不滅の誓い

小達出みかん

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大公との会見

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セレンたちがトリトニアの首都エウレデに、無事到着したその朝。

 ミリアネスは一睡もできなかった身体を、ひとり寝台に横たえていた。妊娠が発覚してからは陛下と寝台を別にしている。あまりに体調が悪いからだ。


(もう朝なのに、起きられないわ)


 腹に子を宿すという事が、これほど苦痛を伴うとは。ミリアネスはなんとかベッドに手をつき、身体を起こした。


(でも…この苦しみも、自業自得、だわ)


 始終吐き気と痛みを感じる腹をおさえながら、ミリアネスは思った。セレンが発ってから、悪阻がひどい。水ですらすぐ戻してしまう。だが何も食べないわけにはいかないので、喉にかゆをつめこみ、吐き気と戦う毎日だった。


(もしかして、あなた…育つのがいや?出てきたくないの?)


 ミリアネスは心の中でそう語りかけた。


 もちろん、答えはない。が、ミリアネスはつづけた。


(そりゃあ、そうよね。母の私がこんなに怖がって怯えているんだもの。あなたはきっと、もっと怖いわよね…)


 だが、もう後戻りはできないのだ…100回くらい考えたことを、ミリアネスそうしてまた考えていた。と、その時、ノックの音がしてシザリアが入ってきた。


「おはようございます、ミリア様。お加減いかがですか」


 シザリアは朝食の盆をベッドにわきのテーブルに置いた。麦粥と少しの茹で野菜に、温かい薬草茶。このくらいしか今のミリアには受け付けられなかった。


「ええ、大丈夫。心配かけて悪いわね」


 シザリアを安心させるよう、ミリアは笑顔を作ってお茶を一口づつのんだ。吐き気はひどいが、喉はからからだ。


 ミリアネスが心身ともに無理をしていることに気が付いているシザリアは、彼女の気を紛らわせようと窓の外を見て言った。


「そういえばセレンたち、もうすぐエウレデにつくころですわね」


 ミリアネスもつられて、窓を見た。


「この冬は年越しの祭りも中止で、街中はさびしいでしょうね」


 ミリアネスの思いは空を飛び、遥か遠くの故郷に思いをはせた。


「セレン、大丈夫でしょうか。かなりショックを受けていたので…」


 ポツリとシザリアが言った。


「そうね…あのセレンが、ね」


 シザリアは眉を寄せて肩をすくめた。


「というか、私も含め、トリトニアのほぼすべての女が――ショックを受けていますわ」


 ミリアネスはふうとため息をついた。生まれつき、兄は体が弱かった。いつかこうなるとは皆が予想していたことだ。だがわかっていたとしても、彼を失ったことは辛かった。


(城の中の、オアシス…そんな存在だったもの、兄上は。苛烈な父上とはちがって、そこにいるだけで皆が穏かな気持ちになった)


 兄は、自分が病弱なためにかける迷惑や、大公の子として将来役に立てないことをよく知っていた。それゆえ、彼はいつでも周りへの感謝の気持ちを忘れず、誰にでも優しく、公平にふるまうことを徹底していた。


 そして、どんなに身体が辛いときでもそれをこらえて、外に出さない強さも持っていた。

 兄と接すれば、しかめっ面の人も笑い、意地悪な人も優しくなった。兄はまた、人格者でもあった。孤児院をよく訪ねたり、身寄りのない子どもをひきとって教育する一面もあった。彼はよく言っていた。「上に立つものは、下のものを幸せにする責任があるんだよ」と。


 ミリアネスがセレンを引き取ったのも、そんな兄の行動を真似したいという思いがあったからだ。セレンも、最初は暗く怯えた顔をしていたが、兄と接するたびに明るくなっていった。


(兄のような人間になりたくて頑張ってはいたけれど、だめね…)


 自分は悪阻にすら耐えられず、負けそうになっている。再びせりあがってきた吐き気をこらえるため、ミリアは深く深く呼吸をした。


「ミリア様、大丈夫ですか!?」


「ええ、私は、大丈夫…セレンは、どうかしら」


 おそらく誰よりも今回の事に心を痛めているはずの彼女が、ミリアネスは心配になった。


「でもセレンもきっと、ミリア様の事を心配なさっていると思いますわ、だって…」


 そこでシザリアは窓のほうを振り向いた。なにやら外が騒がしい。


「どうしたのかしら?」


 ミリアネスが不安気なのを見て、シザリアはドアへ手をかけた。


「私、様子を見てきますわ。物騒なことでないといいのですけれど…カギ、内側からしめておいてくださいね」




 厳かな空気の中、棺が運ばれ葬儀は終わった。セレンは一心不乱に他のことを考えて、なんとか葬儀の時間をやりすごした。


(このあとの集まりに出る王子が心配だ…どうせ大公は、招いた賓客たちを集めて何か催すにちがいない。私は王子をお助けしなくては。何しろ皆、外のことを何も知らないのだから。それと大公にも話をしにいかなければ。見つからないようにこっそりと…)


 あとは入墓の儀式があるが、それは身内しか参加できない。セレンは行きたい、とも行きたくない、とも思ったが、仕事が優先だ。


 セレンの目論見どおり、貴賓席の王子はすぐに外国の賓客や貴族達にかこまれ、まごついていた。セレンは末席からかけよって彼を救出した。

 さりげないセレンのアシストによって人波から開放された王子は、大柱のかげでふーっと息をついた。


「ありがとう、助かった」


 セレンは声を低くして言った。


「皆、イベリスの情報がほしくてあなたに興味しんしんです。中には上手く秘密を聞き出そうとする者もいますので、お気をつください」


 ふふと王子は笑った。


「大丈夫、そういう男の相手は、宰相殿でなれているから」


 意外にもひょうひょうとしたその表情を、セレンは少し以外に思った。


(イベリス式の教育で育てられているから、駆け引きや裏を読むことができない王子様だろうと思っていたけど…意外とそうでもないのか)


「もう大丈夫だ、君は下がっていいよ」


「晩餐も、お1人で?おそばにいなくても、よろしいですか」


「ああ、大丈夫。そんなに頼りなく見えるかい?」


 こういわれると、セレンも強く出れなかった。それに自由時間がもらえるのは、願ってもいないことだ。






「このたびは、お悔やみ申し上げます」


 セレンはあの、ガラス張りの執務室で大公に向かって頭を下げた。


「いや、前置きはいい。そちらの状況を教えてくれ」


 ソファに腰掛けた大公はにべもなく言った。少し疲れてはいるようだが、その目は以前とおなじ光を失ってはいない。


 セレンはウツギと接触したこと、それぞれの暗殺未遂のこと、ミリアネスの妊娠のこと、ウツギの長の姉と弟の関係、そしてリンドウが殺された顛末…今まで起こったこと全てを話した。自分がウツギの長の血筋であること以外は。


「つまり、半年もたつというのに具体的な了承は、まだ得ていない、ということだな」


 その通りだ。「宿題」はまだ果たせていない。


「申し訳ございません、大公様」


 セレンは先ほどより深く頭を下げた。ガウラスは軽い表情で手を振った。


「まあよい、急いてはことを仕損じるからな。しかし…ミリアがみごもったのは、早かったの」

「…そうですね」


「だが、トルドハル王にはすでに子がたくさんいるのだったな?となるとあまり利用価値はないか。とはいえ、めでたい事だから帰りに祝いの品を持たせよう。さて」


 ここでガウラスは意味ありげに言葉を切った。

 …何をいうつもりだろう。内心戦々恐々としながら、セレンは聞き返した。


「は、何でございましょう」


「お前の報告には、おおむね満足しておる。だがミリアの暗殺未遂の件だけは、聞き捨てならぬな」


 温和な笑みをたたえてはいるが、その表情は逆らうことのできないものを感じさせた。ガウラスおなじみ、人を威圧する笑いだ。


「申し訳ありません。私がついていながら…。犯人は今、イベリスも共に捜査中で」


「そういうことを言っているのではない。セレン、お前はもう少し、上手く立ち回ってくれると思っていたのだが」


 セレンはひやりとした。彼が何をいいたいのか、測りかねた。


「とおっしゃりますと…?」


 大公は肩をすくめた。



「だがまぁ、お前はまだ若い。有能な間諜に育てるには教えてやらなくてはな。いいか、セレン。私はお前に、どうオーダーを出した?」


 セレンは慎重に答えた。


「イベリスがひとりじめしているウツギを、秘密裏にこちらの味方につける…というこだったかと」


「そうだ。これ以上の脅威になる前に、わしはイベリスを潰したいと思っている。その有効な手段がウツギを奪うことだ。お前たちの準備が整いさえすれば、わしはいつでも戦う大義名分を欲しているのだ。わかるな?」


 セレンは重くうなずいた。


「…ミリア様の暗殺騒動のときは、隠すべきではなかったという事ですね」


 大公はうなずいた。 


「そうじゃ。我がトリトニアの姫が暗殺されそうになった。イベリスに戦を仕掛ける正等な大義名分じゃ」


 セレンはただ唇をかみ締めた。さまざまな思いが胸のなかに渦巻いたが、それをおもてに出すことはできない。


「まぁ、今回はよいだろう。まだウツギと正式に同盟を組めておらんし、時期尚早だ。だが、お前はすぐにそれを伝えるべきじゃった。よいか、心しておけ」


「はっ、承知いたいしました」


 セレンは頭を下げてはきはきと答えた。


 大公はうなずいたあと、さっと切り替えて質問をした。実務家らしい、無駄のない態度だ。


「それともうひとつ聞くが…お前が見て、イベリス兵はどうだ?陥とすには手ごわいか?」


「そうですね…」


 セレンは彼らの様子を思い出しながら言った。


「兵士の数は、圧倒的にこちらのほうが多いです。しかしイベリス兵はご存知の通り強いです。幼いころから徹底的に訓練されています。大将も参謀も手ごわい。もしこちらから出向いて戦をするとするなら、あちらに地の利もあります。なのでこちらも何か策を用意してからいかないと、苦戦するかと」


「ふむ。大将と参謀は、誰だ?」


「兵団の団長はトラディスという男です。彼が兵士達をまとめ上げています。参謀は、宰相のシャルリュス。トルドハル王の弟で、イベリスを立て直したのも彼の政策が成功したからだそうです」


「宰相の事は聞いたことがある。辺境伯に接触しようとしてきたそうだ…。要注意人物だな。トラディスとやらは、たしか今回来ているな?」


 さすが大公。そういったところは見逃さない。


「ええ、来ていますね」


「お前から見てどうだ、2人に弱点はあるか?」


「団長のほうは、根っからの軍人と言った感じです。ただ外の世界を知らない、どこか純な所があるので騙されやすいかと。宰相の方は・・・蛇のような男で、油断なりません。けれども度を越した女好きです。先ほどお話したように、敵のはずのウツギの女を愛人にして、彼女から情報を抜かれていました」


「宰相は、その女を怒りに任せて殺したのだったな?ならばそやつを亡き者にすればトリトニアには有利になり、ウツギに対しては好印象だな。団長のほうも、言わずもがな…」


「そう…なりますね」


 大公はそこで意味ありげに沈黙した。セレンは背中に汗が伝うのがわかった。


(どうしよう、団長を暗殺しろと、言われたら…)


 が、切り替えるように大公はぱっと手を広げた。


「だがお前は殺し屋ではないからな、それは最後の手だな。今のところは、ミリアの健康を気にかけて、ウツギの姉弟との交渉を続けろ。すぐそばの宿場町にわしの子飼いを複数忍ばせておるから、なにか事がおこれば連絡せい」


「はい」


 大公はうなずいた。もういってよし、ということだ。セレンはかしこまって頭を下げてから、退出した。
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