アイラと神のコンパス

ほのなえ

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ディール島編

第31話 魔法のランプ

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 アイラはアンの言葉を聞いて、目を見開く。

「天上の世界! それどこかで聞いたような……。そうだ、確かオルクさんに聞いたんだった! 空のずっと上にある、神様のいる場所だって。アン、よく知ってるね!」
 アンはそれを聞いて、少し得意げな様子で言う。
「私は一国の皇帝であるから、日頃からいろいろと教養をつけているのだ。歴史や神学……そのあたりの勉学にも励んでいたから、神話についてはよく知っている。父上がまだ生きておられた頃、賢者の島に留学したこともあるぞ」
「賢者の……島?」
 アイラは首を傾げて言う。
「ここからは離れているが、勉学に励もうとする学者たちの集まる島でな。あそこには本がいっぱいあるぞ。アイラも勉強したければ行くといい」
「うーん、機会があったらね。今はコンパスの針の示すとおりに進む旅の途中だし」
「そのコンパスなんだけど、アイラ……」
 ラビがなにやら真剣な面持ちで話に割って入る。
「それ、本当に持った人の行くべき場所を示すの? ……もし良かったら、僕も試しに持ってみてもいい?」
 ラビがそう言うのでアイラはコンパスを手渡そうとするが、今度はアンが少し強い口調で割って入る。
「やめておけ、ラビ」
 ラビははっとした様子で、差し出した手を引っ込める。
「おまえ、それ見て、どうする気だ。私も、そのコンパスを手に持って見る気はないぞ。気の迷いが生じるだけだ」
「……そうだね」
 ラビは少し切なげな表情になる。
「僕たちは、針が島の外を示していても……この島から出ることはできないからね」

 アイラは何と言ってよいかわからない様子でラビとアンを交互に見る。サルマはそんな三人の様子を見て、頭を掻きながら言う。
「無駄だぜ、オマエらが持っても、俺が持ってもな。そいつ……メリスとう出身の一部のやつにしか針を示さねーんだ。確か……神の加護があるやつにしか針が見えない、って言ってたっけな」
「神の加護……か。そういや、メリスとうは大昔神の降り立った、神に愛されし島だというが」
 アンが思い出したように言うと、アイラは目を見開いてアンを見る。
「それわたしも聞いた! アン、本当によく知ってるんだね! それにラビも、わたしが闇の賊のこと話しても、嘘だとか言わなかったし。わたしは神様とか闇の賊のことなんて、旅に出る前は全く知らなかったのに……」
「闇の賊……⁉ やつら、どうかしたのか?」
 その言葉を聞いて、今度はアンが目を見開く。アイラが答えようとする前に、ラビが先に口を開く。
「アイラの故郷、メリスとうが……闇の賊に襲われて、壊滅させられたみたいなんだ」
「‼ やつら、今こちらの世界に来ているのか……!」
 いつもあまり表情を変えないアンが、今回は珍しく動揺し、血相を変える。サルマはその様子を見ていぶかしげに思う。
(コイツ……オルクの爺さんと同じ反応してやがる。教養があるとはいえ、なぜこうも闇の賊だとか神話の話を現実だと受け止められるんだ? コイツら……)

 アンは落ち着きを取り戻し、アイラに向かってぽつりと言う。
「アイラ、それはさぞ辛かっただろう」
「……うん。でも大丈夫。今はやるべきことがはっきりしてるから。全部言うと長いから細かいことは省くけど、わたし今、闇の賊を倒したい気持ちで旅に出てるんだよ。わたしの行き先を示してくれるコンパスがあるなら、その気持ちを持ち続けて旅をしていれば、それを叶えられる方法が見つかるかもしれないと思って。それで、コンパスの針の示す方向に旅してるの」
「そうか。闇の賊を殲滅せんめつせねばならぬという気持ちは、私も同じだ。私もできる限り、アイラの旅に協力しよう」
「本当⁉ ありがとう、アン!」
 アイラはそれを聞いて目を輝かせる。

「だが、その前に……聞いておきたいことが、ある」
 アンはそう言って、アイラとサルマの方を見る。
「やつら、今……どこまで来てる? 闇の大穴は、どうなっているのだ?」
「あ? オマエんとこの国は、大穴の異変すらも把握できてねーのか? まあ確かにこの島の近海は渦やうねりがなかったが……」
 サルマは少し呆れた様子でそう言った後、相手が皇帝であることを思い出して口をつぐみ、再び話を続ける。 
「今や闇の大穴はずいぶん広がって、大穴を取り巻く渦やうねりは世界の半分以上の海に及んで……小船での航海は厳しい状況まで来てるぜ。闇の賊は……俺たちの知ってる限りでは、メリスとうを壊滅させた他、戦士島せんしじまにも攻め込んで来やがった。俺たちは逃げだしたからな……戦士島が攻め込まれてどうなったのかはわからねぇが、腐っても警備戦士の島なんだ。壊滅したってことはねぇと思うがな」
「……なるほどな。助かった。アイラ、サルマ。おまえたち、恩人」
 そう言ってアンはアイラとサルマにすっと手を差し出す。二人は手を取り握手に応じるが、アイラはよくわかっていない様子で不思議そうに尋ねる。
「助かった? どういうこと?」
 アンは手を離し、アイラを見て答える。
「おまえたちのおかげで、闇の賊が攻めてきた時の対策がたてられる。我が国は閉鎖的で……外部からの情報が入りにくいのだ。外部に干渉されるのを嫌がる国の体質が根強く、警備戦士相手ですら干渉されると知ったら追い払うくらいだ。だからこの情報は、我が国にとってとても貴重なものだ」
「国を守るための対策……か。結局皇帝ってやつは、自分の国のことしか考えてねぇんだな。今や世界の危機だってのに……」
「ちょっと、おじさん」
 サルマがアンの前で批判的なことを言うのを聞いて、ラビはぴしゃりとサルマの言葉を遮り、静かに怒っているような表情でサルマを軽く睨む。サルマはそれを見て謝ろうとするが、その前にアンが口を開く。
「すまぬ。外の人間であるおまえからすると、自分の国ばかりを守ろうとしてるように見えるだろう。だが、私としても、父上から受け継いだこの国を守らねばならぬ使命がある。外部のことに干渉する余力はない。警備戦士のように、世界の平和のために行動できるわけではないのだ」
(……この島に着いた時、サルマさんが言ったとおりだ。アンはいい子だけど、やっぱり一緒に世界の平和のために力を貸してくれる気はないみたい。……そうだよね。自分の大切な場所や人たちを優先的に守ろうとするのは当たり前だよね。警備戦士が特別だっただけなんだ)
 アンの言葉を聞いて、アイラはそう思う。それを悟られたのかはわからないが、アンはアイラの方を見て言う。
「だが、おまえたちの旅には協力してやる。アイラが友達だからってのもあるが、それが世界のためになるならなおさらだ」
「あ、ありがとう! アン!」
 アイラが顔をパッと輝かせるのを見て、アンは嬉しそうに頷く。

 サルマは期待のこもった目でアンを見る。
「協力してくれるのはありがてぇが、一体何をしてくれんだ? 旅の資金の援助か?」 
 アイラは身を乗り出すサルマに対して呆れたように言う。
「もう、サルマさんはお金のことばっかり……」
「……違うぞ」
 アンは短くそう答えた後、空を見上げる。それを見て、ラビははっとした表情になる。
「も、もしかして……」
 アンはラビに向かって頷き、口を開く。
「もちろん、天界のことだ。あそこに行くのに協力してやる。天界が本当にあるなら私も行きたいと思っていた。ちょうどよい」
「絨毯で行くってこと⁉ 危険だよ! どこまで昇れば天界にたどり着けるのかもわからないし、そもそも本当にあるのかどうかすらもわからないのに……」
 ラビはそう言って止めようとするが、アンはラビの言葉を遮る。
「私の大絨毯があれば、大丈夫だ。あれは無限に飛べる。もしあの雲が天界でなかったなら、引き返せばよい」
「そうだな。空のどこにあるかわからないといっても、俺の鼻で嗅ぎ分けられる範囲ってことだろ。それなら、遥か彼方ってことはねぇはずだ」
 サルマもそう言って、天界への旅に乗り気な様子を見せる。
 アンが天界に行ける嬉しさからか、頬を紅潮させ目を輝かせている様子を見たラビは、諦めたようにため息をつく。
「じゃあ、僕も行くよ。アンしか絨毯を操れないっていうのは危ないからね。アンの絨毯乗りの能力や集中力が凄まじいのはわかってるけど……アンに万が一何か起こった時のためにも、僕もいたほうがいいだろ? アンの大絨毯なら、広くて重さの制限もないから、四人で乗っても大丈夫だし」
 アンは少し考える素振りをした後、頷いて言う。
「そうだな、ラビも来い。では、行くと決まれば準備をせねば。宮殿の者たちに、私がいなくても心配されぬよう何とか取り計らわねばな」


 天界への旅の準備について話し合われる中で、アイラは未だ天界へ行く実感が湧かない様子で、ぼんやりと空を……アンの言っていた動かない雲を眺めている。
(確かに、あの雲は動いてないみたいだけど……本当に、天界なのかな。でも、確かにコンパスの針は、あの雲の真下……この場所で回ってる。コンパスは方角を示すことはできても上を指すことができないから、針はここで回って、あの雲の上に行くように示してるってことなのかな……)

「アイラ」

 アイラが考え事をしていると、向こうで天界への旅支度について話し合っているラビとサルマのところからアンが抜け出してきて、ちょこちょことこちらに歩いてくる。

 アンはごそごそと自分のパンツのポケットの中をまさぐり、銀色の小さなオイルランプを取り出す。
「これを、やる」
 アンがそう囁いて、ランプをそっとアイラに手渡す。ころんと丸い形の本体から、先端の口の部分に向かって徐々に細くなっているそのランプを受け取りながら、アイラは不思議そうにそれを見る。
「なあに、これ」
「我が国に代々伝わる、魔法のランプだ。さっき渡したいものがあると言ったのは、これのことだ。アイラに、やる」
「え、そんな大事なもの、いいの? わたしなんかに……」
 アイラが目を見開き、アンの方を見る。アンは頷いて、再び囁き声で言う。
「心配はいらぬ。魔法のランプはこれ以外にもある。我が国に伝わる魔法のランプは、代々我が国と友好のある者に渡すことになっている。アイラは我が国の恩人で、私の友達だ。だから、渡す。私とアイラの友情の証だ」
「あ、ありがとう! でも、これ……何に使うものなの?」
 そう言ってアイラはランプの上部分についているふたを開けようとするが、蓋はびくともしない。
「あれ、開かないよ?」
 アイラが首をかしげていると、アンが説明する。
「それはオイルランプの形をしているが、中に油を入れて火を灯す、普通のオイルランプのようには使えぬ。今はとりあえず、それを私だと思って大事に持っとけ。そして、もしこの先の旅で困ったことがあれば……その時はランプの腹をこすれ」
 そう言ってアンは、ランプの丸く膨らんでいる部分を指差す。
「へえ、こすったら何かあるの? 今擦ってみてもいい?」
 アイラがそう言うと、アンはにやりと笑って首を横に振る。
「駄目だ。今擦っても無駄だ、もったいない。それは困った時の楽しみにとっとけ」
「よくわからないけど……わかったよ。ありがとう、アン」
 アイラはランプを背中にしょっている袋にしまう。アンはそれを見て満足そうに頷くと、向こうにいる二人に言う。
「では、出発の準備をしてくる。信用のある者少数にだけ出かけることを知らせ、宮殿の者には仮病でも使っておこう。必要なものがあれば用意させるから、言え」
 それを聞いてサルマとラビがアンの方に駆け寄り、天界への旅の計画について説明をする。

 アイラは皆のいる方から目をそらし、再び空の動かない雲を見る。
(あの空の向こうには……一体何が待ってるんだろう。今度こそ、オルクさんにもらった剣の力を取り戻すことができるのかな……)

 アイラは再びコンパスに目をやり、まだ針が回っていることを確認すると、それをそっと握り締める。
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