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舞姫人形よい人形
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緩慢ともとれる優雅な所作で扇を、閉じる。一番奥まった高座の客席から、熱く絡みつくような、重い視線を感じる。
夢政だ。彼は、あれから十日とおかずに千寿に会いに来る。
「…今宵もお呼びいただき、ありがとうございます」
舞を終え、夢政の前に指をつき挨拶すると、彼は目線を千寿に向けた。寂しさと冷たさを併せ持った、気だるく熱い視線。
「…そう畏まるな。もっと近う寄れ」
夢政が目線で酌を促す。千寿は黙って、銚子を手に取った。
「…こうして飲んでいると、初めて会った日のことを思い出すな」
「そうでございますね…」
それは、桜の蕾が膨らみかける季節のことだった。屋外の酒宴の座で舞っている千寿を、夢政が見つけたのであった。
「他にも沢山、盛りの花の舞子ばかりでしたのに、私なぞをご贔屓にしてくださって…」
「いや。舞ではお前だけが群を抜いていたぞ」
その時まだ家の長男という立場であった彼は、いまや家の主人となった。ひきかえ千寿は、遊女にまで身を落としてしまった。
「千寿、ここの仕事は辛くなかろうか」
「え?そ、そんなことは…」
「舞の才を高めるためにも、私がお前を買い受けて…」
千寿は内心、ぎょっとした。夢政はそんな優しい事を口にする男ではない。微笑みを浮かべているが目は冷たい夢政を見て、ふと、千寿のあたまに、純四朗の顔がよぎった。なぜか梓も。
「何をおっしゃいます、夢政さま…お戯れを」
すべて今限りの言葉とわかっているが、とっさに断りの常套句を口にした千寿であった。今日の夢政はなんだかいつもと違う。
(この人の妾になるなんて、想像しただけで怖すぎる…)
優雅で物腰柔らかな夢政だが、彼は床の中では豹変する。夢政の豹変は、心にかかえる悩みゆえだ。その病んだ鬱屈に一夜つきあうと、体はひきつれ、心はくたくたになる。そんな風に精も根も尽き果てるのが常だった。
今夜の事を思い、胸中は暗澹としている。それを顔に出さずに微笑んでいると、視界の端で何かが動いた。少し離れた柱の影から、誰か人影がこちらの様子を伺っている。
「あら…あの方は…?」
不審に思った千寿は声をあげた。だが夢政がそちらに視線を向けたときには、そこにはもう誰もいなかった。
「どうした千寿。幻でも見たか」
「いえ…」
さっきまで確かに居たのに。
(誰だろう?見世の者ではなかったし…)
千寿は空の皿を片付けながら、もう一度柱に目をやった。
(あっ!)
いなくなったはずの場所に、またしても人影が見えた。さっきよりもはっきりとその人物が見えた。
――子供だ。年のころ10前後か。単を纏った少女だ。じっとこちらを見つめている。消え入りそうな、
儚げな風情だ。
「もし、そこの…」
声をかけると、その瞳がゆれ、ふっと姿をけしてしまった。
(何?まさか幽霊…?いや、そんなばかな)
夜も更け、夢政と千寿は舞台のある座敷から出た。
千寿は店の下男や芸妓たちを帰し、自分は夢政の3歩後をしずしずと、一緒に床へ向かう。
(今夜は、一体何をさせられるんだろう…)
千寿の胸中を見越したかのように、夢政が声をかけた。
「怯えているのか」
「何にですか、夢政様」
ふっ、と夢政が小さく笑った。
「千寿、お前のそこが、私は気に入っている」
「と、いいますと…?」
「お前は私と何度枕を交わしても、拒絶も怯えもない。かといって快楽に溺れるわけでもない。良い遊君だ。私にとってはな」
彼の意のままになっても、ならなくてもつまらないという事だろうか。なんとも面倒な男だ。だがお客様はお客様なので、千寿は素直に礼を言った。
「…ありがとうございます」
次の座敷に着いた。控えていた下女が襖を開ける。そこにはふかふかのびろうどの三つ布団がしいてある。夢政が千寿に贈った物のひとつだ。こういった事があるので、彼はいかに鬼畜でも失うのは惜しいお客様だ。夢政も自分の性癖は承知していて、遊女への贈り物やご祝儀を欠かさない。
しかし今、千寿の目が釘付けになったのは布団の脇にある大きな行李だった。大きすぎる。一体夢政は何を持ってきたのだろうか。
「これが気になるな、千寿よ」
夢政は片手で軽々と行李の蓋をあけた。
「何、たいしたものではない」
軽い手つきで、夢政は畳紙のつつみをまとめて取り出した。
「お前はいつも、素晴らしい舞を見せてくれるからな。それの投資だ。着てみるといい」
おそるおそる、紐を解き開けてみると、上等の着物が収まっている。
「わあ…」
千寿は思わず感嘆の声を上げた。真っ赤な地に、極彩色の束ね熨斗が全面に描かれている。こんな豪奢な着物、着た事がない。正直、手持ちの着物は着つくしているものばかりで、買える余裕もない。もらえるのはとてもありがたい。
「こんな素晴らしいものを…ありがとうございます」
千寿は心から頭を下げた。夢政は鷹揚に言った。
「揃いの帯と、床着もいくつか呉服屋に届けさせておいたから、後で見るといい」
「では、床着を頂いたものに着替えてきましょうか」
「ああ、着替えてもらう。だが床着でなくて良い」
一瞬きょとんとした顔をした千寿に、夢政は豪奢な赤い着物を指し示して言った。
「それを着て、今夜過ごしてもらおう」
夢政だ。彼は、あれから十日とおかずに千寿に会いに来る。
「…今宵もお呼びいただき、ありがとうございます」
舞を終え、夢政の前に指をつき挨拶すると、彼は目線を千寿に向けた。寂しさと冷たさを併せ持った、気だるく熱い視線。
「…そう畏まるな。もっと近う寄れ」
夢政が目線で酌を促す。千寿は黙って、銚子を手に取った。
「…こうして飲んでいると、初めて会った日のことを思い出すな」
「そうでございますね…」
それは、桜の蕾が膨らみかける季節のことだった。屋外の酒宴の座で舞っている千寿を、夢政が見つけたのであった。
「他にも沢山、盛りの花の舞子ばかりでしたのに、私なぞをご贔屓にしてくださって…」
「いや。舞ではお前だけが群を抜いていたぞ」
その時まだ家の長男という立場であった彼は、いまや家の主人となった。ひきかえ千寿は、遊女にまで身を落としてしまった。
「千寿、ここの仕事は辛くなかろうか」
「え?そ、そんなことは…」
「舞の才を高めるためにも、私がお前を買い受けて…」
千寿は内心、ぎょっとした。夢政はそんな優しい事を口にする男ではない。微笑みを浮かべているが目は冷たい夢政を見て、ふと、千寿のあたまに、純四朗の顔がよぎった。なぜか梓も。
「何をおっしゃいます、夢政さま…お戯れを」
すべて今限りの言葉とわかっているが、とっさに断りの常套句を口にした千寿であった。今日の夢政はなんだかいつもと違う。
(この人の妾になるなんて、想像しただけで怖すぎる…)
優雅で物腰柔らかな夢政だが、彼は床の中では豹変する。夢政の豹変は、心にかかえる悩みゆえだ。その病んだ鬱屈に一夜つきあうと、体はひきつれ、心はくたくたになる。そんな風に精も根も尽き果てるのが常だった。
今夜の事を思い、胸中は暗澹としている。それを顔に出さずに微笑んでいると、視界の端で何かが動いた。少し離れた柱の影から、誰か人影がこちらの様子を伺っている。
「あら…あの方は…?」
不審に思った千寿は声をあげた。だが夢政がそちらに視線を向けたときには、そこにはもう誰もいなかった。
「どうした千寿。幻でも見たか」
「いえ…」
さっきまで確かに居たのに。
(誰だろう?見世の者ではなかったし…)
千寿は空の皿を片付けながら、もう一度柱に目をやった。
(あっ!)
いなくなったはずの場所に、またしても人影が見えた。さっきよりもはっきりとその人物が見えた。
――子供だ。年のころ10前後か。単を纏った少女だ。じっとこちらを見つめている。消え入りそうな、
儚げな風情だ。
「もし、そこの…」
声をかけると、その瞳がゆれ、ふっと姿をけしてしまった。
(何?まさか幽霊…?いや、そんなばかな)
夜も更け、夢政と千寿は舞台のある座敷から出た。
千寿は店の下男や芸妓たちを帰し、自分は夢政の3歩後をしずしずと、一緒に床へ向かう。
(今夜は、一体何をさせられるんだろう…)
千寿の胸中を見越したかのように、夢政が声をかけた。
「怯えているのか」
「何にですか、夢政様」
ふっ、と夢政が小さく笑った。
「千寿、お前のそこが、私は気に入っている」
「と、いいますと…?」
「お前は私と何度枕を交わしても、拒絶も怯えもない。かといって快楽に溺れるわけでもない。良い遊君だ。私にとってはな」
彼の意のままになっても、ならなくてもつまらないという事だろうか。なんとも面倒な男だ。だがお客様はお客様なので、千寿は素直に礼を言った。
「…ありがとうございます」
次の座敷に着いた。控えていた下女が襖を開ける。そこにはふかふかのびろうどの三つ布団がしいてある。夢政が千寿に贈った物のひとつだ。こういった事があるので、彼はいかに鬼畜でも失うのは惜しいお客様だ。夢政も自分の性癖は承知していて、遊女への贈り物やご祝儀を欠かさない。
しかし今、千寿の目が釘付けになったのは布団の脇にある大きな行李だった。大きすぎる。一体夢政は何を持ってきたのだろうか。
「これが気になるな、千寿よ」
夢政は片手で軽々と行李の蓋をあけた。
「何、たいしたものではない」
軽い手つきで、夢政は畳紙のつつみをまとめて取り出した。
「お前はいつも、素晴らしい舞を見せてくれるからな。それの投資だ。着てみるといい」
おそるおそる、紐を解き開けてみると、上等の着物が収まっている。
「わあ…」
千寿は思わず感嘆の声を上げた。真っ赤な地に、極彩色の束ね熨斗が全面に描かれている。こんな豪奢な着物、着た事がない。正直、手持ちの着物は着つくしているものばかりで、買える余裕もない。もらえるのはとてもありがたい。
「こんな素晴らしいものを…ありがとうございます」
千寿は心から頭を下げた。夢政は鷹揚に言った。
「揃いの帯と、床着もいくつか呉服屋に届けさせておいたから、後で見るといい」
「では、床着を頂いたものに着替えてきましょうか」
「ああ、着替えてもらう。だが床着でなくて良い」
一瞬きょとんとした顔をした千寿に、夢政は豪奢な赤い着物を指し示して言った。
「それを着て、今夜過ごしてもらおう」
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