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婚姻話
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イライアスはわずかに眉をあげて答えた。
「それは以前、使者を通してお断り申し上げたはずですが」
「ええ、一生結婚する気はないと。ですがそんな事、この都では許されませんことよ。頂点に立つあなたが、世継ぎを残さないなんて」
「頂点に立っているのは陛下です。私はただの宰相にすぎません」
「でも、政も兵も、すべて握っているのは実質あなただわ。それなのに、あなたの正室の座はカラ。どの貴族も、あなたのもとに娘を嫁がせたがっているわ」
「もったいないお話です。私は生涯娶らずの誓いを神に立てています。側妃ならば、ぜひ陛下に」
淡々とそう答えたイライアスをのぞき込むようにして、夫人は言う。
「そう、誓いね。それがあるから、誰も強く出れなかったっていうのに――あなたってば、こっそり女を囲い始めたわね? これは卑怯なんじゃなくって? それなら我が一族の娘も、正室に迎えてもらいたいものよ」
なぜ、もうこの女にまで知られているのだ。苦虫をかみつぶすような思いでイライアスは首を振った。
「囲ってなどいませんよ。ただ預かっているだけで」
夫人は訳知り顔で囁く。
「あらでも、ソーンフィールド家のご令嬢なのでしょ? 大層な身分だわ? 預かっているってどういうご関係なのかしら。お聞かせくださるかしら」
もう、そんな事まで知られている。こういう時、言質を取られてはおしまいだ。イライアスは慎重に答えた。
「……ただ、身元を引き受けている、それだけの話です」
「身元。つまり面倒を見て……扶育しているということかしら?」
「……そうです」
「ゆくゆくは、どこぞの貴族に嫁がせる……ということ? それならわたくし、よい殿方を紹介いたしましてよ」
「それは……」
どう言い抜けるか考えるイライアスに、夫人は優しく言った。
「ホホ、ごめんなさいね。別にいいんですのよ、そのご令嬢を愛していようと。ただ正室には誰か迎えていただきませんと。うちの娘は、もうその気ですわ。イライアス様に一目ぼれしたというんですの。生意気に――ホホ!」
なおも黙り込むイライアスに、夫人は畳みかけた。
「あなたもあの子をご存じでしょう。リティシアは我が子ながら、よい娘ですわ。バーンズ様に尽くしますわ。どうか受け入れてやってちょうだい」
彼女の事は知っていた。無理やりセッティングされた会合で、顔を合わせた事がある。この都随一の美貌をうたわれている娘だったが、しかしイライアスの心が動くことはなかった。
今まで何不自由なくかしずかれてきた彼女は、そのイライアスの態度を見て、かえって意地になってしまったようだった。
(冗談じゃない……ミランダ家などの言うままになるのは)
リティシアの父・ドミトリーとイライアスは、はっきりと敵対していた。古くからの貴族であるこの一家はしかし、老獪な手を使ってイライアスを取り込み、降参させようとあの手この手を使ってきていた。
――今更、その手を食うイライアスではない。
「もったいないお話ですが、私ごときにミランダ家のご令嬢は釣り合いません。何と言っても私は、田舎の騎士の子せがれでしかない。とんでもない事です」
「あらそれなら、うちの分家の方の娘はどう? いい子がいるのよ――」
ちょうどその時、従者がドアをノックした。イライアスは助かったと思いながら部屋を出た。
「バーンズ様、陛下がお呼びです。シャーウッド卿のご子息の裁断について……」
廊下を足早に歩きながら、イライアスはうなずいた。
「わかった。5会議を開くから、他の者も集めてくれ」
「承知しました。それから控えの前に数名お目通りを待つものがおります。あと……」
数件用事を伝えたあと去ろうとした従者に、イライアスは早口で告げた。
従順な彼はなんの含むところもなくうなずいた。
「承知しました。あの……ご夫人には、お引き取りいただきますか」
ちらりと後ろの方、執務室のドアを見て、従者が聞く。そこにはまだ彼女がたたずんでいて、こちらをにらんでいた。イライアスはまたため息をつきたくなる。
ミランダ夫人はヘンリエッタの身元を知っていた。このままいけば、ソーンフィールド家が黙っていないだろう。ヘンリエッタの所有権を主張し、我が物顔で白樺の屋敷に乗り込んでくるかもしれない。
(そうなったら……)
どうすれば、彼女を引き渡さないで済むだろうか。そう考えている事に気が付いて、イライアスははっとした。
(待て、どうして俺は、こんなに気をまわしているんだ)
彼女に情けをかけたのは、あくまでたまたま、だったはずだ。手元に置いて面倒を見るのも、冬が終わるまで。いつでも手放せる。そういう約束だったはずなのに。
それなのに――彼女を奪われるかもしれないと思うと、そうさせないための方策を考えている自分がいる。
キラキラした感謝の目。飴をおいしそうに食べる顔。あざだらけの小さな手。
それらを思い出すと、胸の奥が締め付けられたかのような心地がする。そして、自分の中に、まだそんな事を感じる心が残っていたのかと、いささか驚く。
(この私が……今更、そんな)
あんな娘一人、どうなったっていい――。そう思う事が、できなくなっていた。
うつむいて、深いため息をつく。
「バーンズ様? どうされましたか」
従者にそう聞かれて、バーンズはあきらめたように告げた。
「仕立て屋に服を作らせて、白樺の屋敷に届けさせろ。裁量は任せる。それからヘイデンを呼べ」
「それは以前、使者を通してお断り申し上げたはずですが」
「ええ、一生結婚する気はないと。ですがそんな事、この都では許されませんことよ。頂点に立つあなたが、世継ぎを残さないなんて」
「頂点に立っているのは陛下です。私はただの宰相にすぎません」
「でも、政も兵も、すべて握っているのは実質あなただわ。それなのに、あなたの正室の座はカラ。どの貴族も、あなたのもとに娘を嫁がせたがっているわ」
「もったいないお話です。私は生涯娶らずの誓いを神に立てています。側妃ならば、ぜひ陛下に」
淡々とそう答えたイライアスをのぞき込むようにして、夫人は言う。
「そう、誓いね。それがあるから、誰も強く出れなかったっていうのに――あなたってば、こっそり女を囲い始めたわね? これは卑怯なんじゃなくって? それなら我が一族の娘も、正室に迎えてもらいたいものよ」
なぜ、もうこの女にまで知られているのだ。苦虫をかみつぶすような思いでイライアスは首を振った。
「囲ってなどいませんよ。ただ預かっているだけで」
夫人は訳知り顔で囁く。
「あらでも、ソーンフィールド家のご令嬢なのでしょ? 大層な身分だわ? 預かっているってどういうご関係なのかしら。お聞かせくださるかしら」
もう、そんな事まで知られている。こういう時、言質を取られてはおしまいだ。イライアスは慎重に答えた。
「……ただ、身元を引き受けている、それだけの話です」
「身元。つまり面倒を見て……扶育しているということかしら?」
「……そうです」
「ゆくゆくは、どこぞの貴族に嫁がせる……ということ? それならわたくし、よい殿方を紹介いたしましてよ」
「それは……」
どう言い抜けるか考えるイライアスに、夫人は優しく言った。
「ホホ、ごめんなさいね。別にいいんですのよ、そのご令嬢を愛していようと。ただ正室には誰か迎えていただきませんと。うちの娘は、もうその気ですわ。イライアス様に一目ぼれしたというんですの。生意気に――ホホ!」
なおも黙り込むイライアスに、夫人は畳みかけた。
「あなたもあの子をご存じでしょう。リティシアは我が子ながら、よい娘ですわ。バーンズ様に尽くしますわ。どうか受け入れてやってちょうだい」
彼女の事は知っていた。無理やりセッティングされた会合で、顔を合わせた事がある。この都随一の美貌をうたわれている娘だったが、しかしイライアスの心が動くことはなかった。
今まで何不自由なくかしずかれてきた彼女は、そのイライアスの態度を見て、かえって意地になってしまったようだった。
(冗談じゃない……ミランダ家などの言うままになるのは)
リティシアの父・ドミトリーとイライアスは、はっきりと敵対していた。古くからの貴族であるこの一家はしかし、老獪な手を使ってイライアスを取り込み、降参させようとあの手この手を使ってきていた。
――今更、その手を食うイライアスではない。
「もったいないお話ですが、私ごときにミランダ家のご令嬢は釣り合いません。何と言っても私は、田舎の騎士の子せがれでしかない。とんでもない事です」
「あらそれなら、うちの分家の方の娘はどう? いい子がいるのよ――」
ちょうどその時、従者がドアをノックした。イライアスは助かったと思いながら部屋を出た。
「バーンズ様、陛下がお呼びです。シャーウッド卿のご子息の裁断について……」
廊下を足早に歩きながら、イライアスはうなずいた。
「わかった。5会議を開くから、他の者も集めてくれ」
「承知しました。それから控えの前に数名お目通りを待つものがおります。あと……」
数件用事を伝えたあと去ろうとした従者に、イライアスは早口で告げた。
従順な彼はなんの含むところもなくうなずいた。
「承知しました。あの……ご夫人には、お引き取りいただきますか」
ちらりと後ろの方、執務室のドアを見て、従者が聞く。そこにはまだ彼女がたたずんでいて、こちらをにらんでいた。イライアスはまたため息をつきたくなる。
ミランダ夫人はヘンリエッタの身元を知っていた。このままいけば、ソーンフィールド家が黙っていないだろう。ヘンリエッタの所有権を主張し、我が物顔で白樺の屋敷に乗り込んでくるかもしれない。
(そうなったら……)
どうすれば、彼女を引き渡さないで済むだろうか。そう考えている事に気が付いて、イライアスははっとした。
(待て、どうして俺は、こんなに気をまわしているんだ)
彼女に情けをかけたのは、あくまでたまたま、だったはずだ。手元に置いて面倒を見るのも、冬が終わるまで。いつでも手放せる。そういう約束だったはずなのに。
それなのに――彼女を奪われるかもしれないと思うと、そうさせないための方策を考えている自分がいる。
キラキラした感謝の目。飴をおいしそうに食べる顔。あざだらけの小さな手。
それらを思い出すと、胸の奥が締め付けられたかのような心地がする。そして、自分の中に、まだそんな事を感じる心が残っていたのかと、いささか驚く。
(この私が……今更、そんな)
あんな娘一人、どうなったっていい――。そう思う事が、できなくなっていた。
うつむいて、深いため息をつく。
「バーンズ様? どうされましたか」
従者にそう聞かれて、バーンズはあきらめたように告げた。
「仕立て屋に服を作らせて、白樺の屋敷に届けさせろ。裁量は任せる。それからヘイデンを呼べ」
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