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第2章 復讐
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事件が起きてから十日間、グリモアはカミラによって運び込まれた闇医者の下で死んだように眠り続けた。
その間に傷付いた身体の治療が行われたが、火傷の傷は皮膚が全て焼けてしまっていたため、元に戻る事はないらしい。
だがむしろ、その程度で済んで僥倖だったというべきだろう。瀕死の重傷を負っていたグリモアが、現在無事に呼吸をしているのは奇跡だったというし、グリモアを治療した医者は「死人を治しているようだった」とまでのたまっているのだから。
治療費はあの日金品を換金したものの残りを使った。手持ちにそれなりの金が残っていたのは、不幸中の幸いと言うべきか。あの後で何度か墓を作りに戻ったが、探せば燃え残った金品は発見できそうだった。現にグリモアや他の仲間の銃器はいくつか見つかった。グリモアの以外は全て墓石と共に立ててきたが、仲間の焼死体は個人の判別が不可能だったので、銃器と墓は一致していないだろう。
改めて確認してみて分かったのは、生き残ったのは自分とグリモアだけだという事実だった。洞穴の方にいたはずの仲間も、残された大量の血痕の事を考えれば、殺された後で小屋の方に運び込まれ、一緒に焼却されたというのが最も自然な結論だ。
まだ全ての仲間の墓を作れたわけではないが、仲間達がどれほどの惨い(むごい)死を迎えたのかは嫌でも予想がついた。一つとして五体満足の死体がないのだ。中には火事の被害で引きちぎれた部位もあるかもしれない。だがその殆どが、焼かれる前からなくなっていたとしか思えないものばかりだった。
おそらく残虐な手段で殺された後、バラバラにされたのだろう。ただ苦しませるために、それこそ死ぬほどの痛みを与えて。その後にバラバラにした。
死者に対する礼儀を冒涜された仲間達の事を思うと、カミラは罪悪感で胸が潰れそうだった。
なぜ自分はグリモアを止める事ができなかったのか。なぜこの国に来る前に、もっと神子の事を聞いておかなかったのか。なぜグリモアの反対を押し切って神子を殺す決断をしなかったのか。なぜ責任のない仲間達が死んで、自分だけが生きているのか。なぜ、なぜ、なぜ、なぜ――
「カミラ」
自責の念に捕らわれていたカミラは、はっとして振り向く。
ベッドに横になり、左顔面を包帯で覆ったグリモアが無表情にこちらを見ていた。
「何考えてる?」
「……別に」
正直に答えようがなく、視線から逃れるようにそっぽ向く。
目覚めてから三日経ち、グリモアの意識と容態は安定している。まだ動く事はできないそうだが、それももうしばらくの辛抱だろう。
「考え過ぎんなよ。お前の悪い癖だ」
こちらを気遣っているのか、忠告じみた台詞はグリモアには珍しい。
起きてからというもの、グリモアは前よりもおとなしくなったように見える。話す時も無駄に噛みつくような事はなくなった。
「そうだね……」
とは答えつつ、頭の中を巡るのは後悔ばかりだった。
自分が仲間達の屍を踏みつけて生きているのだから、それも当然と言えば当然の事だ。
なら自分よりももっと近く、渦中にいたグリモアはこの事件をどう思っているのだろう。
気付かれないように、目だけを動かして盗み見る。
ベッドに倒れて、半眼で天井を眺めるグリモア。その表情からは何も読み取れない。包帯で顔の半分が隠れているので分かりづらいというのもあるが、ここ数日の態度を見た上でも、グリモアがどんな感情を抱いているのかは見当もつかなかった。
あの火事の後、グリモアはこの国を潰すと言った。その一言だけ取っても、グリモアが並々ならぬ強い憎しみを抱いているのは想像に難くない。だがもしかするとあの言葉は、火傷の熱に浮かされて口走っただけで、意識して言ったわけではないのかもしれない。そう考えれば、グリモアがこうもおとなしく静養しているのにも納得がいった。
しかし憎しみを抱いていないというなら、それこそグリモアは、あの事件に対して何を思っているのか。
「グリモア。あんた平気なの?」
「何がだ?」
視線が向けられる事なく、返事が返ってくる。
気にせずカミラは続けた。
「こんな事になってさ」
返事はなかった。だがグリモアの表情にも視線にも変化はない。
聞き逃したのではと疑いたくなるほどの間を空けた後、グリモアはようやく顔をこちらに向けた。
「平気に見えるか?」
その問いに責める響きはない。だからただの純然な疑問なのだろう。
なのになぜか、カミラは背筋が寒くなるのを感じた。
「平気じゃ……ないのかい?」
「そう見えるか訊いたんだ」
「その前に訊いたのはあたしだよ」
カミラの返しに「それもそうだな」と頷いて、再び視線を天井に戻すグリモア。前までのグリモアなら、いいから答えろと噛みついてきた事だろう。
この変化は一体何を表しているのか。カミラには推測すらできなかった。
「平気……なんだろうな」
どこか寂しそうな声音で、グリモアはまるで独白するかのように答える。
「狂いもせず、壊れもせずに生きてるんだ。別に悲しみだとか苦しみだとかに耐えてるってわけでもないし、あの時の事を忘れたわけでもない。それなのに普通に過ごせてるんだから、きっと俺にとって、あいつらはその程度の存在だったんだ」
薄情とも取れるグリモアの返事に、怒りを覚える事はなかった。
気付いてしまったのだ。グリモアが胸に空虚な穴を空けてしまっている事に。さっき平気に見えるかと訊いてきたのも、おそらく自分で自分が分からなかったからなのだろう。
グリモア自身、胸に空いた穴をどんな感情で塞げばいいのか分かっていない。
考え過ぎる自分は、それを自責で埋めた。しかし考えを放棄したグリモアは、穴を埋める作業すらも投げ出してしまったのだ。
だから自分が何を思えばいいのかも分からず、感情を停止させている。
慰めでも諭しでも、とにかく何か声を掛けようとカミラが口を開くその前に、グリモアは二の句を継いだ。
「でもな、それでも俺はこの国を食い潰す。……理不尽を味わわされたまま、泣き寝入りなんてのはごめんだ」
静かな口調で固い決意を語るグリモアに、カミラは言わんとしていた言葉を呑み込む。
おそらく口を開いていれば、自分は見当外れの事をグリモアに言ってしまっていただろう。
グリモアはすでに、胸の穴を埋める感情を持っている。ただ、いまはまだそれを秘めているだけなのだ。
きっとそれは、自分と違って『強さ』と形容できるものだ。
どんな形であれ、その感情は外に向いているのだから。
「水、汲んでくる」
勝手にいたたまれなくなって、カミラは病室を出た。
グリモアのような強さが羨ましい反面、それが憎らしくもあった。
あの事件は神子を誘拐したせいで起きた。そして神子を誘拐したのは、他ならぬグリモアだ。
それに責任も感じず、罪悪感も抱かずに、剥き出しの感情をこの国にぶつけるグリモアに、怒りを覚えずにはいられない。
本来ならば自分が苛まれている自責の念は、グリモアこそが背負うべきもののはずなのに。
「……っ」
こんな八つ当たりのような怒りを持ってしまうのは、自分の弱さが原因なんだろう。
だからこそ自分は、グリモアの強さを羨ましく感じてしまうのだ。
「…………あたしは、強くなりたい」
死んでいった仲間達に、報いるためにも。
弱い自分を克服したい。
頼りない自分の両手を眺めながらカミラは廊下を歩いた。
その五日後、なんの別れの言葉もなく、グリモアは治療院のベッドから姿を消した。
仲間のレバーアクションライフルと共に。
あいつらの事は、好きじゃなかった。それどころか、嫌いとすら思っていたはずだ。
なのになんでか、あいつらが死んでからというもの、たびたび昔の記憶が頭をよぎる。
一緒に飯を食った記憶。特訓をした記憶。喧嘩をした記憶。
たった数ヶ月。襲撃のためだけに金で雇われた関係で、自分の年齢からすれば殆ど占めてないし、くそったれな強盗生活で情など湧くはずもない時間だった。
騒がしい宴は好きじゃなかったし、名前を覚えずからんでくる仲間は嫌いだったし、子ども扱いしてくる頭領なんかは大嫌いだった。
何もかも、いつ失っても構わないと、変えられるものなら変えたいとすら考えていた。
けれど実際に失ってみれば、それを惜しむように過去の記憶に苛まれる。
最初の内は別に何も感じる事はなかったが、いつの間にか苛立ちやもやもやが、胸の中に燻って募っていた。
あの時嚥下し溺れた仲間の血が、そんな感傷を抱かせているのだろうか。
思いがけず血の匂いと味と触感がフラッシュバックし、口元を押さえグリモアは吐き気に耐えた。
あの地獄は、グリモアの心に大きなトラウマを与えていた。生まれて初めて味わった強い恐怖が頭にこべりつき、どうしようもなくグリモアの精神を蝕んでいる。
なんとか喉奥で嘔吐物を飲み下し、グリモアは荒い息を整えた。
気持ちの悪い酸っぱい味と、記憶の中の血の味が混じりあって、気分は最悪だった。
こんな事に負けていて国を撃ち抜くなど、お笑い種もいいところだ。仲間達がいれば大爆笑している事だろう。
またぞろ仲間達の笑い声が記憶の底から騒ぎ出す。うるさくて消してしまいたいのに、楽しげな声は耳障りなほど頭に響く。
『オメェはホントにガキだなグリモア』
『腕っぷしだけで頭の方がまだまだなんだよ』
『こりゃ一本取られたな。ガハハハ』
「消えろ……!」
低い声で呟き、壁に拳を打ちつける。
そうする事でようやく幻聴は元の場所へと帰っていった。
街中でのグリモアの奇行を見咎める者はいない。
そもそも半面に包帯をつけ、幅広の旅人帽を被り、大きなレバーアクションライフルを背負うグリモアの姿はそれだけで目を引くものであり、人気(ひとけ)のある場所ならばとっくに奇異の視線を送られていた事だろう。
この道は街道でありながら、人っ子一人いはしない。それどころか周りの民家にも住民は住んでいなかった。
大聖殿の裏側。その一画であるこの場所に、信心深いフェーデの住人は寄りつかない。
例外グリモアすれば、グリモアのようにフェーデの国民でなく信心を一切持たない者か、その信心の対象である当人だけだ。
誰もいないはずの街道に風と共に流れてくる澄んだ歌声。前にも一度だけ聴いたが、素直に綺麗なものだと思う。
あんな事をした後で、よくもこんなに綺麗に歌えるものだ。
ぎりっとグリモアは強く唇を噛んだ。
わずかに切れた唇から血が流れるが、それに気付いた様子もなくグリモアは歌声の聴こえる方へと足を進める。
その間にも色んな思考と感情が頭を渦巻いた。
前みたいに罠かもしれない。そもそも前のは本当に罠だったのか。罠だとしたら殺される。地獄のような苦しみと共に。あの女のせいで仲間達が。殺したのは騎兵だ。神子がそれほど偉いってのか。俺も焼かれるかもしれない。だとしても――
小屋の前に立ったグリモアは、一度目を閉じて仮面に触れる。
全てを焼き尽くした豪炎。仲間達の怨嗟の号哭。不条理な世界。生き残った自分。
身体の一番深い部分から感情の奔流が溢れ出てくる。
扉に手を掛け、グリモアは力任せにそれを開いた。
神子は座っていた。騎兵の一人も護衛につけず、あの日と同じ服装で、同じ体勢で、同じようにこちらを振り返る。違う点グリモアすれば、神子に動揺した様子はなかった。まるでグリモアが来るのを分かっていたかのように、神子は毅然とその瞳を見返している。
「やはり、来ましたか。生きているなら、来ると思っていました」
グリモアの観察を裏付けるかのように、神子は自己の推測の是を口にする。
それに苛立ちながらもグリモアはなんとか平常の声を出した。
「久しぶりだな、神子さま」
喋りながら周りの気配を窺う。神子はやはりと言った。ならば近くには、騎兵が潜んでいるはずだ。
しかしそんなグリモアを見て神子は首を横に振った。
「そんなに警戒したところで、罠ではありませんよ。護衛もいませんし、私が武器を隠しているという事もありません」
神子の言う通り辺りに人の気配がない事を確認したグリモアは、横目で神子を睨みつける。
「なんのつもりだ」
「何がですか?」
すっとぼける神子に、グリモアは背中のレバーアクションライフルを構えて銃口を彼女の首元に突きつけた。
「俺が来ると分かってて、無防備に歌なんか歌ってた理由だよ。来るのが分かってたってんなら、目的も理解してんだろ」
殺意を隠そうともしないグリモアに対しても、神子は無表情を崩さなかった。
仲間達が騎兵によって虐殺されていた時も、こいつはこんな顔でそれを眺めていたのだろうか。
「お前のせいで仲間達は死んだ。殺された」
その事実を口にするだけで、怒りで目の前が赤く染まる。
俺は、あいつらが嫌いだったはずなのに。
「お前を殺せば、あいつらを殺した騎兵共もさぞや俺を憎むだろうな」
それでもあいつらは、俺の仲間で、家族だった。
だからその復讐くらいは、してやらなきゃいけないんだ。
「神子がいなくなったとなれば、この国も終わりだ。あっという間に沈む」
あいつらを殺したのは、この歪んだ国。
俺の殆どを奪っていったのは、神子を狂信する常軌を逸した信仰心。
なら俺は、それらを全て食い潰す。
「お前は俺が殺す」
それが俺の復讐だ。
グリモアの殺害予告を聞いても、神子は身じろぎ一つしなかった。覚悟を決めているのか。それともこの期に及んで何も感じていないのか。その内心がグリモアに分かるはずもなかった。
「いいでしょう」
「なに……?」
「私を殺す事を許可します」
事もなげに、神子はグリモアの凶刃を受け入れた。
抵抗する様子など微塵もなく。
「っ……! なんなんだよお前!」
「何がでしょうか?」
あくまで冷静な神子に、グリモアの感情が爆発する。
「俺が誘拐した時も、いまも、なんでそんなに平然としてやがるんだ! 怖がれよ! 怒れよ! 悲しめよ! 感情ってやつがねぇのか!」
理不尽な事を言っているのは分かっていた。だが俺は、こんな風にこいつを殺したかったわけじゃない。仲間達がそうであったように、こいつは嘆きと絶望の中で殺さなくちゃ、意味がないんだ。
「本当、なんだよお前! なんで俺達はお前みたいな奴のために嬲り殺しにされなきゃならなかったんだよ! ふざけんな!」
ただ殺されるだけなら納得もした。散々殺してきたんだ。それくらいの報いは当然だろう。だがあんな残虐な方法で殺されなきゃならないほど、俺達は屑だったのか? 略奪の時だって必要なだけしか殺さなかった。多少危険だと分かっていても、無抵抗な奴は殺さず逃がしてやった。俺達はただ生きたかっただけだ。生きるためにどうしようもないから、殺してただけだ。なのに、あの仕打ちはなんなんだ?
「私はあの時あなたに言ったはずです。お互いのために何もせず去るのがベストだと。でなければ後悔すると」
「自分に責任はないってか?」
「覚悟も問いました。けれどあなたは、それを一蹴した」
「その結果がこれだとでも言いたいのかよ」
落ち着いたように見えてどんどんと膨れ上がるグリモアの怒気から、神子は一切視線を外さない。
その澄んだ瞳からは、どんな思惑も読み取れない。
「命乞いでもしてんのか?」
「いいえ」
「なら何が言いてぇんだよ」
「あれはあなたが招いた惨劇です」
「っ!」
思わずグリップを握る手に力が入り、銃口が神子の喉に食い込む。
それですら神子の表情は揺るがない。
「だからその責任を取って、お前を殺す」
いままでにない殺意を凝縮させた言葉に、神子は目で頷いた。
「えぇ。ですから私も、それを受け入れましょう」
なんの迷いもなく命を捨てる神子。
そのあっさりとした態度に、グリモアの指は動かない。
身勝手にもグリモアは、神子が自分の命を進んで投げ出そうとするのが許せなかった。殺そうとしているのは、自分なのにも関わらず。
平然と仲間を殺し、平気で死を受け入れる神子が、どうしようもなくグリモアには許容できない。
「なんでお前は、そんな簡単に死のうとすんだよ」
「殺すのはあなたです」
「だとしても! 大聖殿の中でじっとしてれば、殺される心配なんてなかっただろうが!」
確かに自分は神子を殺すためにこの場所に来た。けれど秘密の通路とやらの入り口には、もう警備の騎兵がついてるとばかり思っていた。まさかあんな事があってまだ、神子が一人呑気に歌っているとは想像すらしなかったのだ。
しかし現に、神子はこうして目の前にいる。喉に剣を突きつけられて。
「あの惨劇を招いたのはあなたです」
再度同じ台詞を繰り返し、グリモアが何かを言い返す前に、神子は続けた。
「けれどあの惨劇を起こしてしまったのは、私なのです」
予想外の言葉を受けて眉をひそめるグリモアに、神子は訊ねる。
「この国で最も罪深い事が何か分かりますか?」
答えを待たずに正解が明かされる。
「神、ひいては神子を害する事。侮蔑する事。否定する事」
出会ってから初めて神子の表情に変化が現れる。
その顔には、わずかな憂いが浮き上がっていた。
「この国を支えているのは神の存在。そして神の宣託を授かる事のできる神子です。だからこそフェーデという国は、それに仇なす者を許さない」
その程度の事はグリモアも知っていた。いわく、フェーデは神の化身である神子を中心に回っており、神子は全てにおいて優先される。
「私が神子として生まれてから、その罪を犯した者が二名いました。どちらの方もあなたのように私に何かをしたわけではありません。ただ神の存在を否定したり、神子の事を酒に酔って莫迦にしただけです」
一度目を瞑り、わずかに表情を険しくした神子が過去の事実を淡々と語る。
「ですがたったそれだけの事で、一人は火あぶりにされ、もう一人は串刺しにされた挙句、首を広場に晒されました」
「なっ……」
驚愕するグリモアを畳み掛けるようにさらなる非道を神子は語る。
「晒された首に、国民達は進んで石を投げたそうです」
神子の表情が元の鉄仮面に戻った。
「この国ではそれが当然なんです。神子という大義を得た騎兵や国民は、正義の元にどんな残虐な行為でも平然と行う。いえ、それどころか自分と彼らは違うのだと言い訳でもするかのように、必要以上に残酷な仕打ちを与えます。見えてもいない神に媚びて」
最後の一言を侮蔑するような口ぶりで神子が吐き捨てる。
それを見れば、神子が今回の件を決して肯定的に捉えているわけでないのが分かる。しかし神子がどう思っていようが、起きた事実は変わらない。
「だから自分が死んで、こんな国滅べばいいってか」
グリモアの推測を、神子は悲しげに視線を落として否定した。
「私が死んだところで、また新たな神子が生まれるだけです。この国は何も変わりません」
諦観の込められた神子の答えに、銃口がわずかに揺らぐ。
グリモアの復讐はこの狂った国を潰す事だ。神子を殺しても国に影響がないというのなら、また別の手段を考えなければならない。だが神子の殺害以外に、グリモア個人が国一つを滅ぼせる方法など、あるとは思えなかった。
「ならなんで、お前はそんな死にたがるんだよ」
繰り返される質問に神子は再び視線を戻す。
「私が最も罪深い加害者である事に変わりはありませんから」
この国の象徴である神聖な神子が、自身を罪深いとのたまった。
「私が直接手を下していないとはいえ、私の存在が騎兵や国民の非道を許しました。私は神を信じる者にとっては崇高な存在でしょうが、あなたやあなたの仲間のような被害者からすれば、非情な極悪人です」
神子の顔には自己への同情や責任逃れの色はない。ただ少しだけ目が細められていた。
おそらくその罪の意識が、目の前の少女から表情を奪ったのだろう。
「その非道があなた方のような罪人に向けられるものであれば、納得できるのではないかと思いました」
罪人と称されてもグリモアは否定しなかった。それくらいの自覚はある。
「けれど、そんなわけはありませんでした。泣き叫び、殺してくれと乞う者をさらに痛めつけた上で殺す。そんな人道に外れた行い、たとえ相手が誰であれ、どんな理由があったとして、認められるはずがありません」
目を伏せながら、神子は唇を噛み締める。
それらを全て聞いた上で、グリモアは余計な同情など一切しない。
「だから俺が床下にいるのも黙ってたのか」
「生き残れるとは思っていませんでした。助けたわけではありません」
「当たり前だ」
あの場でグリモアが生き延びたのは己の執念によるものだ。断じて神子の温情のおかげなどではない。
「お前、俺が死んでたらどうするつもりだったんだ?」
殺される覚悟を持っていても、それはグリモアがここに来る事が前提のものだ。もし来なければ、そんな覚悟にはなんの意味もない。
「あと三日、あなたが現れないのであれば自害するつもりでいました。それがなんの償いにもならない、次の神子に責任を押しつけるだけの行為だという事は分かっていましたが」
つまりはグリモアの気を晴らさせるためだけに、ここで歌っていたわけだ。死という結果は変わらないというのに。
他人の復讐のため、自分を殺しに来る者を待つというのは、一体どんな気分なのか。
「穢れてるくせに、どこまで聖人なんだよ」
「どういう意味ですか?」
脈絡のないグリモアの呟きに神子が怪訝そうに眉をひそめる。
それに答える事なくグリモアは逆に問うた。
「お前、国を変えたいか」
唐突な質問に一瞬神子の顔が強張り、目が伏せられる。
「私には変えられません」
「変えたいのかを訊いてんだ。撃ち抜くぞ」
神子の否定を意に介さずグリモアは噛みつく。
それに反発したわけではないだろうが、顔を上げた神子はグリモアの目を見据え、躊躇いなく言い放った。
「この国の自覚のない業を消せるのであれば、私はどんな事でもしたでしょう」
結局何もできませんでしたが、と神子は再び目線を床に落とす。
一方グリモアはずっと神子に向けていたレバーアクションライフルを背負った。
代わりに右手の指で神子の両頬を挟み、無理やり自分の方を向かせる。
「なら覚悟しろ」
驚愕に染まった神子の顔に疑念が混じる。
「人を傷付ける覚悟を。それを躊躇わない覚悟を。それでも生きてく覚悟を。いま決めろ」
「何を……言っているのですか?」
端正な顔を強引に歪められたまま神子が問うてくる。
グリモアは凄絶な形相を浮かべ、それに答えた。
「俺がこの国を撃ち抜く。お前は俺について来い」
同じ場所で二度目の命令をグリモアは下す。
グリモアの迫力とその宣言に、神子の美しい瞳が初めて恐怖を映した。
街灯の明かりが辺りを照らす暗闇。人が二人並んで歩くのがやっとの幅に、先の見えない長い通路。壁や床、天井に装飾はなく、無機質な石畳が周りを覆っている。
まさしく秘密の通路と呼ぶにふさわしいそんな場所に、グリモアとマビナは並んで座っていた。
実際にこの場所は神子に代々受け継がれる秘密の抜け道らしく、その存在は大司教や聖騎兵長でも知らないそうだ。万が一に備え、神子だけが読む事を許された聖典に、この抜け道の在処は記されているという。
そんな重要な抜け道を息抜きのために使っていたのだから、マビナも見た目に反して相当おてんばな娘だ。だがそんな度胸でもなければ、年頃の女がこんな場所で強盗の男と二人きりになど、絶対になりはしなかっただろう。
この通路に閉じこもってから約二日。予定では明日ここを出る事にしている。
グリモアは頭の中で計画を再確認すると同時に、それを話した時のマビナの反応を思い出した。
「この国を出る」
国を撃ち抜くと宣言し、一日置いて計画を練ったグリモアが、小屋に入って開口一番口にしたのがそれだった。
「どういう事ですか?」
不審げなマビナにグリモアも今度は言葉を省かず、分かりやすく説明する。
「お前を殺せば神子は新たに現れると言ったが、お前が国から消えるだけならその心配はないんだろう? 神子という象徴を失えば、この国は信用も信仰も地に落ちて、いまの体制を維持できなくなるはずだ」
殺人ではなく誘拐。それがグリモアの出した結論だった。
仲間達が殺される前に計画した時の誘拐とは違い、今回は他国に神子を渡すつもりはない。事が露見するまで逃げ回り、フェーデが瓦解するのをひたすらに待つ。
神子が誘拐されたとなれば、同盟関係にあった二国の糾弾はまず避けらない。関係の解消も充分にあり得るだろう。そして同盟がなくなったとなれば、国力が大陸の中でも最弱なフェーデの立場が最悪なものとなるのは予想に難くない。神子を失ったという過失があるフェーデは、侵略をほのめかされれば不利益な外交を余儀なくされ、いずれは国そのものが解体される。
しかしグリモアの考えにマビナは静かに首を振った。
ついて来い、と言われた時点で、マビナにはグリモアの目的が誘拐だろうと察しがついていた。そしてその実現が限りなく不可能に近い事にも、気付いていたのだ。
「神子の誘拐。それこそ騎兵や大司教が最も恐れている事態です。だからこそあなた方は誰にも気付かれずに私を攫ったのにも関わらず、たったの半日程度で追いつかれてしまった。私が誘拐されてから、誰かが私の不在を知るまでに二時間ほどはあったはずです。しかしあなたがあの小屋に着いてすぐに騎兵達はやってきました。つまり二時間もの時間差が、たったの半日程度で埋まってしまったという事です。それも少ない情報を集め、わずかな痕跡を見つけた、その後にです。たとえどれだけ速く馬を走らせようと、この街から国境を超えるまで五日は掛かります。私とあなたでは、現実的に考えて追いつかれずに逃げ切る事は不可能です」
迷いなくマビナは断言する。
追いつかれればマビナは連れ戻され、グリモアは仲間同様嬲り殺しの憂き目に遭う。
こんなにもハイリスクローリターンな案にマビナが賛成するはずもない。そんな事はグリモアも分かっていた。
「最後まで聞けよ。噛み切るぞ。お前じゃねぇんだから、俺だって犬死なんか進んでしたいとは思わねぇよ」
「私は犬死をしたかったわけではありません。――つまり何か策グリモア?」
「そんな大層なもんじゃねぇけどな」
入口から移動し、グリモアはマビナとは別のベッドに腰を下ろした。
「なぁ、お前がここに来る時の抜け道ってのはお前しか知らないのか?」
「いきなりなんですか? 脈絡がありませんよ」
「いいから答えろ。撃ち抜くぞ」
理由も説明しないグリモアにわずかに不満の色を見せたが、マビナは素直に従った。
「あれは内部に暗殺を企てる者がいた場合を想定して作られているものなので、知っているのは私一人だけです。そもそも他の誰かが知っていたのなら、こんな気軽な使い方は許されていません」
「ならもしお前がいなくなったとして、大聖殿にいる誰かがその抜け道を見つける可能性ってのはないのか?」
「それは……どうでしょう。大聖殿側の入り口は私の私室に巧妙に隠されています。なので掃除などでは絶対に気付かれませんが、もし捜索目的で部屋を隅々まで探すのであれば、見つかる可能性は高いかもしれません」
口元に手を当て、その状況を思い浮かべるマビナ。
「ですが私が誘拐されたとしても、すぐに部屋が荒らされる事はないでしょう。私の私室は歴代の神子たちが暮らしてきた、いわば一種の聖域です。立ち入りを許可されているのも四人の大司教と聖騎兵長、専属の侍女だけですから。それも私の許可があっての事であり、いかに大司教や聖騎兵長といえど、神子の私室に無闇に踏み込むのは避けたいはずです」
「それまでの猶予ってのはどれくらいあるんだ?」
「十日……いえ、八日ほどでしょうか。もし私の居所に関する情報がまるで得られないのであれば、彼らも追跡を優先し、私の部屋からなんらかの手掛かりを得ようとするはずです」
必要な情報を揃えたグリモアは頷き、改めて自分の考えをまとめる。
そこでもう一つの懸念があった事を思い出す。
「ちなみに騎兵ってのはお前が消えた場合どう動くんだ?」
「どうでしょう……。実際に誘拐事件が過去あったわけではないので確かな事は言えませんが、おそらく騎兵団内で捜索隊が選抜され、各地の騎兵達にも連絡が行き渡るはずです。それに伴い、検問の設置や国境警備の強化が行われるでしょうが、国民には私の行方不明は知らされない可能背が高そうです」
「混乱を防ぐためか」
グリモアの先読みにマビナは首を縦に振る。
「先日あなたが行った誘拐の時にも、国民に神子誘拐の事実が明かされる事はありませんでした。フェーデでは神子の安否は国民の平穏と直結します。ましてや行方不明や誘拐ともなれば暴動が起きても不思議ではありませんし、国外の信用問題にも関わります」
「だろうな。だからお前を誘拐するんだ」
神子の存在が暴動も起きない程度の小さいものなら、そもそもこんな計画など思いつきもしなかっただろう。
しかしだとすると、マビナの行方不明に騎兵が気付いてからものの二、三日でフェーデ中にその情報が広まる事になるだろう。
「だがまぁ、それはどうしようもないな。その伝書鳩とやらで情報が伝わっても、見つからずに行けるかは賭けになるが」
「しかしどう頑張ろうとも、先程も言った通り国境まで五日は掛かります。見つからずに逃げ切る事が果たして可能なのですか?」
「五日で逃げる気はねぇよ」
「えっ?」
予想だにしなかったグリモアの言葉に、マビナは目を丸くする。
「最短のルートを最速で行くほど見つかりやすいもんはない。そんな事すりゃものの一日足らずで捕まるだろうぜ」
「ですがそれでは、余計に日数も増え見つかる危険が……」
「分かってるよそんな事は。どんなルートを通ったところで一緒だ。出発点と出発時刻が分かってる以上、どの方向から逃げるにしろそこから逆算されれば大体の場所ってのは割り出されちまう。結局道も速度も変える意味なんざ大してねぇんだ」
「でしたら……」
「だがな、出発点は変えようがなくとも、出発時刻は変えられる」
「どういう事ですか?」
怪訝そうに眉をひそめるマビナに答え、グリモアはようやく作戦の詳細を語り出す。
「数日の間、大聖殿から出てもこの街からは出なきゃいい。そうすりゃ待ち伏せや追手に追いつかれる可能性は大幅に低くなる。騎兵は神子が消えた日を基準に捜索に当たるだろうからな。まさか街から出もせずに潜んでるなんて考えもしねぇはずだ。追手が見当違いの場所を捜してんなら、逃げ切れる可能性は充分にある。道中は捜索隊以外の騎兵の対処とか検問への対策も必要になるだろうが、それもある程度は考えてあるから気にするな。なんとかなるとは言えねぇが、とりあえず試すくらいの価値はあるはずだ」
強盗として生きてきたグリモアには、確実な方法を探すという考えがそもそもない。迷えば利益の出そうな方を取り、分が悪ければ逃げるか良くする方法を模索する。危険を恐れて立ち止まれば生きていけなかったが故に、とにかく行動がグリモアの信条だった。その結果があの悲劇を生んだとも言えるが、最良の選択ばかりをできるわけでない以上、それがどんなものであれ受け入れて進んでいくしかない。
まるで決定事項のように話を進めるグリモアの口ぶりに、慌ててマビナは口を挟んだ。
「待ってください。街から出ないと言いましたが、真っ先に捜索されるのはこの街ですよ。見つからずに隠れられるわけが……」
否定している最中に、マビナは何かに気付き口を閉ざす。
その様子を見てグリモアの顔に底意地の悪い笑みが広がった。
「なるほど。つまりあなたは……」
「そうだ。だからさっき訊いたんだよ。お前がこの場所に来るのに使ってるっていう秘密の抜け道なら、騎兵に気付かれずにやり過ごせるだろ」
「……確かにあの場所なら見つかる確率は低いでしょう。ですがそれも絶対ではありませんよ。私の私室がすぐに調べられるかもしれませんし、街が捜索されればこちら側の出口が見つかるかもしれません」
「それくらいの危険は何をしようが出て来るもんだ。一々気にしてたらなんもできねぇよ」
マビナの懸念を一蹴するグリモア。
どれだけ入念な策を練ろうとも、運に頼る場面というのは必ず現れる。そのリスクを消す方法がない以上、成功率の高そうなものを選び、あとは自分の幸運に丸投げするのはどうしようもない事だった。
「んな心配そうな面すんな。細かいとこは後で決めるが、多分大丈夫だ。この計画に乗るならお前にはとりあえず、今日の夜に大聖殿から抜け出してもらう」
「今日ですか? それはさすがに急では?」
「早けりゃ早いほどいい。俺は仮面と旅人帽のせいで目立つからな。あと何日もこの街で過ごせば、確実に顔を覚えられちまう。そいつが神子の消えた日にいなくなったとなっちゃ、ほぼ犯人は確定だ。指名手配が出回って、その時点で作戦がおじゃんになる」
既に一日滞在しただけでも相当奇異の目で見られているのだ。
これ以上街に残れば、神子の事など関係なしに騎兵が呼ばれてもおかしくない。
「分かりました。私が寝入り、部屋を確認する者が誰もいなくなった時点で抜け出せばいいんですね?」
「あぁ、それで問題ない。夜の間に逃げたと錯覚させたいからな。俺は宿で一泊した後、騎兵が街を捜索する前にその抜け道とやらに行く事にするよ」
朝方に自分がいた事を宿の店主が証明すれば、たとえ怪しかろうが指名手配までは出回らないはずだ。滞在日数も昨日と合せて二日。単なる変わった旅人で済むだろう。
方針も決まり、話が済んだところでグリモアは一番重要な事をマビナに訊ねる。
「で、その抜け道とやらはどこにあるんだ?」
出会った当初この近辺にある事は聞いたが、詳細は告げられていない。神子だけしか知らない重要な抜け道なのだから当たり前だが、その存在だけでも赤の他人であるグリモアに明かしたのは、いま考えれば相当迂闊な行いだった事は間違いない。
「ここです」
「なに?」
「この部屋にあります」
そう言うと、マビナは立ち上がりベッドの間にある小さな棚を前にずらした。
位置を気にして置いた棚を上からぐっと押したかと思えば、棚の後ろからガコンという音が聞こえてくる。覗き込んで見てみると、元々棚の下にあった床が跳ね上がり、人ひとりが入れるほどの真っ暗な穴が開いていた。はしごもついており、その隣には小さなスペースがあってランプが置かれている。
「これが私の使っている抜け道です。穴はそれほど深くないので落ちても怪我はしないでしょうが、大聖殿まで続いているので道自体はそれなりに長い距離があります」
淡々と説明するマビナに、グリモアは純粋な疑問をぶつける。
「これは穴の上の床に人が乗っても、抜けて落ちたりはしないのか?」
「大丈夫です。中から開けるか、棚をこの位置に移動させて押さない限りは開かないようになっていますし、大人が一人二人乗ったところで、床が抜ける事はありません」
断言され、若干の不安の残しながらもグリモアは引き下がる。
こんなにも近くに抜け道があった事に驚きもしたが、よくよく考えれば神子が無人区とはいえ気軽に外に出られるわけもないので、この小屋の中に抜け道があるのは当然と言えば当然の話だった。
「大聖殿に帰る時この棚はどうしてんだ? 自分じゃ戻せないだろ」
棚が壁から離れているというのは、あまりに不自然だ。騎兵が街を捜索する時、念入りに調べられる可能性は高い。
「穴を閉じれば、へこんでいる床が押し上がって棚は元の位置に戻ります」
「なるほど、便利なもんだな。そんなに凝った造りなら、見つかる心配はしなくてもよさそうだ」
穴を覗いたり棚を叩いたりと関心を示していたグリモアだが、一通り見終えると満足げに頷いて入口の前に立った。
「それじゃあまた明日、この薄暗い穴ん中で会おうぜ」
手を振って扉を開ける。
しかし出て行く前に呼び止められた。
「なんだ? この計画に不満でもあんのか?」
首だけ振り返るが、マビナは視線を足元に落として、言いづらそうに口を開けては閉じるのを繰り返す。
金魚みたいな口の開閉が三回終わった時点で、焦れたグリモアが文句を口にしようとしたが。その前にマビナは一度息を大きく吐いて目を合わせてきた。
「感謝します。グリモア。憎むべき私に、手を貸してくれて」
思いがけない謝辞にグリモアは軽く目を瞠る。
しかしそれも一瞬の事で、すぐに眉間に皺を寄せて、不機嫌そうに吐き捨てた。
「お前のためじゃねぇ。勘違いすんな」
「それでもです。本当ならいますぐにでも私を殺したいでしょう。なのにそれを押し殺してまで……」
マビナが言い終わる前に、グリモアは小屋を出て扉を閉めた。
大きく舌打ちをし、頭上を振り仰ぐ、
空からは幾千の星が自分を見下ろしていた。
暗く湿った穴倉で二日前に告げられた謝辞を思い返して、負の感情が湧き立つのをグリモアは感じた。
横目で膝を抱えて座るマビナを盗み見る。
マビナを殺したくないと言えば嘘になる。復讐の対象はこの国であろうと、実際に仲間を殺したのは騎兵であろうと、その原因となったのはマビナなのだ。
できる事ならいますぐにでも、その綺麗な手足をもいではらわたを引き摺り出してやりたいと思うのは、決して嘘ではない。
だが彼女の言った通り、あの虐殺を起こしたのは神子の存在でも、招いてしまったのは自分なのだ。自身の軽率な行動がなければ、仲間達は嬲り殺しの憂き目を見る事もなかった。
ならマビナを恨む気持ちの半分は、己に向けなければならないものなのだろう。
それだけの事を、自分はしてしまったのだ。
しかしそれにしても、おかしなものだと思う。これだけ憎んでいる相手と、肩を揃えて座っているのだから。それどころか、この二日間片時も離れていない。自分で言うのもなんだが、よく正気を保っていられたものだ。
この国の価値観に照らし合わせるなら、こうして神子の隣に座っているだけで罪深い事なのだろう。神の御使いたる神子に対してなんたる不敬、といったところか。
たかだか十代半ばの少女にくだらない。そもそも神がどれほどのものだというのか。五年に一度の宣託とやらがどれだけ国民の生活に影響を与えている? きっと何も変えられてはいない。なのになぜこんなにも神を信仰できるのか、グリモアにはまったくもって理解しがたかった。
神に見捨てられる事を恐れて、少しでも神の意に沿わない者を排除し、神の下僕であろうとする。その狂信的な宗教観を懸命に守ろうとする、時代遅れなこの国の住民は酷く滑稽で、腐りきっているようにしか見えない。
同時にそんな腐りきったものすら自力で噛み砕く力のない自分が、歯痒くて仕方がなかった。
「お前は俺が憎くないのか?」
唐突に話し掛ける事にも話し掛けられる事にも慣れていたマビナは、グリモアの質問に驚く事もなくその意図を訊ね返す。
「どうしてそう思うのですか?」
「俺のせいでまた騎兵の虐殺を容認する事になったんだ。余計な事した俺が憎いんじゃないのか?」
そもそもグリモアが何もしなければ、マビナも自害を考えるほど思い詰める事はなかっただろう。それは単なるきっかけだったとはいえ、浅慮で自分の罪を重くしたグリモアを憎むのは当然の心理だ。
「責任を他人に押しつけるつもりはありません。あれはあなたと私が呼び起こした悲劇です。あなたが何もしなければ起こらなかったとはいえ、私に力があれば止められたものでもありますから」
「……ホントに高潔だな。神子と呼ばれるだけはある」
「それは皮肉ですか?」
「本音だ。俺には到底真似できん」
目的が一致し行動を共にしているとはいえ、グリモアとマビナではその内実がまるで違う。
グリモアはフェーデへの復讐を、マビナはフェーデを変える事を目指している。
志(こころざし)において、二人には天と地ほどの隔絶があった。
「あなたはなぜ強盗になったのですか?」
いきなりの踏み込んだ質問に、グリモアの眉がわずかに動く。
それを敏感に察知したマビナは一言付け加え、言い争いになるのを事前に防いだ。
「答えたくない事であれば、無視してください」
その気遣いがまた癇に障ったのか、グリモアは小さく舌打ちする。
「別に構いやしねぇよ。ただ聞いて面白い話でもないってだけだ」
気乗りしなさそうに頭を掻いて話し出す。
「子供の頃、物心ついたくらいの時に人攫いに遭って、その馬車が強盗団に襲われたんだ。それからその強盗団の頭領に拾われてって感じだよ。単なる成り行きだな」
「なぜ人攫いの馬車を? 効率が悪いように思えますが?」
「さぁな。正直そこんとこは知らねぇよ。俺が仲間になってからも人攫いのバスなんて襲った事ねぇからな。多分旅人の馬車とでも勘違いしたんじゃねぇか」
だとすれば、随分と身の入りの少ない襲撃だっただろう。
小遣い程度の金にガキが一匹ついてきただけなのだから。
「自由になって、街に帰ろうとは思わなかったんですか? それとも逃げる間もなく連れ去られたのですか?」
「そこらへんはもう憶えてない。ただ無理やり連れ去られたわけじゃねぇし、強盗として暮らしてて元の家に帰りたいなんて思った事は一度もなかったな。親の顔も憶えてねぇからからもしれねぇが」
傷付いた様子もなく、単なる昔話として話すグリモア。
そのまま流れとして、グリモアもマビナの過去を訊ねた。
「お前はどうなんだ? 生まれた時から神子なのか?」
「えぇ。神子は五年ごとに神からの宣託を授かり、十五になると役割を終え神の元へ誘(いざな)われます。そして神子が死ぬのと同時に国のどこかで白い髪を宿した胎児が生まれ、その赤ん坊は大聖殿に引き取られ神子として育てられます。私もその例に漏れず、物心ついた時には大聖殿で暮らしていたので、親の顔も知りません」
「親の顔も、ね……」
自分とは真逆でありながら、似たような不条理な境遇。
親元から強制的に引き離され、別の環境に放り込まれる。もし放り込まれた先が逆であったなら、立場と性格もまた、逆になっていたのだろうか。
そんな妄想を一瞬考え、グリモアは内心自分を鼻で笑う。
「十五で死ぬって、お前いまいくつだよ」
「先日十四になりました。あと一年ほどで、私は命を落とすでしょう」
「何だって! そんな馬鹿な!」
「いえ、本当です」
マビナの断言には一切の迷いがなかった。おそらく何百代も繰り返されてきた歴史なのだろう。
だからマビナは、命を捨てる事にあんなにも躊躇いがないのかもしれない。元々が短命であり、いつ死ぬかが昔から分かっているからこそ、死に対する恐怖が薄い。
「こんな事を言えばあなたは怒るかもしれませんが、神子というのはこの国を平穏に回すための人身御供。最大の被害者なのです」
憂いと悔しさを滲ませた声音。普段感情を見せないマビナなだけに、気持ちが込められた時の声には重みが宿る。
「生まれた時から神子としての人生を強要され、その役割を十五年全うしたのちに死ぬ。人である前に神子。人格すら無意味なものでしかありませんでした」
自分だけではなく、歴代の神子やこれから神子になる者達への同情や憐みもあるのだろう。自身のみの事ならば、おそらく彼女はこんな言い方をしない。
「加害者にして被害者か。忙しいもんだな」
「あなたの人生とは比べるべくもないかもしれませんね。衣食住には困った事がありませんし、命の危機に瀕した事もありませんから」
それはそうだろう。略奪で生計を立てていたグリモアは、殺しては殺されかけて生き抜いてきた。それを大聖殿の中で安穏と暮らしていた神子の人生と比較できるわけがない。
だからこそマビナの味わった苦痛も、グリモアにはまるで想像できない。
「きっとあなたにとってこの世界は、理不尽な人生の上にある不自由な箱庭だったのだと思います。けれど私にとってのあの大聖殿は、世界そのものであり、不自由も自由もない鳥籠でした」
土の天井を仰ぎ、寂しさを帯びた声音で呟くように語るマビナ。
グリモアにとっては仲間達が嫌いでありながらも家族であったのに対し、マビナにとって大司教や騎兵達は、嫌いでなくとも家族ではなかったのだろう。
「辛気臭い話はやめろ。こんな穴倉で気分まで落としてどうすんだよ」
なんと答えていいか分からず、グリモアはばっさりと話を切る。
そんな内心など伝わるわけもなく、マビナは表情を曇らせた。
「……すいません。気遣いが足りませんでしたね」
ばつの悪そうな顔で謝罪し、黙り込むマビナ。
ここで沈黙が続けばさらに暗澹たる気分に落ち込む事は予想に難くない。面倒な状況を避けるため、グリモアはため息をついて適当な話題を振った。
「そういやお前が上の小屋で歌ってたのはなんだ? 聖歌か?」
「いえ、あれは私が自分で作った歌です」
「作った?」
「えぇ」
意外な答えに顔を向けるが、マビナは逆方向に視線を逸らした。
その頬はわずかに赤いようにも見える。
「神子のスケジュールというのは綿密に決まっており、自由にできる時間は一日に一時間ほどしかないのです。ですからその時間を有効に使おうと考えれば、小屋の中でただ外を眺めるだけというのは非効率です。なので歌でも歌おうと思ったのですが、聖歌では味気ない上、気分転換という趣旨に反します。それならばと、試しに自分で作ってみたんです」
まるで言い訳でもするかのように早口にまくし立てるマビナ。
「人に聴かれると思って作ってはいないので、もし変に聴こえたのならそれは仕方のない事です。そもそも私は作曲の教育を受けていないので、上手に作れないのは当然なのです。もちろん最低限聴ける程度には作ったつもりですが、聴いてもらえる相手がいなければ歌の良し悪しというのは分からないもので、だから少しくらいおかしくなっていたとしても、それは私のせいではありません。分かりますか?」
「あ、あぁ」
喋っている内に熱が入ったのか、どんどんと顔を近付けながら話すマビナに若干引き気味になってグリモアは頷く。
そこでようやくマビナは、自分が男性に目と鼻の先まで迫っていた事に気付いたのか、慌てて離れコホンと咳払いした。
「すいません。見苦しいところをお見せしました」
迫力のある鉄面皮からいつもの冷めた澄まし顔に戻ったマビナだが、その顔はやはりどこか朱に染まっている風に見える。
「綺麗なもんだよ」
「えっ?」
「お前の歌声。歌自体も別におかしくない。歌の良し悪しなんて俺には分からねぇけどな」
マビナの意外な姿を見てか、珍しくグリモアが頭を掻きながら素直に称賛の意思を伝える。
マビナもグリモアの褒め言葉に驚き一瞬目を丸くしたが、ふっと息を吐いて小さく笑った。
「ありがとうございます」
初めて見るマビナの純粋な笑顔。そこに自嘲的な含みは一切なかった。
「……完全に凍ったわけでもなかったのか」
「何か言いましたか?」
「なんでもねぇよ」
思わず漏らした呟きを聞き取られ、ぞんざいに誤魔化す。
もうマビナの顔は元に戻っていたが、グリモアはあの笑顔をもう少し見ていても良かったと一瞬考えた。少なくとも、この何を考えているのか分からない無表情よりは随分マシだ。
「しかし作った、ね。歌詞とかはどうやって考えたんだ?」
「どうやってと訊かれても困るのですが、見える風景や気持ち、考えをそのまま反映させたつもりです。何分初めてだったので、要領が分からずつたなくなってしまいましたが」
歌に関してだけ、マビナの語調は弱い。
それだけでグリモアの気分は少し良くなった。
「踊りとかはつけねぇのか?」
「歌いながら踊るなんて、そんなはしたない真似はしません」
はしたないという価値観がグリモアにはよく分からなかった。仲間達は宴の際に決まって歌いながら踊っていたが、やはり神子さまと強盗如きでは、比べるのが根本的に間違っているのだろう。
「それに神子が舞を披露するのは、神への宣託を授かる儀式のみと決まっています。第一、上の小屋の広さで踊れるわけがないでしょう」
マビナがこれ見よがしにため息をつく。
馬鹿にされていると感じた瞬間、グリモアの口からは咄嗟に反論の言葉が飛び出した。
「人が住んでないからって呑気に歌ってる阿呆だからな。それくらいの莫迦はやっててもおかしくないと思っただけだ」
「阿呆呼ばわりされるのは心外です。私の歌を聴いて蝶のようにつられてきたあなたに」
「あんな叩けば落ちるような虫と一緒にすんな。撃ち抜くぞ」
「気に食わない点がずれている気がしますが……そもそもなぜ蝶と聞いて叩くという発想が最初に来るのですか? 野蛮過ぎます」
「お前が上品過ぎんだよ。箱入りが。つーかお前、蝶なんて見た事あんのか」
「本でなら見ました。その世間知らずを小莫迦にするような物言いはやめなさい」
罵倒とも言えない悪口をぶつけ、睨み合う二人。
復讐やら正義やらを語っていた時と違い、その姿は年相応の子供そのものだった。
「そもそもあなたは出会った当初から品がなさすぎます。人の小屋に図々しく入ってきておいて、あのふてぶてしい態度はなんですか?」
「あれはテメェの小屋じゃねぇだろうが。空き家を勝手に占領しておいて、ふてぶてしいのはどっちだよ」
「あの空き家は元々神子の逃走経路のカモフラージュとして作られたものです。ですから私のものと言ってなんら差し支えはありません」
「その逃走経路で暇潰しに歌ってんだから、図々しい事に変わりねぇだろ」
「あれは気分転換です。暇を持て余していたわけではありません。そもそもノックもせずにいきなり人の家の扉を開けたあなたが、私を卑下できる立場にいると思っているのですか?」
「自分の事を棚上げしてんのはお互い様だろうが。お前こそ俺の事言える立場なのかよ」
傍から見ればどっちもどっちの言い合いを、至って真剣に続ける二人を仲裁するかのように、地上から鐘の音が響き渡る。
それは一日の日の出と日の入りを報せる鐘。つまりもう外では日が昇ったのだろう。
もう一度鐘が鳴れば、いよいよこの通路を出て命懸けの逃避をする事になる。
「あと一日ですね」
先程までとは打って変わり、遠い目をして天井を見上げるマビナの静かな声。
「そういえばまだ、私の方から言っていませんでしたね」
マビナが視線を移し、真っ直ぐグリモアの瞳を見据える。
「もう一度、私を誘拐してください。グリモア」
「ふん」
まだここから出るわけでもないのに、気の早いマビナの頼みをグリモアは鼻で笑う。
だがそこに侮蔑の色はなかった。
「お前が泣き叫んで拒絶しようが、俺のする事は変わらねぇ。俺は俺のために、この国を撃ち抜いてやるよ」
以前とはまるで違い、強い目的を持って二人は同じ場所を目指す。
絶望的な悲劇を胸に抱きながら。
暗い地下通路から出て見上げた空にはまん丸い満月が浮かんでいた。
久々の外出というわけでもない。用を足したりなど必要に迫られた時は、人気のないタイミングを狙って細心の注意を払いながら地上に上がってくる事はあった。
違っているのは心構え。
ある程度安全な場所にこもるのではなく、そこから飛び出し危険な逃避行をする覚悟。もう逃げ帰ったり隠れたりする場所はない。
感慨に耽る事なく二人は早速移動を開始した。細かい段取りは隠れている間に済ませてある。
日が沈んでからそれなりの時間が経っているとはいえ、人気が皆無というわけではない。物音や人影に気をつけながら不自然にならない程度に避け、顔を見られないよう馬を泊めている場所に向かう。
その際グリモアとマビナは意思をより早く伝達するために手をつないでいたが、お互いを異性として意識する事はなかった。そういうものに気を割ける状況でもなければ、性欲や恋愛感情などに振り回されるような人生を、二人とも送ってはいない。
気配を絶ちながら街の中を進み、数分で目的地に辿り着く。
周囲に誰もいない事を確認したグリモアは、マビナの手を引いて素早く馬に乗る。その時、少し気が抜けるのと同時に、いきなり横合いから声が掛けられた。
「ようやく来たんだね」
条件反射でコルトウォーカーを構えながら振り返り、マビナの手を離して銃口を向ける。
しかしその人物はグリモアに慌てる事なく、害意はないとばかりに静かに両手を上げた。
「あたしだよ、グリモア」
そのたった一言で、一片の躊躇いもなく撃ち抜かれようとしていた殺意の銃が静止する。
そのままの姿勢でグリモアは暗がりにいる目の前の相手を凝視した。
「……カミラ」
久しぶりとも言えない仲間の名前を呟く。
呼ばれたカミラは口元を歪めて笑みを零した。
「元気そうで何よりだね」
「なんでお前がここにいる?」
「最初にするべき質問はそれかい?」
問い返されグリモアは眉根を寄せるが、コルトウォーカーをホルスターに戻して、少しだけ考え込むと、別の疑問を口にした。
「俺が今日ここに来るとなぜ分かった?」
「妥当な問いだね」
正解といわんばかりに笑みを深めるカミラ。
「あんたが消えた時点で、復讐のためにこの街に来るのが予想できたから慌てて追いかけてきたんだよ。けどいつどんな方法で復讐するのかまでは推測できなかったんで、とりあえず逃走経路から押さえたのさ。成功したら逃げてくるだろうし、失敗したら晒し首くらいにはなるはずって読みだね。そんであんたが逃げそうな時間帯だけ狙ってここで見張ってたってわけ。中々現れないもんだから、もう死んでるかと思ったよ」
簡潔にここまでの経緯を説明し、間をおいてカミラはため息をついた。
「本当は手伝いたかったんだけど、あんたがどこにいるか分からなくてね。……一人で勝手に飛び出した事、怒っていい?」
「自分の感情に他人の許可求めてどうすんだよ」
「それもそうだね」
苦笑しながら一つ頷いて、無言で殴り掛かるカミラの拳を当然のようにグリモアはかわした。
「なんでよけるのさ」
「どうして俺がお前の怒りを晴らすために殴られなきゃなんねんだよ。大体、俺の復讐をお前に許可取る義務なんかねぇだろうが」
「礼儀も恩も知らないのかい、あんた」
「強盗にそんなもん求めるんじゃねぇよ」
こめかみを震わせるカミラに背を向けて、マビナの元へ戻る。
「グリモア。そいつもしかして……」
外套を頭から被っているため顔の識別ができないマビナを指差して、カミラが不審を隠そうともしない声を出す。
「お前の予想してる通りだ」
誰がどこで聞いているか分からないので、神子という単語を出さずにグリモアは答える。
しかしその返答を聞いたカミラに、周りを気にする余裕は失われていた。
「なんで一緒にいるんだい! その女のせいであたし達がどんな目に遭ったのか、あんたが一番分かってるはずだろ!」
「落ち着けカミラ。大声出すな」
「落ち着けるわけないさ! そいつは今すぐ殺すべきだよ! じゃなきゃ死んでいった仲間達が……」
怒り狂ってがなり立てるカミラの頬を、グリモアの投げた投擲用のナイフが掠める。
声を出す気勢を奪われカミラに、グリモアの冷たい視線が突き刺さる。
「うるさいんだよ。騒ぎになって人が来たら厄介だから言ってんだ。いい加減にしねぇと撃ち抜くぞ」
グリモアの殺気に、冷静さを欠いていたカミラの顔から血の気が引く。
準備をし終えたグリモアは馬の頭を撫でながら、黙り込んだカミラに声を掛けた。
「その説明は移動がてらしてやる。いまはとりあえず、とっととこの街から出るぞ」
「待ってください」
マビナが呼び止める。
「どうした?」
マビナは辺りをきょろきょろと見渡し、誰もいない事を確認すると頭から外套を外した。
「グリモア。先程のナイフはまだありますか?」
マビナが何をしたいのか分からず目を細めるグリモアだったが、何も訊かずに持っていたナイフを渡した。
「ありがとうございます」
お礼を言い、深呼吸をするマビナ。
心なしか表情を険しくしたマビナは、片手で後ろ髪を掴むと、借りたナイフで首元から下の髪をバッサリと切り落とした。
驚きに目を見開くグリモアやカミラに向かい合い、断髪した髪をマビナは胸元で握り締める。
「この長さなら充分帽子で隠せるでしょう。騎兵以外の目は、これで誤魔化せるはずです」
神子の証明でもある長く美しい白髪をその手に、マビナは決意のこもった誓いを口にする。
「行きましょう。この国を変えます。それがどんな変化で、どんな結果になろうとも」
その宣言は気高く神聖なこの国の象徴たる神子のものではなく、覚悟を決めた一人の強い少女のものだった。
その間に傷付いた身体の治療が行われたが、火傷の傷は皮膚が全て焼けてしまっていたため、元に戻る事はないらしい。
だがむしろ、その程度で済んで僥倖だったというべきだろう。瀕死の重傷を負っていたグリモアが、現在無事に呼吸をしているのは奇跡だったというし、グリモアを治療した医者は「死人を治しているようだった」とまでのたまっているのだから。
治療費はあの日金品を換金したものの残りを使った。手持ちにそれなりの金が残っていたのは、不幸中の幸いと言うべきか。あの後で何度か墓を作りに戻ったが、探せば燃え残った金品は発見できそうだった。現にグリモアや他の仲間の銃器はいくつか見つかった。グリモアの以外は全て墓石と共に立ててきたが、仲間の焼死体は個人の判別が不可能だったので、銃器と墓は一致していないだろう。
改めて確認してみて分かったのは、生き残ったのは自分とグリモアだけだという事実だった。洞穴の方にいたはずの仲間も、残された大量の血痕の事を考えれば、殺された後で小屋の方に運び込まれ、一緒に焼却されたというのが最も自然な結論だ。
まだ全ての仲間の墓を作れたわけではないが、仲間達がどれほどの惨い(むごい)死を迎えたのかは嫌でも予想がついた。一つとして五体満足の死体がないのだ。中には火事の被害で引きちぎれた部位もあるかもしれない。だがその殆どが、焼かれる前からなくなっていたとしか思えないものばかりだった。
おそらく残虐な手段で殺された後、バラバラにされたのだろう。ただ苦しませるために、それこそ死ぬほどの痛みを与えて。その後にバラバラにした。
死者に対する礼儀を冒涜された仲間達の事を思うと、カミラは罪悪感で胸が潰れそうだった。
なぜ自分はグリモアを止める事ができなかったのか。なぜこの国に来る前に、もっと神子の事を聞いておかなかったのか。なぜグリモアの反対を押し切って神子を殺す決断をしなかったのか。なぜ責任のない仲間達が死んで、自分だけが生きているのか。なぜ、なぜ、なぜ、なぜ――
「カミラ」
自責の念に捕らわれていたカミラは、はっとして振り向く。
ベッドに横になり、左顔面を包帯で覆ったグリモアが無表情にこちらを見ていた。
「何考えてる?」
「……別に」
正直に答えようがなく、視線から逃れるようにそっぽ向く。
目覚めてから三日経ち、グリモアの意識と容態は安定している。まだ動く事はできないそうだが、それももうしばらくの辛抱だろう。
「考え過ぎんなよ。お前の悪い癖だ」
こちらを気遣っているのか、忠告じみた台詞はグリモアには珍しい。
起きてからというもの、グリモアは前よりもおとなしくなったように見える。話す時も無駄に噛みつくような事はなくなった。
「そうだね……」
とは答えつつ、頭の中を巡るのは後悔ばかりだった。
自分が仲間達の屍を踏みつけて生きているのだから、それも当然と言えば当然の事だ。
なら自分よりももっと近く、渦中にいたグリモアはこの事件をどう思っているのだろう。
気付かれないように、目だけを動かして盗み見る。
ベッドに倒れて、半眼で天井を眺めるグリモア。その表情からは何も読み取れない。包帯で顔の半分が隠れているので分かりづらいというのもあるが、ここ数日の態度を見た上でも、グリモアがどんな感情を抱いているのかは見当もつかなかった。
あの火事の後、グリモアはこの国を潰すと言った。その一言だけ取っても、グリモアが並々ならぬ強い憎しみを抱いているのは想像に難くない。だがもしかするとあの言葉は、火傷の熱に浮かされて口走っただけで、意識して言ったわけではないのかもしれない。そう考えれば、グリモアがこうもおとなしく静養しているのにも納得がいった。
しかし憎しみを抱いていないというなら、それこそグリモアは、あの事件に対して何を思っているのか。
「グリモア。あんた平気なの?」
「何がだ?」
視線が向けられる事なく、返事が返ってくる。
気にせずカミラは続けた。
「こんな事になってさ」
返事はなかった。だがグリモアの表情にも視線にも変化はない。
聞き逃したのではと疑いたくなるほどの間を空けた後、グリモアはようやく顔をこちらに向けた。
「平気に見えるか?」
その問いに責める響きはない。だからただの純然な疑問なのだろう。
なのになぜか、カミラは背筋が寒くなるのを感じた。
「平気じゃ……ないのかい?」
「そう見えるか訊いたんだ」
「その前に訊いたのはあたしだよ」
カミラの返しに「それもそうだな」と頷いて、再び視線を天井に戻すグリモア。前までのグリモアなら、いいから答えろと噛みついてきた事だろう。
この変化は一体何を表しているのか。カミラには推測すらできなかった。
「平気……なんだろうな」
どこか寂しそうな声音で、グリモアはまるで独白するかのように答える。
「狂いもせず、壊れもせずに生きてるんだ。別に悲しみだとか苦しみだとかに耐えてるってわけでもないし、あの時の事を忘れたわけでもない。それなのに普通に過ごせてるんだから、きっと俺にとって、あいつらはその程度の存在だったんだ」
薄情とも取れるグリモアの返事に、怒りを覚える事はなかった。
気付いてしまったのだ。グリモアが胸に空虚な穴を空けてしまっている事に。さっき平気に見えるかと訊いてきたのも、おそらく自分で自分が分からなかったからなのだろう。
グリモア自身、胸に空いた穴をどんな感情で塞げばいいのか分かっていない。
考え過ぎる自分は、それを自責で埋めた。しかし考えを放棄したグリモアは、穴を埋める作業すらも投げ出してしまったのだ。
だから自分が何を思えばいいのかも分からず、感情を停止させている。
慰めでも諭しでも、とにかく何か声を掛けようとカミラが口を開くその前に、グリモアは二の句を継いだ。
「でもな、それでも俺はこの国を食い潰す。……理不尽を味わわされたまま、泣き寝入りなんてのはごめんだ」
静かな口調で固い決意を語るグリモアに、カミラは言わんとしていた言葉を呑み込む。
おそらく口を開いていれば、自分は見当外れの事をグリモアに言ってしまっていただろう。
グリモアはすでに、胸の穴を埋める感情を持っている。ただ、いまはまだそれを秘めているだけなのだ。
きっとそれは、自分と違って『強さ』と形容できるものだ。
どんな形であれ、その感情は外に向いているのだから。
「水、汲んでくる」
勝手にいたたまれなくなって、カミラは病室を出た。
グリモアのような強さが羨ましい反面、それが憎らしくもあった。
あの事件は神子を誘拐したせいで起きた。そして神子を誘拐したのは、他ならぬグリモアだ。
それに責任も感じず、罪悪感も抱かずに、剥き出しの感情をこの国にぶつけるグリモアに、怒りを覚えずにはいられない。
本来ならば自分が苛まれている自責の念は、グリモアこそが背負うべきもののはずなのに。
「……っ」
こんな八つ当たりのような怒りを持ってしまうのは、自分の弱さが原因なんだろう。
だからこそ自分は、グリモアの強さを羨ましく感じてしまうのだ。
「…………あたしは、強くなりたい」
死んでいった仲間達に、報いるためにも。
弱い自分を克服したい。
頼りない自分の両手を眺めながらカミラは廊下を歩いた。
その五日後、なんの別れの言葉もなく、グリモアは治療院のベッドから姿を消した。
仲間のレバーアクションライフルと共に。
あいつらの事は、好きじゃなかった。それどころか、嫌いとすら思っていたはずだ。
なのになんでか、あいつらが死んでからというもの、たびたび昔の記憶が頭をよぎる。
一緒に飯を食った記憶。特訓をした記憶。喧嘩をした記憶。
たった数ヶ月。襲撃のためだけに金で雇われた関係で、自分の年齢からすれば殆ど占めてないし、くそったれな強盗生活で情など湧くはずもない時間だった。
騒がしい宴は好きじゃなかったし、名前を覚えずからんでくる仲間は嫌いだったし、子ども扱いしてくる頭領なんかは大嫌いだった。
何もかも、いつ失っても構わないと、変えられるものなら変えたいとすら考えていた。
けれど実際に失ってみれば、それを惜しむように過去の記憶に苛まれる。
最初の内は別に何も感じる事はなかったが、いつの間にか苛立ちやもやもやが、胸の中に燻って募っていた。
あの時嚥下し溺れた仲間の血が、そんな感傷を抱かせているのだろうか。
思いがけず血の匂いと味と触感がフラッシュバックし、口元を押さえグリモアは吐き気に耐えた。
あの地獄は、グリモアの心に大きなトラウマを与えていた。生まれて初めて味わった強い恐怖が頭にこべりつき、どうしようもなくグリモアの精神を蝕んでいる。
なんとか喉奥で嘔吐物を飲み下し、グリモアは荒い息を整えた。
気持ちの悪い酸っぱい味と、記憶の中の血の味が混じりあって、気分は最悪だった。
こんな事に負けていて国を撃ち抜くなど、お笑い種もいいところだ。仲間達がいれば大爆笑している事だろう。
またぞろ仲間達の笑い声が記憶の底から騒ぎ出す。うるさくて消してしまいたいのに、楽しげな声は耳障りなほど頭に響く。
『オメェはホントにガキだなグリモア』
『腕っぷしだけで頭の方がまだまだなんだよ』
『こりゃ一本取られたな。ガハハハ』
「消えろ……!」
低い声で呟き、壁に拳を打ちつける。
そうする事でようやく幻聴は元の場所へと帰っていった。
街中でのグリモアの奇行を見咎める者はいない。
そもそも半面に包帯をつけ、幅広の旅人帽を被り、大きなレバーアクションライフルを背負うグリモアの姿はそれだけで目を引くものであり、人気(ひとけ)のある場所ならばとっくに奇異の視線を送られていた事だろう。
この道は街道でありながら、人っ子一人いはしない。それどころか周りの民家にも住民は住んでいなかった。
大聖殿の裏側。その一画であるこの場所に、信心深いフェーデの住人は寄りつかない。
例外グリモアすれば、グリモアのようにフェーデの国民でなく信心を一切持たない者か、その信心の対象である当人だけだ。
誰もいないはずの街道に風と共に流れてくる澄んだ歌声。前にも一度だけ聴いたが、素直に綺麗なものだと思う。
あんな事をした後で、よくもこんなに綺麗に歌えるものだ。
ぎりっとグリモアは強く唇を噛んだ。
わずかに切れた唇から血が流れるが、それに気付いた様子もなくグリモアは歌声の聴こえる方へと足を進める。
その間にも色んな思考と感情が頭を渦巻いた。
前みたいに罠かもしれない。そもそも前のは本当に罠だったのか。罠だとしたら殺される。地獄のような苦しみと共に。あの女のせいで仲間達が。殺したのは騎兵だ。神子がそれほど偉いってのか。俺も焼かれるかもしれない。だとしても――
小屋の前に立ったグリモアは、一度目を閉じて仮面に触れる。
全てを焼き尽くした豪炎。仲間達の怨嗟の号哭。不条理な世界。生き残った自分。
身体の一番深い部分から感情の奔流が溢れ出てくる。
扉に手を掛け、グリモアは力任せにそれを開いた。
神子は座っていた。騎兵の一人も護衛につけず、あの日と同じ服装で、同じ体勢で、同じようにこちらを振り返る。違う点グリモアすれば、神子に動揺した様子はなかった。まるでグリモアが来るのを分かっていたかのように、神子は毅然とその瞳を見返している。
「やはり、来ましたか。生きているなら、来ると思っていました」
グリモアの観察を裏付けるかのように、神子は自己の推測の是を口にする。
それに苛立ちながらもグリモアはなんとか平常の声を出した。
「久しぶりだな、神子さま」
喋りながら周りの気配を窺う。神子はやはりと言った。ならば近くには、騎兵が潜んでいるはずだ。
しかしそんなグリモアを見て神子は首を横に振った。
「そんなに警戒したところで、罠ではありませんよ。護衛もいませんし、私が武器を隠しているという事もありません」
神子の言う通り辺りに人の気配がない事を確認したグリモアは、横目で神子を睨みつける。
「なんのつもりだ」
「何がですか?」
すっとぼける神子に、グリモアは背中のレバーアクションライフルを構えて銃口を彼女の首元に突きつけた。
「俺が来ると分かってて、無防備に歌なんか歌ってた理由だよ。来るのが分かってたってんなら、目的も理解してんだろ」
殺意を隠そうともしないグリモアに対しても、神子は無表情を崩さなかった。
仲間達が騎兵によって虐殺されていた時も、こいつはこんな顔でそれを眺めていたのだろうか。
「お前のせいで仲間達は死んだ。殺された」
その事実を口にするだけで、怒りで目の前が赤く染まる。
俺は、あいつらが嫌いだったはずなのに。
「お前を殺せば、あいつらを殺した騎兵共もさぞや俺を憎むだろうな」
それでもあいつらは、俺の仲間で、家族だった。
だからその復讐くらいは、してやらなきゃいけないんだ。
「神子がいなくなったとなれば、この国も終わりだ。あっという間に沈む」
あいつらを殺したのは、この歪んだ国。
俺の殆どを奪っていったのは、神子を狂信する常軌を逸した信仰心。
なら俺は、それらを全て食い潰す。
「お前は俺が殺す」
それが俺の復讐だ。
グリモアの殺害予告を聞いても、神子は身じろぎ一つしなかった。覚悟を決めているのか。それともこの期に及んで何も感じていないのか。その内心がグリモアに分かるはずもなかった。
「いいでしょう」
「なに……?」
「私を殺す事を許可します」
事もなげに、神子はグリモアの凶刃を受け入れた。
抵抗する様子など微塵もなく。
「っ……! なんなんだよお前!」
「何がでしょうか?」
あくまで冷静な神子に、グリモアの感情が爆発する。
「俺が誘拐した時も、いまも、なんでそんなに平然としてやがるんだ! 怖がれよ! 怒れよ! 悲しめよ! 感情ってやつがねぇのか!」
理不尽な事を言っているのは分かっていた。だが俺は、こんな風にこいつを殺したかったわけじゃない。仲間達がそうであったように、こいつは嘆きと絶望の中で殺さなくちゃ、意味がないんだ。
「本当、なんだよお前! なんで俺達はお前みたいな奴のために嬲り殺しにされなきゃならなかったんだよ! ふざけんな!」
ただ殺されるだけなら納得もした。散々殺してきたんだ。それくらいの報いは当然だろう。だがあんな残虐な方法で殺されなきゃならないほど、俺達は屑だったのか? 略奪の時だって必要なだけしか殺さなかった。多少危険だと分かっていても、無抵抗な奴は殺さず逃がしてやった。俺達はただ生きたかっただけだ。生きるためにどうしようもないから、殺してただけだ。なのに、あの仕打ちはなんなんだ?
「私はあの時あなたに言ったはずです。お互いのために何もせず去るのがベストだと。でなければ後悔すると」
「自分に責任はないってか?」
「覚悟も問いました。けれどあなたは、それを一蹴した」
「その結果がこれだとでも言いたいのかよ」
落ち着いたように見えてどんどんと膨れ上がるグリモアの怒気から、神子は一切視線を外さない。
その澄んだ瞳からは、どんな思惑も読み取れない。
「命乞いでもしてんのか?」
「いいえ」
「なら何が言いてぇんだよ」
「あれはあなたが招いた惨劇です」
「っ!」
思わずグリップを握る手に力が入り、銃口が神子の喉に食い込む。
それですら神子の表情は揺るがない。
「だからその責任を取って、お前を殺す」
いままでにない殺意を凝縮させた言葉に、神子は目で頷いた。
「えぇ。ですから私も、それを受け入れましょう」
なんの迷いもなく命を捨てる神子。
そのあっさりとした態度に、グリモアの指は動かない。
身勝手にもグリモアは、神子が自分の命を進んで投げ出そうとするのが許せなかった。殺そうとしているのは、自分なのにも関わらず。
平然と仲間を殺し、平気で死を受け入れる神子が、どうしようもなくグリモアには許容できない。
「なんでお前は、そんな簡単に死のうとすんだよ」
「殺すのはあなたです」
「だとしても! 大聖殿の中でじっとしてれば、殺される心配なんてなかっただろうが!」
確かに自分は神子を殺すためにこの場所に来た。けれど秘密の通路とやらの入り口には、もう警備の騎兵がついてるとばかり思っていた。まさかあんな事があってまだ、神子が一人呑気に歌っているとは想像すらしなかったのだ。
しかし現に、神子はこうして目の前にいる。喉に剣を突きつけられて。
「あの惨劇を招いたのはあなたです」
再度同じ台詞を繰り返し、グリモアが何かを言い返す前に、神子は続けた。
「けれどあの惨劇を起こしてしまったのは、私なのです」
予想外の言葉を受けて眉をひそめるグリモアに、神子は訊ねる。
「この国で最も罪深い事が何か分かりますか?」
答えを待たずに正解が明かされる。
「神、ひいては神子を害する事。侮蔑する事。否定する事」
出会ってから初めて神子の表情に変化が現れる。
その顔には、わずかな憂いが浮き上がっていた。
「この国を支えているのは神の存在。そして神の宣託を授かる事のできる神子です。だからこそフェーデという国は、それに仇なす者を許さない」
その程度の事はグリモアも知っていた。いわく、フェーデは神の化身である神子を中心に回っており、神子は全てにおいて優先される。
「私が神子として生まれてから、その罪を犯した者が二名いました。どちらの方もあなたのように私に何かをしたわけではありません。ただ神の存在を否定したり、神子の事を酒に酔って莫迦にしただけです」
一度目を瞑り、わずかに表情を険しくした神子が過去の事実を淡々と語る。
「ですがたったそれだけの事で、一人は火あぶりにされ、もう一人は串刺しにされた挙句、首を広場に晒されました」
「なっ……」
驚愕するグリモアを畳み掛けるようにさらなる非道を神子は語る。
「晒された首に、国民達は進んで石を投げたそうです」
神子の表情が元の鉄仮面に戻った。
「この国ではそれが当然なんです。神子という大義を得た騎兵や国民は、正義の元にどんな残虐な行為でも平然と行う。いえ、それどころか自分と彼らは違うのだと言い訳でもするかのように、必要以上に残酷な仕打ちを与えます。見えてもいない神に媚びて」
最後の一言を侮蔑するような口ぶりで神子が吐き捨てる。
それを見れば、神子が今回の件を決して肯定的に捉えているわけでないのが分かる。しかし神子がどう思っていようが、起きた事実は変わらない。
「だから自分が死んで、こんな国滅べばいいってか」
グリモアの推測を、神子は悲しげに視線を落として否定した。
「私が死んだところで、また新たな神子が生まれるだけです。この国は何も変わりません」
諦観の込められた神子の答えに、銃口がわずかに揺らぐ。
グリモアの復讐はこの狂った国を潰す事だ。神子を殺しても国に影響がないというのなら、また別の手段を考えなければならない。だが神子の殺害以外に、グリモア個人が国一つを滅ぼせる方法など、あるとは思えなかった。
「ならなんで、お前はそんな死にたがるんだよ」
繰り返される質問に神子は再び視線を戻す。
「私が最も罪深い加害者である事に変わりはありませんから」
この国の象徴である神聖な神子が、自身を罪深いとのたまった。
「私が直接手を下していないとはいえ、私の存在が騎兵や国民の非道を許しました。私は神を信じる者にとっては崇高な存在でしょうが、あなたやあなたの仲間のような被害者からすれば、非情な極悪人です」
神子の顔には自己への同情や責任逃れの色はない。ただ少しだけ目が細められていた。
おそらくその罪の意識が、目の前の少女から表情を奪ったのだろう。
「その非道があなた方のような罪人に向けられるものであれば、納得できるのではないかと思いました」
罪人と称されてもグリモアは否定しなかった。それくらいの自覚はある。
「けれど、そんなわけはありませんでした。泣き叫び、殺してくれと乞う者をさらに痛めつけた上で殺す。そんな人道に外れた行い、たとえ相手が誰であれ、どんな理由があったとして、認められるはずがありません」
目を伏せながら、神子は唇を噛み締める。
それらを全て聞いた上で、グリモアは余計な同情など一切しない。
「だから俺が床下にいるのも黙ってたのか」
「生き残れるとは思っていませんでした。助けたわけではありません」
「当たり前だ」
あの場でグリモアが生き延びたのは己の執念によるものだ。断じて神子の温情のおかげなどではない。
「お前、俺が死んでたらどうするつもりだったんだ?」
殺される覚悟を持っていても、それはグリモアがここに来る事が前提のものだ。もし来なければ、そんな覚悟にはなんの意味もない。
「あと三日、あなたが現れないのであれば自害するつもりでいました。それがなんの償いにもならない、次の神子に責任を押しつけるだけの行為だという事は分かっていましたが」
つまりはグリモアの気を晴らさせるためだけに、ここで歌っていたわけだ。死という結果は変わらないというのに。
他人の復讐のため、自分を殺しに来る者を待つというのは、一体どんな気分なのか。
「穢れてるくせに、どこまで聖人なんだよ」
「どういう意味ですか?」
脈絡のないグリモアの呟きに神子が怪訝そうに眉をひそめる。
それに答える事なくグリモアは逆に問うた。
「お前、国を変えたいか」
唐突な質問に一瞬神子の顔が強張り、目が伏せられる。
「私には変えられません」
「変えたいのかを訊いてんだ。撃ち抜くぞ」
神子の否定を意に介さずグリモアは噛みつく。
それに反発したわけではないだろうが、顔を上げた神子はグリモアの目を見据え、躊躇いなく言い放った。
「この国の自覚のない業を消せるのであれば、私はどんな事でもしたでしょう」
結局何もできませんでしたが、と神子は再び目線を床に落とす。
一方グリモアはずっと神子に向けていたレバーアクションライフルを背負った。
代わりに右手の指で神子の両頬を挟み、無理やり自分の方を向かせる。
「なら覚悟しろ」
驚愕に染まった神子の顔に疑念が混じる。
「人を傷付ける覚悟を。それを躊躇わない覚悟を。それでも生きてく覚悟を。いま決めろ」
「何を……言っているのですか?」
端正な顔を強引に歪められたまま神子が問うてくる。
グリモアは凄絶な形相を浮かべ、それに答えた。
「俺がこの国を撃ち抜く。お前は俺について来い」
同じ場所で二度目の命令をグリモアは下す。
グリモアの迫力とその宣言に、神子の美しい瞳が初めて恐怖を映した。
街灯の明かりが辺りを照らす暗闇。人が二人並んで歩くのがやっとの幅に、先の見えない長い通路。壁や床、天井に装飾はなく、無機質な石畳が周りを覆っている。
まさしく秘密の通路と呼ぶにふさわしいそんな場所に、グリモアとマビナは並んで座っていた。
実際にこの場所は神子に代々受け継がれる秘密の抜け道らしく、その存在は大司教や聖騎兵長でも知らないそうだ。万が一に備え、神子だけが読む事を許された聖典に、この抜け道の在処は記されているという。
そんな重要な抜け道を息抜きのために使っていたのだから、マビナも見た目に反して相当おてんばな娘だ。だがそんな度胸でもなければ、年頃の女がこんな場所で強盗の男と二人きりになど、絶対になりはしなかっただろう。
この通路に閉じこもってから約二日。予定では明日ここを出る事にしている。
グリモアは頭の中で計画を再確認すると同時に、それを話した時のマビナの反応を思い出した。
「この国を出る」
国を撃ち抜くと宣言し、一日置いて計画を練ったグリモアが、小屋に入って開口一番口にしたのがそれだった。
「どういう事ですか?」
不審げなマビナにグリモアも今度は言葉を省かず、分かりやすく説明する。
「お前を殺せば神子は新たに現れると言ったが、お前が国から消えるだけならその心配はないんだろう? 神子という象徴を失えば、この国は信用も信仰も地に落ちて、いまの体制を維持できなくなるはずだ」
殺人ではなく誘拐。それがグリモアの出した結論だった。
仲間達が殺される前に計画した時の誘拐とは違い、今回は他国に神子を渡すつもりはない。事が露見するまで逃げ回り、フェーデが瓦解するのをひたすらに待つ。
神子が誘拐されたとなれば、同盟関係にあった二国の糾弾はまず避けらない。関係の解消も充分にあり得るだろう。そして同盟がなくなったとなれば、国力が大陸の中でも最弱なフェーデの立場が最悪なものとなるのは予想に難くない。神子を失ったという過失があるフェーデは、侵略をほのめかされれば不利益な外交を余儀なくされ、いずれは国そのものが解体される。
しかしグリモアの考えにマビナは静かに首を振った。
ついて来い、と言われた時点で、マビナにはグリモアの目的が誘拐だろうと察しがついていた。そしてその実現が限りなく不可能に近い事にも、気付いていたのだ。
「神子の誘拐。それこそ騎兵や大司教が最も恐れている事態です。だからこそあなた方は誰にも気付かれずに私を攫ったのにも関わらず、たったの半日程度で追いつかれてしまった。私が誘拐されてから、誰かが私の不在を知るまでに二時間ほどはあったはずです。しかしあなたがあの小屋に着いてすぐに騎兵達はやってきました。つまり二時間もの時間差が、たったの半日程度で埋まってしまったという事です。それも少ない情報を集め、わずかな痕跡を見つけた、その後にです。たとえどれだけ速く馬を走らせようと、この街から国境を超えるまで五日は掛かります。私とあなたでは、現実的に考えて追いつかれずに逃げ切る事は不可能です」
迷いなくマビナは断言する。
追いつかれればマビナは連れ戻され、グリモアは仲間同様嬲り殺しの憂き目に遭う。
こんなにもハイリスクローリターンな案にマビナが賛成するはずもない。そんな事はグリモアも分かっていた。
「最後まで聞けよ。噛み切るぞ。お前じゃねぇんだから、俺だって犬死なんか進んでしたいとは思わねぇよ」
「私は犬死をしたかったわけではありません。――つまり何か策グリモア?」
「そんな大層なもんじゃねぇけどな」
入口から移動し、グリモアはマビナとは別のベッドに腰を下ろした。
「なぁ、お前がここに来る時の抜け道ってのはお前しか知らないのか?」
「いきなりなんですか? 脈絡がありませんよ」
「いいから答えろ。撃ち抜くぞ」
理由も説明しないグリモアにわずかに不満の色を見せたが、マビナは素直に従った。
「あれは内部に暗殺を企てる者がいた場合を想定して作られているものなので、知っているのは私一人だけです。そもそも他の誰かが知っていたのなら、こんな気軽な使い方は許されていません」
「ならもしお前がいなくなったとして、大聖殿にいる誰かがその抜け道を見つける可能性ってのはないのか?」
「それは……どうでしょう。大聖殿側の入り口は私の私室に巧妙に隠されています。なので掃除などでは絶対に気付かれませんが、もし捜索目的で部屋を隅々まで探すのであれば、見つかる可能性は高いかもしれません」
口元に手を当て、その状況を思い浮かべるマビナ。
「ですが私が誘拐されたとしても、すぐに部屋が荒らされる事はないでしょう。私の私室は歴代の神子たちが暮らしてきた、いわば一種の聖域です。立ち入りを許可されているのも四人の大司教と聖騎兵長、専属の侍女だけですから。それも私の許可があっての事であり、いかに大司教や聖騎兵長といえど、神子の私室に無闇に踏み込むのは避けたいはずです」
「それまでの猶予ってのはどれくらいあるんだ?」
「十日……いえ、八日ほどでしょうか。もし私の居所に関する情報がまるで得られないのであれば、彼らも追跡を優先し、私の部屋からなんらかの手掛かりを得ようとするはずです」
必要な情報を揃えたグリモアは頷き、改めて自分の考えをまとめる。
そこでもう一つの懸念があった事を思い出す。
「ちなみに騎兵ってのはお前が消えた場合どう動くんだ?」
「どうでしょう……。実際に誘拐事件が過去あったわけではないので確かな事は言えませんが、おそらく騎兵団内で捜索隊が選抜され、各地の騎兵達にも連絡が行き渡るはずです。それに伴い、検問の設置や国境警備の強化が行われるでしょうが、国民には私の行方不明は知らされない可能背が高そうです」
「混乱を防ぐためか」
グリモアの先読みにマビナは首を縦に振る。
「先日あなたが行った誘拐の時にも、国民に神子誘拐の事実が明かされる事はありませんでした。フェーデでは神子の安否は国民の平穏と直結します。ましてや行方不明や誘拐ともなれば暴動が起きても不思議ではありませんし、国外の信用問題にも関わります」
「だろうな。だからお前を誘拐するんだ」
神子の存在が暴動も起きない程度の小さいものなら、そもそもこんな計画など思いつきもしなかっただろう。
しかしだとすると、マビナの行方不明に騎兵が気付いてからものの二、三日でフェーデ中にその情報が広まる事になるだろう。
「だがまぁ、それはどうしようもないな。その伝書鳩とやらで情報が伝わっても、見つからずに行けるかは賭けになるが」
「しかしどう頑張ろうとも、先程も言った通り国境まで五日は掛かります。見つからずに逃げ切る事が果たして可能なのですか?」
「五日で逃げる気はねぇよ」
「えっ?」
予想だにしなかったグリモアの言葉に、マビナは目を丸くする。
「最短のルートを最速で行くほど見つかりやすいもんはない。そんな事すりゃものの一日足らずで捕まるだろうぜ」
「ですがそれでは、余計に日数も増え見つかる危険が……」
「分かってるよそんな事は。どんなルートを通ったところで一緒だ。出発点と出発時刻が分かってる以上、どの方向から逃げるにしろそこから逆算されれば大体の場所ってのは割り出されちまう。結局道も速度も変える意味なんざ大してねぇんだ」
「でしたら……」
「だがな、出発点は変えようがなくとも、出発時刻は変えられる」
「どういう事ですか?」
怪訝そうに眉をひそめるマビナに答え、グリモアはようやく作戦の詳細を語り出す。
「数日の間、大聖殿から出てもこの街からは出なきゃいい。そうすりゃ待ち伏せや追手に追いつかれる可能性は大幅に低くなる。騎兵は神子が消えた日を基準に捜索に当たるだろうからな。まさか街から出もせずに潜んでるなんて考えもしねぇはずだ。追手が見当違いの場所を捜してんなら、逃げ切れる可能性は充分にある。道中は捜索隊以外の騎兵の対処とか検問への対策も必要になるだろうが、それもある程度は考えてあるから気にするな。なんとかなるとは言えねぇが、とりあえず試すくらいの価値はあるはずだ」
強盗として生きてきたグリモアには、確実な方法を探すという考えがそもそもない。迷えば利益の出そうな方を取り、分が悪ければ逃げるか良くする方法を模索する。危険を恐れて立ち止まれば生きていけなかったが故に、とにかく行動がグリモアの信条だった。その結果があの悲劇を生んだとも言えるが、最良の選択ばかりをできるわけでない以上、それがどんなものであれ受け入れて進んでいくしかない。
まるで決定事項のように話を進めるグリモアの口ぶりに、慌ててマビナは口を挟んだ。
「待ってください。街から出ないと言いましたが、真っ先に捜索されるのはこの街ですよ。見つからずに隠れられるわけが……」
否定している最中に、マビナは何かに気付き口を閉ざす。
その様子を見てグリモアの顔に底意地の悪い笑みが広がった。
「なるほど。つまりあなたは……」
「そうだ。だからさっき訊いたんだよ。お前がこの場所に来るのに使ってるっていう秘密の抜け道なら、騎兵に気付かれずにやり過ごせるだろ」
「……確かにあの場所なら見つかる確率は低いでしょう。ですがそれも絶対ではありませんよ。私の私室がすぐに調べられるかもしれませんし、街が捜索されればこちら側の出口が見つかるかもしれません」
「それくらいの危険は何をしようが出て来るもんだ。一々気にしてたらなんもできねぇよ」
マビナの懸念を一蹴するグリモア。
どれだけ入念な策を練ろうとも、運に頼る場面というのは必ず現れる。そのリスクを消す方法がない以上、成功率の高そうなものを選び、あとは自分の幸運に丸投げするのはどうしようもない事だった。
「んな心配そうな面すんな。細かいとこは後で決めるが、多分大丈夫だ。この計画に乗るならお前にはとりあえず、今日の夜に大聖殿から抜け出してもらう」
「今日ですか? それはさすがに急では?」
「早けりゃ早いほどいい。俺は仮面と旅人帽のせいで目立つからな。あと何日もこの街で過ごせば、確実に顔を覚えられちまう。そいつが神子の消えた日にいなくなったとなっちゃ、ほぼ犯人は確定だ。指名手配が出回って、その時点で作戦がおじゃんになる」
既に一日滞在しただけでも相当奇異の目で見られているのだ。
これ以上街に残れば、神子の事など関係なしに騎兵が呼ばれてもおかしくない。
「分かりました。私が寝入り、部屋を確認する者が誰もいなくなった時点で抜け出せばいいんですね?」
「あぁ、それで問題ない。夜の間に逃げたと錯覚させたいからな。俺は宿で一泊した後、騎兵が街を捜索する前にその抜け道とやらに行く事にするよ」
朝方に自分がいた事を宿の店主が証明すれば、たとえ怪しかろうが指名手配までは出回らないはずだ。滞在日数も昨日と合せて二日。単なる変わった旅人で済むだろう。
方針も決まり、話が済んだところでグリモアは一番重要な事をマビナに訊ねる。
「で、その抜け道とやらはどこにあるんだ?」
出会った当初この近辺にある事は聞いたが、詳細は告げられていない。神子だけしか知らない重要な抜け道なのだから当たり前だが、その存在だけでも赤の他人であるグリモアに明かしたのは、いま考えれば相当迂闊な行いだった事は間違いない。
「ここです」
「なに?」
「この部屋にあります」
そう言うと、マビナは立ち上がりベッドの間にある小さな棚を前にずらした。
位置を気にして置いた棚を上からぐっと押したかと思えば、棚の後ろからガコンという音が聞こえてくる。覗き込んで見てみると、元々棚の下にあった床が跳ね上がり、人ひとりが入れるほどの真っ暗な穴が開いていた。はしごもついており、その隣には小さなスペースがあってランプが置かれている。
「これが私の使っている抜け道です。穴はそれほど深くないので落ちても怪我はしないでしょうが、大聖殿まで続いているので道自体はそれなりに長い距離があります」
淡々と説明するマビナに、グリモアは純粋な疑問をぶつける。
「これは穴の上の床に人が乗っても、抜けて落ちたりはしないのか?」
「大丈夫です。中から開けるか、棚をこの位置に移動させて押さない限りは開かないようになっていますし、大人が一人二人乗ったところで、床が抜ける事はありません」
断言され、若干の不安の残しながらもグリモアは引き下がる。
こんなにも近くに抜け道があった事に驚きもしたが、よくよく考えれば神子が無人区とはいえ気軽に外に出られるわけもないので、この小屋の中に抜け道があるのは当然と言えば当然の話だった。
「大聖殿に帰る時この棚はどうしてんだ? 自分じゃ戻せないだろ」
棚が壁から離れているというのは、あまりに不自然だ。騎兵が街を捜索する時、念入りに調べられる可能性は高い。
「穴を閉じれば、へこんでいる床が押し上がって棚は元の位置に戻ります」
「なるほど、便利なもんだな。そんなに凝った造りなら、見つかる心配はしなくてもよさそうだ」
穴を覗いたり棚を叩いたりと関心を示していたグリモアだが、一通り見終えると満足げに頷いて入口の前に立った。
「それじゃあまた明日、この薄暗い穴ん中で会おうぜ」
手を振って扉を開ける。
しかし出て行く前に呼び止められた。
「なんだ? この計画に不満でもあんのか?」
首だけ振り返るが、マビナは視線を足元に落として、言いづらそうに口を開けては閉じるのを繰り返す。
金魚みたいな口の開閉が三回終わった時点で、焦れたグリモアが文句を口にしようとしたが。その前にマビナは一度息を大きく吐いて目を合わせてきた。
「感謝します。グリモア。憎むべき私に、手を貸してくれて」
思いがけない謝辞にグリモアは軽く目を瞠る。
しかしそれも一瞬の事で、すぐに眉間に皺を寄せて、不機嫌そうに吐き捨てた。
「お前のためじゃねぇ。勘違いすんな」
「それでもです。本当ならいますぐにでも私を殺したいでしょう。なのにそれを押し殺してまで……」
マビナが言い終わる前に、グリモアは小屋を出て扉を閉めた。
大きく舌打ちをし、頭上を振り仰ぐ、
空からは幾千の星が自分を見下ろしていた。
暗く湿った穴倉で二日前に告げられた謝辞を思い返して、負の感情が湧き立つのをグリモアは感じた。
横目で膝を抱えて座るマビナを盗み見る。
マビナを殺したくないと言えば嘘になる。復讐の対象はこの国であろうと、実際に仲間を殺したのは騎兵であろうと、その原因となったのはマビナなのだ。
できる事ならいますぐにでも、その綺麗な手足をもいではらわたを引き摺り出してやりたいと思うのは、決して嘘ではない。
だが彼女の言った通り、あの虐殺を起こしたのは神子の存在でも、招いてしまったのは自分なのだ。自身の軽率な行動がなければ、仲間達は嬲り殺しの憂き目を見る事もなかった。
ならマビナを恨む気持ちの半分は、己に向けなければならないものなのだろう。
それだけの事を、自分はしてしまったのだ。
しかしそれにしても、おかしなものだと思う。これだけ憎んでいる相手と、肩を揃えて座っているのだから。それどころか、この二日間片時も離れていない。自分で言うのもなんだが、よく正気を保っていられたものだ。
この国の価値観に照らし合わせるなら、こうして神子の隣に座っているだけで罪深い事なのだろう。神の御使いたる神子に対してなんたる不敬、といったところか。
たかだか十代半ばの少女にくだらない。そもそも神がどれほどのものだというのか。五年に一度の宣託とやらがどれだけ国民の生活に影響を与えている? きっと何も変えられてはいない。なのになぜこんなにも神を信仰できるのか、グリモアにはまったくもって理解しがたかった。
神に見捨てられる事を恐れて、少しでも神の意に沿わない者を排除し、神の下僕であろうとする。その狂信的な宗教観を懸命に守ろうとする、時代遅れなこの国の住民は酷く滑稽で、腐りきっているようにしか見えない。
同時にそんな腐りきったものすら自力で噛み砕く力のない自分が、歯痒くて仕方がなかった。
「お前は俺が憎くないのか?」
唐突に話し掛ける事にも話し掛けられる事にも慣れていたマビナは、グリモアの質問に驚く事もなくその意図を訊ね返す。
「どうしてそう思うのですか?」
「俺のせいでまた騎兵の虐殺を容認する事になったんだ。余計な事した俺が憎いんじゃないのか?」
そもそもグリモアが何もしなければ、マビナも自害を考えるほど思い詰める事はなかっただろう。それは単なるきっかけだったとはいえ、浅慮で自分の罪を重くしたグリモアを憎むのは当然の心理だ。
「責任を他人に押しつけるつもりはありません。あれはあなたと私が呼び起こした悲劇です。あなたが何もしなければ起こらなかったとはいえ、私に力があれば止められたものでもありますから」
「……ホントに高潔だな。神子と呼ばれるだけはある」
「それは皮肉ですか?」
「本音だ。俺には到底真似できん」
目的が一致し行動を共にしているとはいえ、グリモアとマビナではその内実がまるで違う。
グリモアはフェーデへの復讐を、マビナはフェーデを変える事を目指している。
志(こころざし)において、二人には天と地ほどの隔絶があった。
「あなたはなぜ強盗になったのですか?」
いきなりの踏み込んだ質問に、グリモアの眉がわずかに動く。
それを敏感に察知したマビナは一言付け加え、言い争いになるのを事前に防いだ。
「答えたくない事であれば、無視してください」
その気遣いがまた癇に障ったのか、グリモアは小さく舌打ちする。
「別に構いやしねぇよ。ただ聞いて面白い話でもないってだけだ」
気乗りしなさそうに頭を掻いて話し出す。
「子供の頃、物心ついたくらいの時に人攫いに遭って、その馬車が強盗団に襲われたんだ。それからその強盗団の頭領に拾われてって感じだよ。単なる成り行きだな」
「なぜ人攫いの馬車を? 効率が悪いように思えますが?」
「さぁな。正直そこんとこは知らねぇよ。俺が仲間になってからも人攫いのバスなんて襲った事ねぇからな。多分旅人の馬車とでも勘違いしたんじゃねぇか」
だとすれば、随分と身の入りの少ない襲撃だっただろう。
小遣い程度の金にガキが一匹ついてきただけなのだから。
「自由になって、街に帰ろうとは思わなかったんですか? それとも逃げる間もなく連れ去られたのですか?」
「そこらへんはもう憶えてない。ただ無理やり連れ去られたわけじゃねぇし、強盗として暮らしてて元の家に帰りたいなんて思った事は一度もなかったな。親の顔も憶えてねぇからからもしれねぇが」
傷付いた様子もなく、単なる昔話として話すグリモア。
そのまま流れとして、グリモアもマビナの過去を訊ねた。
「お前はどうなんだ? 生まれた時から神子なのか?」
「えぇ。神子は五年ごとに神からの宣託を授かり、十五になると役割を終え神の元へ誘(いざな)われます。そして神子が死ぬのと同時に国のどこかで白い髪を宿した胎児が生まれ、その赤ん坊は大聖殿に引き取られ神子として育てられます。私もその例に漏れず、物心ついた時には大聖殿で暮らしていたので、親の顔も知りません」
「親の顔も、ね……」
自分とは真逆でありながら、似たような不条理な境遇。
親元から強制的に引き離され、別の環境に放り込まれる。もし放り込まれた先が逆であったなら、立場と性格もまた、逆になっていたのだろうか。
そんな妄想を一瞬考え、グリモアは内心自分を鼻で笑う。
「十五で死ぬって、お前いまいくつだよ」
「先日十四になりました。あと一年ほどで、私は命を落とすでしょう」
「何だって! そんな馬鹿な!」
「いえ、本当です」
マビナの断言には一切の迷いがなかった。おそらく何百代も繰り返されてきた歴史なのだろう。
だからマビナは、命を捨てる事にあんなにも躊躇いがないのかもしれない。元々が短命であり、いつ死ぬかが昔から分かっているからこそ、死に対する恐怖が薄い。
「こんな事を言えばあなたは怒るかもしれませんが、神子というのはこの国を平穏に回すための人身御供。最大の被害者なのです」
憂いと悔しさを滲ませた声音。普段感情を見せないマビナなだけに、気持ちが込められた時の声には重みが宿る。
「生まれた時から神子としての人生を強要され、その役割を十五年全うしたのちに死ぬ。人である前に神子。人格すら無意味なものでしかありませんでした」
自分だけではなく、歴代の神子やこれから神子になる者達への同情や憐みもあるのだろう。自身のみの事ならば、おそらく彼女はこんな言い方をしない。
「加害者にして被害者か。忙しいもんだな」
「あなたの人生とは比べるべくもないかもしれませんね。衣食住には困った事がありませんし、命の危機に瀕した事もありませんから」
それはそうだろう。略奪で生計を立てていたグリモアは、殺しては殺されかけて生き抜いてきた。それを大聖殿の中で安穏と暮らしていた神子の人生と比較できるわけがない。
だからこそマビナの味わった苦痛も、グリモアにはまるで想像できない。
「きっとあなたにとってこの世界は、理不尽な人生の上にある不自由な箱庭だったのだと思います。けれど私にとってのあの大聖殿は、世界そのものであり、不自由も自由もない鳥籠でした」
土の天井を仰ぎ、寂しさを帯びた声音で呟くように語るマビナ。
グリモアにとっては仲間達が嫌いでありながらも家族であったのに対し、マビナにとって大司教や騎兵達は、嫌いでなくとも家族ではなかったのだろう。
「辛気臭い話はやめろ。こんな穴倉で気分まで落としてどうすんだよ」
なんと答えていいか分からず、グリモアはばっさりと話を切る。
そんな内心など伝わるわけもなく、マビナは表情を曇らせた。
「……すいません。気遣いが足りませんでしたね」
ばつの悪そうな顔で謝罪し、黙り込むマビナ。
ここで沈黙が続けばさらに暗澹たる気分に落ち込む事は予想に難くない。面倒な状況を避けるため、グリモアはため息をついて適当な話題を振った。
「そういやお前が上の小屋で歌ってたのはなんだ? 聖歌か?」
「いえ、あれは私が自分で作った歌です」
「作った?」
「えぇ」
意外な答えに顔を向けるが、マビナは逆方向に視線を逸らした。
その頬はわずかに赤いようにも見える。
「神子のスケジュールというのは綿密に決まっており、自由にできる時間は一日に一時間ほどしかないのです。ですからその時間を有効に使おうと考えれば、小屋の中でただ外を眺めるだけというのは非効率です。なので歌でも歌おうと思ったのですが、聖歌では味気ない上、気分転換という趣旨に反します。それならばと、試しに自分で作ってみたんです」
まるで言い訳でもするかのように早口にまくし立てるマビナ。
「人に聴かれると思って作ってはいないので、もし変に聴こえたのならそれは仕方のない事です。そもそも私は作曲の教育を受けていないので、上手に作れないのは当然なのです。もちろん最低限聴ける程度には作ったつもりですが、聴いてもらえる相手がいなければ歌の良し悪しというのは分からないもので、だから少しくらいおかしくなっていたとしても、それは私のせいではありません。分かりますか?」
「あ、あぁ」
喋っている内に熱が入ったのか、どんどんと顔を近付けながら話すマビナに若干引き気味になってグリモアは頷く。
そこでようやくマビナは、自分が男性に目と鼻の先まで迫っていた事に気付いたのか、慌てて離れコホンと咳払いした。
「すいません。見苦しいところをお見せしました」
迫力のある鉄面皮からいつもの冷めた澄まし顔に戻ったマビナだが、その顔はやはりどこか朱に染まっている風に見える。
「綺麗なもんだよ」
「えっ?」
「お前の歌声。歌自体も別におかしくない。歌の良し悪しなんて俺には分からねぇけどな」
マビナの意外な姿を見てか、珍しくグリモアが頭を掻きながら素直に称賛の意思を伝える。
マビナもグリモアの褒め言葉に驚き一瞬目を丸くしたが、ふっと息を吐いて小さく笑った。
「ありがとうございます」
初めて見るマビナの純粋な笑顔。そこに自嘲的な含みは一切なかった。
「……完全に凍ったわけでもなかったのか」
「何か言いましたか?」
「なんでもねぇよ」
思わず漏らした呟きを聞き取られ、ぞんざいに誤魔化す。
もうマビナの顔は元に戻っていたが、グリモアはあの笑顔をもう少し見ていても良かったと一瞬考えた。少なくとも、この何を考えているのか分からない無表情よりは随分マシだ。
「しかし作った、ね。歌詞とかはどうやって考えたんだ?」
「どうやってと訊かれても困るのですが、見える風景や気持ち、考えをそのまま反映させたつもりです。何分初めてだったので、要領が分からずつたなくなってしまいましたが」
歌に関してだけ、マビナの語調は弱い。
それだけでグリモアの気分は少し良くなった。
「踊りとかはつけねぇのか?」
「歌いながら踊るなんて、そんなはしたない真似はしません」
はしたないという価値観がグリモアにはよく分からなかった。仲間達は宴の際に決まって歌いながら踊っていたが、やはり神子さまと強盗如きでは、比べるのが根本的に間違っているのだろう。
「それに神子が舞を披露するのは、神への宣託を授かる儀式のみと決まっています。第一、上の小屋の広さで踊れるわけがないでしょう」
マビナがこれ見よがしにため息をつく。
馬鹿にされていると感じた瞬間、グリモアの口からは咄嗟に反論の言葉が飛び出した。
「人が住んでないからって呑気に歌ってる阿呆だからな。それくらいの莫迦はやっててもおかしくないと思っただけだ」
「阿呆呼ばわりされるのは心外です。私の歌を聴いて蝶のようにつられてきたあなたに」
「あんな叩けば落ちるような虫と一緒にすんな。撃ち抜くぞ」
「気に食わない点がずれている気がしますが……そもそもなぜ蝶と聞いて叩くという発想が最初に来るのですか? 野蛮過ぎます」
「お前が上品過ぎんだよ。箱入りが。つーかお前、蝶なんて見た事あんのか」
「本でなら見ました。その世間知らずを小莫迦にするような物言いはやめなさい」
罵倒とも言えない悪口をぶつけ、睨み合う二人。
復讐やら正義やらを語っていた時と違い、その姿は年相応の子供そのものだった。
「そもそもあなたは出会った当初から品がなさすぎます。人の小屋に図々しく入ってきておいて、あのふてぶてしい態度はなんですか?」
「あれはテメェの小屋じゃねぇだろうが。空き家を勝手に占領しておいて、ふてぶてしいのはどっちだよ」
「あの空き家は元々神子の逃走経路のカモフラージュとして作られたものです。ですから私のものと言ってなんら差し支えはありません」
「その逃走経路で暇潰しに歌ってんだから、図々しい事に変わりねぇだろ」
「あれは気分転換です。暇を持て余していたわけではありません。そもそもノックもせずにいきなり人の家の扉を開けたあなたが、私を卑下できる立場にいると思っているのですか?」
「自分の事を棚上げしてんのはお互い様だろうが。お前こそ俺の事言える立場なのかよ」
傍から見ればどっちもどっちの言い合いを、至って真剣に続ける二人を仲裁するかのように、地上から鐘の音が響き渡る。
それは一日の日の出と日の入りを報せる鐘。つまりもう外では日が昇ったのだろう。
もう一度鐘が鳴れば、いよいよこの通路を出て命懸けの逃避をする事になる。
「あと一日ですね」
先程までとは打って変わり、遠い目をして天井を見上げるマビナの静かな声。
「そういえばまだ、私の方から言っていませんでしたね」
マビナが視線を移し、真っ直ぐグリモアの瞳を見据える。
「もう一度、私を誘拐してください。グリモア」
「ふん」
まだここから出るわけでもないのに、気の早いマビナの頼みをグリモアは鼻で笑う。
だがそこに侮蔑の色はなかった。
「お前が泣き叫んで拒絶しようが、俺のする事は変わらねぇ。俺は俺のために、この国を撃ち抜いてやるよ」
以前とはまるで違い、強い目的を持って二人は同じ場所を目指す。
絶望的な悲劇を胸に抱きながら。
暗い地下通路から出て見上げた空にはまん丸い満月が浮かんでいた。
久々の外出というわけでもない。用を足したりなど必要に迫られた時は、人気のないタイミングを狙って細心の注意を払いながら地上に上がってくる事はあった。
違っているのは心構え。
ある程度安全な場所にこもるのではなく、そこから飛び出し危険な逃避行をする覚悟。もう逃げ帰ったり隠れたりする場所はない。
感慨に耽る事なく二人は早速移動を開始した。細かい段取りは隠れている間に済ませてある。
日が沈んでからそれなりの時間が経っているとはいえ、人気が皆無というわけではない。物音や人影に気をつけながら不自然にならない程度に避け、顔を見られないよう馬を泊めている場所に向かう。
その際グリモアとマビナは意思をより早く伝達するために手をつないでいたが、お互いを異性として意識する事はなかった。そういうものに気を割ける状況でもなければ、性欲や恋愛感情などに振り回されるような人生を、二人とも送ってはいない。
気配を絶ちながら街の中を進み、数分で目的地に辿り着く。
周囲に誰もいない事を確認したグリモアは、マビナの手を引いて素早く馬に乗る。その時、少し気が抜けるのと同時に、いきなり横合いから声が掛けられた。
「ようやく来たんだね」
条件反射でコルトウォーカーを構えながら振り返り、マビナの手を離して銃口を向ける。
しかしその人物はグリモアに慌てる事なく、害意はないとばかりに静かに両手を上げた。
「あたしだよ、グリモア」
そのたった一言で、一片の躊躇いもなく撃ち抜かれようとしていた殺意の銃が静止する。
そのままの姿勢でグリモアは暗がりにいる目の前の相手を凝視した。
「……カミラ」
久しぶりとも言えない仲間の名前を呟く。
呼ばれたカミラは口元を歪めて笑みを零した。
「元気そうで何よりだね」
「なんでお前がここにいる?」
「最初にするべき質問はそれかい?」
問い返されグリモアは眉根を寄せるが、コルトウォーカーをホルスターに戻して、少しだけ考え込むと、別の疑問を口にした。
「俺が今日ここに来るとなぜ分かった?」
「妥当な問いだね」
正解といわんばかりに笑みを深めるカミラ。
「あんたが消えた時点で、復讐のためにこの街に来るのが予想できたから慌てて追いかけてきたんだよ。けどいつどんな方法で復讐するのかまでは推測できなかったんで、とりあえず逃走経路から押さえたのさ。成功したら逃げてくるだろうし、失敗したら晒し首くらいにはなるはずって読みだね。そんであんたが逃げそうな時間帯だけ狙ってここで見張ってたってわけ。中々現れないもんだから、もう死んでるかと思ったよ」
簡潔にここまでの経緯を説明し、間をおいてカミラはため息をついた。
「本当は手伝いたかったんだけど、あんたがどこにいるか分からなくてね。……一人で勝手に飛び出した事、怒っていい?」
「自分の感情に他人の許可求めてどうすんだよ」
「それもそうだね」
苦笑しながら一つ頷いて、無言で殴り掛かるカミラの拳を当然のようにグリモアはかわした。
「なんでよけるのさ」
「どうして俺がお前の怒りを晴らすために殴られなきゃなんねんだよ。大体、俺の復讐をお前に許可取る義務なんかねぇだろうが」
「礼儀も恩も知らないのかい、あんた」
「強盗にそんなもん求めるんじゃねぇよ」
こめかみを震わせるカミラに背を向けて、マビナの元へ戻る。
「グリモア。そいつもしかして……」
外套を頭から被っているため顔の識別ができないマビナを指差して、カミラが不審を隠そうともしない声を出す。
「お前の予想してる通りだ」
誰がどこで聞いているか分からないので、神子という単語を出さずにグリモアは答える。
しかしその返答を聞いたカミラに、周りを気にする余裕は失われていた。
「なんで一緒にいるんだい! その女のせいであたし達がどんな目に遭ったのか、あんたが一番分かってるはずだろ!」
「落ち着けカミラ。大声出すな」
「落ち着けるわけないさ! そいつは今すぐ殺すべきだよ! じゃなきゃ死んでいった仲間達が……」
怒り狂ってがなり立てるカミラの頬を、グリモアの投げた投擲用のナイフが掠める。
声を出す気勢を奪われカミラに、グリモアの冷たい視線が突き刺さる。
「うるさいんだよ。騒ぎになって人が来たら厄介だから言ってんだ。いい加減にしねぇと撃ち抜くぞ」
グリモアの殺気に、冷静さを欠いていたカミラの顔から血の気が引く。
準備をし終えたグリモアは馬の頭を撫でながら、黙り込んだカミラに声を掛けた。
「その説明は移動がてらしてやる。いまはとりあえず、とっととこの街から出るぞ」
「待ってください」
マビナが呼び止める。
「どうした?」
マビナは辺りをきょろきょろと見渡し、誰もいない事を確認すると頭から外套を外した。
「グリモア。先程のナイフはまだありますか?」
マビナが何をしたいのか分からず目を細めるグリモアだったが、何も訊かずに持っていたナイフを渡した。
「ありがとうございます」
お礼を言い、深呼吸をするマビナ。
心なしか表情を険しくしたマビナは、片手で後ろ髪を掴むと、借りたナイフで首元から下の髪をバッサリと切り落とした。
驚きに目を見開くグリモアやカミラに向かい合い、断髪した髪をマビナは胸元で握り締める。
「この長さなら充分帽子で隠せるでしょう。騎兵以外の目は、これで誤魔化せるはずです」
神子の証明でもある長く美しい白髪をその手に、マビナは決意のこもった誓いを口にする。
「行きましょう。この国を変えます。それがどんな変化で、どんな結果になろうとも」
その宣言は気高く神聖なこの国の象徴たる神子のものではなく、覚悟を決めた一人の強い少女のものだった。
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