昨日屋 本当の過去

なべのすけ

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第7時 修正結果

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 ツキが大学院に行き、一人になった俺がするべきは就職活動だ。先も言った通り、浪人してまで大学院に入ろうという気はない。かといって、親の脛を齧ってニートなんてもってのほかだ。三月中旬のこの時期に就活なんて相当に厳しいのは分かっているが、どうにかするしかない。
受験で忙しかったのだから当たり前だが、就活を一切していなかったため、自己分析や企業研究などはまるで手をつけていなかった。それどころか、自分がどんな職種に就きたいのかも全く考えていない。しばらくはえり好みせず、手当たり次第に駄目元で面接でもなんでも受けて経験を積み、その間に自己分析などを終えるのが良策だろう。
 そんなこんなで、休む間もなく就職活動が始まった。学校でアドバイスなどはもらえたが、既に卒業した身だ。在学中のような全面指導は望めない。ハローワークやリクルートを使い自力で情報を集め、一足先に就職した知り合いに話を聞くなど、やる事は山積みで過労で倒れるんじゃないかという日々が続いた。
 受験勉強をしてた時とは違い、明確な答えがない問題に取り組むというのがまた、疲労を倍加させた。履歴書もエントリーシートも面接も、落ちれば間違っていたのだと分かるが、どこが間違っていたかは誰も教えてくれない。なんとか工夫して次に挑み、それもまた落ちる。
永遠にその繰り返し。社会というものがマニュアル通りにいかない事を如実に教えてくれる。学生の頃受験には落ちたが、そういう点では楽だった。模範解答のあるテストの点を取れば、それでOK。こんな風に正しい解答があるのかも分からない問題に対して、悩んだり苦しんだりする必要はなかった。
 ツキとは電話でやり取りしていたが、それも時間の経過と共に回数が減っていった。それは気持ちが離れていったとか、忙しかったとかの理由からじゃなかった。もっと単純に、話題がなくなったのだ。俺の方は言うに及ばず、就職活動の報告みたいになってしまうし、それが単なる愚痴になってしまう事も少なくなかった。
対してツキも、大学院に落ちた俺に、その話をするのは憚れるようで、生活の基本となっている学校の話ができない。お互いにそれを感じ取れるくらいには察しが良く、そのせいで変な沈黙が生まれる事も多かった。それが続けば、自然と電話をしようという気も失せてくる。結果的に俺とツキは、一月に一度くらいしか連絡を取り合わないようになった。
 内定が取れないまま八月になったが、実際のところ秋採用をする企業が増えているという話は聞いていたので、本番となるのは九月十月からだ。いままでのはある種の準備期間だったといえるだろう。しかしその前に、八月には大学生の夏休みがある。つまり、帰省してくるはずのツキと久しぶりに会えるのだ。
そう期待していたのだが、七月の終わり頃の電話で、バイトを始めたので帰省はできないという旨を聞かされた。その時の俺の落胆がどれほどだったかといえば、無理して必死に詰め込んだ暗記パンを全て吐いてしまったレベルと言っていい。
しかしツキの代わりと言ってはなんだが、本当になんだが、花咲が帰ってきた。本当はこいつこそ帰ってきてほしくなかったのだが、そんな俺の心境に構う事なく花咲は絡んできた。俺が就活で忙しいのを知った事かとばかりに家に上がり込み、エントリーシートを書く横でゲームをやって帰っていく。連日そんな感じだった。
こいつは人当たりも良かったので、俺の他に友達なんていくらでもいるだろうに、なぜかほぼ毎日やってきては、くだらない話とゲームだけをして帰る。花咲の行動は、相変わらず俺には理解不能だった。単純な癖に意味不明とか、とんだ宇宙人だ。
「イタチさ、ツキとちゃんと連絡取ってる?」
「なんだよ藪から棒に」
「一人がゲームしてて一人がお勉強してたら、何言っても突然になんない?」
「そういう細かい突っ込みはお前の領分じゃないだろうが。自分で話振っといて逸らそうとすんな」
「じゃあ、もっかい訊くけど、連絡取ってる?」
 グッと言葉に詰まる。
「最近は、あんま電話とかはしてないな。俺も秋採用に向けて佳境だし、ツキもバイト始めたらしいしな」
 言っていて、自分で言い訳臭いと感じる。多分心の中に引け目みたいなのがあるから、そう聞こえるのだろう。
「そっか。でもさイタチ、忙しくても小まめに連絡くらいは取った方がいいと思うぞ。大事ならさ」
「最後の言ってて恥ずかしくないか?」
「うるさいな。そこ突っ込むなよ。大事だろ?」
 道連れで俺にも言わせようとしてくる花咲。肯定しかできないところをついてくるのがいやらしい。
 結局、ツキは殆ど、家に入り浸り、終始一貫してゲームと雑談しかしなかった。
 そして就活本番となる九月。履歴書やエントリーシートなどを片っ端から企業に送り、返事が来たところに面接を受けに行く。この半年近くで面接にもだいぶ慣れていた。受かったところが一つもないのに慣れたという言い方も嫌なものだが、それでも最初の頃のようにガチガチに緊張してしまうような事はない。
 自分では割と上手くいったと思った面接はいくつかあったが、そのことごとくが不採用だった。前にツキと自信と結果はすれ違うって話をしたが、まさしくいまがその通りの状況だ。既になりたい職種とかそういう希望は捨てているのだが、それでも最終面接まで行けたのは三度しかない。
 九月は両手で数え切れない量の面接を受けたが、全て不採用メール、所謂お祈りメールが届くだけの結果に終わった。お祈りメールが一通届く度に、自分が社会に必要とされていないちっぽけな人間のように思えてくる。
あれだけ必死に書いた履歴書もエントリーシートも全て無駄になり、それなりに優秀だと思っていた自尊心は砕け散り、クラスで馬鹿だと見下していた奴らよりも自分が劣っている気がしてくる。それでも挫ければニート街道まっしぐらのため、折れそうな心が膝をつかないよう懸命に耐えた。支えになっているのは、就職が決まればツキに会いに行くという、自分で決めたご褒美だった。
逆に言えば、就職を諦めればもう二度とツキには会わないという事だ。会えないじゃなくて、会わない。多分この決め事を破った瞬間、俺はツキに会う資格を永遠に失うんじゃないかと思う。破った時には会ってるんだけどな、必然的に。
 秋採用も時期が終わり、半ば今年の就職を諦めかけていたが、十一月の中旬に最終面接の旨を記したメールが届いた。それほど大きくもなければ小さいわけでもない電気屋だった。興味のある職種でもないが、こだわりはとっくに捨てている。
その電気屋に赴き、緊張しながらも面接を受けた。その後は反省もそこそこに次の履歴書の準備。結果を待ってからなんて悠長な事を言ってられる時期など、最初からなかった。
 数週間後に通知が来て、期待せずに内容に目を通した結果、なんと採用。あまりの驚きに文面を五回は読み直した。一通り喜んだ後は、全てほっぽり出して爆睡。研修などは翌週からあるらしいので、その前にツキに会いに行く事にした。採用の報告は直接会ってしようと、連絡はしていない。それどころか、会いに行くというアポもなしに大学まで来てしまった。急に来るのは迷惑だろうが、就職に浮かれてサプライズを仕掛けてみたかったのだ。昼頃に大学に到着し、ツキの時間割に目を通す。ツキが大学に入ってすぐの頃、春と秋、どちらの時間割もあらかじめメールで送っといてもらったのだ。
時間割によれば、この日は夕方までツキは学校らしい。空港からの移動時間を考えれば、学校に着く頃にはちょうどツキの講義も終わっていそうだ。
 移動の間は、心が躍るのを抑えられなかった、何せ会うのは約九か月ぶりだ。電話も最近は全くと言っていいほどしていなかったし、まともに言葉を交わすのも四か月ぶりくらいになる。会えない時間と共に気持ちが冷めていく事なんてなく、むしろ会えない分だけ愛しさが募っていた。もう大学を落ちた事なんて気に病んでいないし、就職も決まったので胸を張ってツキの前に立てる。
大学院でどんな風に過ごしていたのかを冗談を交えながら聞いて、俺も働く事になる会社の話とか、色んな話をしよう。ツキの髪とか触りながら、愛しさを実感しながら、俺の幸せを確認できたら、それはもう最高だ。
 二時間弱も移動してようやく学校に着き、早速ツキに連絡を取ろうと思ったが、まだ講義が終わるまでに時間がありそうだったので、ちょっと敷地内を回ってみる事にした。
 校内の図書館に会ったロッカーにキャリーバックをしまい、とりあえず外の方を歩く。まだ十二月の初旬だというのに、もう軽く雪が積もっているため、大学の敷地内は数え切れないほどの足跡で踏み均されている。
十分ほど歩いたが、全てを回るには時間が足りなさそうなので、校内に入る。中にはそれなりに多くの人が歩いていた。この殆どが学生だと思うと少し羨ましかったが、もう終わった事だ。変に後ろ向きになってツキと会う時に暗い顔をするのは御免だったので、無理やり頭を切り替える。
 三つある校舎のうち二つを回ったところで、ツキが受けているはずの講義が終わる時間になった。一旦キャンパスを出て、ツキに電話をしようと携帯を取り出す。そこで見知った顔が目の前を通り過ぎていくのに俺は気付いた。
 三か月半くらい前に毎日会っていた顔。花咲だ。大学が違うはずの花咲がなぜこんなところにいるのかは気になったが、自分から話し掛けるのも嫌だった俺は、なんとなく携帯でツキの連絡先を表示させながら花咲の後を追った。
 見つからないように、というわけではないが、そこそこ距離を空けて様子を見ていた俺は、花咲が何かを探して彷徨っているのがすぐに分かった。左右にキョロキョロと視線を泳がすのはいいが、それでも後ろをついて行く俺に気付かないのが花咲らしい。だがそんな滑稽な花咲にツキ合っている時間は生憎もうなかった。そろそろ電話しなければ、本当にツキとすれ違いになってしまう可能性がある。
 そう思って通話ボタンを押そうとしたところで、聞き慣れた、しかし懐かしい声が俺の耳朶を打った。
「サク!」
 自分とは違う名前を呼ぶ恋人の声に、反射的に振り返る。
 花咲よりさらに向こうで、ツキが手を振り、駆け足で近付いてきていた。
 だが俺に気付いた様子はない。花咲の名前を呼んだ事から推測するに、放課後に二人で遊ぶ約束でもしていたのだろう。なんとも間の悪い話だが、こればかりはどうしようもない。花咲が同伴するのは癪だが、昼は三人でどこかに出掛ける事も考慮しよう。夜はツキの家に泊まる予定なのだから、二人でゆっくりできる時間もあるだろうし。
 内心少し落胆しながら、二人に声を掛けようと息を吸い込む。しかしその呼吸は水中に潜る時のように吐き出される事はなかった。ツキが流れるような自然な動作で、花咲の手を取ったから。
 驚愕に息が止まり、瞳孔が開く。そんな俺に構わず、花咲も照れる様子も見せずツキの手を握り返して、二人並んで歩いていった。
「あっ……」
 かすかな声が漏れた。無意識に手が中空に上がり、数秒後に力なく落ちる。
 追おうと頭では考えるのに、足が脳からの電気信号から切り離されているかのように動かなかった。
「ツ……キ…………」
 なんで、と心の中で何度も叫びながら、その理由は自覚していた。
 花咲に関しては、多分横恋慕をしているつもりなどないのだろう。あいつは略奪愛なんてできる性格ではない。ただ純粋に、ツキと遊んでいるだけのはずだ。もしかしたら、俺にそう言ったのと同じように、ツキにも俺に連絡するよう注意を促しているかもしれない。
 だが、ツキは違う。断言できる。あの笑みを見ただけで俺には分かる。あの笑顔は、ツキが本当に幸せを感じている時に見せる笑顔だ。俺といる時、ほんの数度だけ見せてくれた極上の笑顔だ。誕生日プレゼントをあげた時、初めてキスをした時、ツキはその笑顔を俺に見せてくれた。
 だが花咲は、会っただけでその笑顔を引き出した。
 それがもう、答えだった。
 電話をしない事で思いが募った俺とは逆に、ツキの心からは俺がいなくなっていったのだろう。いや、時間だけのせいにするのは卑怯だ。ツキの不安を拭い去ってもやれなかった不甲斐なさや、別れる時に抱きしめてすらやれなかった俺の弱さが、ツキの心をつなぎ止めておけなかったのだ。
 もし俺がいま出ていけば、多分ツキは驚きながらも、普段の笑顔で迎え入れてくれる。花咲も喜んで気を利かすだろう。だがそれでなんになる? ツキの離れた心がまた俺に向くのか? 俺はまた、花咲と比べられて負けるだけなんじゃないのか……?
 身体がふらついて、たまらず近くのベンチに腰掛けた。ベンチには雪が積もっていたため、臀部が濡れるが気にする余裕はない。
 右手で顔の半分を押えながら、乾いた笑いを漏らす。
「は、ははは、はは……」
 昨日屋を使おうにも、昨日に戻ったところで何もできる事などない。いや、たとえ任意の過去に戻れたとしても、俺はもうどこに戻ればいいのかも分からなかった。
 連絡をしろと言われた八月か。電話をしなくなった五月か。受験に失敗した試験日か。俺とツキが付き合い始めた記念日か。ツキの告白を邪魔したその日か。昨日屋を見つけたあの時か。
 結局、俺がしてきた事は何一つ意味のない事だった。どんな妨害をしようが、最後にはあの二人は結ばれる運命だったのだろう。そこに俺が割り込む余地なんて、最初からなかったのだ。ツキが花咲を好きだと言ったあの時点で、俺は多分、諦めなければならなかったのだ。
 涙が、じんわりと溢れてきた。
 北海道の寒気に晒され、肌は寒いと訴えているのに目だけはやたらと熱かった。
 この結末を知っていたら、俺は昨日屋を使った最低な手段を用いてまで、ツキと付き合おうとしたのだろうか?
 ――分からない。
 確かな事は、ツキの心が離れたいまでも、俺はたまらなくツキが好きで、それはどんな昨日に戻ったところで変わる事はないんだって、ただそれだけだ。
 俺がどれだけ離れていてもツキをずっと好きでいたように、ツキも振られようが傷付けられようが、それでも花咲への想いを忘れられなかった。きっと俺達の恋愛は、最初から最後までその一点に尽きたんだろう。
 好きな奴が好き。そのたった一つの想いだけに。
 なら向ける相手のいなくなったこの想いは、どこにぶつければいいんだろう。
 昨日の代価とした今日みたいに、この想いもなかった事にできればいいのに。
『昨日の後悔は今日、今日の後悔は昨日』
 初めて昨日屋に行った時、店主に言われた言葉が唐突に思い出される。
 その通りだと納得する事しかできなかった。
 だけど、それが分かっていたなら。
「昨日なんて売るんじゃねぇよ、くそったれ……」
 誰か、こんな気持ち知らなかった頃の昨日に、俺を戻してくれ。
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