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宵闇に響くは、秋の音 【全三話】
一
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はらり、はらりと葉が落ちる。
赤に、黄色に、橙に。
青空の下では彩りの敷物のように。
茜の空の下では燃えるように。
さて、夜闇の中では如何だろうか。
はらり、はらりと葉が落ちる。
椿は秋色の敷物の上に寝そべって、空を見上げていた。空模様は、変わらず夜闇としかいえないものだ。月も無ければ、星もない。
秋めいた虫の音も無い静かな夜の中、秋に埋もれるように空を見る。庭の殆どが、落葉樹に覆われて家までの見通しは悪い。けれども、他では味わえない秋の様相に椿はじっと落ちる葉の一枚一枚を眺め続けた。
視界を埋め尽くすのは、楓に桜、桂に銀杏、トチの木の色味も足して。夜の箱庭に秋めいた庭が一面に広がる。
鮮やかな葉が秋に染まりながらも落ちる様を数えてでもいるかのように、椿は夢中だった。椿の着物も茜色とあって、そのまま秋に埋もれてしまいそうなほど身動ぎ一つ無い。
陽光こそ無いが気候は穏やかである。さらりと頬を撫ぜる風でも吹けば、かさかさ――と葉が賑やかに舞う音が耳心地が良い。
静寂の中にある秋の音色は、子守唄のようで次第に眠気が促されているよう。
瞬き、ひとつ。ふたつ。みっつ、と。
繰り返すうちに、次第にそのまま夢へと誘われていった。
がさり、がさり――
葉を踏む音に椿は夢の淵から舞い戻る。その音の先を辿ろうと上体を起こそうと試みるが、身体が思うように動かない。それどころか、自分の身体が抱えられている感覚と誰かの温もりに包まれている。それがあまりにも心地良いものだからもっと欲しくなって、温もりへと身体を捩って寄せた。
温もりから抜け出せなくて、瞼は降りたまま。誰かの温もりだけが原因では無い。葉が地に落ちる音も、葉を踏む音も、葉が風に舞う音も、全てが椿を微睡の中へと引き摺り込んでいくのだ。
また、そよそよと秋の心地よい風が吹く。浮遊感も相まって、もう微睡の底まで辿り着きそう。そんな時、身体がふわりと浮く。いや、そんな気がしただけで、何処かへと下されたような感覚だろう。その頃にはもう葉を踏む音はなく、風の音も遠い。
ああ、布団の上だ。椿は皮膚に布地が当たる感覚に身体を預けてしまいたくもなったが、同時に温もりが遠のく感覚がして思わず右手を伸ばした。
微睡む思考のまま伸ばした手は、空を掴むように彷徨って指に当たった適当な何かをそのまま握る。それが馴染んだ麻の感触である事と、ピンと布地が張る感覚が手の内にまで伝わると、椿の瞼は漸くうっすらと開いた。
薄ぼんやりとした視界は夢見心地のまま黒い着物を捉えて、けれども掴んだ布の端を離す事は無い。
そこへ「眠いんだろ?」と、秋の心地を感じさせる微風のように優しい男の声音が降ってくる。椿は頷く事もなく、ただぼんやりとしながらも袖を離さない。結局、そのまま現と夢の境を彷徨うような虚な瞳は、ゆっくりと落ちる瞼の向こうへと隠れてしまった。
◇
声の主――朧は夢の中へと舞い戻った妻――椿の隣へ、そっと寝そべった。頭を頬杖で支えて、すやすやと寝息を立てる妻を眺める。掴まれたままの左袖を無理やり引き離そうとはせずに、掴まれた袖ごと椿の手を包み込んだ。細く、繊細な指先。滑らかな肌触りを堪能するように、撫でて、摩ってと椿の指を弄り倒す。余暇を潰すように朧は愉しげなまま続けていたが、椿の反応は一切無い。
どれだけ触り心地が良かろうと、何の反応も無いのでは飽きてくる。そう感じたと同時に、悪戯心が湧くと言うものだろうか。
「椿、袖を離さないと襲うぞ」
当然なのだが、眠っているので返事は無い。しかし、当然そんな事は最初からわかっているわけで。すやすやと寝息を立てる椿の右手を布団へと縫い付けるようにして、朧は椿の上へと覆い被さった。
そのまま、朧の頭は吸い込まれるように椿の首筋へと降りていく。首筋へと唇を這わせれば、僅かだが寝言程度の反応がある。耳朶を甘噛みしてみたり、自由のある右手で撫ぜてみたり、首周りの至る所に口吸いをして花を咲かせたりと、色々やてはみるが反応は然程変わりはない。
そうやっていると悪戯心というのは増長していくらしく、朧の口の端が僅かに上がっていた。
朧のゴツゴツとした指先が、椿の喉元の上を滑る。
滑らかできめの細かい上質な絹を思わせる白い肌。昔喰らった上質な供物の絹が、そんな感じだったなと思い浮かべると妙な感覚が朧の腹に湧く。
朧にとって、供物は食事である。
米俵だろうが、絹だろうが、金だろうが、だ。
脳裏に浮かんだのは、正に空腹感。
今はもう感じなくなった空腹感が、記憶の中ではまだ息づいている。
――この、白い肌に齧り付いてしまいたい
脳裏にその思想が浮かんだ瞬間、朧の身体が跳ねるように椿から離れた。
無いはずの鼓動が脈打っているかのような、どくどくと血が流れるような感覚。
生きていた時でも思い出せそうな。けれども、生きていた時には感じた事の無い恐怖心。
朧は無意味にかつて心臓があったであろう場所を掻きむしるように抑えるが、矢張り、何も無い。
嫌な感覚だけが纏わりついて、一体自分が何をしようとしていたのかすら忘れそうになる。混濁したような感覚で朧は呆然として時間だけが過ぎ去ろうとしていた。
が――――
ざあ――――と、一陣の強い風が家の外を吹き抜けていった。朧は思わず音に釣られて縁側へと目をやった。いつも開けたままのそこは、庭一面を一望できる。今は、秋。秋の色ばかりで埋め尽くされたそこは、落葉が一斉に舞って風と共に吹き抜けていく所だった。
赤、橙、黄と、鮮やか色ばかりが視界を埋め尽くして、風はあっという間に過ぎ去っていった。
行き場をなくした落葉達が、今度はふわりふわりと一斉に落ちていく。そこへまた風に煽られた新しい葉が木から落ちて、葉の擦れるカサカサ――という音が庭を騒めかしていた。
赤に、黄色に、橙に。
青空の下では彩りの敷物のように。
茜の空の下では燃えるように。
さて、夜闇の中では如何だろうか。
はらり、はらりと葉が落ちる。
椿は秋色の敷物の上に寝そべって、空を見上げていた。空模様は、変わらず夜闇としかいえないものだ。月も無ければ、星もない。
秋めいた虫の音も無い静かな夜の中、秋に埋もれるように空を見る。庭の殆どが、落葉樹に覆われて家までの見通しは悪い。けれども、他では味わえない秋の様相に椿はじっと落ちる葉の一枚一枚を眺め続けた。
視界を埋め尽くすのは、楓に桜、桂に銀杏、トチの木の色味も足して。夜の箱庭に秋めいた庭が一面に広がる。
鮮やかな葉が秋に染まりながらも落ちる様を数えてでもいるかのように、椿は夢中だった。椿の着物も茜色とあって、そのまま秋に埋もれてしまいそうなほど身動ぎ一つ無い。
陽光こそ無いが気候は穏やかである。さらりと頬を撫ぜる風でも吹けば、かさかさ――と葉が賑やかに舞う音が耳心地が良い。
静寂の中にある秋の音色は、子守唄のようで次第に眠気が促されているよう。
瞬き、ひとつ。ふたつ。みっつ、と。
繰り返すうちに、次第にそのまま夢へと誘われていった。
がさり、がさり――
葉を踏む音に椿は夢の淵から舞い戻る。その音の先を辿ろうと上体を起こそうと試みるが、身体が思うように動かない。それどころか、自分の身体が抱えられている感覚と誰かの温もりに包まれている。それがあまりにも心地良いものだからもっと欲しくなって、温もりへと身体を捩って寄せた。
温もりから抜け出せなくて、瞼は降りたまま。誰かの温もりだけが原因では無い。葉が地に落ちる音も、葉を踏む音も、葉が風に舞う音も、全てが椿を微睡の中へと引き摺り込んでいくのだ。
また、そよそよと秋の心地よい風が吹く。浮遊感も相まって、もう微睡の底まで辿り着きそう。そんな時、身体がふわりと浮く。いや、そんな気がしただけで、何処かへと下されたような感覚だろう。その頃にはもう葉を踏む音はなく、風の音も遠い。
ああ、布団の上だ。椿は皮膚に布地が当たる感覚に身体を預けてしまいたくもなったが、同時に温もりが遠のく感覚がして思わず右手を伸ばした。
微睡む思考のまま伸ばした手は、空を掴むように彷徨って指に当たった適当な何かをそのまま握る。それが馴染んだ麻の感触である事と、ピンと布地が張る感覚が手の内にまで伝わると、椿の瞼は漸くうっすらと開いた。
薄ぼんやりとした視界は夢見心地のまま黒い着物を捉えて、けれども掴んだ布の端を離す事は無い。
そこへ「眠いんだろ?」と、秋の心地を感じさせる微風のように優しい男の声音が降ってくる。椿は頷く事もなく、ただぼんやりとしながらも袖を離さない。結局、そのまま現と夢の境を彷徨うような虚な瞳は、ゆっくりと落ちる瞼の向こうへと隠れてしまった。
◇
声の主――朧は夢の中へと舞い戻った妻――椿の隣へ、そっと寝そべった。頭を頬杖で支えて、すやすやと寝息を立てる妻を眺める。掴まれたままの左袖を無理やり引き離そうとはせずに、掴まれた袖ごと椿の手を包み込んだ。細く、繊細な指先。滑らかな肌触りを堪能するように、撫でて、摩ってと椿の指を弄り倒す。余暇を潰すように朧は愉しげなまま続けていたが、椿の反応は一切無い。
どれだけ触り心地が良かろうと、何の反応も無いのでは飽きてくる。そう感じたと同時に、悪戯心が湧くと言うものだろうか。
「椿、袖を離さないと襲うぞ」
当然なのだが、眠っているので返事は無い。しかし、当然そんな事は最初からわかっているわけで。すやすやと寝息を立てる椿の右手を布団へと縫い付けるようにして、朧は椿の上へと覆い被さった。
そのまま、朧の頭は吸い込まれるように椿の首筋へと降りていく。首筋へと唇を這わせれば、僅かだが寝言程度の反応がある。耳朶を甘噛みしてみたり、自由のある右手で撫ぜてみたり、首周りの至る所に口吸いをして花を咲かせたりと、色々やてはみるが反応は然程変わりはない。
そうやっていると悪戯心というのは増長していくらしく、朧の口の端が僅かに上がっていた。
朧のゴツゴツとした指先が、椿の喉元の上を滑る。
滑らかできめの細かい上質な絹を思わせる白い肌。昔喰らった上質な供物の絹が、そんな感じだったなと思い浮かべると妙な感覚が朧の腹に湧く。
朧にとって、供物は食事である。
米俵だろうが、絹だろうが、金だろうが、だ。
脳裏に浮かんだのは、正に空腹感。
今はもう感じなくなった空腹感が、記憶の中ではまだ息づいている。
――この、白い肌に齧り付いてしまいたい
脳裏にその思想が浮かんだ瞬間、朧の身体が跳ねるように椿から離れた。
無いはずの鼓動が脈打っているかのような、どくどくと血が流れるような感覚。
生きていた時でも思い出せそうな。けれども、生きていた時には感じた事の無い恐怖心。
朧は無意味にかつて心臓があったであろう場所を掻きむしるように抑えるが、矢張り、何も無い。
嫌な感覚だけが纏わりついて、一体自分が何をしようとしていたのかすら忘れそうになる。混濁したような感覚で朧は呆然として時間だけが過ぎ去ろうとしていた。
が――――
ざあ――――と、一陣の強い風が家の外を吹き抜けていった。朧は思わず音に釣られて縁側へと目をやった。いつも開けたままのそこは、庭一面を一望できる。今は、秋。秋の色ばかりで埋め尽くされたそこは、落葉が一斉に舞って風と共に吹き抜けていく所だった。
赤、橙、黄と、鮮やか色ばかりが視界を埋め尽くして、風はあっという間に過ぎ去っていった。
行き場をなくした落葉達が、今度はふわりふわりと一斉に落ちていく。そこへまた風に煽られた新しい葉が木から落ちて、葉の擦れるカサカサ――という音が庭を騒めかしていた。
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