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キャンディひとつ
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「ええと……バーンズ宰相様、ですよね」
「ファーストネームは?」
「イライアス様、ですよね。すみませんでした……」
申し訳ないと思ったヘンリエッタは頭を下げた。
「……なぜ謝る」
「使用人なのに、雇い主様のお名前を把握してないなんて……。申し訳なかったです」
すると彼は、少し声を落としていった。
「いや、俺も名乗っていなかった。イライアス・バーンズと」
難しそうな響きの名前だ。ヘンリエッタはその名をふたたび脳内に刻み込んだ。
「イライアス・バーンズ様……ですね。ありがとうございます」
「イライアス、で構わない」
そう言われて、ヘンリエッタは意外に思った。普通、高貴な方々は、使用人にファーストネームを呼ばせたりしない。
「え……良いのですか」
「ここでも宰相と呼ばれると、まだ仕事をしているような気持ちになる」
そう言われて、ヘンリエッタは得心がいった。たしかに堅苦しい気持ちになるかもしれまい。
「それも……そうですよね。わかりました、イライアス様」
ヘンリエッタはニッコリ笑って彼を見上げた。
「そうだ、今日のお夕食はどうなさいますか。ラム肉のローストになりますが」
彼――イライアスの表情は変わらない。しかしその身の周りの空気がふと緩んだような、気がした。
とくにほめることも笑顔になる事もしないが、イライアスは今日も、ヘンリエッタの作った食事をすべて平らげた。きれいになったお皿を下げながら、ヘンリエッタは何気なく言った。
「召し上がってもらえてうれしいです。大した料理ではありませんが……」
「十分食べれる」
短くそう答えた彼に、ヘンリエッタは照れ笑いをした。
言葉の内容とは裏腹に――なんだかとても褒められたような気がして。
(だって私の料理なんて、ド素人で……いつも食べているものに比べたらお粗末なはずなのに)
それなのに、文句ひとつ言わずすべて食べてくれるのだ。ヘンリエッタは純粋に嬉しかった。顔をくしゃっとさせて、頭を下げる。
「ありがとうございます。もっと上手になれるよう、努力しますね。よかったらまた、食べにきてください」
そう言うと、イライアスはヘンリエッタの前に小さな包みを差し出した。
「これは……?」
「お前にやる」
おっかなびっくり、ヘンリエッタは可愛らしいその包みを手に取った。赤いリボンが結んである。開いてみると、中には――
「あ、カラメルの……キャンディ?」
中には、おいしそうな深い琥珀色の飴が入っていた。
ヘンリエッタははっと気が付いた。そう言えばこの間、カラメルの焦げが好きだ、とイライアスに言った気がする。
「もしかして……私の、ために?」
すると彼は憮然をした顔で言った。
「それ以外に、何がある」
びっくりしながらキャンディを見つめるヘンリエッタに、イライアスはわずかに言い訳するような口調で言った。
「お前には、ハンカチの借りもあるから」
一瞬なんのことを言われたのかわからなかったが、最初に渡したハンカチのことかと思い当たってヘンリエッタは首を振った。
「そんな。お気になさらないでください。粗末なハンカチでしたから」
ヘンリエッタがそういうと、イライアスはちら、とこちらを見た。
「食べないのか」
「えっ、あ、もちろんいただきますよ! でも……」
自分で食べる前に、ヘンリエッタは包みをイライアスに差し出した。
「イライアス様も、おひとついかがですか。」
するとイライアスは少しためらったが、一粒飴を取って口に入れた。
「お前も食べろ」
目の前でいいのだろうか。そう思いつつもヘンリエッタも飴をもらった。
ころん、と口の中に入った瞬間に、ほろ苦く甘い、砂糖を焦がした味が広がる。鍋の底に焦げていたものとは違い、まろやかでよい香りの甘さだった。ヘンリエッタの口元が緩む。
「ああ、おいしいですねぇ……」
飴を食べるなんて、何年ぶりだろう。それころ亡き母に昔もらって以来かもしれない。ヘンリエッタはその濃厚な甘さをかみしめながら、目を閉じてしばし感じ入った。
「そんなにか」
たかが飴ひとつで、と言いたげなイライアスの声に、ヘンリエッタはうなずいた。
「はい。こんな甘くておいしいものを食べるのは久しぶりです。何からなにまで……ありがとうございます、イライアス様」
するとイライアスはおもむろに立ち上がった。
「あ、お帰りですか? お見送りを……」
「必要ない」
さっさと歩き出したイライアスだったが、ドアの前でいったん止まり、手短につぶやいた。
「また来る」
「え……? しょ、承知いたしました」
「困りますわよ、バーンズ様」
朝いちばん執務室に入ったら、すでにイライアスを待っている者がいた。ため息をつきたくなるのを押し隠しながら、イライアスは無表情で彼女に声をかけた。
「なにがですか、レディ・ミランダ」
「わたくしの娘との婚姻はどうなっているのでしょう? このままでは行き遅れてしまいますわ」
「ファーストネームは?」
「イライアス様、ですよね。すみませんでした……」
申し訳ないと思ったヘンリエッタは頭を下げた。
「……なぜ謝る」
「使用人なのに、雇い主様のお名前を把握してないなんて……。申し訳なかったです」
すると彼は、少し声を落としていった。
「いや、俺も名乗っていなかった。イライアス・バーンズと」
難しそうな響きの名前だ。ヘンリエッタはその名をふたたび脳内に刻み込んだ。
「イライアス・バーンズ様……ですね。ありがとうございます」
「イライアス、で構わない」
そう言われて、ヘンリエッタは意外に思った。普通、高貴な方々は、使用人にファーストネームを呼ばせたりしない。
「え……良いのですか」
「ここでも宰相と呼ばれると、まだ仕事をしているような気持ちになる」
そう言われて、ヘンリエッタは得心がいった。たしかに堅苦しい気持ちになるかもしれまい。
「それも……そうですよね。わかりました、イライアス様」
ヘンリエッタはニッコリ笑って彼を見上げた。
「そうだ、今日のお夕食はどうなさいますか。ラム肉のローストになりますが」
彼――イライアスの表情は変わらない。しかしその身の周りの空気がふと緩んだような、気がした。
とくにほめることも笑顔になる事もしないが、イライアスは今日も、ヘンリエッタの作った食事をすべて平らげた。きれいになったお皿を下げながら、ヘンリエッタは何気なく言った。
「召し上がってもらえてうれしいです。大した料理ではありませんが……」
「十分食べれる」
短くそう答えた彼に、ヘンリエッタは照れ笑いをした。
言葉の内容とは裏腹に――なんだかとても褒められたような気がして。
(だって私の料理なんて、ド素人で……いつも食べているものに比べたらお粗末なはずなのに)
それなのに、文句ひとつ言わずすべて食べてくれるのだ。ヘンリエッタは純粋に嬉しかった。顔をくしゃっとさせて、頭を下げる。
「ありがとうございます。もっと上手になれるよう、努力しますね。よかったらまた、食べにきてください」
そう言うと、イライアスはヘンリエッタの前に小さな包みを差し出した。
「これは……?」
「お前にやる」
おっかなびっくり、ヘンリエッタは可愛らしいその包みを手に取った。赤いリボンが結んである。開いてみると、中には――
「あ、カラメルの……キャンディ?」
中には、おいしそうな深い琥珀色の飴が入っていた。
ヘンリエッタははっと気が付いた。そう言えばこの間、カラメルの焦げが好きだ、とイライアスに言った気がする。
「もしかして……私の、ために?」
すると彼は憮然をした顔で言った。
「それ以外に、何がある」
びっくりしながらキャンディを見つめるヘンリエッタに、イライアスはわずかに言い訳するような口調で言った。
「お前には、ハンカチの借りもあるから」
一瞬なんのことを言われたのかわからなかったが、最初に渡したハンカチのことかと思い当たってヘンリエッタは首を振った。
「そんな。お気になさらないでください。粗末なハンカチでしたから」
ヘンリエッタがそういうと、イライアスはちら、とこちらを見た。
「食べないのか」
「えっ、あ、もちろんいただきますよ! でも……」
自分で食べる前に、ヘンリエッタは包みをイライアスに差し出した。
「イライアス様も、おひとついかがですか。」
するとイライアスは少しためらったが、一粒飴を取って口に入れた。
「お前も食べろ」
目の前でいいのだろうか。そう思いつつもヘンリエッタも飴をもらった。
ころん、と口の中に入った瞬間に、ほろ苦く甘い、砂糖を焦がした味が広がる。鍋の底に焦げていたものとは違い、まろやかでよい香りの甘さだった。ヘンリエッタの口元が緩む。
「ああ、おいしいですねぇ……」
飴を食べるなんて、何年ぶりだろう。それころ亡き母に昔もらって以来かもしれない。ヘンリエッタはその濃厚な甘さをかみしめながら、目を閉じてしばし感じ入った。
「そんなにか」
たかが飴ひとつで、と言いたげなイライアスの声に、ヘンリエッタはうなずいた。
「はい。こんな甘くておいしいものを食べるのは久しぶりです。何からなにまで……ありがとうございます、イライアス様」
するとイライアスはおもむろに立ち上がった。
「あ、お帰りですか? お見送りを……」
「必要ない」
さっさと歩き出したイライアスだったが、ドアの前でいったん止まり、手短につぶやいた。
「また来る」
「え……? しょ、承知いたしました」
「困りますわよ、バーンズ様」
朝いちばん執務室に入ったら、すでにイライアスを待っている者がいた。ため息をつきたくなるのを押し隠しながら、イライアスは無表情で彼女に声をかけた。
「なにがですか、レディ・ミランダ」
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