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Chapter02 - Side:Salt - A
20 > 理想の夫婦ー汐見家
しおりを挟む「ただいま……」
チャイムを鳴らしたのに返事がないので、自分で玄関の鍵を開けた。ひっそりと静まりかえっているマンションに帰宅したのは久しぶりだ。普段なら、こんな時間に帰ることはない。
玄関に備え付けの靴箱に、今脱いだばかりの自分の靴を入れようと引き戸を開けると、お洒落な場所に行く時だけによく履いている赤いパンプスが見当たらない。ということはどこかに外出したんだろう。
「……今朝も頭痛いって言ってたのに……」
紗妃は偏頭痛持ちで、最近は大量に薬を飲んでいた。かかりつけの医者からは自分のところで出せる薬はこれ以上ないので専門の病院に行くよう言われている。だが……紗妃は頑として首を縦に振らない。
心配になったオレはLIMEで紗妃に連絡した。
『今日は早く帰れる』と。
今は午後4時。通常ならまだまだ就業中の時間帯だ。
だが、佐藤と自販機前で会った後の昼半ばの会議が終わったところで専務に呼び出され、1通の手紙を渡されて──早く帰るよう促された。
「……本人に聞かないと何もわからないしな……」
とりあえず、紗妃からLIMEの返信が返ってくるのを待つ。
が、返信が来ない。仕方なく、スーツを脱いで寝室に行って着替えると書斎に入った。
このマンションは、入籍と同時に引っ越した。
オレの実家は本州の南で、紗妃の実家は本州の北だったから、ここで家を買うという決断はもう少し考えてからの方が良い、と思ったからだ。買うならちゃんと、家族5名くらいが住んでも数十年は耐えられるような戸建てがいいと思っていたから。
だから、3LDKのマンションを賃貸で借りることにした。幸いというか、住宅手当と扶養手当が結構出たので、負担はさほどでもなかった。オレにとっては、とりあえず、の借家にしては一番上等な物件だった。
ただ、紗妃はもう2ランク上の倍以上の家賃を払うマンションが希望だったらしく、何とか説得してここに引っ越してきたときはかなり不機嫌になっていた。
書斎とは言え、4畳半の空間にはPCと本棚が所狭しと並ぶ。それでも最近の紗妃との張り詰めた空気以上に心臓に悪いものはなかったので、オレにとってはだいぶ楽に呼吸できる空間だった。
「夫婦……なん、だよ、なぁ……?」
これまた自慢じゃないが、オレは女性経験が少ない。少ないと言うか、紗妃以外の女性と付き合ったこと、そういうことをしたことも1度しかない。
つまり、実質紗妃が初めてまともに付き合う女性だった。だから、異性に対する勝手がわからない。
紗妃はオレといてもあまり楽しそうじゃないし、オレと外出するとずっと不機嫌でいる。
かと言って休日に、オレが一人で外出しようものなら、烈火の如く怒りだす。
そうなってしまったのは、昨年の【あの件】からだが……蒸し返すわけにもいかないし、触れることすら禁忌のようになってからは、オレと紗妃はお互い心に距離を置いたまま生活をしている。
向き合うべきことがあるのに、お互いに向き合えない。それも仕方のないことだとオレ自身は半ば諦めている。
なのに、【妊活】はする……ふ、と卓上カレンダーを見て……
〝ああ、明後日なのか……〟
寝室にある月間カレンダーには紗妃がマークをつけた日が1日だけあり、オレの書斎のPCデスクに置いてある卓上カレンダーにもそれを転記している。
それは──排卵日だ──
要するに──月に一度のアレの日ということで────
同居当初こそ、楽しみにしていたが……紗妃は同居を始めてからというもの、逆にオレとの行為を避けるようになった。原因は────
「……オレが……」
AVこそ鑑賞するが、あまり興味がないせいか、オレは多分、お世辞にも床上手なわけじゃないんだろう。それは交際当初から行為後の紗妃が苦虫を噛み潰したような表情をしていたことからそうなんだろう。
例えそうだとしても、家族が欲しい、と互いに合意の上で結婚までして同居しているんだから……という気持ちはあるのだが────
〝紗妃は……どういう気持ちでオレといるんだろうか……〟
カチャ、ガチャンッ!
鍵が差し込まれる音と、鍵が開いた音がした。部屋のドアの上にある時計を見上げると
「帰ってきた、か……6時、前……」
オレが残業なしで帰ってくる時間、の直前だった。
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