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一緒にお出かけ

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 快晴となったその日、澪子はいつもより早起きして炊事場で支度を行った。鍋に火打ち石に、おが屑…もろもろをまとめて行李に入れて背負った。
ずっしり道具の詰まった行李は軽くはなかったが、澪子の心は弾んでいた。お弁当よりも、こちらの方がきっと楽しい時間を過ごせるだろう。美しい景色の中で、一緒に料理をするのだ。
澪子は準備を手伝ってくれたましろにみたび言った。

「ましろさんも一緒にいきましょうよ。きっと楽しいですよ」

「ましろは、留守番。ご主人サマと、みおこ、イッテラッシャイ」

「…そうですか」

 残念がる澪子を見て、ましろはぽつりと呟いた。

「ましろ、馬に蹴ラレル、困ル…」

「え?なんです?」

「ナンデモナイ」

 ましろは澪子の手を、前足でそっと撫でた。

「みおこ、来テカラ…コノ屋敷、明ルイ。ご主人サマも、楽シイ…ましろ、嬉シイ」

 それを聞いて、澪子はふうと息をついた。

「…そうなんですね。私が来る前は、ましろさんと二人だったんですものね。なんでましろさんは…百夜様のもとに居るのですか?」

 ましろは、ちょっと迷ったあとに話した。

「…覚エテ、無イ…デモ、ましろ…火傷シタ。ご主人サマ、助けてクレタ…」

「そっか…ましろさんは恩返しで、百夜様に仕えているんですね」

 しかしましろは、首をふった。

「デモ…ご主人サマ、ずっと、憂鬱。ましろ、見テル事シカ、デキナカッタ」

 ましろのその告白を聞いて、澪子はためらいながらも口にした。

「百夜様がお辛かったのは…やっぱり昔の事を悔いているから、なんでしょうか?」

「ウン?」

 ましろが首を傾げた。

「あの、昔人を殺めてしまったのを後悔していると、百夜様は言っていて」

 澪子の言葉に、ましろは目を丸くした。

「ご主人サマ、そんな事ヲ…?ましろハ、知ラカナッタ…」

 ましろの驚いた様子に、申し訳ないという気持ちが沸き起こった澪子は慌てて話を変えた。

「そ、そういえば…私を迎えに来てくれたのは、ましろさんでしたよね。私が来るのを、知っていたんですか?」

「ましろハ、知ラナイ。ご主人サマの、メイレイ」

「そっか…どうして百夜様は、私が来ると分かったんでしょうね…?」

「ソレハ…ましろにハ、ワカラナイ」

 澪子は頬に手を当てて首をかしげた。

「なんで百夜様は、私のことなんかを気に入ってくれたんでしょう…?」

 ましろは頭をぶんぶんと振った。

「ましろ、ワカラナイ!みおこ、自分デご主人サマに、聞く!」

「聞いても答えてくれないんですよ…」

 弱った声を出した澪子を、ましろは叱った。

「もう一回聞ク!みおこが聞けば、ご主人様、答エル!ダイジョーブ!」

 そう背中を押されて、澪子は炊事場を出た。

「澪、おはようございます」

「あ…百夜様」

 縁側を百夜が歩いてきたところだった。彼もまた、片手に風呂敷の包みをもっていた。

「澪、いったんこちらへ上がってきてくれますか。今日は玄関からではなく、釣り殿から出発しましょう」

「釣り殿…ですか?」

澪子は百夜のあとについて延々と渡殿を東へ歩いた。すると、突き当りは川に面した船着き場になっていた。清々と流れる水面の上に、小船が一艘、繋いである。
 百夜は釣り殿の階段を降り、小船のへりに足をかけた。

「澪、手を」

 一瞬ためらったが、澪子は差し出された手を取った。階段から足をはなし小舟に乗り移る際、その手はしっかりと力をこめて澪子を支えてくれた。

(温かいな…百夜様の手)

 澪子は自分の手が冷えている事を申しわけなく思った。

「さぁ、座って」

 小さな座布団の敷いてある座席に、澪子はそっと腰かけた。

「少し揺れるかもしれません。舟のへりをつかんでいてください」

 彼は船上に立って、櫂を漕ぎ始めた。単衣の袖から、細身だが締まった上腕がのぞく。流れに沿って、船はゆっくりと動き出した。秋の空を背景に、彼の白銀の髪が風になびいてゆるやかに舞った。

「あちら側へ渡りましょう。紅葉が綺麗なのですよ」

 漕ぎながら、彼はそう言った。穏やかな笑みがその頬に浮かんでいる。澪子はそれを見て、なんだかまぶしいものを見ているような気持ちになった。

「…ありがとうございます」

 船はすぐに向こう岸へとついた。燃えるような紅葉が山肌を彩っている。川にけずられ平らになった岩棚に、二人はおりたった。

「よいしょっ…と」

 降りる際に、澪子の背負う行李がガチャンと鳴った。百夜はそれを見て言った。

「重そうなお弁当ですね」

「えへへ、そうでしょう…実はお鍋なんです。外で料理しようと思って」

 百夜は納得したような顔つきになった。

「なるほど。楽しみですね。では目的地まで、私が持ちましょう」

 そういって百夜は澪子の行李を下ろし、自分が背負った。澪子はあわてて止めようとした。

「わわ、いいんですよ、それ重いでしょうっ。自分で持ちますから…!」

 今日は百夜様に楽しんでもらうための行楽なのに申し訳ない。そう思っている澪子に、百夜は自分の風呂敷を下ろして言った。

「では澪子は、かわりにこちらを持ってくれますか」

そう言われると、澪子も素直にうなずくことができた。百夜は風呂敷包みを澪子の背中にくくりつけた。ほとんど重みはない。中は布のようだ。

(重たい行李を持たせてるって私が気を遣わないようにこれを…百夜様は本当に、お優しい)

後ろを歩きながら、澪子の頬にひっそりと笑みが広がった。今まで接したどんな人間よりも、彼は優しい。

(鬼が怖いなんて話は、嘘だったのかな…)

 百夜はおそらく、その気になれば腕は強いが、心の内には弱さも持っているという気がした。澪子やましろには分らない何か辛い事を彼は抱えていて、それにひとりで耐えている。そのことに気が付いてしまった澪子はもどかしいのだった。

(百夜様の苦しみは…どうすれば癒えるんだろう)

彼が澪子に向かって微笑むとき、いつもいくらかの悲しみが含まれているのだ。そのまなざしを受ける澪子まで悲しみが移ってしまうような。
二人で一緒にいて、お互い大事に思っているというのに悲しい気持ちになるのはどうしたことだろう。こんな事は、初めてだった。

彼に、悲しい目をしてほしくない。晴れやかに笑ってほしい。楽しいと思ってほしい。澪子はいつしかそう願うようになっていた。そのためにはどうすればいいだろう?
 さくさく落ち葉を踏みながら、澪子はそんな事を考えていた。すると百夜が振り返った。

「山道で疲れませんか?」

 澪子は明るく笑った。

「いいえ!私も田舎育ちですから。これくらいどうってこと…あっ」

「どうしました?」

 澪子は木の根元にしゃがんだ。その目は真剣だった。

「見てください、マイタケです」

「マイタケ?」

「きのこですよ。お鍋に入れましょう」

 澪子はいそいそときのこを根本から削いで行李へとしまった。マイタケはきのこの中でも美味しいので、食卓に上ったとしても澪子が食べれることはめったになかった。澪子のやる気に火がついた。

「百夜様も、他にきのこ見かけたら教えてくださいね!」

 いつになく真剣な澪子の顔に少し驚きながらも、百夜はうなずいた。

「おや…あれは、マイタケですか?」

「むっ…!あ、シイタケです!あれも美味しいんですよ!」

「澪、あそこに何か紅いものが」

「あれは…!タマゴダケじゃないですか…!百夜様、すごいです」

 百夜が見つけるたびに、澪子は飛んでいってきのこを取った。百夜は目がいいのか、澪子よりも見つけるのが上手で、嬉しそうに澪子に場所を教えてくれた。

「澪、屋敷にいる時よりも生き生きしていますね」

 澪子は思わず頭をかいた。

「えへへ…きのこ、たくさんとれて嬉しいです。百夜様にも食べてほしいです」

「私はいいですから、澪がたくさん食べてください」

 澪子はきのこをつめた行李の蓋を閉め、百夜の前へ出て言った。

「ちがいますよ!私が嬉しいのは、これから二人で一緒に食べるからなんです」

「…二人で?」

 澪子は大きくうなずいた。

「はい!おいしいものは、誰かと一緒に食べる方が楽しいです」

「そうですか?」

「そうです。誰かと一緒に食べて、美味しいねって分け合うと、とても嬉しい気持ちになります」

 そういいながら、澪子は心から嬉しかった。誰かと美味しいごはんを食べる生活は本当にいいものだと思った。
―そんな機会はもう、一生ないかもしれないと思っていたからだ。

「だから、百夜様と一緒にご飯を食べれて、私は嬉しいんです」

 澪子はそう言いながらどんどん歩いた。胸が楽しさにはずむ。
きのこで寄り道しつつも先へ進んでいくと、やがて傾斜が緩やかになり、やや開けた窪地へと出た。その窪地一帯は、紅葉(もみじ)の木ばかりが立っていて、地面が一面赤一色で埋め尽くされていた。まるで緋毛氈を敷いてあるかのようなその地面の上に、あとからあとから紅葉が降ってくるその様は壮観だ。

「すごい…紅い帳(とばり)が降りたみたい」

「最後の紅葉ですね。もう晩秋ですから」

 百夜はいつの間にか竜胆を手にしていて、それを澪子の耳の後ろへと挿した。

「わ、どこに咲いていたんですか?」

「さっきタマゴダケがあった場所のそばです」

 淡い紫色の竜胆に触れて、澪子は微笑んだ。

「気に入っていただけましたか?」

「はい…百夜様の目の色と同じ色」

 百夜はそんな澪子を見て目を見張ったが、澪子は彼を見上げて宣言した。

「この場所、素敵です!ここでお鍋にしましょう」

 その言葉に、一拍遅れて彼は笑顔でうなずいた。

「私は何をしましょうか」

「では、そばの川から水を汲んできてもらえますか?」

 澪子は落ちている石の中からよさそうなものを見つけ出し即席の竈を作った。火打ち石でその中に火を起こし、上に鍋を乗せればもう煮炊きができる。澪子はわくわくした。百夜が手伝ってくれるのも、嬉しかった。
 彼の持ってきた水と、昆布を鍋に入れる。そこへ家から持ってきた鮭や山菜、先ほどきのこをどんどん入れていく。ぐつぐつ言い出した鍋を、2人でじっと眺めて待った。

「まだかなぁ」

「もう少しですよ」

 百夜は竈の火の面倒を見ながら言った。何をするにでも、そつなくこなしてしまうのはすごいなと澪子は思った。

「百夜様って、何でもできるんですね」

「…そんなこと、ありませんよ」

「竈の火加減を見るのも上手いです」

 火をじっと見つめる彼の顔が、少し寂し気に笑った。

「そうですね。教えてくれた人が、上手かったのでしょう」
 
 澪子は何の気なしに聞いた。

「へぇ、そうなんですね。お料理もその人が?」

「…澪、そろそろいいころ合いです」

「わ、本当だ!」

 百夜がそう言ったので、澪子はいそいそと塩を加え、醤(ひしお)を鍋の中で溶いた。

「よぉし、できました、きのこ鍋です!」

 ましろが持たせてくれた木の椀ふたつに、澪子はたっぷり鍋をよそった。

「さっ、食べましょう」

 百夜はいつかのように、それを両手で受け取った。相変わらずきれいな指先だな、と澪子は見とれてしまった。

「ええ、いただきます」

 二人で一緒に作ったきのこ鍋は、秋の味がした。きのこと鮭の旨みが溶け合ったとろりとした汁が舌の上を通過し、熱いまま胃の腑へと落ちていく。醤の甘辛さと、晩秋の山菜のきりっとした苦みがまた後を引く。

「ああ、美味しい」

 澪子は心からそう思った。百夜も椀から顔をあげて答えた。

「ええ、おいしいですね」

 澪子はそんな百夜をそっと盗み見た。彼は穏やかな表情で食事をしている。けれどやはり、その顔はどこか憂いを帯びていた。

(一緒に美味しいものを作って、食べても、だめか…)

 澪子は少しがっかりした。自分からしたら、それが一番の幸せな事なのだ。だけど百夜の心はあまり動かなかったらしい。

「澪、どうかしましたか?」

「んっ!?いいええ、な、なんでもないです…!」
 
 澪子はあわてて言い訳をした。が、百夜はごまかされてくれなかった。

「私の方を、見ていました?」

 まさかがっかりしていたとも言えず、澪子はとっさに口走った。

「あっ…あの…その、ちょっと見とれてしまいました、不躾でごめんなさい」

「…私に?」

 そう重ねて聞かれると、恥ずかしい。澪子はうつむいてうなずいた。

「え、ええと、はい」

 すると、百夜の顔が思いがけずふっとほころんだ。普段白いその頬はうっすら朱をさしたように紅く色づいていた。

「そうですか…嬉しい、です」

 少し照れたように、彼はつぶやいた。今だけはその顔から憂いが消えていた。そんな彼を見るのは初めてで、澪子は箸を落としそうなほどじっと見つめてしまった。

(う、嘘…、きのこ鍋でもだめだったのに…!)

 澪子は思わず聞いた。

「な、なぜそんな事が、嬉しいのでしょう…?」

「なぜって…それは」

 彼は少し目をそらしたあと、澪子をちらりと見た。

「私はあなたが好きだからですよ。前にも言いましたが」

 その言葉に、澪子の心臓はドキドキと高鳴った。が、彼をよろこばせたい一心で、澪子は強いて明るく返した。

「私もです。私も百夜様が好きです!」

「えっ…本当ですか」

 澪子は勢い込んで、嘘偽りない気持ちを述べた。

「はい!百夜様は、今まで会ったどんな人よりも優しくて、立派なお方です。ましろさんと同じように、私も百夜様に感謝しています!あっ、お替りつぎますよ」

 心臓の高鳴りをごまかすため、澪子は猛烈に食べて食べて食べた。頬が熱いのは、百夜の言葉のせいなのか温かい鍋のせいなのかわからないくらいに。
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