四季折々怪異夫婦録

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白雪を忌む 【全三話】

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 冬は嫌いだ。

 山に実りはなく、腹が減るばかり。
 かじかむ手を温めたくとも、薪がない。家があっても、荒屋同然に朽ちかけて風除けには物足りない。
 上物の毛皮を盗んだ事を思い出すのは、大抵眠れない程に寒い日ばかり続く時季だ。その度に腹が減ったから売ってしまった後悔を繰り返し思い出すものだから尚の事だろうか。
 仕方なく身を縮こめて体を丸めては、轟々と耳を埋める吹雪の音を聞こえないふりして眠れぬ夜を過ごす日々。

 雪が降れば降るほどに。
 白い景色ばかりが広がる程に、自分が惨めだと実感するのだ。


 ◆◇◆◇◆


 常夜の庭一面が、まばゆい白雪で埋め尽くされた。
 雨滴うてきと同じで、領域を勝手に踏み込むので防ぎようもないものだ。朧は縁側に座って、今も深々と舞い落ちる雪花をそっと手に乗せていた。

 寒さは遠い。
 雪が冷たいとは感じるが、昔のような肌を震わせる寒さはとんと思い出せないのだ。だからか、過去に感じたはずの貧しさも孤独も赤の他人の記憶のようでならなかった。

 そんな朧の耳に、ざく、ざく――と雪を踏む音が届いた。

 縁側に面して並び立つ椿と南天の茂みの向こう。冬ばかりの何もない一面の雪景色を、茜染あかねぞめ色の着物姿の女が一人で歩き回っていた。視線は下ばかり向いて、あっちへ行ったりこっちへ行ったりと忙しい。

 その女――朧の妻である椿も、冷たさを感じても寒いとは思わないのだろう。雪駄せったで歩き回る足取りは軽い。
 闇夜に浮かぶ白い景色は一面同色のようで、ところどころに足跡が着いて回っている。それがツボに入って朧は小さく笑った。
 まるで雪にはしゃいだ子供の足跡のようだ、と。

   

 夜の寒さで、冬は一段と強く、濃くなる。ちらほらと舞っているだけだった雪花が時間が経つにつれて大きくなっていった。
 少しづつ、歩き続けていた椿の頭と茜染が白く染まっていくと、足取りが漸く縁側へと向かっていた。その視線は朧ではなく、舞い散る雪花ばかりを気にして天を仰いでいる。
 時折足を止めては手のひらを眺めるも、また歩き出す。その仕草を何度か繰り返して、縁側へと辿り着いた時も頭の上に積もった雪も気にせずに、掌の中で何かを覗き込んでいた。

「何を見ている」
雪片せっぺんが、色々な形があって面白いの」

 そう言って、自分が雪片まみれなのも気にせずにふわりと笑う。雪片に同じ形は一つとして無いのだとか。椿は探してみたのだが、矢張り無かったのだと言ってまたも笑った。
 少しばかり興奮気味のままな姿。朧は椿を隣に座らせると、椿に被っていた雪を手で散らすようにはらった。

 ふと、雪をはらう手が耳に触れた。赤く染まった耳は体温を失い、雪との差がなくなったかのように冷たい。朧の手もそう大して温かみを持ってるわけでも無かったが、それでも椿よりはまだましだった。椿の頬を大きな掌が耳まで包み込めば、椿がまたも微笑んだ。今度は擽ったく。

「寒くはないか?」
「平気、寒いとは感じないの。それに、じっとしてるよりずっと良い」

 椿も、冬が嫌いだと言った。
 冬は人の声が静まる。外も、家の中も、誰もいないかのように気配すら消える時があった。雪と凛凛とした冬の気配が全てを呑み込んで消しさってしまうのだ、と。
 その気配は人ならざる声を呼ぶ。一人、閉じ込められた部屋でじっとしていると、静寂の中から声がより響いたのだと言う。

 無論、朧の領域までその気配とやらは存在できない。けれども、その気配と声を思い出しそうで、椿は一心不乱に庭を歩き回っていたのだ。

 だが流石に雪に埋もれるつもりは無かったようで、本降りになった空模様を前に椿も雪駄せったを脱ぎ捨てた。履いていた足袋は、纏わりついていた雪が溶けて湿っている。それすらも脱ぎ捨てると、寒寒と赤くなった足が顔を出した。

「霜焼けになりそうだ」

 そう言って、朧の手が頬を包み込んでいた時のようにその手で左足を包み込む。
 
「ならないでしょう?」
「さあなぁ」

 適当な返事を返す朧の目は冷え切った左足をさすりながらも他所ごとが脳裏を過った。お互い向き合ってこそいるが、殊更に朧は椿の足を自分の側へと引き寄せていく。左足を捕えて、椿が身動きがとり難い状況へと追い込んでいた。

 その手は椿の身体ごと引き寄せて、胡座をかいて膝の上に乗せる。二人で身を寄せ合えば、冷え切った身体は一段と熱を持つ。

 朧は椿の足をさする手は、次第に足先から脹脛ふくらはぎへ。脹脛から太腿へと移動していた。
 そこは言う程冷えてはいないのだけれど、と椿の目が訴えるも、朧は上機嫌な様子で着物の上から撫でまわす。
 それはもう、楽しそうに。
 椿も、互いの温もりが心地良いのか抵抗は見せず、じっと朧の膝の上でその身体に縋りついた。

 

 声がなくなり、息遣いと木綿を撫でる音ばかりが二人の間を隔てる。静寂が故か、雪が積もる音すら耳に届きそうだ。

「冬は嫌いだ」

 太腿を撫でてばかりだった朧は、更に椿の身体を引き寄せた。互いの顔が近づけば、それこそ互いの微動の音すらも耳に届きそうでならない。

「昔ばかりを思い出す」

 赤の他人のような過去の記憶。その記憶はお世辞にも善良とは言い難く、どちらかと言えば悪事ばかりだ。椿に言えない事ばかりで、ただ忌避を含んだ物言いで冬は嫌いという事しかできなかった。
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