不滅の誓い

小達出みかん

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2人の逃避行

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「全く、誰だ!火の始末をいい加減にしたやつは――!」


 トラディスは血走った目で兵士たちを怒鳴った。もう少しで、兵舎に火が乗り移るところだった。

 怒るトラディスの横で、老兵のエイレンがぼそりと言った。


「団長…これは、放火かもしれませんな」


「なんだと!?」


「火のつき方が不自然だ。何者かが我々の気をそらそうとして…あるいはここに見られたくないものがあったか」


 トラディスは慌てて指示を出した。


「地下牢のものが逃げ出していないか一人のこらず確かめろ!別の場所に捕らえている后もだ!」


 消火を終えた兵たちは、命令に従い一気に兵舎へ向かった。トラディスも自らたしかめるため、踵を返した。そこで、気が付いた。


――2つの小さい人影が、森へ入っていくのを。


(あいつか!?)


 そう思った瞬間、先ほどの戒めも、団長としての責任もどこかへ消えうせ、トラディスは無我夢中で人影を追い、森へと入っていった。




「セレン…!きてくれると、信じていた」


 狭い倉に到着したとたん、セレンは何人もの人にとりかこまれた。


「スグリ、ハエからききました」


 疲労が色濃く顔に出ているスグリに、セレンは言った。


「あなたがセレン…?」


「本当だ、そっくりだ」


「なぁ、捕まってる女たちは、生きているか?」


 取り囲んだ人々は皆不安気で取り乱していた。


「はい、私がセレンです。捕まってる女の人達とは牢で話しました。皆けがなどなく無事でしたよ、安心してください」


 セレンの受け答えに、人々は目に見えて安心したようだった。


「そうか…よかった。よかったです」


「ありがとうございます、セレン様…」


捕まった女たちの安否を尋ねた男は、目に涙を浮かべてそういった。


「アジサイ様を…助けてくれるな?そのために、きてくれたんだよな?」


 スグリが言った。その声は、懇願しているといっていいほど切羽詰っていた。


「はい。彼女を追って、洞窟に入ります。契約をやめるよう説得して、連れて帰ります…だから、安全な所で待っていてください」


 その静かだが、はっきりした声に、スグリは頭をたれた。


「すまない。すまない…あんたに、こんなこと頼んじまって…代われるなら、代わりたかったよ」


「気にしないで、スグリ。それに私はアサギリと誓いを立てたんです。ウツギを守ると」


 その言葉に、その場にいた全ての村人が仰ぎ見るようにセレンを見つめた。


「私は、もういきます。ハエが伝えたと思いますが、三日後に戦が始まるかもしれません。万一に備えて、皆安全な場所に避難を。では」


 行こうとしたセレンの手を、一人の女がつかんだ。女はひざまづき、セレンの手を額に当てていった。


「セレンさま、女神のご加護がありますように…!」


 その顔を見て、セレンはすぐにわかった。


「あなたが…ハエの、お姉さん?」


「そうです。キキョウと申します。あなたがあの子をここへ遣わせてくれたおかげで、唯一の弟と会うことができました、セレン様」


 セレンは首をふった。


「どうかセレン、と呼んでください。ハエを…お願いします、キキョウ。彼に新しい名を与えてください」


「名前をですか?」


「はい。ウツギの新しい良い名を、あなたがつけてあげてください…では」


「どうか、どうかご無事で…」


 セレンはスグリと倉を出た。キキョウの潤んだ目が、セレンを見送った。


「アジサイは、いつ最深部へむかったのでしょう?間に合いますか」


 崖の入り口にたどり着いたセレンは、スグリに聞いた。


「昨夜からだ…。いつもの場所に、いない。それを見てみんながわかったよ、最深部へ向かったって」


 スグリは大きな布袋を差し出した。


「これ、もってってくれ。数日分の食料と、いるものが入ってる。気をつけていけよ」


 セレンはありがたくその包みを受け取り、背負った。


「最深部は…どうやって行くのでしょう」


「行くのではなく、見いだすものだ、とアジサイ様は言っていた。きっとアンタになら、そこへ続く道がわかるはずだ。誰かに教えられなくても」


 先ほどの地下通路のようなことが起こるのだろうか、とセレンは思った。


「わかりました。ここ数日は、イベリスの情勢に注意してください。いざとなったら、ハエが情報を伝えてくれると思います。気をつけて」


「ああ。セレン、あんたもな。絶対に戻ってきてくれ…待ってる」


 半分嘘になると思いながら、セレンがうなずいた。


「はい。アジサイを連れて戻ります」


 そしてセレンは闇の中へ、降りた。


 洞窟の中は、外の冷たい風もなく温かい。セレンは暗く温かい水が流れているその場所へ呼ばれている気がした。セレンはアジサイを追って、歩き出した。

 しばらくして、アジサイのランプのある小部屋までたどりついた。主のいないその部屋は生気が抜けたようだった。腹はずきずき痛んだが、セレンは休むことなく先へと進んだ。


(アジサイは、今どのあたりにいるんだろう…彼女が最深部へ入る前に追いつかないと)


 今セレンは怪我をしている上に、道に不案内だ。できるだけ早く進むに越したことはない。だが…セレンはふと背後に尋常ならぬ気配を感じて、振り向いた。



 後ろに、大きい熊のような人影が立っていた。


「っ!」


 セレンは驚いて飛びのき、とっさに剣を抜いた。闇が濃くて、その人物の顔はよく見えない。


「スグリ?…アサギリ?」


 おそるおそるセレンは呼びかけた。が返事はなく、その人物はゆっくりと翠玉の光の及ぶ範囲に足を踏み入れた。


「…!団長!なんで」


 セレンは剣を握り締めた。自分を捕まえにきたのか。


「…お前が逃げるのを見たので、追ってきた」


「ほ…他の兵は?一人ですか」


 ここに大勢踏み込まれたら大変だ。セレンの背中につめたい汗が伝った。


「俺一人だ。誰にも…言っていない。お前はここで何をしている」


 トラディスは先ほどの肩の傷もまったく応えていないようだ。戦闘になったら、もうセレンに勝ち目はない。セレンは震えを抑えながら聞いた。


「私を…殺しに来たのですか」


「そのつもりはない。質問に答えろ」


 斬って捨てるような声だった。


「私は…人を探しているんです。この、奥にいるので」


 トラディスは一歩乗り出した。


「それは、逃げ出した女長とやらだな?」


 ばれている。セレンは唇をかんだ。


「…彼女を捕らえる気ですか」


「むろんだ。その女をイベリス側につければ、状況は有利になる」


 戦をしても、しなくても、トリトニアはイベリスからウツギを奪うつもりだ。だがウツギの要である女長を抑えれば…とトラディスは考えていた。が、セレンは首を振った。


「無理ですよ。彼女はここよりずっと下にいて…この洞窟を知り尽くしています。人というより半分、神様のような存在です」


「その女は、人間ではないのか?」


「ある意味、そうです」


 受け答えをしながらセレンは考えた。トラディスがここで引き返し、兵を連れてきたとしてもおそらくアジサイのもとにはたどりつけないだろう。地下の道は複雑で、彼らに最深部への道が見えるはずもない。とすればここでとにかくトラディスを振り切り、自分が行方をくらましたほうが良い。


 とっさにそう判断したセレンは、暗闇の中をだっと駆け出した。


「おい、待てッ!」


 捕まったら、終わりだ。今度こそ殺されてしまうかもしれない。ここで命を失ってしまったら何にもならない。自分の命は、この先で使うと決めたのだから…!セレンは闇雲に走った。が、追いかけてきている彼のことがふと心配になった。


(彼に翠玉の導きはない。むしろウツギの敵なのだから、道に迷ったら…出られず死んでしまうかもしれない)


 自分を捕らえようとしている相手のはずなのに、セレンは走りながら叫んでいた。


「団長!どうか戻って―戻ってください!今ならまだ、引き返せる…!」


 その声は壁や天井にこだまして、うわんうわんと響いた。


「逃げるな!お前は長を探して、どうするつもりだ!」


 後ろからトラディスの声が、セレンを捕まえるかのように追いかけてきた。


「私も、長も、あなたに捕まっては困るからです!」


「待て!止まれ!俺に話せ!お前の目的を!」


 逃げるセレンの声をたよりに、トラディスは必死に彼女を追いかけた。ここで逃したら、もう会えない―トラディスの脳裏に、そんな予感がよぎった。


「約束します、ここで逃がしてくれれば、イベリスは平和になります!私は二度とイベリスの土は踏みません…!」


「なぜだ!どういう事だ!許さんぞ、そんな約束…!」


 その瞬間、トラディスの目に洞窟の先にちらりと青い光が見えた。


「待て!待ってくれ!たのむ!お前を捕まえることはしない、だから…!」


 だが青い光と小さな影は岩の道の先にふっと消えた。


(行くな!行かないでくれ…!)


 必死に足を踏み出したトラディスはその一歩で水の滴る岩に足をとられて転倒した

セレンは足を止めた。


(団長、転んだ…?)


 セレンは息をつめた。じっと後方の様子を伺ったが、何も聞こえない。ここで逃げればいい、彼を置いて先へ進め!そう思うのに、セレンの足はそこから動かなかった。


 セレンはささやくような小さい声で言った。


「団長…?」


 何の反応もない。


「団長!」


 大声を出しても返事がない。起き上がれないのだろうか?どこか打ったのだろうか?もしかして…不安になったセレンは道を引き返し、倒れた団長を発見した。


「団長!団長!大丈夫ですか!」


 彼から逃れる絶好のチャンスだったのに、セレンは倒れた彼を置いていくことができなかった。セレンは岩床に膝をついて団長を助け起こした。手に温かい液体が滴った。


「血…!団長、頭から血が…!」


 セレンは慌てて荷物から布を出して後頭部を止血した。


(彼がここで死んだら…私のせいだ)


 そう思うと胸の底が冷たくなった。セレンはトラディスの首筋に手をあて脈をたしかめた。力強い鼓動が感じられ、ほっとした。


「団長、わかりますか、大丈夫…ですか?」


 セレンは翠玉をトラディスの顔にかざしてよびかけた。


「なんだ…まぶしい」


 トラディスは重々しい動作で状態を起こし、頭の後ろに手をやった。


「お前が…助けてくれたのか」


「止血をしただけです。傷は痛みますか…えっ?」


 傷口をたしかめてセレンは驚いた。血は止まっていて、傷はもうふさがっている。


(どういうこと?私の見間違い?)


 トラディスはセレンの手を握った。


「この手が俺に触れたら、痛みがなくなった…お前、何をしたんだ」


 その手の平が熱くて、セレンは少し戸惑った。その時刺すようにわき腹が痛んだ。


「おい、大丈夫か」


 セレンは無理やり立ち上がった。


「大丈夫…です。団長は戻ってください。私はどうしても…この先に行かなければいけないんです」


「なぜだ。お前は長を探してどうするんだ」


 セレンはためらった後、口を開いた。


「長を…助けるためです」


「助ける?」


「彼女に…危険が迫っているから助けて欲しいと、村の人に頼まれのです。だから、急がないと」


 トラディスは、セレンが何か隠していることを察した。そして、そんな彼女をもどかしく思った。小さな傷ついた体にたくさんの秘密を抱え、自分の前から去ろうとしている彼女が。


「なぜ正直に全てを言わない」


「それは…」


 セレンは口ごもった。アジサイのこと、契約のことを彼にしゃべるわけにはいかない。


「お前は、隠し事ばかりだな。長がこの先にいるというのも、嘘か?また俺をだまそうとしているわけじゃないだろうな?」


 その言葉にはセレンに対する皮肉と、裏切られた怒りがこもっていた。

 セレンは俯いた。心も、わき腹も、ずきずきと痛んだ。


「それは…騙していたことは、すみません…ですが」


 トラディスはセレンの言葉をさえぎった。


「お前も…そして后も!陛下や俺を裏切ったんだな!嘘をついて…年老いた陛下に付け入って…おかげで陛下はあのざまだ!トリトニアは本当に、汚い手を使う国だ」


 セレン達が間諜なのは、トラディス自身、もうわかっているはずだった。だがセレンの口から「騙していた」と聞いた瞬間、どこかでまだ彼女を信じていた自分がいた事に気が付いた。その最後の信頼を今否定され、今まで信じていた分、憎しみの反動が彼の心を覆った。


「計画が上手くいって、お前や后は嬉しいだろうな?イベリスは戦になり、ジュエルはトリトニアのものになる。大公はさぞ喜ぶだろな?陛下も俺も…トリトニアの女など、信じたのがバカだったのだ」


 セレンは目を閉じた。彼にそういわれる事はどこかでわかっていたのに、その言葉はセレンの心に刺さった。最初はいがみ合っていた分、彼とは時間をかけてゆっくりとお互いを知り、近づいていった。その2人の間にやっと築いた信頼が、今儚く砕けたのだ。


(私は最初から彼を裏切っていたのに…彼に近づいた。だからこうして憎まれるのも、しょうがないこと…)


 そうは思っていても、今、彼から憎しみを向けられるのは辛かった。ずっと自分を見ていたといってくれた彼から。


「ごめんなさい…そう言っても意味がないのは、わかっている…。だってイベリスがウツギを苦しめなければ、私はトリトニアの間諜になんて、なっていなかった…」


 セレンは歯を食いしばりながら内心を吐露した。


「私も、ミリア様も、わかっていた。自分達は大公の駒。感情などもってはいけないと。だけど、今となってはもう、あなたの事を、憎めない…団長のこと、騙したくなんてなかった…!だから、ごめんなさい」


 セレンは顔を上げてトラディスを見た。泣き笑いのような顔だった。 


「でも――大丈夫です。私は罪をつぐないます。ミリア様の分も。きっと戦をとめてみせます。イベリスの人も、ウツギも助かるように…だから、私をいかせてください」


 逃げようとするセレンを、トラディスはつかんで腕の中に閉じ込めた。


「何をする気なんだ、お前は」


「それは…今はいえません、はなしてください…団長はどうか、戻って」


 トラディスはセレンを拘束する腕に力をこめた。


「もう戻れん。お前をおいかけて、帰り道などわからない…お前が逃げるというのなら、俺もついていく」


 その言葉に、セレンは度肝を抜かれた。


「つ、付いてきて、どうするのですか」


「お前が何をするつもりかこの目で見る。言わないのだからそうするしかあるまい」


 セレンの耳元で、その声は熱く響いた。


「それで…団長はどうするんです、帰り道は…イベリスのことは?」


「あと3日の猶予がある。それまでにお前を連れて戻る」


 帰り道に、セレンはもういない―だがトラディスはここで引く気はないようだ。セレンは考えた末にこういった。


「わかりました…だけど一つ条件があります」


「なんだ」


「長には手を出さないでください。帰り道は彼女のいう事に従って。外へ出ても、彼女を無理やり捕まえたりしないでください」


 トラディスは迷った。


(その女を手にすれば、ウツギを手放さなくてもすむかもしれん…)


 だがセレンはその考えを見抜いたかのように言った。


「大丈夫です。団長が帰り着くころには戦はカタがついて、彼女を捕まえる必要もなくなります、きっと…」


 セレンは自分の動きを封じている彼の腕を、優しくにぎった。


「それを約束してくれれば、一緒に来てかまいません。もう逃げません」


 その言葉に、トラディスは抗えなかった。国の利益より、セレンをとった瞬間だった。


「…わかった」


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