上 下
18 / 28

どこにでもいる、普通の娘

しおりを挟む
 なぜ、昨日は顔を出してしまったんだろう――。そう思いながら、宰相バーンズは日中城での仕事に当たっていた。
(彼女には、レイズをつけている。私自身が動向をたしかめにいく必要など、ないのに)
 そして、彼女に夕食までふるまわれてしまった。
 子猫の件は、お忙しい中悪いです、とか、そんな事は申し訳ない、と彼女はぐずぐず言っていたが、結局は了承し、任せるとバーンズに言った。
 ヘンリエッタに聞いた通りに従者に伝え、従者は無事、白い子猫を捕獲して帰ってきた。
「捕まえてきました。おっしゃる通り、広場の街頭の下で餌をもって待っていたら、ひょこっと現れました」
「……ご苦労。この事は他言無用で」
「は、はい」
 従者の青年はそう言って、足早に宰相の部屋を辞した。かごの中で子猫は縮こまり、こちらを警戒しているようだった。
(……おびえているな)
 ヘンリエッタはずいぶんと、この猫を大事にしていたようだった。何しろ最初に出会ったときも、この猫を連れていたからだ。あの時の無邪気な顔をおもい出して、バーンズはため息をついた。
(ヘンリエッタ・レイン……。ソーンフィールド侯爵の、妾腹の長女、か)
 彼女の名乗った名前がひっかかっていたバーンズは、人を使って彼女の出自を調べさせた。最初彼女が現れた路地から想像すれば、彼女のいた屋敷を推理するのは簡単な事だった。予想通り、彼女はソーンフィールド家で継母と義兄に使用人として扱われ、時々残酷な仕打ちを受けていたようだった。あの手のあざが、それを物語っていた。
(だが……あの娘、不思議と)
 悲壮な影はなかった。掃除の腕はなかなかのようだったが、見せる表情はあくまで年相応のもの。無邪気だがよく気はつき、バーンズにも時折笑顔を見せる。
 つまり、どこにでもいる普通の、気立ての良い娘だ。特別なものはもっていないし、政治的に利用できるような身分でもない。
――なのになぜ、彼女を引き留めてしまったのだろうか。その事を考えようとすると、胸の奥が軋むような感覚を覚える。
 そして、ふとヘンリエッタの言っていた事を思い出す。『猫を、助けたいのです。野良猫だったけれど、私によくなついていたのです』と彼女は必死に、子猫への思いと、彼がどんな危険にさらされているかを必死にバーンズに説明していた。
(そうだ……道端で一度助けた野良猫に、彼女は執着している)
 所有しているわけではない。道端で出会って、餌を恵んだだけの小さい命。だけれど一度かかわってしまったら――子猫の事を捨て置けなくなる。不幸な目にあうのなら、助けてやらなければという思考になってしまう。
 同じだ。バーンズはそう思い込もうと努力した。
(……誰だって、年少者が死ぬのを見るのは嫌だろう。それも、自分を助けてくれた者を、だ)
 そんな事が起きれば、ただでさえ悪い目覚めが、もっと悪くなる。だから自分も、ヘンリエッタを助けたのだ。と、バーンズはとりあえず思うことにした。
(そう、だから――冬の間は、あそこに住まわせればいい。そろそろあの家にも、新しい空気を入れたほうが好都合でもある)
 あの屋敷は、名義上はバーンズのものになっているが、一度も住んだことはない。以前の主から譲り受けた、古いものだった。
(しかし……あんなに真新しく感じるとはな)
 昨日戻ったら、屋敷はすみずみまできれいになっていて、新鮮な空気で満たされていた。あかあかと燃える暖炉に、素朴な木の食卓。ヘンリエッタが眠っていた屋敷を起こしたかのように、すべてがいきいきとしていた。
(食事も悪くなかったな)
 数度毒殺の憂き目にあいかけたバーンズからしたら、そういった心配なく食事できるだけでも、他より数段ましだった。
(まったく……いつから、こうなってしまったんだろうな)
 一人、自分を嗤う。この地位に上り詰めるまでに、バーンズはたくさんその手を汚してきた。それは、望んでしたことではなかった。その過程で、バーンズは様々なものを失った。
しかし、バーンズによって屠られた人々にとっては、そんな事はどうでもいいことだろう。
(だから、私は恨まれている。貴族たちから。一族の者から。この都の、すべての人々からも――)
 きっといつか、後ろから刺されて死ぬのだろう。だが、それまでにやらなくてはいけないことがある。
(新しい陛下が、この国を平安のうちに治められるように――)
 この手を血で汚しても、その道を整えることが自分の仕事だ。だから今は、いくら恨まれても、まだ死ねない。
 二度と故郷に戻れることもないだろう。そう思っていた。が、昨晩ヘンリエッタは無邪気に聞いてきた。故郷はどんなところなのですか、と。
(あの娘は、都を出たことなどないのだろうな)
 そう思うと、いささか不憫な気もする。そしてそんな気持ちを感じている自分に、バーンズは驚くのだった。
(……私にまだ、人を憐れむ気持ちが残っていたのか)
 するとその時、ノックもなしにドアが開く。こんな事をする人物か限られている――
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

ヒロインのシスコンお兄様は、悪役令嬢を溺愛してはいけません!

あきのみどり
恋愛
【ヒロイン溺愛のシスコンお兄様(予定)×悪役令嬢(予定)】 小説の悪役令嬢に転生した令嬢グステルは、自分がいずれヒロインを陥れ、失敗し、獄死する運命であることを知っていた。 その運命から逃れるべく、九つの時に家出して平穏に生きていたが。 ある日彼女のもとへ、その運命に引き戻そうとする青年がやってきた。 その青年が、ヒロインを溺愛する彼女の兄、自分の天敵たる男だと知りグステルは怯えるが、彼はなぜかグステルにぜんぜん冷たくない。それどころか彼女のもとへ日参し、大事なはずの妹も蔑ろにしはじめて──。 優しいはずのヒロインにもひがまれ、さらに実家にはグステルの偽者も現れて物語は次第に思ってもみなかった方向へ。 運命を変えようとした悪役令嬢予定者グステルと、そんな彼女にうっかりシスコンの運命を変えられてしまった次期侯爵の想定外ラブコメ。 ※話数は多いですが、1話1話は短め。ちょこちょこ更新中です! ●3月9日19時 37の続きのエピソードを一つ飛ばしてしまっていたので、38話目を追加し、38話として投稿していた『ラーラ・ハンナバルト①』を『39』として投稿し直しましたm(_ _)m なろうさんにも同作品を投稿中です。

貧乏令嬢が助けたのはやんごとないお方でした

咲貴
恋愛
子爵令嬢でありながら、平民と変わらぬ生活を送る貧乏令嬢のアリサは、ある朝とても美しい男性を助ける。

実は家事万能な伯爵令嬢、婚約破棄されても全く問題ありません ~追放された先で洗濯した男は、伝説の天使様でした~

空色蜻蛉
恋愛
「令嬢であるお前は、身の周りのことは従者なしに何もできまい」 氷薔薇姫の異名で知られるネーヴェは、王子に婚約破棄され、辺境の地モンタルチーノに追放された。 「私が何も出来ない箱入り娘だと、勘違いしているのね。私から見れば、聖女様の方がよっぽど箱入りだけど」 ネーヴェは自分で屋敷を掃除したり美味しい料理を作ったり、自由な生活を満喫する。 成り行きで、葡萄畑作りで泥だらけになっている男と仲良くなるが、実は彼の正体は伝説の・・であった。

契約婚ですが可愛い継子を溺愛します

綾雅(りょうが)電子書籍発売中!
恋愛
 前世の記憶がうっすら残る私が転生したのは、貧乏伯爵家の長女。父親に頼まれ、公爵家の圧力と財力に負けた我が家は私を売った。  悲壮感漂う状況のようだが、契約婚は悪くない。実家の借金を返し、可愛い継子を愛でながら、旦那様は元気で留守が最高! と日常を謳歌する。旦那様に放置された妻ですが、息子や使用人と快適ライフを追求する。  逞しく生きる私に、旦那様が距離を詰めてきて? 本気の恋愛や溺愛はお断りです!!  ハッピーエンド確定 【同時掲載】小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2024/09/07……カクヨム、恋愛週間 4位 2024/09/02……小説家になろう、総合連載 2位 2024/09/02……小説家になろう、週間恋愛 2位 2024/08/28……小説家になろう、日間恋愛連載 1位 2024/08/24……アルファポリス 女性向けHOT 8位 2024/08/16……エブリスタ 恋愛ファンタジー 1位 2024/08/14……連載開始

英雄になった夫が妻子と帰還するそうです

白野佑奈
恋愛
初夜もなく戦場へ向かった夫。それから5年。 愛する彼の為に必死に留守を守ってきたけれど、戦場で『英雄』になった彼には、すでに妻子がいて、王命により離婚することに。 好きだからこそ王命に従うしかない。大人しく離縁して、実家の領地で暮らすことになったのに。 今、目の前にいる人は誰なのだろう? ヤンデレ激愛系ヒーローと、周囲に翻弄される流され系ヒロインです。 珍しくもちょっとだけ切ない系を目指してみました(恥) ざまぁが少々キツイので、※がついています。苦手な方はご注意下さい。

【完結】恋人との子を我が家の跡取りにする? 冗談も大概にして下さいませ

水月 潮
恋愛
侯爵家令嬢アイリーン・エヴァンスは遠縁の伯爵家令息のシリル・マイソンと婚約している。 ある日、シリルの恋人と名乗る女性・エイダ・バーク男爵家令嬢がエヴァンス侯爵邸を訪れた。 なんでも彼の子供が出来たから、シリルと別れてくれとのこと。 アイリーンはそれを承諾し、二人を追い返そうとするが、シリルとエイダはこの子を侯爵家の跡取りにして、アイリーンは侯爵家から出て行けというとんでもないことを主張する。 ※設定は緩いので物語としてお楽しみ頂けたらと思います ☆HOTランキング20位(2021.6.21) 感謝です*.* HOTランキング5位(2021.6.22)

【完結】公爵家の妾腹の子ですが、義母となった公爵夫人が優しすぎます!

ましゅぺちーの
恋愛
リデルはヴォルシュタイン王国の名門貴族ベルクォーツ公爵の血を引いている。 しかし彼女は正妻の子ではなく愛人の子だった。 父は自分に無関心で母は父の寵愛を失ったことで荒れていた。 そんな中、母が亡くなりリデルは父公爵に引き取られ本邸へと行くことになる そこで出会ったのが父公爵の正妻であり、義母となった公爵夫人シルフィーラだった。 彼女は愛人の子だというのにリデルを冷遇することなく、母の愛というものを教えてくれた。 リデルは虐げられているシルフィーラを守り抜き、幸せにすることを決意する。 しかし本邸にはリデルの他にも父公爵の愛人の子がいて――? 「愛するお義母様を幸せにします!」 愛する義母を守るために奮闘するリデル。そうしているうちに腹違いの兄弟たちの、公爵の愛人だった実母の、そして父公爵の知られざる秘密が次々と明らかになって――!? ヒロインが愛する義母のために強く逞しい女となり、結果的には皆に愛されるようになる物語です! 完結まで執筆済みです! 小説家になろう様にも投稿しています。

処理中です...