不滅の誓い

小達出みかん

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思惑

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洞窟の天井から、雫が滴っている。

 そのささやかな滝が落ちる先は、青い燐光を放つ池だ。

 池の水面は、水底の青く微かな光をこの洞窟全体に反映させていて、壁も、天井も、青い光のなか、まどろむように流れていく。もっともっと深い奥底へ。

 その静かなせせらぎの中、ここにたたずんでいると、まるで海上にいるような、そんな心地になるのだった。


(本物の海なんて、見た事ないんだけど、ね…。)


 巫女アジサイは、少し苦笑して、一歩池に近づいた。

 彼女にとって、ここの洞窟の中の景色だけが本物だった。外には、数えるほどしか出たことがない。 

 アジサイは池の光にむかってひざまづき、祈った。今日はいつになく、気持ちが高揚していた。

 一族の悲願が、ついに叶うかもしれないのだ。

 ささげ持った供え物の台を、恭しく湖のきわに置き、アジサイは膝を地面について祈った。


(―――どうか)


(この、彼女がきてくれますように、そして…)


(その暁には、一族皆が、昔のような自由の身に戻れますように…!)



   ***



 婚約の儀式は、質実剛健なイベリスらしい簡素なものだった。

 トルドハル王とミリアネス姫は兵舎の前の石の広場で儀式を終え、片膝を付いて剣礼をとる兵士たちが居並ぶ橋を渡り、夫婦となって城へと戻った。


 はじめて見るイベリス兵も、そして王その人も鍛え上げられた肉体を持ち、ふれれば弾かれそうな強い圧を感じた。唯一剣に覚えのあるセレンも兵に奪われてしまい、ミリアネスは昨日からずっと不安を感じていた。


(セレンを返してほしいわ。それを聞いてもらうには、陛下とまず仲良くならないと…)


 まだ一言も、王と言葉を交わしていない。病を患っていて、年も2回り以上離れていると聞かされていたので、ミリアは年老いた翁のような男を想像していた。しかしトルドハル王は年によらず精悍さを保っていて威厳があり、昨日ミリアネスはかえって尻込みをしてしまった。

だが、勇気を出して王にはじめて話しかけた。


「ふつつかな私ですが、よろしくお願いいたします、陛下」


 イベリス式に深く礼をして、ミリアネスは頭を上げて壮年と言ってもいいトルドハル王の顔を見た。無表情だったが、その目から悪意は感じられなかった。ミリアネスは少し微笑んだ。安心から出た素直な表情だった。


(この人はきっと、悪い人ではない)


 直感でミリアネスはそう思った。人は誰しも、中身が外見ににじみ出る。年齢を重ねている者ならなおさら。

 見た目は恐ろしげだが、トルドハル王の姫を見るまなざしからは年を重ねた思慮深さと、隠された優しさを感じた。

 その姫の目線を受け、引き締まったトルドハル王の表情が、少し緩みかけた。その時…


「あっ…お父様ーっ!!」


 バタンと音がし、戸口から幼い女の子が転がるように入ってきた。


「だめよ、シャルロット!」


その子を追うように、続いて少女が2人入ってきた。


「何よお。姉さまだって、気になってたくせにぃ」


 シャルロットと呼ばれた女の子はぷんと頬をふくらませた。が、トルドハル王の顔をみてしゅんとした。


「ごめんなさい…。気になって。新しいお母様が」


 彼女はそういってミリアネスを見た。


(あら…この子たち全員、陛下の子どもなのね!知らなかったわ)


 ミリアネスはそう思った。普通であれば驚く状況だったが、ミリアネスにとってそれは思いがけず嬉しい事だった。


 王はしばし黙っていたが、初めてミリアネスに向かって口を開いた。


「遅くなったが…紹介する。前の妻との娘、ユリア、パディータ、シャルロットだ。それと上に息子、レオンハルトがいる」


 重々しい口調だったが、その眼差しには子どもにたいする気持ちが感じられた。ミリアネスは素直に言った。


「そうなのですね…。嬉しいですわ。どうか私と、仲良くしてくださいね」


 ミリアネスは子どもたちに向かってそう言った。幼い子どもというのは、難しいことはわからずとも大人の本心を感じ取る術を知っている。恐れ知らずの末っ子、シャルロットはすぐさまミリアネスのそばまで走りよってきた。


「お母様、素敵な長い髪!お日様みたいに光っているわ!こんなお母様だったらいいなって、私ずっと思っていたの」


「ええ、よろしくね。シャルロット、パディータ、ユリア…」


 ミリアネスは戸口に立っている2人に向かって笑いかけた。一番年長のユリアはぎこちない表情だが、パディータはおずおずと微笑みを返してくれた。

 それを見るトルドハル王もまた、内心では微笑んでいた。


(大国、トリトニアの姫と聞いてどんな高飛車な姫が来るかと思っていたが…いい娘ではないか)


 家臣や兵たちは、ガウラス大公の息がかかっている女だと警戒していたが、実は王は一目見て彼女を気に入っていた。

 東ではめったに見られない、黄金に輝く小麦色の髪。遠慮がちに微笑むその横顔は白い花のように優しく美しい。

 何より彼女の全体から、平和の中で慈しみ育てられた、明るいのびのびとした気質が感じられた。それの彼女の若さは、長年の戦闘をへて体を壊し、枯れ木のような心を持つトルドハル王にとってはまぶしいものだった。

 それ故、王は彼女を目の前にして戸惑っていた。


(この年で若者のように動揺するなど…情けないではないか)


「あの…陛下」


 再びミリアネス姫に話しかけられ、王は平静を装って彼女を見た。


(あ…あまりご機嫌がよろしくないのかしら…やめましょう)


 早速セレンを開放するよう頼むつもりだったミリアネスは、その様子を見て口をつぐんだ。


「なんだ、言ってみろ」


「なんでもありませんの…ただ、可愛らしい姫たちとあえて嬉しくて。紹介してくださって、ありがとうございます」


姫は微笑みながらそういった。 


(まだ言い出せないわ…もしもご不興を買ってしまったら、ますますセレンは返してもらえなくなる。もうすこし機を見て切り出すべきかしら)


 しかし、ミリア姫よりはるかに年長のトルドハル王は、彼女の言いたいことを見抜いていた。


「…ほかにも言いたいことがあるのだろう、捕らえられた侍女のことか」


「えっ」


 ミリアネスは驚いてトルドハル王を見た。


「お…恐れながら、その通りでございます。彼女を返していただければ…と。怪しい人物でないことは、私が保証したしますので…」


少し目を伏せて、ミリアネスは続けた。


「昨日今日会った私が保証しますと言っても、信じて頂くのは難しいかもしれませんが…」


「いや。トラディス兵団長と話してみよう」


 ミリアネスの顔がぱっと輝いた。


「本当でございますか…!ありがとうございます!」




 イベリスの王兵団を束ねる団長、トラディスは珍しくイライラしながら夕食を口にしていた。

 彼は王家の一員だが、質実剛健をその旨としていたので、食事はいつも兵舎で兵たちと一緒に摂っていた。

 兵たちはいつもと違いただならぬ様子の彼の様子を、心配そうに見つめている。


(さっき陛下が、彼に進言したそうだ――)


(后の侍女を解放してやってはどうかと――)


(でも団長が許すはずがないよなぁ?陛下のことを思ってしているのに)


(宰相様だって、疑ってるようだし――)


 兵たちはひそひそそう言葉を交わした。

 聞こえるともないその声を聞いて、団長はますます腹が立ち、席を立った。


(まったく、たるんでいるな)


 誰とは口に出さないが、団長はそう思った。すると目の前を少年兵が通った。手には古びたパンの包みを持っている。


「おい、止まれ」


「はいっ」


 団長に声をかけられて、少年兵はびしりと立ち止まった。

 苛立ちをぐっと抑えて、団長は彼に命令を伝えた。兵は一瞬驚いた顔をしたが、すぐ厨房へとって返した。

 その後姿を見ながら、団長はため息をつきたい気持ちになった。


(あの女は、どこか怪しい。たしかに証拠はそうないが、俺のカンがそう告げている)


 たしかにぱっと見てあれがウツギの者とはわからないだろう。だがあの目の色はどう見ても彼らと同じ色だ。髪と肌はごまかせるが、そこは変装できない。経歴も怪しい。


(好かん女だ)


トラディスにしてみれば、第一印象から悪かった。


 あの橋の上で相まみえたとき、トラディスは馬車の前から強い殺気が放たれているのを感じた。そして、セレンと目があって衝撃を受けた。


 この小さな小娘から、それが放たれているということに。その姿はまるで得体の知れない小鬼が自分の前に立っているようだった。異形の者。それは小さい女の姿をしているのに、馬を操り腰に剣を下げていた。頭の後ろに一つに結われた髪は風に揺れて帯のようになびき、彫刻のように狂いなく端正な顔立ちに深い、深い、藍色の目――


 すべてが、イベリス人のトラディスからしたら異質な姿だった。

 その目は何の遠慮も、つつしみもなく、トラディスを中心まで射抜くように見た。

 その瞬間、トラディスの背筋に戦慄のような何かが走った。

 心臓の中心を射抜かれたような、恐ろしい感覚だった。

 なにしろそれまで、どんな屈強な男を相手にしても、ひるんだことのない彼だった。鍛え抜かれた体に、磨きぬかれた剣の腕には自信もあった。


 そんな自分が、なぜ。そう思い返すと、なおさら腹が立った。

 だが、ただのメイドではなくミリアネスの一番の侍女という肩書きの手前、そう簡単に処刑することもできない。


 その上王は、あれを解放するようにと言ってきた。冗談ではない。いくらミリアネスが美しかろうと、トリトニアはうかうかと信用するべき相手ではない。


 なにしろウツギの間諜を送り込んでくるような相手なのだ。なんとも卑劣きわまりない手を使う連中だ。処刑が無理ならば送り返すべきだとトラディスは主張した。

 しかし王は首をふった。不満そうなトラディスに、王はミリアネスに見せた顔とはうってかわって、疲れのにじむ表情で提案した。

 かつての強い王も、老いには勝てない。そして若い女などに取り込まれようとしている…。トラディスはそんな王に対して強いあせりを感じていた。


「ではこうしよう。お前がその侍女を気が済むまで調査をしろ。そして疑いが晴れたら、彼女を牢から出してやれ。ただし手荒なまねはいかん。丁重に扱わなければ」


「疑いが晴れなかった場合は処刑してもいいのですか」


 王は片眉を上げた。


「わしも后も納得するようなウツギの、『証拠』があればそれもかまわん」


 ここまで言われては、従うよりほかなかった。

 だがどうしたことか、あの女と再び相まみえるのは猛烈に気が進まなかった。

 職務を先延ばしするのはトラディスの性分ではなかったが、今日にかぎっては…。

 団長は兵舎を出て、自分の家へと戻ることにした。


(まあ、いい。とりあえず今夜はあの牢の中だ。妙なこともできまい)

 トラディスは自分にそう言い聞かせ、苛立ちをおさめた。




 牢に閉じ込められて丸一日たつ。

 じっと耳を済ませていたが、この場所では婚礼の様子は何一つわから

なかった。兵が出払い、夕刻帰ってくる気配がしたがそれだけだ。

 セレンはちらりと階段を見た。朝から誰も来る気配はない。


(放っておかれているのは好都合だけれど、出る手段を見つけなくては…)


 そしてさすがに空腹だ。朝投げつけられたパンはとうにない。だが空腹を抱え過ごすのはセレンにとって慣れた感覚で、むしろ懐かしさすら覚えた。


(昔もよく、空きっ腹でずっと動いていたものだったな…)


 難民として子ども時代をすごしたセレンにとっては、空腹も、あからさまに下に見られるのもよくあることだった。

 自分に温かい目を向けてくれた人などミリア姫とーシリル王子くらいだった。

 病がちで外に出られない兄のシリルを元気づけようと、城下に出て「面白いもの」を探していたミリア姫の目にふと留まったのが、セレンだったのだ。




 城下町の広場で、セレンは旅芸人の一座の下っ端としてあくせく芸を披露していた。

 旅芸人といえば聞こえはいいが、除籍された騎士くずれや土地をなくし放浪する農民の集まりで、一言でいえばならず者の集団だった。あちこち盛り場を渡り歩き、あぶく銭を稼ぎ、いつもギリギリの生活だった。


 使えない子どもはすぐに放り出されて飢え死にするしかなくなる。だからセレンは必死で働いた。使い走りやあんま、時にはかっぱらいや詐欺も、命令されればなんでもした。

 さらに見よう見まねでトンボ切りや剣を使った立ち回りなどの芸を覚えた。 

 見込みがあったのか、そのうち騎士くずれの男に剣の扱いを指導してもらえるようになり、上達していった。

 そして披露していた芸が、ふと馬車で通りかかったミリアネスの目に留まったのだ。


「すごいわ!!そのジャンプ、お兄様にもお見せしたい!ね、いいでしょう、おねがい!」


 姫が従僕にそう頼み込んで、セレンは生まれて初めて城へと足を踏み入れた。

 セレンのトンボきりと剣舞を見たシリル様がとても喜んだので、ミリアネスはセレンを気に入って旅芸人の一座からもらいうけた。


 天真爛漫で知りたがり屋のミリアネスと、外の世界に詳しく用心深いセレンは息の合う主従となった。最初は、ただの芸人としての扱いだったが、ミリアネスがセレンを連れまわすうちに護衛にまで出世したのだった。


 小さいころ、ミリアネスは好奇心旺盛でおてんばだったので、ふらりと外へ飛び出しては危ない目にあったり、転んで傷を作りそうになってきた。

 いつもそのたびにセレンが助けてきた。

 すべてが懐かしい思い出だ。だが…


(もとは難民だった私がここまで取り立てたれたのも、大公の計らいがあったせいだったのかもしれない…)


 今となって、セレンはそう思うようになった。

 ウツギの民として過ごしていた時の記憶はおぼろげだ。だが山の中の村から焼け出され、追っ手に怯えながら走った記憶だけははっきりしている。


 幼かったころは自分の出自など考える余裕もなかったが、旅の中で過ごしていくにつれ、自分が「山の中から逃れた難民」で、それは「ウツギ」であるということがわかった。

 しかし子どものセレンはまだ追っ手を恐れていたので、それを人に言うことしなかった。


 ガウラス大公はセレンが辺境から流れてきた普通の難民ではないことを最初から見抜いたと言っていた。なのでミリアネスがセレンをそばに取り立てることを許した。いずれイベリス落としに使えるかもしれない、駒として…。


 だがセレンはその老獪な差配を、嫌とは思わなかった。


(利用されているなら、それで上等。むしろ、ミリア様を守る任につけてくださったガウラス様に感謝だ)


 そこまで考えて、セレンの口からため息が漏れた。せっかくここまで来たというのに、今の自分では、ミリアネスのお役に立てない。

 セレンはいやになって固いベッドにごろりと横たわった。牢には窓一つなく、鉄格子も固くて脱出などできそうにもない。


…八方ふさがりだ。


 しばらく不貞寝を決め込んでいたが、階段から足音がしたのでセレンは飛び起きた。


(誰…!?)


 だが現れたのは今朝の少年兵だった。


「壁に向かって、手をつけ」


 命令されたので、疑問に思いながらセレンは従った。

 かちゃんと床に何かがおかれ、セレンはおそるおそる振り返った。

 床には盆に載った食事が置かれていた。今朝とはうってかわって、兵たちが食べるようなしっかりとしたものだ。


(待遇が、よくなった??)


 ミリアネスが手を回してくれたのか、あるいは毒殺するつもりか…?セレンはいろいろ考えたが、とりあえず口をつけることにした。


(毒…は、なさそうだな。ならミリア様が何か言ってくれたのだろうか…ありがたいことだ)


 ミリアネスの意向だとしたら、抜け出せる日も近いかもしれない。

 体力を温存するためにも、セレンは早々に休むことにした。

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