ひどい目

小達出みかん

文字の大きさ
上 下
31 / 54

松の位のとばっちり(3)

しおりを挟む
先ほどから、一言も口も聞かず、酒も食べ物もぜんぜん減らない。りんは怖くて顔を上げられなかったが、思い切ってお客に声をかけた。


「あ、あのあの、だんな様、こちらのお酒をお召し上がりになりませんか・・・?」


 座敷では、ひとり残されたりんが名代として青年の相手をしていた。


「わ、私などが相手で、もうしわけありやせん…」


 りんは突然任された名代に、少し緊張していた。なにしろいきなりの千寿の逃亡だ。


(ど、どうやってこの場をつなげればいいんだろう。千寿ねえさまはいったいどうして…?)


「ねえ君、名前はなんというの」


 物憂げにしていた青年が、そのときはじめて口をひらいた。遅ればせながら自分が名乗り忘れたことに気がつき、りんはあわてて手をついて謝った。


「せ、千寿さまの禿の、りんともうしますっ。申し訳ありませんっ」


「そんなに、こわがらないで」


 柔らかな声で青年が言った。おそるおそる、こすずはお客と目線を会わせた。

・・・・柔和な顔立ちの美男だ。鈴鹿がよく眺めていた歌舞伎の女形の浮世絵にも、どこか似ている。

 いままで見たお客のなかで、いっとう美しい。りんの頬はぽうっと赤くなっていた。


「ねえ、聞かせてくれないかい?」


「は、はい、なんなりと」


「あの千寿って子は、どんな子なんだい?」



「せ、千寿ねえさまは…いつも凜としていらして、美しくて、舞が上手で…お客さまの人気もあって。あっ、今日は…どこか具合が悪かったのかもしれません…」


 りんがたどたどしく答えると、青年は熱心にあいずちを打った。


「へえ。そうなんだ。やっぱり人気なんだ」


「は、はい。今日格子から太夫に格上げなされたくらいで…」


「じゃあ、お店でも一番人気なの?」


「そ、そうです。もうひとり、競いあっているお方がおりますが…」


「へえ。その子も、美人なのかな」


「ええと、その方は…」


 りんが口を開きかけたと同時に、スッ・・・と襖が開いた。りんがさっと気配を察して振り向く。


「お待たせいたしました、旦那様。梓にございます」


 そこにいたのは豪華に着飾った梓だった。


「あ、梓さま…?」



驚くりんに、後ろに控える佐吉が静かに、と目くばせした。

梓がスッと立ち上がり、青年の前に三つ指をつく。


「千寿太夫は急病で、臥せっております。代わりに私がお相手いたします」


 青年は無表情で口を開いた。


「僕に、会いたくないって?」


 梓は頭を下げたまま答えた。


「いいえ、そうではございません。たいへんな失礼をして、申し訳ございません…」


「今日はもう、来れないの?」


「申し訳ございません。文などでしたら、御言付けできますが」


 青年はうつむいた。


「・・・そう」


 そして、ふと気がついたように暗く沈んだ目を梓に向けた。



「それで、君は千寿の、何?」



「・・・千寿の代わりでございます、旦那様」


 口元にほのかな笑みを浮かべて、梓が言った。


「・・・・・もういい。帰るよ」


 青年が立ち上がりかけたその時。


「待って」


 梓が真顔になり、彼を引き留めた。


「まだあなたを帰せない」


 青年はうつろなまま、振り返って梓を見た。


「・・・彼女がいないなら、意味がない」


「旦那様。千寿が逃げた理由は、あなたにはわかるのでしょう、きっと」


 怪訝そうに、青年の眉が疑問の形にゆがんだ。


「…本音で話して、いいですか」


 梓は正面からまっすぐ、青年の目を見据えた。


 青年は、面食らったようだが、一瞬のち、かすかにうなずいた。


「よし、じゃあ場所を変えましょう」


 梓と青年は二人きりで、床に移動した。

 佐吉とりんは不安げに、二人が別室へ入っていくのを見守っていた。







「ああ、朝か…」


 床から起き上がろうとすると、体の節々がギリリと痛んだ。ハッと気がついたゆきが慌てて千寿の体を支える。


「だ、だめです千寿ねえさん、まだ起き上がっては」


 ゆきの言葉を無視し、千寿はたずねた。


「ゆき、昨日のあの客はどうなった?」


「梓さんがかわりにお相手されて、今は座敷で休んでいるようです」


「…そう」


 千寿はつぶやいて立ち上がった。痛い。が、歩ける。舞の準備体操の要領で、手足の節を伸ばして確かめる。


「ねえさんっ」


「大丈夫、骨は折れてない」


 ゆきの心配そうな顔を見て、千寿はふっと微笑んだ。


「ありがとう、ゆき。梓のところに行ってくるよ」


 ゆきは止めたいのをぐっとこらえて、言った。


「…わかりました、ではお着物を」






「梓さん…?」


 襖を開けると、部屋は薄暗く静まり返っていた。


(そうか、この時間ならまだ皆寝てるか…出直そう)


 しかし、一歩足を引いた瞬間、誰かが足首をひっぱった。


(うわっ!)


 ドサリと転んだ千寿を上から見下ろしていたのは・・・


「よぉ、来ると思ってたぜ」


 妙に陽気な梓だった。


「梓さん、申し訳ありませんでした…」


 千寿は深く頭を垂れ謝った。


「謝るなよ」


 梓はとたんに不機嫌になった。


「謝るくらいなら、ちゃんと仕事しろ」


「……」


 千寿は俯いて唇を噛んだ。謝罪を封じられると、もう何もいえない。


「お前、悪いとおもってないだろ」


「・・・・そ、そんな事、」


「俺が勝手に助けたっておもってるな?」


 梓が千寿の顔の横にドンと手をついた。


「ち、ちがいます、感謝しています、本当に…!」


「じゃあ、謝る前になんていうんだよ?」


 梓が顔を近づけながらすごんだ。


「えっ…あ、ありがとう…ございました…?」


 フンと梓が鼻で笑った。


「これは貸しだからな、金三分」


 金三分。梓との一回分の料金だ。


「…そんなに少なくて、いいのですか」


「少ないってなぁ。ばかにしてんのかお前」


「だって、危ないところを助けてもらったのに…」


 昨晩は本当に命の危険を感じた。ただ遊女を懲らしめるという以上の悪意を、松風から感じたからだ。


(たぶん、梓がらみなんだろうな。年末の件がばれたのかな?いや、それはないか)


「大げさだな。あいつだって本気で太夫を傷つけるような事はしねぇよ」


 梓は頭をかきながら身を起こした。千寿も起き上がって身住まいを正した。


「そうでしょうか…?」


 正直、嬲り殺されるかとおもった。


「そうだよ。お前が使えなくなったら大損だろ。あいつは金の亡者だからな」


「はぁ…」


「そんなことより、あの客まだいるぞ。今夜はどうすんの」



 黙り込んだ千寿に、梓は聞いた。


「あいつが、お前を売ったやつなのか?」


「そ、そういうわけじゃ…」


 千寿は思わず言葉につまった。


「ま、詳しくはきかねぇけどよ」


「あ、あの…彼と何を、話したんでしょうか?」


「あん?ああ、何も話してねえよ」


「えっ、だって、梓様が相手してくださったんじゃ」


「相手っつっても、通り一辺のことしかしてねえよ。お前が来ないのを取り繕って、あとは適当に酒の相手。寝るのは断られたぜ」


「…私のこと、お客は何か言っていましたか」


「なんだお前、逃げ出したくせに気になるのか?」


 からかうように、梓が言う。


「っ…」


 千寿は唇を噛んだ。そうだ。逃げ出した私にそんなこと聞く資格はない。


「言ってたぜ~、お前のこと、いろいろ」


 梓が嘘か本当かわからない調子で言った。


「え、ええ?」


「気になるんだったら、あの客に聞いてみろよ。じゃ、俺朝飯行って来るわ」


 梓はそのへんにあった着物を羽織って出て行った。


(ふん、あいつがお前の昔の情人ってことくらい、とっくにわかってらぁ)


 詳しいいきさつまではさすがにきき出せなかったが、だいたいの事情は話してわかった。あの優男が千

寿になる前の千寿を知っていて、それも本気だという事も。


 今夜こそ千寿は逃げられないだろう。そしたら千寿は…。一瞬、梓は千寿を助けたことを後悔した。今日助けたことで結果的に、二人は再会し、そして…


(あんな客、相手しないで追っ払っちまえばよかった)


 だが、あそこで梓が行かなければ松風は千寿はもっと痛めつけただろう。それを見たくはなかった。千寿の手前ああ言ったし、実際松風は金の亡者だが、彼の怖さは誰よりも梓がよく知っている。


(はぁ~、もう、あいつのせいで調子狂うわ…)


 余裕綽々の体で千寿を助けたが、内心は複雑な梓だった。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【R-18】世界最強・最低の魔術士は姫の下半身に恋をする

臣桜
恋愛
Twitter企画「足フェチ祭り」用に二時間ほどで書いた短編です。 色々配慮せず、とても大雑把でヒーローが最低です。二度言いますが最低です。控えめに言っても最低です(三度目)。ヒロインは序盤とても特殊な状態で登場します。性癖的に少し特殊かもです。 なんでも大丈夫! どんとこい! という方のみどうぞ! 短編です。 ※ムーンライトノベルズ様にも同時掲載しています ※表紙はニジジャーニーで生成しました

【R18】嫌いな同期をおっぱい堕ちさせますっ!

なとみ
恋愛
山田夏生は同期の瀬崎恭悟が嫌いだ。逆恨みだと分かっている。でも、会社でもプライベートでも要領の良い所が気に入らない!ある日の同期会でベロベロに酔った夏生は、実は小さくはない自分の胸で瀬崎を堕としてやろうと目論む。隠れDカップのヒロインが、嫌いな同期をおっぱい堕ちさせる話。(全5話+番外小話) ・無欲様主催の、「秋のぱい祭り企画」参加作品です(こちらはムーンライトノベルズにも掲載しています。) ※全編背後注意

【R18】ひとりで異世界は寂しかったのでペット(男)を飼い始めました

桜 ちひろ
恋愛
最近流行りの異世界転生。まさか自分がそうなるなんて… 小説やアニメで見ていた転生後はある小説の世界に飛び込んで主人公を凌駕するほどのチート級の力があったり、特殊能力が!と思っていたが、小説やアニメでもみたことがない世界。そして仮に覚えていないだけでそういう世界だったとしても「モブ中のモブ」で間違いないだろう。 この世界ではさほど珍しくない「治癒魔法」が使えるだけで、特別な魔法や魔力はなかった。 そして小さな治療院で働く普通の女性だ。 ただ普通ではなかったのは「性欲」 前世もなかなか強すぎる性欲のせいで苦労したのに転生してまで同じことに悩まされることになるとは… その強すぎる性欲のせいでこちらの世界でも25歳という年齢にもかかわらず独身。彼氏なし。 こちらの世界では16歳〜20歳で結婚するのが普通なので婚活はかなり難航している。 もう諦めてペットに癒されながら独身でいることを決意した私はペットショップで小動物を飼うはずが、自分より大きな動物…「人間のオス」を飼うことになってしまった。 特に躾はせずに番犬代わりになればいいと思っていたが、この「人間のオス」が私の全てを満たしてくれる最高のペットだったのだ。

ようこそ奴隷パーティへ!

ちな
ファンタジー
ご主人様に連れられて出向いた先は数々のパフォーマンスやショーが繰り広げられる“奴隷パーティ”!? 招待状をもらった貴族だけが参加できるパーティで起こるハプニングとは── ☆ロリ/ドS/クリ責め/羞恥/言葉責め/鬼畜/快楽拷問/連続絶頂/機械姦/拘束/男尊女卑描写あり☆

【R18】刀で攻撃するとクリに振動が来ちゃう剣士がモンスターと戦うお話

3万円
ファンタジー
挿入なし、クリ責めのみ。 ノクターンノベルズ様にも投稿しています。

【R18】揉み揉みパラダイス

ふわもち
恋愛
A子とB子の場合のA子の女子高生時代の話。 ⚫︎A子 17歳 体型/肉付きむっちり 乳首/ピンク あそこ/赤黒い 肌の色/色白 髪型/サラサラロング ⚫︎F男 30代後半 体型/中肉中背 あそこ/巨根

【R18】幼馴染の魔王と勇者が、当然のようにいちゃいちゃして幸せになる話

みやび
恋愛
タイトル通りのエロ小説です。 ほかのエロ小説は「タイトル通りのエロ小説シリーズ」まで

【完結】子授け鳥の気まぐれ〜ハッピーエンドのその後は〜【R18】

凛蓮月
恋愛
王太子夫妻のアリアベルとテオドールは、幼い頃から仲睦まじい婚約者同士で、やがて恋になり愛となり、恙無く結婚した。 互いに一途で余所見もせず、夫婦として支え合い慈しみ合い、愛し合う。 誰もが二人の仲の良さに笑み、幸せを貰い、この先の未来は明るいと思っていた。 だが、結婚から三年が経過しても、二人の間に子ができない。 子ができなければテオドールは国王として即位できない。 国王になる為、王妃になる為、互いに努力し続けていた事を知る二人は悩み、ある決断を迫られる事になる。 ──それは、テオドールに側妃を迎えようというものだった。 ※作者の脳内異世界のお話です。 ※不妊表現があります。苦手な方はお気を付け下さい。 ※R18回には「※」が付いています。 ※他サイト様でも公開しています。 ※タイトルに一文を追加しました。

処理中です...