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第十七話

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 お互い、自分の傷は自分で消毒して 『おやすみささい』 『ああ。おやすみ』 と妙にまともな挨拶を交わしてリリョスさんの部屋を後にした私は、与えられた自室の藁ベッドに倒れ込んだ。

 一連の出来事に思考が追い付かない。ここへ来てからずっと追い付いていないから、もうつもりつもって永遠に追い付けない気がする。

 一体なんだったのか悩もうとしたはずが、すぐに寝てしまったのは、疲れていたからだと思う。

 朝目が覚めると、なぜか部屋にたくさん置いてあったはずの灯篭が一つだけになっていた。

 寝ているうちに猫耳さんが来たのだろうか。

 あの人ノックとかしないからなぁ。一応女子……じゃなくてまごうことなく女子なんだけど。まぁ起きるのが遅かったんだからしょうがないかな。

 廊下の灯篭も一つになっていたので、やはり掃除が面倒だったのだなと思いつつ台所へ行くと、今日はなんと二人分の朝食がテーブルの上に用意してあった。
 いつも先に食べてしまっているリリョスさんが、座って待ってくれていた。

『おはようござます』

『おはよう』

 めちゃくちゃ気まずくて、けれどなんだか嬉しくなった私は、勢いよく椅子を引いて、彼の前に座った。

『嬉しそうだな。腹がすいてたのか?』

 何か聞かれた。腹……?

 昨晩の記憶がよみがえりかけ、もろもろをグっと押し込んだ私は

『一緒。ごひゃん。一緒』

 誤魔化した。
 するとリリョスさんは、俯いて、手の甲で額をトントンと叩いた。

『あまり可愛くするな。離れがたくなる』

 可愛く……ご飯が?

 私は、首を傾げて、木でできたスプーンを手に持った。

 コーンスープっぽいのと、ナンに似たパンと、ポテトサラダ。

 可愛いといえば可愛いような気もする……かな。

 いろいろ考えている間に、彼が食べ始めたので、私も食べることにした。

 誰かと一緒に食べるご飯は久しぶりだ。どのくらい久しぶりかというと。どれくらいだろう。

 なぜか検討がつけられなかった。

 今朝は、昨日までの気だるさが嘘のように取れて、起きた瞬間から、うさ耳さんに無事を伝えたり、ハミグに会ったりしたいな……と考えたところで、なぜ今日までやらなかったんだっけと疑問を感じた。

 このところの自分の行動を覚えてはいるけれど、原動力については同意できなさすぎて、自分じゃないみたいだ。

 その場で考えてその場で動く。

 という、私に最も足りない部分が顕著に表れた、不思議な状態だった……だから今日は、飲み過ぎた次の日のような……飲んだことないけれど、例えるならそんな感じだ。

 昨日のあの出来事は、どうとらえておけばいいのだろうか。私は私でわけのわからないことを叫んだし、幸い通じていないけれど。リリョスさんも様子がおかしかった。

 ホクホクした中にカリカリに揚げた何かが入ったおいしいポテトサラダを口に入れて、目の前の彼を見ると、目が合った。

『どうした』

 今日のリリョスさんは、以前小屋で会っていたときの雰囲気に近い気がする。具体的なことはなんとも言えないが、少しだけ不機嫌な態度なのに、優しい声だ。

『ハ……ハミグ……』「うさ耳さん」

 そこで私は、名前だけでなんとかわかって貰う会話に再び挑戦してみた。
 緊張しすぎて日本語も混ぜていたが、名前を呼ぶだけなら異世界語も何もないので、うさ耳さんはうさ耳さんと言ってしまった。

「うさ耳さん?」

 リリョスさんが綺麗な発音で真似してきた。

 私は、日本語だ!? と驚きながら、手を頭に持って行って、ピョイピョイ動かした。

「うさ耳」

 するとリリョスさんは、頷いて。

『耳族のことか』

 そう言って席を立ち、台所を出て行って、すぐに戻って来た。

『これ……が役に立つかわからないが、お前にやる。あとこれは返す』

 リリョスさんが、食卓の上にドサっと物を置いた。
 可愛らしい動物が表紙の絵本と……。

「絵と飴とガラス玉!」

 ここへ来るとき無くしたと思っていた瓶と絵の束だった。

 私は、喜んだと同時に内心驚愕していた。

 実はここへ来てずっと……ではなく、今朝になって再び、無くしてしまった絵や思い入れのある瓶の中身のことを思い出し、少し落ち込んでいたからだ。

 名前で彼らに会いたいというのは伝わらなかったのかもしれないが、その更に奥が伝わるなんて……。
リリョスさんの察しの良さは折り紙付きかと思ったらそうじゃないじゃーんと思ってたけどやっぱりそうだった!

 瓶と紙をギュっと抱えて、彼を見上げると、なんだか申し訳なさそうにされた。

『悪かった。取ろうとしたわけではなく。その……ちょっと邪魔だったから』

『ありがとうぉリリョス』

 お礼を言うと、更に申し訳なさそうにされた。渡し忘れていたことを気にしているのなら、見当違いだが、それを伝えるためには……。

『これ。なに?』

 私は気にしてないと言わんばかりに絵本を指さし、話をそらした。

『ああ……これは、絵本だ』

 リリョスさんは、絵本を開いてめくり、トントンっと挿絵を叩いた。
 そこには、ウサギの耳を生やした人が描かれていて。

「うさ耳さん」

 再び日本語で発音した彼は、すぐにパタンっと本を閉じて、私に押し付けるように渡してきた。

「え?くれるんですか?」

 受け取って見上げると、リリョスさんは、今までになく暖かく、それでいて寂し気な笑みを浮かべていた。

『ハミグと勉強しろ。出来るだけ健やかに過ごして……自分の世界へ帰れ』

「えっ……えっちょっ……えっと……」

 何かとても大切なことを言われているような気がするけれど、ハミグしか聞き取れなかった。
 もう一回言ってもらってもわからないだろうし、そもそもわかってほしいわけでもないのか、リリョスさんは、また椅子に座って、もくもくと食事を再開した。

 なんだったんだろう。このまま流していいのかな。

 私は、もっと勉強しなければと気合を入れ、絵本と瓶をテーブルの端に置いて食事を続けようとして、けれど汚れるのではないのかと気になってしまい、結局全部抱えて部屋へ戻ってベッドの上に並べ、またダッシュで台所へ戻った。

 ストンっと椅子に座ってパンを口に運ぼうとしたら

『っ……』

 リリョスさんが、嬉しそうに笑っていた。

「…………」

 それを見た私は、持っていたパンを膝に落とし、三秒ルールで拾って口に入れ、それからスープを食べるためにフォークを持ってしまい、慌ててスプーンも持って二刀流になることで彼の笑顔を継続させた。決して意図してやったわけではない。
 声をあげて笑う彼をはじめて見て……なんだかこう……いろいろと焦ってしまっただけだ。

 途中から全然味がわからなくなった食事を終え、部屋へ帰ると、リリョスさんに固くて丈夫な布で出来たリュックを渡された。たぶんそこに荷物を詰めろという意味だと思い、私はよくわからないながら、さっき貰った絵本と瓶と絵を入れた。

 これはまさか……私……解雇じゃないよね。

 まったく雇われてもいないし、役にもたっていないが、嫌な予感がしてきた。

 どきどきしながら、猫耳さんに貰った数枚の部屋着を詰め込むべきか迷っていると、入れる前にリリョスさんがリュックを持ち上げたので、少しほっとした。

 着替えを置いて解雇はないもんね。どんな嫌がらせだよってなるし。

 お出かけとか?

 だったら嬉しいけど。

 今度は少しわくわくして、ついてこいとゼスチャーするリリョスさんの後ろを歩き、玄関を出た途端。

「うわっへ!?」

 急に抱き上げられて変な声が出た。

 そうだった。ここからお出かけするイコールこの恥ずかしスタイルなんだ。

 ポフっとリュックをお腹に置かれて、ギュっと抱えたら、リリョスさんは片手で私を支え直して門を開け、なんの合図もなく空へ――。

「ひぃいいいっ!ちょっこわぁああ!」

 一瞬下降してからフワっと浮き上がり、翼をはためかせるリリョスさん。意識がなかったり、落ちて混乱してたりで、まともにこの感覚を味わったのは初めてで、私はとにかく落ちないようにと、彼の首に腕を回した。

 すると、ゴゥっと風の音が強くなって。

「わああああああ!やめてください!」

 急上昇に叫び声をあげて目を閉じると、風の音に交じって微かに笑い声が聞こえた。

 昨日落ちて半泣き状態だった私のことを忘れたのだろうかこの人は。

 苦情を言う前にフワっと体が浮いて、上昇が止まった。肌に感じる風が緩やかになり、ゆったりとした大きな羽音が聞こえる。

 私は、しがみついていた体を離し、そーっと目を開けて、周りを見渡し――

「………………」

 視界いっぱいの大空に息をのんだ。

「綺麗……」

 月並みなことしか出てこないけれど、本当に綺麗だった。
 どこまでも続く大空の全貌に、心が奪われる。自分をちっぽけに感じるのではなく、不安だった気持ちが広がって、この空の一部になったような、清々しい気分になった。

『嫌いな場所でも、景色でも、お前が居ると違うものになるんだな』

「ぇっ?」

『いや。いいんだ』

「ええっと……えっと……」

 また、通じなくていいとでもいうように、勝手に話をやめたリリョスさんは、既に私ではなく、どこか遠くを見ていた。

「…………」

 私とリリョスさんは、暫くの間、空の上で景色を眺めた。
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