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Chapter09 - Side:Other - C
136 > 弁護士事務所 ー08(春風と久住)
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【Side:Other】
「幸三氏の葬儀は高齢だった母親の和代さんが行ったのですが……葬儀の場で。この、幸實(ゆきざね)氏名義の財産の件で、親族同士の口論が始まってしまって。和代さんはその場で倒れてしまったそうです……」
「……なぜ幸三氏の葬儀で?」
「幸之助氏も幸三氏も、外に対しては人格者然として振る舞うかたわら、身内の裏切りや批判に対して苛烈な報復を行う人だったので、面と向かって彼ら二人に反論できる人はいなかったのです。なので、問題の二人がいなくなって……」
「それまでの鬱憤やらが……」
「そうです」
汐見は、義母である美津子が以前
『幸三が私に対して優しいことがあったかって?あるわけないじゃない……一言目には私に命令して、聞き返すと殴られるのよ……幸三どころかあの家族全員が、長子に妻がいるという体面を取り繕いたかっただけよ……』と呟いていたのを思い出した。
〝……そんな状態で……春風家に……〟
今は亡き義母を思うと同時に、紗妃がどうしてそこまで義母を厭うのか理解できなかった。美津子が春風の家族に虐げられ、紗妃を救うために10歳前後で春風家を出奔したことを紗妃が覚えていないはずがないのに。
〝……なんか……嫌な感じだな……〟
これ以上、紗妃の機微情報に触れてはいけないような気がして、汐見はぎゅっと目を閉じた。
「それにしても、池宮先生はなぜ……これほど春風家の内情を知っているんですか?久住家はお義母さんの実家なのでわかるとしても、春風家の調停事件のファイルまで……」
汐見が書類フォルダーに視線を向けながらそう言うと、池宮はまたその手を組んで汐見を見た。
「幸三氏の弟である、旧姓・春風幸雄氏は……私の友人の父でして」
「え?!」
「私も、その友人が直接自分から言い出すまで知らなかったのです……その友人は『渡辺』というので。……彼の父である幸雄氏は春風姓を捨てて渡辺家の婿養子になったそうです。葬儀の際、目の前で倒れた母・和代さんの面倒を看ると言い出して、幸雄氏主導の元、遺産分割協議に入ったのです」
「!」
池宮はメガネをかけ直すと、手元にあるその書類フォルダーをパラパラとめくる。
「先ほど言いましたように、亡くなった幸三氏とその弟・幸雄氏の従兄弟に当たる幸斗氏が勝手に相続財産を売買したために協議は難航したようです」
ベランダから漏れる赤い陽光は見えなくなり、ブラインドの隙間は黒い闇色に変わっていた。
「相続人は、幸雄氏とその母である和代さん、父・幸之助氏の弟さん3人、とその血族一同。なんですが……そのうち、和代さんと幸雄氏、幸斗氏と残るご兄弟の陣営に分かれて係争状態に入りました」
「……三つ巴って……そういう」
「それは知っているんですか?」
「あ、はい。亡くなる前に……お義母さんが病院で、お茶話みたいに軽く言ってました……」
「そうですか……調停に入ることが決まった際に、幸雄氏の息子であるその友人から依頼を受けたんです」
「……」
「当事務所は私の地元に出張所があって、月に1度は法律相談のために詰めています。やはり因習などが色濃く残る地域では地元出身者の人間が信用されやすいので」
「それで……」
汐見は、池宮の名刺の脇に書かれていたその住所を思い出していた。
「?なにがですか?」
「あ、いえ、名刺に『月1回は○○出張所にいます』と書かれていたので、気になってたんです」
「ああ、そういう……とりあえず、幸三氏と幸之助氏名義の遺産の相続には問題はなかった。金銭や預貯金などは幸三氏がほぼ生前贈与として貰い受けていましたので」
池宮がめくっている書類フォルダーには色分けされたたくさんのインデックスが貼られていた。
池宮はその一つに指を引っ掛けて、書類を示した。
その書面は【登記簿謄本】のコピーだ。
『表題部(土地の表示)』と書かれた枠と、その下に『権利部(甲区)』『権利部(乙区)』と書かれており、その下に何やら記載されている。
「問題になったのは春風家が所有する田畑や山林などの土地です。幸之助氏が事故で亡くなってから幸三氏が死去するまでの期間が短かったのもあり、また、幸三氏は幸之助氏ほど登記などの相続財産の対策を知らなかったのか、幸三氏どころか幸之助氏名義の不動産すらほとんどなかったんです」
「……どういう、ことですか?」
提示された書類、登記簿謄本上で池宮が指さした箇所『権利部(甲区)』枠の右端には『権利者その他の事項』とあり、そこには
「不動産はほぼ全て、先に言った幸實氏名義のまま残っていたのです」
春風本家の現在の住所とともに【春風幸實】という名前が表示されていた。しかも、受付年月日は
「約80年前……戦前……」
「生存している幸之助氏の弟のうち、お二人は経営していた会社を子供に譲ってはいるものの、常に資金難に喘いでいました。そしておそらく、幸斗氏がぽろっと口に出したんでしょう。伯父である幸之助氏が祖父の名義を変更していない不動産があって、自分たちにも相続する権利があるはずだとかなんとか」
「なるほど」
金に困っている人間は、あの手この手を使って他人の金ですら我が物のように口を出す。それが、もしかしたら相続として取得できるかもしれない、とわかれば──守銭奴にでもなってその財産の分け前にありつこうとするのは仕方のないことだ。
「この調停に関わってもうすでに3年になりますが、そろそろ終わると思います」
「……結論は出るんですか?」
「おそらく調停は不調(※1)で終わると思います。ですが、審判(※2)を得てそこからまた裁判になるかどうかは、関わっている人の気力と経済力と労力と……命数の問題になるでしょうね」
そう言うと、池宮が今度は別の書類フォルダーを出してきた。
「こちらも」
そのフォルダーには『久住家・遺産相続関連』と書かれていた。
「春風家ほどには厄介なことはなかったです。財産目録を整理して、紗妃のおばあさまに当たる千代子さんの介護施設に時折顔を出しに行くくらいでしたので。月1回、法律相談で地元に帰るついでに立ち寄ってました」
「……僕は行ったことがないんです……」
〝夫婦なのに、妻の祖母の施設にも顔を出さない夫って……〟
「そうでしたか。……紗妃とも相談しないといけないですね……」
「……」
「今度、紗妃と地元に帰る際には私にも同行させてください」
一瞬、汐見は耳を疑った。だが、どうやらその発言は池宮の本心から出たものだっただろう。
だが────
「……え、っと、その……」
「あ! ああ……そうですね、紗妃は今、精神科の病院に……」
※1:不調=調停がまとまらないこと。調停は、調停委員の案に当事者が合意することで成立するため、当事者全員の同意が得られなかった場合には、調停は不調として終了する。
※2:審判=遺産分割調停が不成立となり、結論が出ていない遺産分割問題について、裁判所が結論を出す手続き。家庭裁判所が審判によって結論を示して、遺産分割問題を解決へと導くことになっている。
「幸三氏の葬儀は高齢だった母親の和代さんが行ったのですが……葬儀の場で。この、幸實(ゆきざね)氏名義の財産の件で、親族同士の口論が始まってしまって。和代さんはその場で倒れてしまったそうです……」
「……なぜ幸三氏の葬儀で?」
「幸之助氏も幸三氏も、外に対しては人格者然として振る舞うかたわら、身内の裏切りや批判に対して苛烈な報復を行う人だったので、面と向かって彼ら二人に反論できる人はいなかったのです。なので、問題の二人がいなくなって……」
「それまでの鬱憤やらが……」
「そうです」
汐見は、義母である美津子が以前
『幸三が私に対して優しいことがあったかって?あるわけないじゃない……一言目には私に命令して、聞き返すと殴られるのよ……幸三どころかあの家族全員が、長子に妻がいるという体面を取り繕いたかっただけよ……』と呟いていたのを思い出した。
〝……そんな状態で……春風家に……〟
今は亡き義母を思うと同時に、紗妃がどうしてそこまで義母を厭うのか理解できなかった。美津子が春風の家族に虐げられ、紗妃を救うために10歳前後で春風家を出奔したことを紗妃が覚えていないはずがないのに。
〝……なんか……嫌な感じだな……〟
これ以上、紗妃の機微情報に触れてはいけないような気がして、汐見はぎゅっと目を閉じた。
「それにしても、池宮先生はなぜ……これほど春風家の内情を知っているんですか?久住家はお義母さんの実家なのでわかるとしても、春風家の調停事件のファイルまで……」
汐見が書類フォルダーに視線を向けながらそう言うと、池宮はまたその手を組んで汐見を見た。
「幸三氏の弟である、旧姓・春風幸雄氏は……私の友人の父でして」
「え?!」
「私も、その友人が直接自分から言い出すまで知らなかったのです……その友人は『渡辺』というので。……彼の父である幸雄氏は春風姓を捨てて渡辺家の婿養子になったそうです。葬儀の際、目の前で倒れた母・和代さんの面倒を看ると言い出して、幸雄氏主導の元、遺産分割協議に入ったのです」
「!」
池宮はメガネをかけ直すと、手元にあるその書類フォルダーをパラパラとめくる。
「先ほど言いましたように、亡くなった幸三氏とその弟・幸雄氏の従兄弟に当たる幸斗氏が勝手に相続財産を売買したために協議は難航したようです」
ベランダから漏れる赤い陽光は見えなくなり、ブラインドの隙間は黒い闇色に変わっていた。
「相続人は、幸雄氏とその母である和代さん、父・幸之助氏の弟さん3人、とその血族一同。なんですが……そのうち、和代さんと幸雄氏、幸斗氏と残るご兄弟の陣営に分かれて係争状態に入りました」
「……三つ巴って……そういう」
「それは知っているんですか?」
「あ、はい。亡くなる前に……お義母さんが病院で、お茶話みたいに軽く言ってました……」
「そうですか……調停に入ることが決まった際に、幸雄氏の息子であるその友人から依頼を受けたんです」
「……」
「当事務所は私の地元に出張所があって、月に1度は法律相談のために詰めています。やはり因習などが色濃く残る地域では地元出身者の人間が信用されやすいので」
「それで……」
汐見は、池宮の名刺の脇に書かれていたその住所を思い出していた。
「?なにがですか?」
「あ、いえ、名刺に『月1回は○○出張所にいます』と書かれていたので、気になってたんです」
「ああ、そういう……とりあえず、幸三氏と幸之助氏名義の遺産の相続には問題はなかった。金銭や預貯金などは幸三氏がほぼ生前贈与として貰い受けていましたので」
池宮がめくっている書類フォルダーには色分けされたたくさんのインデックスが貼られていた。
池宮はその一つに指を引っ掛けて、書類を示した。
その書面は【登記簿謄本】のコピーだ。
『表題部(土地の表示)』と書かれた枠と、その下に『権利部(甲区)』『権利部(乙区)』と書かれており、その下に何やら記載されている。
「問題になったのは春風家が所有する田畑や山林などの土地です。幸之助氏が事故で亡くなってから幸三氏が死去するまでの期間が短かったのもあり、また、幸三氏は幸之助氏ほど登記などの相続財産の対策を知らなかったのか、幸三氏どころか幸之助氏名義の不動産すらほとんどなかったんです」
「……どういう、ことですか?」
提示された書類、登記簿謄本上で池宮が指さした箇所『権利部(甲区)』枠の右端には『権利者その他の事項』とあり、そこには
「不動産はほぼ全て、先に言った幸實氏名義のまま残っていたのです」
春風本家の現在の住所とともに【春風幸實】という名前が表示されていた。しかも、受付年月日は
「約80年前……戦前……」
「生存している幸之助氏の弟のうち、お二人は経営していた会社を子供に譲ってはいるものの、常に資金難に喘いでいました。そしておそらく、幸斗氏がぽろっと口に出したんでしょう。伯父である幸之助氏が祖父の名義を変更していない不動産があって、自分たちにも相続する権利があるはずだとかなんとか」
「なるほど」
金に困っている人間は、あの手この手を使って他人の金ですら我が物のように口を出す。それが、もしかしたら相続として取得できるかもしれない、とわかれば──守銭奴にでもなってその財産の分け前にありつこうとするのは仕方のないことだ。
「この調停に関わってもうすでに3年になりますが、そろそろ終わると思います」
「……結論は出るんですか?」
「おそらく調停は不調(※1)で終わると思います。ですが、審判(※2)を得てそこからまた裁判になるかどうかは、関わっている人の気力と経済力と労力と……命数の問題になるでしょうね」
そう言うと、池宮が今度は別の書類フォルダーを出してきた。
「こちらも」
そのフォルダーには『久住家・遺産相続関連』と書かれていた。
「春風家ほどには厄介なことはなかったです。財産目録を整理して、紗妃のおばあさまに当たる千代子さんの介護施設に時折顔を出しに行くくらいでしたので。月1回、法律相談で地元に帰るついでに立ち寄ってました」
「……僕は行ったことがないんです……」
〝夫婦なのに、妻の祖母の施設にも顔を出さない夫って……〟
「そうでしたか。……紗妃とも相談しないといけないですね……」
「……」
「今度、紗妃と地元に帰る際には私にも同行させてください」
一瞬、汐見は耳を疑った。だが、どうやらその発言は池宮の本心から出たものだっただろう。
だが────
「……え、っと、その……」
「あ! ああ……そうですね、紗妃は今、精神科の病院に……」
※1:不調=調停がまとまらないこと。調停は、調停委員の案に当事者が合意することで成立するため、当事者全員の同意が得られなかった場合には、調停は不調として終了する。
※2:審判=遺産分割調停が不成立となり、結論が出ていない遺産分割問題について、裁判所が結論を出す手続き。家庭裁判所が審判によって結論を示して、遺産分割問題を解決へと導くことになっている。
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