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カラスと小さな嵐

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 広々とした座敷で待っていたのは、なんとカラスだった。一丁前に座布団に座っている。
澪子が驚いていると、カラスはその嘴を開いた。

「久々だなぁ、何十年ぶりだ?あんたが俺を呼び出すなんて」

 そのいきいきとした黒い目が、百夜を飛び越え後ろに立つ澪を見た。

「おい、こんな深窓のお姫さん、どこから攫ってきたんだ?いや、あんたはここから出れないから迷わせて捕まえたのか?」

「捕まえてなどいません…人聞きが悪い。で、頼んだものはもってきてくれましたか?」

 百夜は床に置かれた円座の上にさっと裾を払って座り、少し後ろの円座に澪子を招いた。澪子はどぎまぎしながらそこへ座った。

「なんだよ、紹介もしてくれないのか?」

 面白がってそういうカラスに、百夜は言葉少なに言った。

「彼女は私の妻です」

 その言葉に、カラスは大げさにのけぞった。

「ああ!?妻だって?一体どういう風の吹き回しだよ」

「どうもこうも、事実を述べたまでです」

「はぁ、そうかいそうかい…」

 カラスは身を乗り出して、澪子をじっと見た。

「山奥にはもったいない、花顔柳腰(かがんりゅうよう)な別嬪じゃないかい。」

 カラスが何を言ったかわからず、澪子は思わず首を傾げた。それを見てカラスは言った。

「花のような顔に、細くしなやかな腰ってことさ。つまり」

 百夜はカラスを遮って澪子に言った。

「美人を表す言葉です」

 そういわれて、澪子はぱっと頬を紅くしてうつむいた。カラスは嬉しそうにかかと笑った。

「可愛い娘じゃねえの。純情可憐だなァ。俺もこんな妻が欲しいもんだ。なぁ、一体どっから攫ってきたんだ。都か?」

 百夜がはぁと苛立ちのまざったため息をついたのを見て、澪はたどたどしくも口を開いた。

「あの、私はそんな大層な者ではありません、ふもとの村の、神社の娘なのです。私は自分で望んでここにいます」

 それを聞いて、ひゅうとカラスは嘴を鳴らした。

「ほおー。つまり巫女さんてことか。やるなぁ」

「風来」

 澪子に近づこうとした彼に対して、百夜は一言冷たく声をかけた。ヒヤリとするその響きに、カラスは肩をすくめた。

「そんな怒らなくても、その娘を取って食いやしねえよ。…巫女さん、俺は風来っていうんだ。百夜とはまぁ、商売仲間さ。よろしくな」

 愛想よくそう言った彼に、澪子は頭を下げた。

「澪子と申します。こちらこそ、よろしくお願いいたします」

 頭を上げた所で、百夜は澪子にささやいた。

「これで挨拶は済みましたね。ここからはつまらない話になりますから、どうぞ部屋に戻って朝食を上がっていてください」

 いつも通り優しい言い方だったが、その声は有無を言わさぬものがあり、澪子はうなずいて部屋から退出した。



「おい百夜、冷血漢のあんたが結婚なんて、いったいどうしちまったんだよ」

 澪が行ってすぐ、風来はずいっと身を乗り出してそう聞いた。

「…冷血漢、ですか」

「そうだろ。違うとは言わせねぇぜ。あんたは薬以外の事なんて、なんの興味もない男だったじゃねぇか」

 風来の言葉に、百夜はかすかに笑みをもらした。

「…そうですね」

 その微笑みを見て、風来は目を見張った。

「おっどろいた…そんな丸くなっちまうなんて、あの娘は一体何者だ?あんたすっかり骨抜きじゃあないか」

「彼女は…私の、恩人なのです」

 言葉少なに答えた百夜を、風来はさらに問い詰めた。

「恩人?どこかで助けられたっていうのか?」

「…そのようなものですね。それよりも、これが今回の分の生薬です」

 百夜は両手に収まるほどの唐箱を風来の前に差し出した。

「ったく、露骨に話そらすなぁ…まあいい、よし、受け取ったぜ」

 風来は中を確かめた後、背後の笈から紙に包まれた布を次々と取り出した。

「この体で物を運ぶのは骨が折れたぜ。狐もヒィヒィ言ってた。次はお前も手伝えよな」

 百夜は少し詰まったあと、うなずいた。

「すみません。今朝は少し…取り込んでいたもので」

 それを聞いて、カラスはカカと笑った。

「なるほど、お熱いことで。あんたから薬草以外の物を頼まれるなんて、珍しかったから迷っちまったよ。まぁ、京の職人に今はやりのものを注文したから、間違いはねぇと思うぜ」

「…それはかたじけない」

 そういった百夜に、風来は今度は眉を寄せた。

「ほんと劇的に変わっちまったな、不気味なくらいだぜ。…まあ、あんたが高価な物を欲しがるのは、俺としちゃ都合がいいが。何でも用意するから、これから薬をたのむぜ」

「ええ、もちろんです。風来、あなたがこれからも約束を守ってくれるのなら」

「そりゃな。この薬の出どころは他の奴にはぜったい教えねぇよ。そんな自分が損するような事するもんか」

「よろしくお願いします」

 頭を下げた百夜に、風来は困惑したように言った。

「はぁ~、調子狂うぜ。じゃ、俺はもう行くわ」

 風来はひょいと立ち上がった。その足取りはカラスらしからぬ重さだった。この結界の封印内にいると、力の大きい妖ほど妖力を削られる。

「けったいなところに閉じ込められてんなぁ…お前、嫌にならねぇの」

「嫌で嫌でたまりませんでしたよ。以前は」

「ハッ、のろけかよ」

「…そうですね」

「ま、わかるよ。女がいる生活はいいもんだ。あの娘、まだ幼いが、これからが楽しみな体つきだしなぁ」

 百夜は射殺しそうな目で風来を睨んだ。

「澪を貶めるような事を言わないでもらいたい」

「貶めてなんかねぇよ、ったく…あんまり過保護にしてると嫌われんぜ」
 
 ぼやきながら、風来はバサバサと去って行った。



 障子が開き、百夜が顔を出したので、澪子はぱっとそちらを振り向いた。

「百夜様!お仕事の話は、もう終わったのですか?」

「ええ」

 百夜は微笑んで、澪子の前に砧紙に包まれた着物を次々積んだ。

「こ、これは…?」

 少し体を下がらせた澪子に、百夜は説明した。

「風来に持ってきてもらいました。私の薬と引き換えに」

「そうなんですねぇ。百夜様のお薬はすごいですね」

 素直に感心する澪子に、百夜の顔がふっと翳った。が、すぐに元の笑顔に戻った。

「…大したものではありませんよ。それより、これは澪のものです。気に入るか、開けてみてください」

「そ、そんな…」

 澪子は思わず及び腰になったので、百夜が次々と砧紙を広げて衣を取り出した。畳の上は、あっという間に布の洪水になった。

「どうです?どれも似合いそうです」

 百夜は嬉し気に、真白の衣を澪子に着せかけた。雲母(きら)びきのその衣は、光の当たる加減によって真珠色に輝いた。

「澪、とても綺麗です。まるで雪の精のようだ」

 いつもならば、申し訳ない気持ちになって縮こまる澪子であったが、ふと先ほど風来の言っていた言葉が頭によみがえった。

『山奥にはもったいない、花顔柳腰(かがんりゅうよう)な別嬪じゃないかい。』

 もちろん、お世辞だろう。だがまったく初対面のカラスにも、そんなお愛想を言ってもらえるくらいには、自分はましな見た目になったのだろうか?澪子はおそるおそる鏡台をのぞいてみた。中には花嫁衣裳を着たかのような自分がいた。
 …思ったよりも、醜くはない。前よりも頬はふっくらして、白い衣装をまとっていても肌のくすみも気にならない。澪子はほっと安心の息をついた。そして振り向いた。

「百夜様、ありがとうございます。こんな素敵な衣装。私には過ぎたものですが、嬉しいです…。」

 百夜は面食らったような顔をしたあと、満面の笑みを浮かべた。その眉尻は大きく下がっていて、手放しの喜びようだった。

「ええ、ええ、良かった。初めて澪が喜んでくれた」

「初めてって…大げさですよ。今までも感謝はお伝えしていました」

「でも、もったいないとか自分には贅沢すぎるとか言って、なかなか着てくれなかったじゃないですか。今日はまたどうして?澪は白が好きなのですか?」

 澪子は少し考えてから言った。

「先ほど、お客様…風来様?が褒めてくださいましたでしょう…?それで、お客さんの目にも見苦しくない程度には、その、見た目がましになったのかと思いまして」

 それを聞いて、百夜の笑みが消えた。

「澪…私もずっと、あなたを褒めていたと思うのですが。なぜ今日現れた彼の言葉だけを、間に受けるのです?」

 彼が珍しく機嫌を損ねたのがわかって、澪子は慌てて弁解した。

「あの、百夜様はなんでも褒めてくださいますから…私が、その、最初醜かったのは、私が一番わかっていますし…」

「私が偽りを言っていたと?」

「ち、ちがいます!そういうわけじゃなくて…」

 澪子は言いよどんだ。どう説明すればわかってもらえるだろう。しかし焦る澪子に、百夜は背中を向けた。

「…すみません、少し一人にしてください」

 そういって、彼は部屋を出て行った。
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