした。

『ははうえ……』

  思わず漏れたのか、小さな声を出したハミグに、リリョスさんもフラミアさんも、見はしないが、恐らく気付いたのだろう。
  二人共、仕切り治すように、間を取って、フラミアさんが落ち着いた声を出した。

『フクには申し訳ないが、現状、夫の側近の勝手な行動が明るみに出ることで、優秀な人員を欠くのは得策ではない。もちろん王妃を糾弾することも出来ぬ。どうせ嵐のせいにするであろうしな』

『俺もどちらも望んでいない。ここへは、ハミグの絵を渡すために来たことにしている。イグライトの耳に入ったとしても、あなたと俺がフクを匿っているとまでは考えないだろう』

『そなたが絵を届けになど怪しくないか?』

『大丈夫だろ。つい先日あいつに気まぐれな男だと褒められたばかりだ』

 よかった普通に話だした。ハミグナイス。

 でも私、ここに居ないほうがいいんじゃないだろうか。ハミグを連れてそーっと離れた方が話しやすいかな。いやでも、あっちいっときますねーと声をかけることで話の腰を折るのもなんだし。

『ほんにそのようじゃの。今日とて、わらわが上へ連れてこいと行ったときに了解しておれば、こちらでも配慮出来たというに。ハミグをダシに訪ねてくるとはよほどの用なのじゃろうの?』

 フラミアさんに何か尋ねられると、今まで饒舌に話していたリリョスさんが、少し言い淀む様子を見せた。

 何を聞かれたんだろう。

 リリョスさんを見上げると、一瞬目があって、すぐに逸らされた。

『フクのことを頼みに来た』

 今までと違って真剣な声だった。

『……? 頼むとは?』

『草域の宝珠奪還作戦に参加する。長く家を空けるから、ここで預かってほ……』

『あんな無謀な策っ! 正気ではない! あれはいわば王妃の陰謀じゃぞ! わかっておろう!』

 フラミアさんがまたも声を荒げたので、ハミグがびっくりしたらしく、私の服を掴んだ。

『お国のためなら正気じゃない。が……己のためであればそうは思わない』

『何っ?……己……の……?』

『ああ。陰謀でもなんでもいい。知りたいことがあるんだ』

『そのような場所でか……』

 フラミアさんの言葉に、頷くリリョスさん。

 それを見守る私とハミグは、お互いの服を掴んで、ジリジリと後ろに下がっていた。また口論になった場合、今度は私が……前のように出来る自信はまったくないが、ハミグがやったのだから、年上の私が黙っているわけにはいかない。
 もしも今から少しでもハミグと言葉を勉強する時間が取れるのならば、一番最初に、落ち着いて、とか喧嘩しないで、とかそんなような言葉を教えてもらわなければ。

 じっと何かを見定めるようにリリョスさんを見つめていたフラミアさんが、パっとこっちを見たので、二人して背筋を伸ばした。

『ハミグ。母の部屋からあれを取ってくるのじゃ』

 突然話を振られたハミグは、コクコク頷いて 『わかった』 建物の中へ走って行った。私も一緒に行きたかったけれど、連れて来てくれたリリョスさんの了解を取らず、家主の許可なく入ることも出来なかった。

 ハミグの後ろ姿を見届け、厳しい顔に戻ったフラミアさんは、リリョスさんの方を見てきっぱりした声を出した。

『フクはここで預かる』

 何を言われたのか、リリョスさんが、ほっと安心した顔をした。

『そうか。ありがとう』

 たぶん素直にお礼を言ったのだと思うが、それを見たフラミアさんは、いらいらした様子で腕を組んだ。

『そなた。死ぬつもりではあるまいな』

 言いたくないことを仕方なく言っている風だ。リリョスさんも……答えたくないのか深いため息をついた。
 ときどき私の名前が聞こえてくるのは気のせいだと思いたい。

 一緒に暮らした中での不満を愚痴っているということはないよね。

『あなたがそれを言うか。俺に……』

『わらわは……』 

『俺が生きてて、一番困るのはあなただろう』

『そんなっ……ことは…………』

 ヒートアップはしていないが、さっきよりも重々しい空気だ。二人共が辛そうで見ていられない。

 なんとかしたい……けれど。

 わかりあえないのではなく、お互い理解してなお、つらい現実があるような……何も知らない人間が入り込んで壊してはいけない雰囲気だ。

 二人の顔を見ることが出来ず、下を向いた私は、冷や汗をかきながらありとあらゆることを考えては却下し……。

『ははうえっもってきました!』

 タタタっという軽い足音をたて、ハミグが帰って来てくれたのでとりあえずは助かった。見ると、ハミグは両手に何か、モサっとしたものを抱えていた。

『おお。これじゃこれじゃ。ありがとうハミグ』

 フラミアさんは、パっと笑顔に切り替えてハミグからモサっとしたものを受け取り、なぜか私の方へ来て

バっモフ!

 ほおっかむりを奪いとり、その代わりと言わんばかりに頭の上にモサモサを乗せてきた。

 ん? と頭の上に乗ったものを触ってみると、パーマーのきついショートヘアーのカツラのようだった。チラっと見た限りでは緑色で猫耳が付いていたような……。

『ほれ』

 呆然としていると、軽い声かけの割に目に刺さりそうな勢いで眼鏡をかけさせられた。

『これで男の恰好でもしていればここで暮らしてもバレぬわ。なるべく鉢合わぬようにはするが、どうせ夫は顔も覚えておらぬじゃろうしなっというか夫はなかなかこの家に帰ってこぬしなっ』

 されるがままの私の背中を、フラミアさんがやけくそみたいにバシっと叩いた。ハミグが私の仕上がりを見て笑いをかみ殺している。

 めっちゃ馬鹿にされてる。これはきっとリリョスさんも笑ってるに違いない。

 と恐る恐るリリョスさんの方を見ると、意外にもなんでもない顔をしていた。

『こんなかわいい男いないだろ』

 ボソっと言ったリリョスさんの言葉で、フラミアさんが噴出した。するとハミグも一緒に笑いだし、庭が賑やかになった。二人共笑い方がとても似ている。快活というか、見た目の繊細さとは裏腹に、気持ちのいい声で笑う。

 今。かわいいって言ってくれたような気がしなくもないけど……ないよね。だって緑のモサモサに猫耳って……あれじゃん、雷様スタイルじゃないの? 私何か芸でも求められてるの? やばい全然ついていってない。

『っ……とにかく、わらわは預かるしかせんからな。迎えに来るのじゃぞ』

 フラミアさんが笑いながら、それでいて厳しい声で言うと、リリョスさんは、ムスっとした顔で

『だからそれが矛盾してると……』

 黒髪をガシガシ掻いて、ため息をついた。

 私の仮装によって……少し空気が和らいだかと思ったが、二人の間にはやはりピリっとしたものがあるままで、ハミグが私の仮装に慣れて、笑いをおさめた頃には、すっかり来たときと同じような空気に戻っていた。

『あとは頼んだ。俺は……これで失礼する』

 リリョスさんが軽くお辞儀して、ここに居たくないと言わんばかりにさっさと背を向けた。

 あれ? もう帰る?

 私は、慌てて仮装グッズをハミグに返して二人に手を振り、後を追いかけようとしたが

『フクっ』

 フラミアさんに呼び止められて、振り返り、あっと思ってまたリリョスさんの方を振り返った。

「ちょっと待ってください! まだ何か御用みたいでっちょっリリョスさん!」

 声をかけても遠のいていく黒い翼。

「え? っなんでっちょっとリリョスさん! リリョス!!」

 ポンっと肩に手を置かれて横を見ると、フラミアさんがゆっくり首を横に振った。

 それで、すぐにわかった。というか、元々そんな予感がしていたのを、見ないふりしていただけだった。

 私……ここに連れて来てもらったんじゃなくて、ここに置いて行かれたの?

『リリョス……』

 小さな声で呼んだ瞬間、入って来た門の外へ……リリョスさんが消えていった。

 そうか……次は……ここなんだ。

 私は……何度も何度も居場所を奪われて、その都度なんとかそこで生きていけたんだから大丈夫だと思おうとして……やっぱり全然そうじゃなかったことばかりを思い出して。

 すぐに切り替えようとしたけれど。

 ポロっと涙が出た。

 どういう事情なのかわからない。もともと一時預かりしてくれていただけかもしれない。今回はそこらにほおりだされたわけではなく、フラミアさんもハミグも居る。

 それなのに、胸の奥が……痛くて……自分でも理解できない涙は、自分では止められなかった。

 私は、ハミグに渡した緑のカツラをもう一度手に取って、目元まで……深く被った。
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