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ヘンリエッタは驚いたが、宰相が頑としてそう言い張るので、結局は折れた。
「私などの用を、宰相様に聞いていただくのは恐縮ですが……よろしくお願いします」
確か宰相はあの子猫に一度会っている。が、ヘンリエッタは子猫の見た目と捕まえかたを詳細に書いて、彼に渡した。
「すみません、この通りにしていただければ、すぐにつかまると思いますので」
宰相はメモにちらりと目を通し、服の内側にしまった。
「明日すぐに、手配しておく。取り戻したら、レイズを通じて渡す」
それだけ言ってくるりと背を向けた宰相を、ヘンリエッタは呼び止めた。
「あ、あの、待ってください」
彼は無言でわずかに振り向き、ヘンリエッタを見た。再び、じっと見すかすような目で、ヘンリエッタを見ている。ヘンリエッタはどきんとした。
こちらの胸の底まで、丸裸に暴くような鋭い目だ。――心臓に悪い。
しかし、ヘンリエッタは勇気を出していった。
「ありがとうございます……ご親切に、していただいて」
その言葉に、宰相は軽く首を振っただけだった。ヘンリエッタは重ねて聞いた
「そ、そろそろお夕食の時間ですが……お食事は、もう召し上がりましたか?」
すると宰相は、同じ顔のまま首を振った。
「まだだが」
「でしたら……召し上がっていかれますか? よかったら……」
場違いな事を言っているという気がしてきて、ヘンリエッタの声がしりすぼみになる。
(よく考えたら、宰相様には帰るお屋敷があるわけで……そちらでいただくのが、普通よね)
シェフでも何でもないヘンリエッタが適当に作った料理など、口にあうわけもない。ヘンリエッタは苦笑して前言撤回をした。
「すみません、余計な事を申しました。どうぞ聞き流してください」
「お前の分はあるのか」
しかし唐突にそう聞かれて、ヘンリエッタは慌てて答えた。
「えっ、はい。ございます。レイズさんの分を入れても、問題ないくらいには。ちょうど量もありますし……」
言い訳のようにそういう。すると驚いた事に――宰相はうなずいた。
「わかった。では頼む」
「えっ!? わ、わかりました! 今すぐ準備するので、少々お待ちください」
ヘンリエッタは足早にキッチンへと向かった。下ごしらえをし、スパイスを振ってあった骨付き子羊の肉をオーブンに入れる。火加減を見つつソースを作り、野菜のソテーにする……。そんな作業の合間にも、なんだかヘンリエッタは緊張で胸がどきどきとしていた。
(わ、私なんかの料理を……この国の宰相様が、居間でお待ちになっているなんて)
こんな事、めったにない体験じゃないだろうか。なんだかリーズ家を出てから、思いがけない体験ばかりをしている気がする。
(相変わらず、雰囲気はちょっと怖くて……どういうつもりなのかも、わからないけど)
それでも宰相様は、悪い人ではない。それを知っているヘンリエッタは、なんとかしておいしい夕食を拵えようと、ソースのスキレットを絶え間なく揺らした。
(コートレット《骨つき背肉》のソースを作るとき、シェフたちはいつも、こうやってフライパンをゆすってたわ……)
見よう見まねで、ふわりと手を動かしてみる。するとソースは泡立ち、焦がした玉葱の食欲をそそる香りが当たりにふりまかれる。
「よし、いい感じね……」
「ヘンリエッタさん、オーブンの火加減は」
「ひゃっ」
いきなり後ろから声をかけられて、ヘンリエッタは驚いて振り向いた。
――レイズのこの現れ方は、いまだに慣れない。
「火……火! ああ、そうだ。そろそろひっくり返さないといけないですね」
我に返ったヘンリエッタが向かう前に、レイズがミトンを手に、オーブンの中の子羊肉を裏に返していた。
「ありがとうございます」
さすが、という気持ちをにじませて言うと、彼女は首を振った。
「いえ。――ああ、それと私今日は、キッチンでいただきたいと思います」
「あ……それなら、私もここでいただくわ。宰相様の給仕が終わったあとに」
たしかに、使用人と主人は一緒に食事をとることはない。リーズ家でも、ヘンリエッタはいつも最後、キッチンのすみで詰め込むようにして与えられたごはんを食べていた。
それと比べると今はなんと幸福なことだろう。ヘンリエッタはその事に感謝しながら、待っている宰相のもとへ食事を運んだ。
「お待たせしました、宰相様」
すると彼は、険しい顔をした。
「お前の分は、やはりないのか」
「いえ、そういうわけではなくて、あとでキッチンでいただこうかと」
すると彼も、それ以上のことはつっこまなかった。
「……そうか」
給仕に徹しながらも、ヘンリエッタは彼の表情が気になった。
(味……大丈夫かしら……)
「私などの用を、宰相様に聞いていただくのは恐縮ですが……よろしくお願いします」
確か宰相はあの子猫に一度会っている。が、ヘンリエッタは子猫の見た目と捕まえかたを詳細に書いて、彼に渡した。
「すみません、この通りにしていただければ、すぐにつかまると思いますので」
宰相はメモにちらりと目を通し、服の内側にしまった。
「明日すぐに、手配しておく。取り戻したら、レイズを通じて渡す」
それだけ言ってくるりと背を向けた宰相を、ヘンリエッタは呼び止めた。
「あ、あの、待ってください」
彼は無言でわずかに振り向き、ヘンリエッタを見た。再び、じっと見すかすような目で、ヘンリエッタを見ている。ヘンリエッタはどきんとした。
こちらの胸の底まで、丸裸に暴くような鋭い目だ。――心臓に悪い。
しかし、ヘンリエッタは勇気を出していった。
「ありがとうございます……ご親切に、していただいて」
その言葉に、宰相は軽く首を振っただけだった。ヘンリエッタは重ねて聞いた
「そ、そろそろお夕食の時間ですが……お食事は、もう召し上がりましたか?」
すると宰相は、同じ顔のまま首を振った。
「まだだが」
「でしたら……召し上がっていかれますか? よかったら……」
場違いな事を言っているという気がしてきて、ヘンリエッタの声がしりすぼみになる。
(よく考えたら、宰相様には帰るお屋敷があるわけで……そちらでいただくのが、普通よね)
シェフでも何でもないヘンリエッタが適当に作った料理など、口にあうわけもない。ヘンリエッタは苦笑して前言撤回をした。
「すみません、余計な事を申しました。どうぞ聞き流してください」
「お前の分はあるのか」
しかし唐突にそう聞かれて、ヘンリエッタは慌てて答えた。
「えっ、はい。ございます。レイズさんの分を入れても、問題ないくらいには。ちょうど量もありますし……」
言い訳のようにそういう。すると驚いた事に――宰相はうなずいた。
「わかった。では頼む」
「えっ!? わ、わかりました! 今すぐ準備するので、少々お待ちください」
ヘンリエッタは足早にキッチンへと向かった。下ごしらえをし、スパイスを振ってあった骨付き子羊の肉をオーブンに入れる。火加減を見つつソースを作り、野菜のソテーにする……。そんな作業の合間にも、なんだかヘンリエッタは緊張で胸がどきどきとしていた。
(わ、私なんかの料理を……この国の宰相様が、居間でお待ちになっているなんて)
こんな事、めったにない体験じゃないだろうか。なんだかリーズ家を出てから、思いがけない体験ばかりをしている気がする。
(相変わらず、雰囲気はちょっと怖くて……どういうつもりなのかも、わからないけど)
それでも宰相様は、悪い人ではない。それを知っているヘンリエッタは、なんとかしておいしい夕食を拵えようと、ソースのスキレットを絶え間なく揺らした。
(コートレット《骨つき背肉》のソースを作るとき、シェフたちはいつも、こうやってフライパンをゆすってたわ……)
見よう見まねで、ふわりと手を動かしてみる。するとソースは泡立ち、焦がした玉葱の食欲をそそる香りが当たりにふりまかれる。
「よし、いい感じね……」
「ヘンリエッタさん、オーブンの火加減は」
「ひゃっ」
いきなり後ろから声をかけられて、ヘンリエッタは驚いて振り向いた。
――レイズのこの現れ方は、いまだに慣れない。
「火……火! ああ、そうだ。そろそろひっくり返さないといけないですね」
我に返ったヘンリエッタが向かう前に、レイズがミトンを手に、オーブンの中の子羊肉を裏に返していた。
「ありがとうございます」
さすが、という気持ちをにじませて言うと、彼女は首を振った。
「いえ。――ああ、それと私今日は、キッチンでいただきたいと思います」
「あ……それなら、私もここでいただくわ。宰相様の給仕が終わったあとに」
たしかに、使用人と主人は一緒に食事をとることはない。リーズ家でも、ヘンリエッタはいつも最後、キッチンのすみで詰め込むようにして与えられたごはんを食べていた。
それと比べると今はなんと幸福なことだろう。ヘンリエッタはその事に感謝しながら、待っている宰相のもとへ食事を運んだ。
「お待たせしました、宰相様」
すると彼は、険しい顔をした。
「お前の分は、やはりないのか」
「いえ、そういうわけではなくて、あとでキッチンでいただこうかと」
すると彼も、それ以上のことはつっこまなかった。
「……そうか」
給仕に徹しながらも、ヘンリエッタは彼の表情が気になった。
(味……大丈夫かしら……)
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