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心残り

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「私にそのような気遣いは必要ありません、ヘンリエッタ様」
 なんとなく彼女がそういうことを見越してたヘンリエッタはお皿を指さした。
「でも、二人分作ってしまったんです。もったいないので、食べてもらえたら嬉しいです」
 すると彼女は、それ以上断る事もなく、席についてくれた。
 おそらくヘンリエッタに気をつかってくれたのだろう。使用人同士、なんとなくそういう機微はわかる。
「ではいただきます、ヘンリエッタ様」
「あの、どうぞ様づけはやめてください。私、ただの使用人なのですから」
 するとレイズは、少し面食らったような顔をした。
「ですが……」
「レイズさんは宰相様の直属の部下で、そうなると私なんかよりもずっと上の立場になります、たぶん」
 そんな彼女が、なぜ昨日今日やってきた自分のそばについていてくれるのかはわからないが、きっと複雑な事情でもあるのだろう。
「だから、私の前ではどうぞ気楽にしてもらえると嬉しいです」
ヘンリエッタはソーンフィールド家の事を思い出しながら言った。あの屋敷の中ですら、使用人の中の上下関係があったのだ。ヘンリエッタはもちろんその中の最下層だった。
(お情けで引き取られた愛人の子――を、使用人として使ってる、っていう)
 腫物に触れられるような扱いで、誰も親しくなどしてくれなかった。だからヘンリエッタは、自分にできる仕事をもくもくとこなしていく日々だった。
 ヘンリエッタの言葉を受けて、レイズはしぶしぶだがうなずいてくれた。
「わかりました――ヘンリエッタさん」
 そして控えめにパンケーキを切り、口に運ぶ。彼女の目が、ほんの少し見開かれる。クールな表情が少し崩れて、なんだかうれしくなる。
「どうでしょうか? 味……」
 わずかに微笑んで、レイズはヘンリエッタを見た。
「ええ、おいしいです」
 よかった。昔の腕は鈍っていなかったようだ。ヘンリエッタはほっとして、自分もパンケーキにナイフを入れた。

 そんな風にして、ヘンリエッタは白樺の中の屋敷で、レイズと二人きりで数日を過ごした。レイズは最初は遠慮していたが、だんだん掃除や洗濯も手伝ってくれるようになり、屋敷はまるごと丸洗いしたように、ピカピカとなっていた。
(重たいカーペットもカーテンも全部洗っちゃったし――床もタイルも磨き上げたし、もうやる事がないなぁ……)
 しかし、相変わらずヘンリエッタが出て行こうとすると、レイズは止める。
 実はヘンリエッタには、一つ気がかりな事があった。
「あの……少しでいいから、出かけてはダメでしょうか? すぐに帰ってきますので……」
「すみませんが、それは禁じられています。何か用事でしたら、私が代わりに行ってきますので」
 重ねてそう言われて、ヘンリエッタはおずおずと口に出した。
「あの……私がもといたお屋敷のそばで……子猫が、いて」
 鍋の中の子猫を、ヘンリエッタは窓の外に逃がしてやった。けれど、もしまたあの街頭の下に、えさを持ったバート現れたらどうしよう。あのにやにやとした残酷な笑いが、容易に想像できる。
 もう、助けるヘンリエッタのあの家にはいない。もし捕まったら、子猫は――。
 そう思うと、ヘンリエッタはぞっとした。一刻も早く子猫を探しにいきたい。
「だから、その、子猫をつれてきて、この庭で放してやりたいのです。ここなら自然の中だから、えさも自分で捕れるでしょうし――決してご迷惑はかけませんから」
 ヘンリエッタは真剣に頼み込んだ。
「ご事情はわかりました。それなら私が……」
「それは大変です。レイズさんは、あの子を見たこともありませんし……私が餌をもって立てば、たぶんすぐに来ますから」
レイズが迷っているのがわかる。もう一押しだ。
「すぐに戻ります。お願いです、行かせてはもらえませんか……?」
 すると、ヘンリエッタの背後から声がした。
「ダメだ」
 低い男性の声。ヘンリエッタは驚いて振り向いた。
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