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急変
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何かいやな予感がする。
首の後ろにちりちりと火の粉がふりかかるような。
何も知らずに危険のある道を歩いているような。
その予感に突き動かされて、セレンは早く早くと帰りの道を急いだ。だがようやく辺境のかなたに白霧山脈が見えたとき、セレンは唇を噛んだ。
見ればほっとすると思ったはずなのに、逆に焦燥感が増した。
(ミリア様の身に、何も起こっていなければいいけど…)
様々な不安を胸に、セレンは馬を進めた。
やがて山脈の前にひろがる闇の森までたどりついたとき、セレンは妙なことに気が付いた。
「団長…森の入り口に、誰かいます」
何があったのだろうかと二人は顔を見合わせたのち、馬を早めた。
「団長!お帰りで!」
兵士達の顔がいつもとちがい、高揚し、殺気だっている。セレンは敏感にそれを感じとった。
(何が、起こったんだ!?)
セレンは不安に立ち止まると、兵士たちはセレンに近づきあっという間に馬からひきずり下ろした。
「何をするッ!」
トラディスは兵士達を制した。だが兵士達はそんなトラディスに言った。
「こやつはトリトニアの間諜です。最初に団長が言ったとおりでした」
「何を言う。彼女の疑いはすでに晴れたではないか」
兵士は厳しい顔で言った。
「あの后じたいが、間諜です。今は捕らえています」
その言葉をきいて、セレンの心臓は痛いほどにドクンと脈打った。思わず顔を上げて兵士を見たセレンに対して、兵は容赦なく蹴りを入れた。腹だった。鍛え上げられた兵士の足から繰り出されたそれはあまりに強く、セレンは衝撃で気が遠くなった。
(くそ、だめだ…こんなところ…で…)
「俺が留守の間、一体何があったんですか」
異様な興奮につつまれている城内へ戻って一番に、トラディスと王子はシャルリュスを訪ねて聞いた。
「王子、長旅お疲れだろう。それにトラディス、帰りを待っておったぞ」
2人を見てシャルリュスは言ったが、その目はいつもにも増して冷たく光っていた。
「2人とも疲れているだろうが、詳細を話そう。さあ、座って。
…王子たち一行が出発して数日たった日、私は城内に侵入してきたウツギを捕らえることに成功した。そやつはウツギの中でも反抗的で、我々に逆らおうと皆を扇動していた男だった。どうも団長がおらずこちらが手薄になっていると踏んで侵入してきたらしい。私はそやつを処刑しようと捕らえたが、数名のウツギが彼を救出しようとイベリス兵に挑みかかってきて小競り合いになった。そのせいで一気にウツギ者たちの反抗心に火がついてしまったらしい。私は反乱を起こさないためにも女子どもを数名捕らえて人質にした。
そんな中、私は思いもかけない人物が城を抜け出すのを見た。后のミリアネスだ。私はこっそりとあとをつけた。彼女は森で女と会っていた。2人の話から、驚きの事実がわかった。后と会っていた女はウツギを束ねる女長で、ミリアネスはその女に相談を持ちかけていた。望むならトリトニアが兵力援助をすることもできるから、ウツギはトリトニアと手を組め、大公もそう望んでいると。
それを聞いて私は理解した。彼女はウツギを横取りし、イベリスを潰すために大公から送られた駒だったということを。私はその場ですぐ后を捕らえた。ウツギの女長は逃がしてしまったが…」
話はそこで終わった。王子はきいた。
「それで、父上は?帰ってきてから姿を見ないが、今回のことをどうお考えてになっているのだ?」
シャルリュスは渋い顔で首をふった。
「后が裏切っていたことをお信じになれなくてね。だが事実だからわかっていただくより他ない。その結果、衝撃を受けて倒れてしまわれた。全く…だから私がかわりに指揮をとっているのだ」
言葉とは裏腹に、その口調はまんざらでもない様子だった。トラディスは慎重に聞いた。
「本当に后様は、間諜だったのですか?認めたのですか?」
「私も信じられない。お優しくて、妹たちにも良くしてくれた義母上だったのに…」
シャルリュスは首をふった。
「王子は、まだお若い。トラディスも、私からすればまだ若い。これを機に女というものについて覚えておくと良い。女というのは、良かれ悪かれ、常に男を騙そうとしてくるものだ。しんから信じてはいけない。その身を滅ぼすぞ」
その言葉には毒々しい気迫がこもっていた。王子も、トラディスも押し黙ってしまった。
トラディスの脳裏に、セレンの姿が浮かんだ。そうか、それなら彼女も、私をだましていたのか…。いや、そんな事、考えたくなどない。
「それで今後、どうなさるおつもりなのですか、叔父上」
感情を抑えて事務的に聞くトラディスに、彼はうなずいた。
「それを決めたくてね。だから2人の帰ってくるのを待っていたのだよ」
察しの良い王子は、うつむいてつぶやいた。
「戦に…なるのか」
「イベリスのしたことを考えれば、戦を起こす立派な理由になる。しかし…戦というのは起こせばいいというものではない、勝つ見込みがないのなら、しないほうがいい」
それは、その通りだ。今のイベリスでは、トリトニアに勝てるかわからない。トラディスは思った。
「しかし、このまま黙ってもおけない。叔父上はどうお考えですか」
その問いにシャルリュスはにやりと笑った。
「私としては、イベリスの不利益になることはしたくない。やっとここまで立ちなおったし、これからなのだ。なので現状を維持していきたい」
「…と言うと?」
「ミリアネスの兄も、若くして病気で死んだな?ミリアネスにも、そうなってもらえば良いだけのこと。病死ということにして葬儀をあげれば、トリトニアも文句はつけられまい?やつらとの関わりはこれでお終いにし、ウツギへの監視を今までより強める。これでイベリスはいつもの日常に戻る」
(っ…ここは…)
セレンは腹をおさえながら起き上がった。まぎれもなく地下牢だ。ただ、一人ではなかった。老女がセレンが起き上がるのを手伝って、背中を支えてくれていた。
「目が覚めたかい、セレン」
老女のほかにも、女や子どもが怯えた様子で座っていた。黒い髪に藍色の目。ウツギだ。
「あ、あなたたちは、なぜ捕らえられて…私がいない間、何があったのですか?アジサイは…」
「しっ、その名をここで言ってはいかん」
老女がセレンを止めて、説明をした。
「あんたらが行ってしばらくして、アサギリが村を抜け出してね。兵が少ない今がチャンスだって。結局それで捕まっちまった。何人かの男たちが、彼を助けに行こうとして、兵と戦って殺されてね…それを知ったウツギの皆は、もう我慢の限界だと武器を手にし始めた…。姉巫女様は必死に抑えておられたが、限界を感じてあんたのお后さまに助けを求めた。だが后様はイベリスのヤツにつけられていた…わしも姫巫女さまも別の方向へ逃げた…そのあとわしはつかまって、姉巫女さまがどうしているのかわからない…!つかまってしまわれたかもしれない…!」
老女はセレンにとりすがって泣き崩れた。
「たのむ…!姪のあんたが、姉巫女さまを救っておくれ…!あの方は、あの方は…ずっとわしらのために自分をすてて尽くしてきてくださったのに…それがこんな事に…」
嗚咽をあげる老婆を、セレンは抱きとめた。その体は枯れ木のように細く、軽い。
(貧しさと搾取の中で、どのくらい辛い思いをしてきたのか…)
その中の唯一の生きた希望が、アジサイだったのだ。その気持ちはセレンにも痛いほどわかった。セレンにとっては、ミリアネスがそうだったからだ。後ろの女たちも、それを聞いて涙ぐんでいた。
「…どうか諦めないでください。私は絶対に諦めません、彼女のことも、ミリア様のことも」
老婆はセレンの胸から顔を上げて言った。
「ああ、なんだろうね。あんたに触れて、少し元気が出たよ。姉巫女さまとはちがうが…不思議な子だ。あんた、もしかして」
するとその時、ガチャンと牢のドアが開いて、兵士が入ってきた。彼らは老女からセレンを引き離し、荒々しくセレンを引き立てていった。
その背を、女たちは悲痛な、だがどこか希望を持ったまなざしで見つめていた。
連れてこられたのは、あの宰相の館の一室だった。セレンは柱に縛り付けられていた。
「トラディスの言ったとおり、お前はとんだ間諜だったな」
毒毒しい笑いを浮かべて、彼はそういった。
「さて、一つききたいことがある。ウツギの親玉の女は、どこにいる?」
セレンは内心、喜んだ。アジサイはイベリスの手から逃れることができたのだ。
「知りません。私は先ほどやっとイベリスの帰ってきたんですから」
「しらばっくれても無駄だぞ。お前の主が、どうなってもいいのか?」
セレンは唇を噛んだ。卑劣な男だ。おそらくアジサイは洞窟の中だろう。だが死んでもそれは言わない。特にこの男には。
「知らないものはいえません」
「ふん。今の所、お前の主を生かしておいてはいるが、それも状況次第だぞ?お前が情報をはけば、彼女の身の安全は約束するがな」
猫なで声でシャルリュスは言った。だが見え透いた嘘だ。
(この男が、弱い立場の私との約束を守るはずがない。アジサイの居場所を教えたら最後、私も、アジサイも、そしてミリア様も殺すつもりだ)
どうすれば、彼を出し抜けるだろう。セレンは必死に考えた。きつく縛られた縄が手足にくいこみ、焦りが募った。
「…私はともかく、ミリア様に手を出せば大公が黙っていませんよ。トリトニアと戦争する気ですか」
「殺せばそうだな。だが出産というのは命がけのもの。そのせいで命を落とすのは、仕方がないことだ」
セレンの身に戦慄が走った。そんな彼女を見て、シャルリュスは鞭を手にした。
「言わぬのであれば、これの力を借りるしかあるまいな。だがお前は痛みに強そうだ。打つより刺すほうが良いかもしれぬなぁ」
思案顔でシャルリュスはテーブルの上から箱を持ち上げ、セレンに中身を見せた。
「これが私の道具だ。少し前も、これである女の爪をはがしてやった。これは歯を抜く用、これは返しの付いたナイフ…いちど刺されば、肉をえぐりとるしか抜く方法はない。お前はどれが気に入るかな?」
セレンは恐怖よりも、熱い怒りを感じた。リンドウの姿が脳裏に浮かんだ。
「それでリンドウを殺したわけですね。リンドウは言っていましたよ、あんたを騙すのは簡単だったって!この事件がおこらなければ、あんたは一生リンドウに騙されつづけて、利用されてたんでしょうね!」
その発言に、シャルリュスの余裕の笑みが消えた。彼は無表情で、セレンの髪をつかんだ。
「バカな小娘め。ここで私を怒らせるとどうなるのかも、わからないのか」
髪を引き上げられながらも、セレンは相手をにらみつけた。
「怒るってことは、図星だからだ!分をわきまえずリンドウに手をだしたからだ、醜い老いぼれが!」
が、シャルリュスはその言葉を受け取めることはしなかった。
「決めたぞ。これを使おう。お前のように生意気な女にはこれがぴったりだ」
そういって鋭いとげが無数についている鞭を取り出した。
「お前の肉を切り裂き、生きながら骨まで砕いてやる。先ほどのふざけた言葉、後悔するといい。まずは顔からだ」
シャルリュスは鞭を持った手をふりかぶった。避けようのないセレンはとっさに目をつぶった…その時。なまあたたかい液体が、セレンの体に降り注いだ。
(何!?)
セレンは目を開けた。目の前に立つシャルリュスの胸から、大きな剣が突き出て、血しぶきが飛び散っていた。彼の背後から顔を出したのは――
「ハ…ハエ?」
彼はシャルリュスの体から剣を引き抜いた。どさりと体が床に倒れた。
「お…お前…は…」
シャルリュスはそう言ってハエを見上げようとした。虫の息だ。それを見てハエは笑った。いつものように無邪気に。
「あんたの悪事もこれまでだね、父さん」
「バカな…わしに息子など…」
「あれ?ひどいなぁ。忘れちゃったの?あんたが殺せと命じた赤ん坊のこと」
シャルリュスが目を見開いた。黒目が限界まで開いたその顔は、まがまがしい。
「…おのれ…リンドウめ…最後まで…この、私を…」
裏切っていたのか。そう言う前に、シャルリュスは息絶えた。
(父さん?リンドウ?どういうことなの)
混乱するセレンの手の縄を、ハエはすばやく切った。
「早く、窓から逃げるよ!時間がない」
「ではお大事に、陛下…」
トラディスは思い気持ちで、陛下の寝室をあとにした。彼の声も、王子の声も、横たわる陛下の耳には届いていなかった。
(なんてことだ。留守の間に、ここまで状況が悪くなってしまうとは)
陛下も倒れ、トラディスと王子が留守にしていたこの数日に、シャルリュスはすばやく動いて物事の対処にあたった。もはや彼が実権を握っているといってよかった。
(彼がすべてを指揮している…王子を差し置いて。だが経験、力ともに彼のほうが上だ。いまは頼るより他ない…)
トラディスは悔しさに唇をかんだ。このままの状況が続けば、シャルリュスが玉座に座ってしまうかもしれない。
セレンの裏切りが露見したことも、トラディスには悔しかった。考えたくもないほどの痛手だった。彼女が裏切っているなどと、思いたくない。旅の間、彼女はずっと親切にしてくれたではないか。2人の距離は縮まったではないか。そしてあの目に浮かんでいた苦しみは、裏切りの罪悪感によるものではなかったか?しかし、そう思ってしまうのは…
(俺の…願望か)
倒れて意識不明になった陛下の気持ちが、トラディスにもよくわかった。だが、自分は倒れるわけにはいかない。この非常時に、王子を助けられる人間がいなくなる。それに…
(おれはちゃんと、あいつに聞きたい。あいつと話がしたい)
トラディスは牢へと足を向けた。そこへ兵士が駆け寄って告げた。
「団長、大変です!侍女の女が、宰相殿を殺して逃げました!」
首の後ろにちりちりと火の粉がふりかかるような。
何も知らずに危険のある道を歩いているような。
その予感に突き動かされて、セレンは早く早くと帰りの道を急いだ。だがようやく辺境のかなたに白霧山脈が見えたとき、セレンは唇を噛んだ。
見ればほっとすると思ったはずなのに、逆に焦燥感が増した。
(ミリア様の身に、何も起こっていなければいいけど…)
様々な不安を胸に、セレンは馬を進めた。
やがて山脈の前にひろがる闇の森までたどりついたとき、セレンは妙なことに気が付いた。
「団長…森の入り口に、誰かいます」
何があったのだろうかと二人は顔を見合わせたのち、馬を早めた。
「団長!お帰りで!」
兵士達の顔がいつもとちがい、高揚し、殺気だっている。セレンは敏感にそれを感じとった。
(何が、起こったんだ!?)
セレンは不安に立ち止まると、兵士たちはセレンに近づきあっという間に馬からひきずり下ろした。
「何をするッ!」
トラディスは兵士達を制した。だが兵士達はそんなトラディスに言った。
「こやつはトリトニアの間諜です。最初に団長が言ったとおりでした」
「何を言う。彼女の疑いはすでに晴れたではないか」
兵士は厳しい顔で言った。
「あの后じたいが、間諜です。今は捕らえています」
その言葉をきいて、セレンの心臓は痛いほどにドクンと脈打った。思わず顔を上げて兵士を見たセレンに対して、兵は容赦なく蹴りを入れた。腹だった。鍛え上げられた兵士の足から繰り出されたそれはあまりに強く、セレンは衝撃で気が遠くなった。
(くそ、だめだ…こんなところ…で…)
「俺が留守の間、一体何があったんですか」
異様な興奮につつまれている城内へ戻って一番に、トラディスと王子はシャルリュスを訪ねて聞いた。
「王子、長旅お疲れだろう。それにトラディス、帰りを待っておったぞ」
2人を見てシャルリュスは言ったが、その目はいつもにも増して冷たく光っていた。
「2人とも疲れているだろうが、詳細を話そう。さあ、座って。
…王子たち一行が出発して数日たった日、私は城内に侵入してきたウツギを捕らえることに成功した。そやつはウツギの中でも反抗的で、我々に逆らおうと皆を扇動していた男だった。どうも団長がおらずこちらが手薄になっていると踏んで侵入してきたらしい。私はそやつを処刑しようと捕らえたが、数名のウツギが彼を救出しようとイベリス兵に挑みかかってきて小競り合いになった。そのせいで一気にウツギ者たちの反抗心に火がついてしまったらしい。私は反乱を起こさないためにも女子どもを数名捕らえて人質にした。
そんな中、私は思いもかけない人物が城を抜け出すのを見た。后のミリアネスだ。私はこっそりとあとをつけた。彼女は森で女と会っていた。2人の話から、驚きの事実がわかった。后と会っていた女はウツギを束ねる女長で、ミリアネスはその女に相談を持ちかけていた。望むならトリトニアが兵力援助をすることもできるから、ウツギはトリトニアと手を組め、大公もそう望んでいると。
それを聞いて私は理解した。彼女はウツギを横取りし、イベリスを潰すために大公から送られた駒だったということを。私はその場ですぐ后を捕らえた。ウツギの女長は逃がしてしまったが…」
話はそこで終わった。王子はきいた。
「それで、父上は?帰ってきてから姿を見ないが、今回のことをどうお考えてになっているのだ?」
シャルリュスは渋い顔で首をふった。
「后が裏切っていたことをお信じになれなくてね。だが事実だからわかっていただくより他ない。その結果、衝撃を受けて倒れてしまわれた。全く…だから私がかわりに指揮をとっているのだ」
言葉とは裏腹に、その口調はまんざらでもない様子だった。トラディスは慎重に聞いた。
「本当に后様は、間諜だったのですか?認めたのですか?」
「私も信じられない。お優しくて、妹たちにも良くしてくれた義母上だったのに…」
シャルリュスは首をふった。
「王子は、まだお若い。トラディスも、私からすればまだ若い。これを機に女というものについて覚えておくと良い。女というのは、良かれ悪かれ、常に男を騙そうとしてくるものだ。しんから信じてはいけない。その身を滅ぼすぞ」
その言葉には毒々しい気迫がこもっていた。王子も、トラディスも押し黙ってしまった。
トラディスの脳裏に、セレンの姿が浮かんだ。そうか、それなら彼女も、私をだましていたのか…。いや、そんな事、考えたくなどない。
「それで今後、どうなさるおつもりなのですか、叔父上」
感情を抑えて事務的に聞くトラディスに、彼はうなずいた。
「それを決めたくてね。だから2人の帰ってくるのを待っていたのだよ」
察しの良い王子は、うつむいてつぶやいた。
「戦に…なるのか」
「イベリスのしたことを考えれば、戦を起こす立派な理由になる。しかし…戦というのは起こせばいいというものではない、勝つ見込みがないのなら、しないほうがいい」
それは、その通りだ。今のイベリスでは、トリトニアに勝てるかわからない。トラディスは思った。
「しかし、このまま黙ってもおけない。叔父上はどうお考えですか」
その問いにシャルリュスはにやりと笑った。
「私としては、イベリスの不利益になることはしたくない。やっとここまで立ちなおったし、これからなのだ。なので現状を維持していきたい」
「…と言うと?」
「ミリアネスの兄も、若くして病気で死んだな?ミリアネスにも、そうなってもらえば良いだけのこと。病死ということにして葬儀をあげれば、トリトニアも文句はつけられまい?やつらとの関わりはこれでお終いにし、ウツギへの監視を今までより強める。これでイベリスはいつもの日常に戻る」
(っ…ここは…)
セレンは腹をおさえながら起き上がった。まぎれもなく地下牢だ。ただ、一人ではなかった。老女がセレンが起き上がるのを手伝って、背中を支えてくれていた。
「目が覚めたかい、セレン」
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「あ、あなたたちは、なぜ捕らえられて…私がいない間、何があったのですか?アジサイは…」
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「あんたらが行ってしばらくして、アサギリが村を抜け出してね。兵が少ない今がチャンスだって。結局それで捕まっちまった。何人かの男たちが、彼を助けに行こうとして、兵と戦って殺されてね…それを知ったウツギの皆は、もう我慢の限界だと武器を手にし始めた…。姉巫女様は必死に抑えておられたが、限界を感じてあんたのお后さまに助けを求めた。だが后様はイベリスのヤツにつけられていた…わしも姫巫女さまも別の方向へ逃げた…そのあとわしはつかまって、姉巫女さまがどうしているのかわからない…!つかまってしまわれたかもしれない…!」
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嗚咽をあげる老婆を、セレンは抱きとめた。その体は枯れ木のように細く、軽い。
(貧しさと搾取の中で、どのくらい辛い思いをしてきたのか…)
その中の唯一の生きた希望が、アジサイだったのだ。その気持ちはセレンにも痛いほどわかった。セレンにとっては、ミリアネスがそうだったからだ。後ろの女たちも、それを聞いて涙ぐんでいた。
「…どうか諦めないでください。私は絶対に諦めません、彼女のことも、ミリア様のことも」
老婆はセレンの胸から顔を上げて言った。
「ああ、なんだろうね。あんたに触れて、少し元気が出たよ。姉巫女さまとはちがうが…不思議な子だ。あんた、もしかして」
するとその時、ガチャンと牢のドアが開いて、兵士が入ってきた。彼らは老女からセレンを引き離し、荒々しくセレンを引き立てていった。
その背を、女たちは悲痛な、だがどこか希望を持ったまなざしで見つめていた。
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「トラディスの言ったとおり、お前はとんだ間諜だったな」
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「さて、一つききたいことがある。ウツギの親玉の女は、どこにいる?」
セレンは内心、喜んだ。アジサイはイベリスの手から逃れることができたのだ。
「知りません。私は先ほどやっとイベリスの帰ってきたんですから」
「しらばっくれても無駄だぞ。お前の主が、どうなってもいいのか?」
セレンは唇を噛んだ。卑劣な男だ。おそらくアジサイは洞窟の中だろう。だが死んでもそれは言わない。特にこの男には。
「知らないものはいえません」
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(この男が、弱い立場の私との約束を守るはずがない。アジサイの居場所を教えたら最後、私も、アジサイも、そしてミリア様も殺すつもりだ)
どうすれば、彼を出し抜けるだろう。セレンは必死に考えた。きつく縛られた縄が手足にくいこみ、焦りが募った。
「…私はともかく、ミリア様に手を出せば大公が黙っていませんよ。トリトニアと戦争する気ですか」
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セレンの身に戦慄が走った。そんな彼女を見て、シャルリュスは鞭を手にした。
「言わぬのであれば、これの力を借りるしかあるまいな。だがお前は痛みに強そうだ。打つより刺すほうが良いかもしれぬなぁ」
思案顔でシャルリュスはテーブルの上から箱を持ち上げ、セレンに中身を見せた。
「これが私の道具だ。少し前も、これである女の爪をはがしてやった。これは歯を抜く用、これは返しの付いたナイフ…いちど刺されば、肉をえぐりとるしか抜く方法はない。お前はどれが気に入るかな?」
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その発言に、シャルリュスの余裕の笑みが消えた。彼は無表情で、セレンの髪をつかんだ。
「バカな小娘め。ここで私を怒らせるとどうなるのかも、わからないのか」
髪を引き上げられながらも、セレンは相手をにらみつけた。
「怒るってことは、図星だからだ!分をわきまえずリンドウに手をだしたからだ、醜い老いぼれが!」
が、シャルリュスはその言葉を受け取めることはしなかった。
「決めたぞ。これを使おう。お前のように生意気な女にはこれがぴったりだ」
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(何!?)
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「…おのれ…リンドウめ…最後まで…この、私を…」
裏切っていたのか。そう言う前に、シャルリュスは息絶えた。
(父さん?リンドウ?どういうことなの)
混乱するセレンの手の縄を、ハエはすばやく切った。
「早く、窓から逃げるよ!時間がない」
「ではお大事に、陛下…」
トラディスは思い気持ちで、陛下の寝室をあとにした。彼の声も、王子の声も、横たわる陛下の耳には届いていなかった。
(なんてことだ。留守の間に、ここまで状況が悪くなってしまうとは)
陛下も倒れ、トラディスと王子が留守にしていたこの数日に、シャルリュスはすばやく動いて物事の対処にあたった。もはや彼が実権を握っているといってよかった。
(彼がすべてを指揮している…王子を差し置いて。だが経験、力ともに彼のほうが上だ。いまは頼るより他ない…)
トラディスは悔しさに唇をかんだ。このままの状況が続けば、シャルリュスが玉座に座ってしまうかもしれない。
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(俺の…願望か)
倒れて意識不明になった陛下の気持ちが、トラディスにもよくわかった。だが、自分は倒れるわけにはいかない。この非常時に、王子を助けられる人間がいなくなる。それに…
(おれはちゃんと、あいつに聞きたい。あいつと話がしたい)
トラディスは牢へと足を向けた。そこへ兵士が駆け寄って告げた。
「団長、大変です!侍女の女が、宰相殿を殺して逃げました!」
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あれよあれよという間に、着飾られた私は自国の皇帝の妃の一人になっていた。
しかし、皇帝のお迎えもなく
「忙しいから、もう後宮に入っていいよ」
そんなノリの言葉を彼の側近から賜って後宮入りした私。
秘書省監のならびに本の虫である父を持つ、そんな私も無類の読書好き。
朝議が始まる早朝に、私は父が働く文徳楼に通っている。
そこで好きな著者の本を借りては、殿舎に籠る毎日。
皇帝のお渡りもないし、既に皇后に一番近い妃もいる。
縁付くには程遠い私が、ある日を境に平穏だった日常を壊される羽目になる。
誰とも褥を共にしない皇帝と、女官になるつもりで入ってきた本の虫妃の話。
更新はまばらですが、完結させたいとは思っています。
多分…
【完結】私だけが知らない
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目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。
優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。
やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。
記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。
【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位
2023/12/19……番外編完結
2023/12/11……本編完結(番外編、12/12)
2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位
2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」
2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位
2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位
2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位
2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位
2023/08/14……連載開始
【完結】言いたいことがあるなら言ってみろ、と言われたので遠慮なく言ってみた
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社交シーズン最後の大晩餐会と舞踏会。そのさなか、第三王子が突然、婚約者である伯爵家令嬢に婚約破棄を突き付けた。
なんでも、伯爵家令嬢が婚約者の地位を笠に着て、第三王子の寵愛する子爵家令嬢を虐めていたというのだ。
婚約者は否定するも、他にも次々と証言や証人が出てきて黙り込み俯いてしまう。
勝ち誇った王子は、最後にこう宣言した。
「そなたにも言い分はあろう。私は寛大だから弁明の機会をくれてやる。言いたいことがあるなら言ってみろ」
その一言が、自らの破滅を呼ぶことになるなど、この時彼はまだ気付いていなかった⸺!
◆例によって設定ナシの即興作品です。なので主人公の伯爵家令嬢以外に固有名詞はありません。頭カラッポにしてゆるっとお楽しみ下さい。
婚約破棄ものですが恋愛はありません。もちろん元サヤもナシです。
◆全6話、約15000字程度でサラッと読めます。1日1話ずつ更新。
◆この物語はアルファポリスのほか、小説家になろうでも公開します。
◆9/29、HOTランキング入り!お読み頂きありがとうございます!
10/1、HOTランキング最高6位、人気ランキング11位、ファンタジーランキング1位!24h.pt瞬間最大11万4000pt!いずれも自己ベスト!ありがとうございます!
「不細工なお前とは婚約破棄したい」と言ってみたら、秒で破棄されました。
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ロイ王子の婚約者は、不細工と言われているテレーゼ・ハイウォール公爵令嬢。彼女からの愛を確かめたくて、思ってもいない事を言ってしまう。
「不細工なお前とは婚約破棄したい」
この一言が重要な言葉だなんて思いもよらずに。
※約4000文字のショートショートです。11/21に完結いたします。
※1回の投稿文字数は少な目です。
※前半と後半はストーリーの雰囲気が変わります。
表紙は「かんたん表紙メーカー2」にて作成いたしました。
❇❇❇❇❇❇❇❇❇
2024年10月追記
お読みいただき、ありがとうございます。
こちらの作品は完結しておりますが、10月20日より「番外編 バストリー・アルマンの事情」を追加投稿致しますので、一旦、表記が連載中になります。ご了承ください。
1ページの文字数は少な目です。
約4500文字程度の番外編です。
バストリー・アルマンって誰やねん……という読者様のお声が聞こえてきそう……(;´∀`)
ロイ王子の側近です。(←言っちゃう作者 笑)
※番外編投稿後は完結表記に致します。再び、番外編等を投稿する際には連載表記となりますこと、ご容赦いただけますと幸いです。
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