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第二部 王様の牢屋

「好き」の切り売り(2)

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「いいか、その男のことを好きなふりをするんだ…そしたら男は、自分に惚れている女を失いたくなくて、言うがままになる」


 一ノ瀬の言葉が、脳内でこだまする。玲奈は腹を決めた。


(そうだ…こんなの、簡単だ。今までレイとしてやってきたことを、やるだけ。だませばいい。だまして要求をのませる。さんざんやってきたから、楽勝のはず)


 玲奈はそう言い聞かせて、トイレから出た。


「先生、材料買ってきて?ご飯私がつくるから」


「えっ…でも何を?」


 築城は玲奈の変化にわかりやすく動転していた。


「なんでもいいよ。肉とか野菜とか。お皿とフライパン…あと普通の服と髪ゴムも欲しい。これじゃ動きにくいから」


「そうか、わ、わかった。いってくる」


 そういわれて築城はどっさり食材を買い込んできた。服はごってりとフリルがついたピンクのルームウエアで内心閉口したが、下着同然の今の服よりはましだ。玲奈はさっさと着替えた。


「ありがとう、先生」


「ああ。それで、よかったか」


「先生の選んでくれるものならなんでも嬉しいよ」


 玲奈はにっこり笑って言った。また脳内で声がこだまする。


『でも、演技だとばればれなんじゃない?』


『いいか、ここにくる時点で、男はお前に騙されたがってるんだ…』


 そうだ、築城も騙されたがっている。こいつも客たちと同じ、私のカモだ。そう思えば玲奈は俄然頑張れる気がした。


「そ…そうか。」


「うん」


 玲奈は新しいゴムで髪をまとめポニーテイルにした。玲奈の急変に、まだ築城は戸惑っている。だけどそんなの関係ない。玲奈はダメ押しで振りかえって言った。


「だから先生、座って待ってて?」


「あ…ああ」


 玲奈は食材を全部冷蔵庫に入れ、必要なものだけ調理台に乗せた。包丁もまな板もないが、仕方ない。


「何つくるんだ?」


 調理台の向こうに座った築城が、玲奈を見上げて聞いた。


「どうしようかな…料理なんて久しぶりだから」


 遠い昔、まだ母が生きていたころ。帰りの遅い母と、自分のために簡単な料理をしていた。だけどそれ以降は、まったく自炊はしたことがなかった。


「野菜炒めにしよ。先生好き?」


「ああ。大好きだ」


「ならよかった」


 調理台越しにじっと見つめてから笑いかけると、築城がまたもたじろいだのがわかった。


(あんなに高圧的だったくせに、私が積極的になると引くんだな)


 玲奈はそう分析しながら、フライパンを火にかけ肉をならべた。じゅうじゅうと音がして、少し色が変わった所で野菜をちぎって投入する。


「先生、なにか切るものほしいな。包丁でなくていいから…ん?」


 いつの間にか玲奈のすぐうしろに築城が立っていた。


「もう、先生待っててってば」


 玲奈は笑いながら顔だけ後ろを向いたが、築城はとつぜん後ろから玲奈を抱きしめた。


「先生、料理できないじゃん」


 築城の手が、玲奈の身体を痛いほどに締め付けている。その手は少し震えているようにも見えた。


「…どうしたの?大丈夫?」


 相手は客。大事なカモ。優しくしてやらなければ。そう思いながら玲奈は後ろをちらりと見たが、築城は玲奈の肩に顔をうずめていて表情が良く見えない。


「ね、先生」


 玲奈は築城の腕に触れて、少し体をひねった。築城がゆるめてくれたので、玲奈はそのままぐるりと後ろに向き直り、腕の中で築城と向き合った。少し見上げると、築城は驚いたような表情になった。


(これは仕事だ)


 そう念じて、玲奈は微笑んで目を細くした。あの時潤から教わった『幸せに見える笑顔』。そしてそのまま背伸びをして、築城に自分からキスをした。


「…っ!!」


 築城の身体が一瞬強張ったのがわかった。煙のような、いぶされたような独特の匂いがした。店でよく嗅いだ匂いと、それは少し似ていた。


(先生って、喫煙者だっけか)


 この時はじめて、玲奈は彼の匂いに気が付いた。今まで怒りと恐怖でそれどころではなかったのだ。


「っ…玲奈…」


 口と口をくっつけるだけのキスだったが、城築が苦しそうに息をついたので、玲奈は唇を放してあげた。その目は無抵抗にぼうっと玲奈を見ていた。何を言ったらいいかわからなくて、玲奈は聞いた。


「先生って煙草吸ってたっけ」


 築城のぼんやりとした目に、光が戻った。


「ああ、学校じゃ吸わないが…嫌か?嫌なら辞める」


 玲奈は首を振った。


「ううん。私煙草の匂い好きだよ。先生が吸うところも見てみたいな」


 息をするように嘘が出てくる。


媚は毒だ。相手を麻痺させて養分を吸い取るための。恋愛も、セックスもよく知らないが、この毒の使い方なら、玲奈はすでに熟知していた。


「れ…玲奈」


 たじろいでいるけれど、築城の身体はすでに熱くなっていた。腹にあたる硬いものが存在を主張している。玲奈は築城の耳元でささやいた。


「先生、またしたくなっちゃったんだ?でもごはん食べてからね。待ってて?」






 下半身が打たれた鉄のように熱い。究極のお預けをくらったような気持ちで築城はテーブルについた。実用性のうすい、磨き上げられたガラスのローテーブルの上に並べられた白い食器は、いかにもミスマッチだった。



  玲奈は機嫌よさげにてきぱきと箸やコップを並べた。彼女が笑って言う。


「どうぞ食べて?」


「あ、ああ…」


 白昼夢の中にいるような気持ちで、築城は食事に箸をつけた。玲奈にキスされてから、下半身熱くて、どうしようもない。


「先生、大丈夫?」


 あまりにぼんやりしすぎていたからか、玲奈が心配して声をかけてきた。


(心配?そんなバカな。玲奈が俺の心配なんて、するはずないのに)


 先ほど宣言し、トイレにしばらくこもったあと、玲奈の態度はガラリと変わった。

 もちろん、本心じゃない。わかってる。演技だということは。だけど。


―ずっと望んでいた。彼女がこうして、自分だけに笑顔を向けてくれる事を。 


 今それが叶った。彼女が目の前にいる。自分のために料理を作って。

 その事実だけで、築城はどうしようもなく嬉しかった。舞い上がる自分を止められなかった。偽りだとしても、笑顔は笑顔だった。


「ありがとう、玲奈…おいしいよ」


「それならよかった」


 玲奈はまた微笑んだ。天使の微笑。築城の頭の中にそんな陳腐なたとえが浮かんだ。


(だけど本当に…笑った顔は天使なんだ)






洗い物は築城がするといったので、玲奈はベッドで待つことにした。お皿のかちゃかちゃいう音を聞きながら、玲奈は横になってぼんやりと目を閉じた。


(北風と太陽みたいだ)


 玲奈が抵抗して暴れているうちは、容赦なく叩きのめしてきた築城だが、少しにこにこしたらあっという間に優しくなった。


(なんだ、こんな簡単なことだったのか)


 このままずっと機嫌よく恋人のようにふるまっていれば、きっといつかは外に出れる。セックスも、築城が喜ぶようなことを進んですれば効果てきめんだろう。玲奈はそう自分に言い聞かせた。


 だが算段する玲奈の頭のなかに、潤の声がよみがえった。


『何かと引き換えにヤるなんて、だめだ。自分を大事にしろよ。』


 だけど玲奈は首をふってその声を振り払った。


(だめだよ潤。やっぱり自分を守れるのは、自分だけなんだよ)


 でもどうやってセックスで築城を喜ばせよう。玲奈はやり方を知らなかった。


(いや、知らないじゃダメだ。知らなくても、やるんだ。築城が何をしたら喜ぶか察して、動くんだ。そう、仕事みたいに…)


 その時、視線を感じて玲奈ははっと目を開けた。


「あ、先生」


 ベッドの脇で、築城が玲奈を見下ろしていた。


「ごめん先生、ちょっと寝ちゃった」


「…眠いのか?」


「そういうわけじゃないんだけど…先生といるとなんだか安心しちゃって」


居眠りした言い訳のセリフなんて、キャバ嬢の鉄板だ。考えなくても口から出ていた。


「そうか…」


 玲奈は体を起こした。『察するマシーン』になる時間だ。ベストを尽くさなければ。


「先生…するん、だよね」


 玲奈はベッドに座って築城を見上げた。だけど築城は触れてこない。彼の喉が上下したのがわかった。


「いい…のか」


 玲奈は思わず苦笑いしてしまった。


「いいのかって、散々したのに」


 築城の顔がきゅっと歪んだ。


「…すまなかった」


「謝らなくていいよ。」


 玲奈は両手を築城に差し出した。築城はがくんとひざをついて、玲奈を掻き抱いた。その息は心配になるほど荒い。


「先生、大丈夫?」


 胸の中から、築城は玲奈を見上げた。


「れ…玲奈…」


 築城の目は潤んでいた。あの時と同じ目だ。盗撮を玲奈が問いただして、絞り出すように築城が玲奈に対する気持ちを告白したあの時と。


 玲奈はまた築城にキスしようと顔をかがめた。が。


「ま、待って、待ってくれ」


 切羽詰まった声で築城が言ったので玲奈は首をかしげた。


「どうしたの?嫌だった?」


「ちがう、そうじゃないんだ、ただ…」


「ただ?」


「れ…玲奈が嫌じゃないかなって…俺、煙草の匂いするし」


 さすがに玲奈はあきれた。


「嫌って…先生まだ私に嫌われるとか、気にしてたの?こんだけのことしといて?さすがに面白すぎるよ?」


「っ…」


 ぐっと築城が言葉に詰まったので、玲奈は彼の少し茶色の入った髪を撫でた。


「そういうの、もう気にしなくていいよ。先生。今の私は、先生のこと好きだよ」


「ほ…本当か」


 玲奈はゆっくり築城の頬を撫でた。


「ほんとう」


 だるいおしゃべりはもうおしまいにしたかった。玲奈はそのまま身をかがめて築城に強引にキスをした。


「っ…はぁ…っ」


 今度は築城も玲奈に応えた。築城の手が玲奈の首の後ろに回って、髪の内側に指を滑り込ませてきゅっとつかんだ。大きな大人の男の手。築城の舌が玲奈の舌を蹂躙する。舌の裏も頬の内側もまさぐられて、キスの主導権は築城が握り返した。


「玲奈…」


 唇を放すと、築城の手が玲奈の服へと掛かった。


「わかった…脱ぐね」


「俺が…脱がせていいか?」


 嫌だったが、玲奈は笑顔をつくった。嫌なことをすればするほど、きっと築城は喜ぶ。


「うん…いいよ。脱がせて」


 フリルのついたキャミソールと、ひらひらしたショートパンツはあっという間に脱がされた。いつもと同じ、下着姿だ。


「先生も脱がせてあげる」


 玲奈は笑顔で築城の服に手をかけた。玲奈から何かしようとすると、築城はされるがままだった。


「うーん、ベルトって固いんだね…」


 スーツを脱がせたので、玲奈は上下を畳んでテーブルの上に置いた。振り返ると、玲奈と同じ下着だけの築城が、こちらをじっと見ている。


「先生…これとって」


 玲奈がお願いすると、築城の手が背中に伸びた。買い与えられた下着ははずされた。恥ずかしいのを押し殺して、玲奈は言った。


「じゃあ、下もお願い」


 するっとパンツが下ろされた。やっぱり何度目でもなれない。けれど本心を押し隠して玲奈は笑った。


「裸になっちゃった。あはは」


 築城が無言で後ろから玲奈を抱いた。とっさに体がこわばるのを、玲奈は意思の力で抑えた。


(一方的にやられるより、自分から動いたほうがましだ)


 耳元の息が熱い。玲奈は振り返って築城に言った。


「先生、今度は優しくして」
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