アイラと神のコンパス

ほのなえ

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戦士島編

第18話 三日月の短剣

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「くっ……」

 サルマは、おさの部屋の壁に飾られている三日月剣の中から一番短いものを選んで手に取り、さやを外すと体の前で構え、サダカの方ににじり寄っていく。

 サダカはサルマを見て笑う。
「ははは。そんなことしなくても……この剣はちゃんとおまえに渡すよ」
 そう言ってサダカは剣を両手で支え、大事そうにサルマの前に持ってくるが、サルマは剣を構えるのをやめずに言う。
「俺がそれを聞いてああそうですか、って素直に受け取るとでも思ったかよ。そんなことするわけにはいかねぇのはわかってんだ。ここでおさであるサダカのおっさんからその剣を受け取ったら……伝説の三日月剣の授与の儀式が行われたことにされかねない。そうなったら俺は……伝説の戦士の持っていた剣を扱う者の使命として、警備戦士隊長にでもならねぇといけなくなる」
「……残念、読まれていたか。私はこの剣を授与の儀でおまえに渡すことが出来ないでいるのが、ずっと心残りでね、今この場で密かに済ましてしまおうと思ったのだが……。でも、この剣は欲しいんだろう? サルマ。なにしろ、おまえの父親の形見だからな」
「べ……別にそういう理由で欲しいんじゃねぇ!」
 サルマは吐き捨てるように言い放つ。
「ただその剣は……どの三日月剣より軽くて切れ味も鋭くて、俺の手によくなじむんだ。だから……」
「おや、おまえは剣を捨てたんじゃなかったのかい? リーシからはそう聞いたんだが」
「………………」

 サルマはそう言われて口をつぐむ。サダカは剣をさやから抜いて、窓の外に広がる夜空にかざす。三日月の形の刃に月光が反射してキラリと光る。
「伝説の戦士の持っていた三日月剣……ひとつはリーシの持っている三日月の長剣、もうひとつはシルロが持っている三日月の大剣……そしてここにあるのが最後のひとつ、三日月の短剣だ」
 サダカはサルマをチラリと見る。
「二人には戦士隊長の中でもその代表格となるまで名をあげた頃に、授与の儀を行って与えた。ちょうどリーシはスラリとした長めの剣、シルロは重量感のある大ぶりの剣の扱いがどの警備戦士隊長よりも上手かったからな。そして最後のひとつもいずれはこの剣の前の持ち主……私の兄貴の、その息子である短剣の使い手のサルマに、と思っていたのだが……」
「……だが俺は、戦士隊長はおろか警備戦士にもならねぇうちに島を抜け出した。だからその剣は今でも、正真正銘アンタのものだよ、サダカのおっさん。アンタだって、死んだ親父オヤジの弟なんだし短剣の使い手なんだ。その剣を持つ権利はあるはずだ」
「しかし……サルマ、おまえが島を出た頃にこの剣の行方がわからなくなってね。伝説の戦士が持っていた大切な剣がなくなったとを知られては大変な事態になるからな、皆には黙っておいたんだが……。薄々わかってはいたが、やはりおまえが盗んだんだな?」
「ああ、そうだよ。俺が島を出る時に盗んだんだ」
 サルマはきっぱりと答える。
「その剣……親父が生きてる頃によく勝手に借りててさ、お気に入りなんだよ、俺の。だから島を抜け出す時その剣だけはどうしても欲しくなってな。ただ、その剣は俺のじゃなくてアンタのものだ。俺はアンタから盗んだってだけで、決してアンタから授与されたわけじゃねぇ。俺としては、そこんとこははっきりしておきてぇんだ」
 サダカは深くため息をつく。
「サルマ……おまえ、今でも警備戦士になる気はないんだな?」
「ああ、全くないね。この島に来るのはもう今回で最後にするつもりだ。ただ、島を出る前に……アンタからもう一度その剣を盗み出さなきゃならねぇ」
 その言葉を聞いたサダカは、持っている三日月の短剣を構えてにやりと笑う。
「今ここで……力ずくで奪ってみるか? 私としても、警備戦士にとって何物にも代え難い宝であるこの剣を、戦士になる気もないおまえにすんなり盗まれるわけにはいかないからな」
「ああ、そのつもりだ」

 サルマは先程手に取った三日月剣を構え、サダカに向かって剣を突き出す。サダカも応戦し、剣を交える音と、ヒュッヒュッと二人の短剣の風を切る音が聞こえる。あまりに速すぎて目に見えないその動きにアイラは圧倒される。

 次の瞬間――二人の動きが速すぎてアイラには何が起こったのかわからなかったが――突然サルマの持っている剣がバシッという音とともに弾き飛ばされ、くるくると宙に舞って落ちてゆき、グサリと床に敷いてある真紅の絨毯の上に突き刺さる。

 サダカはにやりと笑い、手首を抑えてしゃがみこんでいるサルマに剣を突きつける。
「剣を捨てたと言っても、実は私から剣を盗んでちゃっかり持っているくせにと思っていたが……なるほどそういうことか。確かに、剣の技術は前よりも落ちているようだな」
「……ああそうだよ。ここしばらく剣を使う機会もなかったし、剣の稽古なんて、俺は自主的にやったりしねぇからな」
 それを聞いたサダカは、どこか昔を懐かしむような、柔らかな笑顔を見せる。
「この島にいた頃でもおまえはろくに稽古しなかったくせに……よく言うよ。それでも、毎日かかさず稽古している同い年のリーシやシルロと勝負させると互角に戦うもんだから、リーシもシルロもそれはそれは悔しがっていたな」
 サダカはサルマの喉元に剣を突きつける。
「さて……どうする? 私としてもこんなことはしたくないが、ここで死ぬか……それとも警備戦士になって、この剣を正式なかたちで受け取ってくれるか……どちらを選ぶ?」
「ど……どっちもゴメンだよ」
 サルマはそう言ってサダカを睨みつけ、歯ぎしりをする。
「私としては、おまえに自由な人生を選ばせてあげたい気持ちも少しはあるんだ。しかし、サルマ……おまえのその父親譲りの短剣の扱いの才能は、我ら警備戦士たちにとっては無くてはならないものだ。そしてなにより……」
 サダカは剣を突きつけたままゆっくりと腰を下ろし、サルマに顔を近づける。
「……愛しい娘のためにはね、おまえにこの島から出て行かれては困るんだよ」 
「リーシのため……?」
 サルマは眉をひそめる。
「でも、アイツは俺のこと誰よりも嫌って……憎んでるぜ。サダカのおっさんは、リーシをなるべくブレイズ家の中でも血筋のいい俺と結婚させてぇのかもしれねぇが、アイツは絶対そんなこと望んじゃいねぇよ」
「……そう思うのか?」
「ああ……そうじゃねぇのか? 聞いたわけじゃねぇし、わかんねぇけど……」
 サダカにじっと見つめられ、そう問われたサルマは思わず口ごもる。

 サダカは目を閉じてため息をつく。それを見るとサルマの目つきが変わり、一瞬の隙を狙って、素早い動きでサダカの剣を持つ手をおもむろに掴む。
「‼」
「へっ……油断したな、サダカのおっさん。戦いの最中だってのに、頭ん中でリーシのことばっか考えてるから悪いんだよ」
 サルマは手に力を込めて、ぐぐぐ……と剣を徐々に自分の喉元から離してゆき、両手でがっちりサダカの手と剣のつかを掴む。サダカも剣を奪われないように、サルマに負けじと手に力を込める。
「とにかくだ。俺は警備戦士には金輪際こんりんざいならねぇ! そしてアイツ……リーシにとっては警備戦士が人生の全てだ。そんなヤツ同士を無理やり結婚させてもうまくいかねぇんだぜ……そこんとこわかってくれよ、サダカのおっさん!」
「サルマ、おまえこそ……リーシのことをわかってやれよ。あいつはこれでも……」
 二人はものすごい形相で……お互い今まで溜まっていた怒りをぶつけるかのように、剣をめぐって激しく争いもみ合う。

「やめてよ! 二人とも!」
 二人の争う様子を黙って見ていたアイラは、ついに我慢できずに大声で叫ぶ。二人は驚きのあまり動きを止め、目をぱちくりさせてアイラを見る。
「ア……アイラちゃん⁉ ずっとそこにいたのか⁉ そもそもなぜ君がこんなところに……」
 サダカはアイラが部屋にいることに全く気がついていなかった分、アイラがいるのを忘れていただけのサルマよりもさらに驚いて――――思わず手の力を緩めてしまう。
 サルマはそれを逃さず、ついにサダカから三日月の短剣を奪い取る。

「くっ……しまった」
 サダカは悔しそうに言うと素早く立ち上がり、先ほどサルマが持っていた、床に刺さっている短剣を抜き取りサルマに向かってゆく。

 再び短剣同士の風を切るようなやりとりが繰り広げられる。しかし……サルマの剣の動きは先程よりも素早く勢いがあり、サダカは次第に押されはじめる。
「サルマ……おまえのその剣さばき……先程までの動きとはずいぶん違う。その剣を持ったとたん、まるで水を得た魚のごとく……」
「………………」
 サルマは黙ったまま剣を振り続け、サダカを壁際へと追い詰めてゆく。
「やはりおまえの体にはまだ、警備戦士の剣術が染み付いている。自分では剣を捨てたつもりでも、実は捨てきれずにいるようだな。だが……」
 サダカは壁に体が当たる直前、くるりと体をひねって素早く体制を立て直し、にやりと笑う。
「私は警備戦士たちをまとめるおさとして、おまえみたいな若造にまだまだ負けるわけにはいかない。必ずこの勝負に勝って……おまえを警備戦士の道に進ませてみせる」
「……やれるもんならやってみな」

 二人は再び間合いを取り、相手を睨みつける。二人の真剣なその表情は、お互いの目的の為には相手を殺しかねない目をしているように思えて、アイラはぞっとする。

「も……もうやめてよッ‼ サルマさん! サダカさんも……っ!」
 二人の様子を見て恐ろしくなり、アイラが叫ぶ。

 サルマとサダカはまだ剣を構えてはいるが、その声で緊張の糸がぷっつりと切れたかのように、突然二人の殺気が消える。
 サルマはサダカの動きを警戒しつつも、アイラを横目で見て言う。
「ちっ……なんだよ、オマエがいるとやりづれーな。あっち行ってろよ」
「嫌だよ、わたし……二人に争って欲しくないよ。もっと、二人とも落ち着いて話し合ってよ」
「………………」
 サルマとサダカはお互い顔を見合わせる。

 アイラは自分の荷物の中からコンパスを取り出し、サダカに向けて突きつける。
「サダカさん、お願い。わたしの話を聞いて! わたしのコンパスは……サルマさんが牢から出ないと、次の行き先を示してくれないみたいなの」
「なんだって……?」
 サダカはコンパスを見る。針は、前に見た時のようにくるくると回っておらず、ひとつの方向を……北西から北北西あたりを示している。
「リーシさんの船に乗って旅に出られることになっても、針が次の方向を示さないから不思議に思って……サルマさんと関係があるのかと思って、試しに牢から出てもらったとたん、針がこうなったんだよ。きっと、これは……わたしの旅にはサルマさんが必要なんだってことだと思うんだ。だから……リーシさんの船で連れてってくれる話になってたのに今更申し訳ないんだけど……お願い、サルマさんをこの島から出して……サルマさんと一緒に旅をさせて! そうしないと、たぶん……神様の落し物だっていう剣の力を取り戻せなくて、世界を救えないと思うから……」
「………………」
 サダカは黙ったまま、じっとコンパスを見つめている。
「今は……この世界を救うことが先だよ。サルマさんが戦士になるかどうかは、旅が終わってから……剣が力を取り戻して、闇の賊がいなくなって平和になってから考えてもいいじゃない」
「…………そうだな」
 サダカはアイラの言葉を聞いて、剣を下ろす。
「私は……自分の目的のために、今、自分がこの世界のためにすべきことを見失っていたようだ。警備戦士のおさだというのに……いやはや、君みたいな小さな女の子に気づかされるとはな」
 そう言ってサダカはアイラに微笑む。サルマも、構えていた剣を下ろしてサダカに言う。
「サダカのおっさん。この剣……旅で必要になると思うんだ。闇の賊にいつ出くわすかわからねぇし、いざって時……命が危なくなった時に、力が出せねぇのは困るんだ。だから、旅が終わるまで、その……俺にこの剣を貸してくれねぇか」
「やれやれ……貸してくれ、ときたか。いつでも私の手から授けると言っているというに……」
「だから、それは嫌なんだよ。借りるってかたちなら……別に構わねぇ」
 サダカは軽くため息をついて、自分の手元に残っている三日月の短剣のさやをサルマに手渡す。
「……そうだな、旅が終わった後、おまえが自らの手でこの剣を返しに来てくれるのなら、貸しても構わないよ。ただし……このまま剣を返さずに、二度と私の前に顔も出さずに逃げだした場合は、容赦しない。この世界のどこに隠れていてもおまえを見つけ出し……無理やりにでもおまえを警備戦士にしてやるから覚悟しておけ」
「ああ……わかったよ」
 サルマは頷いて、短剣を元の位置に……いつも腰に巻いている布の間に挟む。

 サダカはサルマの姿を見て、ふっと笑う。
「こうして見ると……おまえの姿は父親に本当によく似ているな。私は兄貴……おまえの父さんをとても尊敬していた。たまに引け目を感じてしまう程にな。だから、兄貴にそっくりなおまえに、つい執着してしまうのかもしれないな……」
「でも、俺……性格は親父とは全く違ぇだろ?」
「……そうかな。まぁ、確かにおまえみたいにちゃらんぽらんとはしていなかったが……」
「ちゃ、ちゃらんぽらんって……」
 サルマは少しショックを受けた表情を見せる。アイラはその後ろでくすりと笑う。
「あ、オマエ……今笑ったな?」
 サルマは耳ざとくアイラの笑い声に気づいて振り返る。
「わ、笑ってない! 笑ってないよ!」
 ぶんぶんと手を振って否定するアイラをサルマは疑わしげに見た後、ふん、と鼻を鳴らす。
「とにかく……俺は俺だからな。誰とも似たりなんかしてねぇよ」
「俺は俺……か。なるほどな」
 サダカは腕を組んで頷き、サルマを見てにんまりと笑う。
「そういうところが父親に似ているんだよ」

 そう言われたサルマは否定しようと口を開くも、言葉が出てこず……嫌がっているような、驚いているような、困っているような、それでいてちょっぴり嬉しいような……何とも言えない表情で、自分の首にかかっている、をちらりと見る。
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