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ほんとつれないな、君は

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 表情がわからない。
「えっ、気に障りました? 生意気いってすみません」
 素直に謝ると、小鳥遊は顔を隠したまま首を振った。
「いや、ちがうけどさぁ」
 小鳥遊はさやかの方を見た。
「本当もう、君って人は」
 その目尻が、ちょっと赤くなっている気がする。睨むような目をしている。
「……ずるいよ」
「え、ええ……」
 なぜかわからないが、機嫌を損ねてしまった。
「す、すみません……?」
 すると小鳥遊は、ずいっとさやかのほうに身を乗り出した。
「じゃあペナルティキッスね」
「はっ!?」
 あわを食ったさやかは、思わず目をぎゅっと閉じた。
「……そんな、殴られる直前みたいな顔しないでよ」
 存外に傷ついたような声を出されて、さやかは目を開けた。
「す、すみませんね……つい」
 反射的に謝ってしまって、ずるいのは小鳥遊のほうだ、と思う。
(いつも何言っても余裕綽々のくせにーー私が彼を拒否るときだけ、シュンとするなんて)
 艶っぽいその目の目尻が悲しげに下がると、いかに彼を苦手に思っているさやかでも、なんだか心をかきみだされるような心地になる。
(得……だよねぇ! やっぱ、顔がいいってさぁ!)
 たとえば蓮田にこんな顔をされても、きっとなんとも思わないで、背中をバシッと叩いて一蹴するだけだろう。
 さやかはやけくそでフォローを入れた。
「小鳥遊さんの顔が近くにあると、緊張するだけですからっ」
「そうなの? なんで?」
 わかってて言ってるな、この男。負けたような気持ちでさやかは唇を噛んだ。
「だからって! 別に私は面食いではありませんから! むしろ小鳥遊さんみたいなイケメンは好きじゃないです!」
 すると今度は、小鳥遊が唇を尖らせた。
「へぇ、じゃあたとえば、橋本くんみたいなのが好きなの?」
「微妙に失礼じゃないですかそれ……。いや、見た目の好みとはかありませんが」
「ない? そんなの嘘でしょ」
 そう言われても、さやかの中には言い返す言葉がなかった。
 ーーなぜなら、男の人を好きになったことが、一回しかないからだ。
 しかもその一回は、無惨な形で終わった。それ以来さやかは、異性に恋する気持ちをとんと持つことができなかった。
「正直、わからないですね。どんな人が好きとかーー」
「誰かと付き合ったりしたこと、ないの?」
 今日は恋バナばかりしているな、と思いながら、さやかは首を振った。
「ないわけじゃないけどーー逆に小鳥遊さんはどうですか。いろんな女の人と遊ぶ時ーーその都度好きだという気持ちを持てるんですか?」
 だとしたらすごい。枯れに枯れているさやかとは別の世界のはなしだ。
「うんーー女の子は好きだよ。でも……今は誰とも連絡とってないんだ」
 もしかして、彼も元彼女との別れが効いているんだろうか。
 そう思うと、ちょっとかわいそうな気もする。自分も通った道だからだ。
「今はーー」
「まぁ、元気出してくださいよっ。すぐに新しい出会いがありますって」
 彼が何か言いかけたが、さやかはそう言って雑に励ました。
 すると彼は一瞬ぽかんとしたあと、くすっと笑った。
「それ、君のことかな?」
「いやーー私はノーカンで……」
 するとふいに、肩が抱き寄せられる。
「ほんとつれないな、君は」
 肩口で、彼が囁く。
「でも……君に仕事を褒められると嬉しい。ありがとう」
 そのまま彼の唇が耳元からーー唇へと動き、さやかの唇を素早く奪った。
 一瞬、触れるだけのキス。
「また、一緒にこうして星を見にきてくれる?」
 唇を離してそう言う彼の頬は、少し照れているのか、赤かった。
(ずーーずるくない!? この顔!)
 10年来、久しく動くことのなかった心の奥の何かの扉が、軋むような音を立てたのを、さやかははっきりと感じた。


「亀ちゃん、こないだ大丈夫だった?」
 昼休憩前、ロッカールームの前でいきあった橋本が、心配そうに聞いてきた。
「あ、うん、ぜんぜん大丈夫、なんともなかったよ。すぐ解散した」
 あのあときっかり一時間で、小鳥遊は約束通りさやかを解放してくれたばかりか、運転手つきの車で自宅付近まで送ってもらった。
(最初は警戒しちゃったけどーーほんとにお茶のんで、星見ただけで終わった……)
 それでなんだか、さやかは肩の力が抜けてしまった。
(意外と信用できる人なのかなーーなんて、これくらいで、チョロいかなー)
 あれこれ考え込むさやかに、橋本は言った。
「亀ちゃん、入社時から男がらみいらん! て感じだったからさ。なんか大丈夫かなって気になって」
 その言いっぷりに、苦笑してしまう。
「そんなこと言ったっけ」
「割と最初の飲み会で言ってた。男に興味をもてない、仕事しか興味ないって」
 そんな本音を、いつの間にか開陳してしまっていたとは。まぁ言わなくても、周りには伝わっていたかもしれないが。
「あは……大丈夫だよ。ほんと、無事帰ったから」
 別にやましいことをしたわけではないが、テントで一緒に過ごしたことは言えなかった。
(秘密ぶるつもりはないけどーーー)
 営業の王子様と一緒に夜を過ごしたなんて、誰にも知られたくない。
(だって、彼を好きな人、きっと多いもの……)
 彼女らに知られれば、いい気はしないだろう。
 うっすら嫌われるのも、知らないところに敵を作るのもごめんだ。
(こわい……)
 想像すると、少し背筋が寒くなる。いい大人になってそんなことを恐れているなんて情けないが、心の奥深くに刻まれた傷は、どうにもならない。
 さやかは話をそらした。
「それより、2人は大丈夫だった? 蓮田、タクシーで吐かなかった?」
 いつもの調子で茶化すと、橋本も真剣な顔をひっこめた。
「それがさぁ…降りた瞬間に吐いたんだよ!」
「あれまぁ」
 よかった。普段の会話に戻った。そのことに、さやかはほっとした。
(やっぱり、こう言うことって私に向いてないんだ)
  人目を忍んで恋愛ごっこーーなんてこと。
(早く一週間ーーのこりあと6日。おわりますように)
 橋本と話しながら、さやかは内心、そう祈った。


 月末に近づくほど、経理は忙しくなる。帳簿の締めがあるからだ。
 今日は残業かなーーと思いながら、さやかは休憩室に向かう階段を下っていた。
「あ、いたいた、亀山さん」
 すると階段の踊り場で、壁にもたれかかっている小鳥遊がいた。
「お…お疲れ様です。なんでここに?」
 少し警戒するさやかに、小鳥遊はにべもなく答えた。
「亀山さん、エレベーター苦手だって言ってたでしょ」
「待っ……てて、くれたんですか?」
 おそるおそる聞くと、小鳥遊はあっさりうなずいた。
「そ、ここ通るかなーって、確証はなかったけど、当たった」
 ためらいなくそんなことを言える小鳥遊に、かすかな羨ましさを感じる。
 ーー自分だったら、他人にそんなあからさまに、好意を示せない。たとえそれが、ビジネスライクなものだったとしても。
「一緒にランチミーティングとか、どう?」
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