オー、ブラザーズ!

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第3話 戦車長の仕事

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 十、九、八、七、六、五……。

 ジョンは砲塔内の壁に埋め込まれた時計を見つめて数えていた。他の戦車との戦闘の真っただ中。再び主砲から砲弾を放つために砲身内へ入るのだ。

 ……四、三、二、一、よし!

 彼は戦車砲の蓋を開けると、円く空いた空洞へ滑り込む。専用の布で少しずつ周りを拭きながら這い進む。左右両方から、ダダダダダ、ダダダダダ、という機関銃の音が響き、ガタガタと砲身が振動する。はじめは小さな点のようだった外の光が、徐々に徐々に大きくなり、どんどんどんどん眩しさが増す。そして目の前いっぱいに明るさが広がった時――
 相手の戦車の上で白旗がはためいているのが見えた。勝ったんだ。
 ジョンはすぐさま砲身内を這って砲塔へ戻った。バード戦車長と二人の砲手は抱き合って喜びを分かち合っていた。
「やりましたね!」
 戦車砲から顔を出してジョンが言うと、戦車長がすぐにやって来て手を貸してくれた。
「お前もよくやったよ」
 ジョンをしっかり立たせると、彼は仲間たちに、ちょっと行ってくる、と告げて砲塔から出ていった。

 戦闘が終わると戦車長同士が交渉を行う。そこで勝った方の戦車長が必要な物資と金を要求し、負けた方が応じれば交渉は成立だ。すぐに要求された品々が勝利した戦車に運び込まれる。この交渉と少年たちの売買の際、そして武具の仕入れの際は交戦してはいけないという暗黙のルールがあった。

 この戦車にやって来て一年が過ぎた。その間、ジョンはずっとデレクの戦車はいないかと探していた。これまで何度も何度も他の戦車と戦ったし、砂漠を進むのを遠くに見てきたけれど、しかし、あの不吉な影を思わせる黒い戦車はどこにもなかった。
 その代わり、赤い戦車はしょっちゅう見かけた。戦車の改造が進まない彼らは、どの戦車が相手でもまともに戦って勝ち目はない。だから、戦車同士が戦うのをこっそりとうかがい、交渉まで終わって油断しているところに奇襲攻撃をかけている。バード戦車長は彼らのそういうやり方をよく知っていたため、常に赤い戦車を警戒していた。
 戦車砲掃除兵らしき少年の姿もあった。はじめのうちは共に売られてきたあの少年がいたのだが、いつからか別の少年に代り、その少年すら気がついた時には別の子になっていた。戦車長の言葉を思い出すと、胸が切りつけられたように痛む。新しく来た少年も、戦車を隅々まで磨き上げろ、という不毛な作業をさせられているらしく、炎天下の中、あるいは冷たい夜の元、比較的小ぶりとはいえ巨大な戦車をひたすらこすり続ける様子をよく見かけた。その度に、誰かしら大人がやって来ては彼に暴力を振るう。時には彼を引っ掴み、いかつい車体に押し付け、ぼろ雑巾のようにごしごしと動かして戦車を拭くまねごとをしてゲラゲラと笑っていた。灼熱の太陽に焼かれた鉄に押し付けられるのだ。きっと火傷を負っているに違いない。ひと通り暴行すると大人たちは去っていき、彼はまた終わるはずのない作業を黙々と続けていた。
 ジョンはひどいことをされている少年を目の前にして、何一つしてやれない自分が歯がゆくて情けなくて、心が潰されるみたいだった。その思いはデレクへと繋がっていく。彼もあの少年のような目にあってはいないだろうか? 暴力を振るわれたり、ひどい重労働を強いられたりしていないだろうか? そう思うと心配で仕方がなく、すがるような気持ちでどこかに黒い戦車の姿は見えないかと、遠くまで目を凝らしていた。
 
 ジョンはというと、この一年、驚くほどに良くしてもらってきた。赤い戦車の少年たちと同じ掃除兵とは思えないくらいだ。
 確かに、戦車砲の掃除は大変な仕事で、ジョンの肘と膝はすっかり黒ずみ、周囲よりも厚ぼったくなってはいた。それでもバード戦車長は彼の体をひどく気にかけ、週に一回はドクターに診せてくれたし、時には彼が咳き込んだり傷の痛みに顔をしかめたりするだけで、他の戦車との戦闘を避けることもあった。
 自分のためにこの戦車全体の計画がくるっているのかと思うと申し訳がなく、加えて「戦車長はジョンに甘すぎる」と言いたげな乗員たちの視線もいたたまれず、ジョンはある時、戦車長に切り出した。
「戦車長、ぼくは大丈夫だから、予定通りに戦ってください」
 戦車長の眉間に怪訝そうな気配が漂う。
「なんだ? 急に」
「ぼく……戦車長はぼくに良くしすぎだと思うんです。たぶん、周りのみんなもそう思ってます」
 戦車長は、ちょっと目を見張ってから、声を上げて笑い出した。
「なんだ、そんなこと気にしてたのか。別にいいんだよ。そもそも、オレが予定を変えんのはお前のためだけじゃない。それは自惚れってもんだ」
 気風のいい戦車長の様子に、自分の考えていたことがひどく小さなことに思えて、恥ずかしくなった。顔に熱さが上ってくるのを感じて、うつむく。すると戦車長が大きな手のひらでポンポンと肩を叩いてくれた。
「オレはな、いつでも予定通りの戦いができるほど暇じゃないんだよ。それに戦闘の前に戦車の修理が必要になったり、他の戦車同士の戦況や走ってる場所によっちゃ、戦いは避けた方がいい場合だってある。お前が思ってるより、色々あんだよ」
 戦車長の口ぶりは優しかったけれど、ジョンは決まり悪くなってしまった気持ちを上手く建て直すことができずにいた。
「でも、気にしてくれて、ありがとうな」
 戦車長がそう言ってくれて、ようやく、すとんと心の置き場ができた。ジョンは顔を上げると努めて笑顔で返した。
「ぼくの方こそ、ありがとう。変なこと言ってごめんなさい。でも、話聞けてちょっとすっきりしました」
 戦車長も目尻にたくさんの皺ができるくらいおおらかな笑顔を向けてくれた。

 バード戦車長の言葉のどこまでがジョンへの思いやりなのかは分からなかったけれど、もうジョンには何も言えなかった。たとえ周りの目が気になったとしても、戦車長の優しさは、ちゃんと受け取るべきだと思ったのだ。
 それに戦車長が忙しいというのは、ほとんど砲塔階から出ないジョンにだって分かった。戦車長は砲塔にいる時でも常に無線機を手放さず、それが正しいと裏付けるようにひっきりなしに連絡がきた。戦車のどこそこが故障したとか(かなりの頻度で故障箇所はキャタピラのようだった)、食糧がねずみに荒らされたとか、荷物の積み下ろしに人手が足りないとか、事故で乗員が怪我をしたとか、進路前方にコヨーテの群れがいるとか、果ては誰かと誰かが殴り合いの喧嘩を始めただとか。その度に戦車長は飛んで出ていき、なんとか解決しようとあれこれと策を考え、乗員たちに指示を出していた。そうして問題が一段落すると、また砲塔階へ戻ってきて作業の続きに取りかかる。一台の戦車と言えども、そこには一般民や厨房員、戦闘員、その他専門知識を持った人々など、乗員は五十人を超えている。それを取りまとめ、皆が安定した生活を送れるように環境を整えるのは、想像以上に大変なことなのだ。いつでも戦闘が可能であるわけはない。
 一年の月日で、ジョンはバード戦車長という人の器の大きさを知っていった。そして思った。きっとこの人なら、デレクを見つけ出す手助けをしてくれるに違いない。その希望が意外な形で叶うとは、考えもしなかったけれど。
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