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第十章
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日が傾いてきても、各チャンネルで地震速報を流し続けていた。NHKでは、最初、津波のおそれがあるということで女性アナウンサーの声がいつになく強い口調で「テレビを観ていないで逃げて下さい」と告げていたが、津波の危機だけは去ったらしく、今は少し落ち着いた感じの放送内容になっている。しかし、秋田市内が具体的にどのような状態になっているのかは不明のままだった。
「夕食はどうしようか。良かったら、マックでも買ってくる?」
夫が尋ねてきた。私が、ずっとリビングの椅子に体を預けてスマホとテレビを交互に観てばかりいたからだろう。秋田市の状況が心配で、夕食どころではなかったのだ。
「……ううん、今から作る。そろそろ茉莉も起こさないといけないし」
「心配でそれどころじゃないって顔してるよ。茉莉はいつものように、刺激物抜きのチーズと肉だけのチーズバーガーでもいいだろうし」
夫はそう続けた。もしかするとハンバーガーが食べたいだけなのかも知れない。
「大丈夫、まずは茉莉を起こそう。昼寝しすぎると夜に寝付かなくなるから」
「そうだな」
ぐっすり寝ていた茉莉を、機嫌を損ねないように注意深く起こした。ボサボサの髪と紅潮した頬、寝ぼけまなこで昼寝から目覚めた彼女をリビングに連れていくと、次第に目が覚めてきたようで、磁石が仕込まれている魚釣りゲームを夫とやり始めた。
「さて、何か作りますか」
冷蔵庫を開けようとしたところで、スマホが震動したので手に取って画面を見る。春子からだった。
「連絡遅れてごめん。こっちはみんな無事だけど、いろいろ大変な状態になってる」
というメッセージだったので、すぐに返事を送った。以下の会話文は、ラインによるメッセージのやり取りだ。
「無事ならよかった。大変って?」
「まず停電。水も出ない。旦那が近所を見てきたけど、古い家はヒビが入ったり窓が割れたりしてたって。この分だと、震源に近い方はもっとひどいかも」
「きついね。この寒いのに停電って……」
「しかも、うちオール電化だからね。右往左往っていうか、寒くて動くのも億劫だから、みんなで部屋に集まって毛布かぶってる」
「何かできることはないかな」
「ないと思う。まずは、すぐにメッセージくれただけでも嬉しい。ありがとう。ただ、少なくとも今日はあんまり長くはやり取りできないな。スマホの電池がなくなったら切ないし」
それもそうか。そういえば東日本大震災の時はガラケーだったが、あの時は、私も電池の残りを気にしながら情報を集めていたっけ。
「分かった。じゃあラインはこのへんで……。でも、また必ず連絡してね」
「ありがとう」
そこで私は本当にラインのやり取りを終えるつもりだった。あとは「がんばって」を意味するスタンプの一つでも送って切り上げればいいだろうと思ったのだ。だが少し間があって、春子の方ですぐにメッセージをつなげてきた。
「いつも気づかってくれるね。ありがとう。お互いに忙しくなっても、亜由美はそういうところが全然変わらないの、本当にすごいよ」
ときた。どう返事をしたものかと戸惑っていると、すぐにメッセージが続いた。
「高校の時から、いつも私の心の支えになってくれて本当にありがとう。でも今度は大丈夫。今度こそ、亜由美なしでも乗り切って見せるから」
そして、春子は「がんばります」と気概を示すスタンプを送ってきた。言いたいことだけ言われて会話を切り上げられてしまった感があったが、それも、メッセージの内容的に私が返事をしにくかろうと配慮してくれたがゆえだったのだろう。私も、先に考えていた通り「がんばって」スタンプを送っておいた。
「あ、ツイッターだとちょこちょこ被災地の写真を上げてる人がいるな。……なんだこれ、完全に潰れてる家もあるじゃないか」
私が中華鍋でチャーハンを作っていると、夫がスマホをいじりながら声を上げた。茉莉のお絵かき遊びを見守りつつ、彼はSNSを覗いていたのだった。私は中華鍋の中で具材をかき混ぜながら言う。
「春子からもさっき返事が来たよ」
「あ、来たのか。じゃあ無事だったの?」
「停電と断水だって言ってた」
「マジか! よりによってこの時期に……。東日本の時もそうだったけど」
夫は続けて何かしゃべっていたようだが、聞こえたのはそこまでだった。あとは換気扇の音で聞き取れなかった。文脈からして、おそらく東日本大震災に被災した当時の思い出を話していたのだろう。彼はあの時、出張で宮城へ行っており、地震直後に津波にさらわれることになる地域の真っ只中にいたのだ。幸い、津波に遭遇する前に山を越えて帰ってこられたのだった。
チャーハンができたので、三人で食べた。
「亜由美、なんだか今日はずいぶん食べるな。大丈夫?」
私にしては珍しく、器に盛ったチャーハンは山盛り気味だ。それをかき込んだり、三歳児用に薄く味付けして取り分けた分を茉莉に食べさせたりしながら、私は答えた。
「あのね、パパにちょっとお願いがあるの。この後、茉莉のシャワーと歯磨きと、あと寝かせるのは全部お願いしてもいい?」
知らず、決意を込めた言い方になっていたようだ。それだけで夫は私の言いたいことを察していた。
「いいけど、マジか。もしかして春子さんのところに行くつもり?」
「ごめん、居ても立ってもいられなくて」
「待て待て。それなら俺も一緒に行くよ」
「三歳児を連れていけないでしょ。夜道で片道四時間も、無理だよ」
「無理って言うなら亜由美だって。気持ちは分かるけど、行ってどうにかなるもんでもないだろ。つぶれてる建物だってあるし、道路も影響を受けてるかも。危なすぎるよ。警察が規制をかけてるかも知れない……」
「ごめん、それでも行きたいの。――二階に、使ってない反射式ストーブがあったでしょ。あれなら停電してても動くはず」
「はあ……」
夫はため息とも呆れとも、あるいは感心したともとれる声を出した。
それからも夫は私を引き留めようと説得し続けたが、私の決意は変わらない。いくら春子が親友とはいえ、非常識だし迷惑だろうし、危険でもあるだろう。我ながら視野が狭くなっていると思う。だがこの時の私にとっては、それがどうした、という感じだった。
「分かったよ。仕方ないな、もう」
最後は夫も折れてくれて、でもさすがに不機嫌そうな態度で二階に上ると、反射式ストーブを持ってきた。そして、動くかどうか確認してから灯油をつめて(私たちの地域では、ガソリンや灯油を給油することを「つめる」という)、私の車の後部座席に積み込んでくれた。そこまでやったら、彼の気持ちも少し落ち着いたようだった。
「でも、いくつか約束してくれよ。到着するまで、コンビニあたりで休憩しながらこまめに連絡してくれ」
「分かった」
「あと、疲れてないと思っても、こまめに休憩するんだ。到着が遅くなって明日の朝になったって仕方ない、眠くなったら遠慮なく車の中で寝ちまえ。――あ、寝る時は必ず窓とドアをロックするんだぞ――早く到着することよりも、亜由美の体調優先だ。だから、春子さんには今から行くとか連絡しない方がいい。あっちもかえって心配する」
「そうだね。心得てる」
「俺は、亜由美が到着するまでこっちで起きてるよ。ちょうど録画した映画もいろいろあるし」
少し驚いた。夫は徹夜ができないタイプで、夜しっかり寝ないと体調に響く方だ。しかも彼は、防寒具を着こんだ私を、出がけに抱きしめてきたからびっくりした。
「明日の朝、茉莉を保育園に送ってから、俺が運転して行ってもいいんだぞ。本当は」
夫は言った。でも片道四時間のコースでは、どのみち保育園に茉莉を迎えに行く時刻には間に合わないだろう。それは彼も分かっているのだ。
「ごめんね。行ってくる。本当に気を付けるから」
「タイヤ交換はそこのスタンドでやってもらうんだな? 絶対にそこは省いていくなよ」
「もちろん」
こうして夫に送り出され、私は自分用の毛布とストーブを積み込んだ状態で愛車のエンジンをかけた。娘の茉莉も、私と夫のただならぬバタバタした雰囲気に少し不安そうだったが、夫に抱っこされながらハイタッチを交わすと、笑顔になって手を振って送り出してくれた。
日が傾いてきても、各チャンネルで地震速報を流し続けていた。NHKでは、最初、津波のおそれがあるということで女性アナウンサーの声がいつになく強い口調で「テレビを観ていないで逃げて下さい」と告げていたが、津波の危機だけは去ったらしく、今は少し落ち着いた感じの放送内容になっている。しかし、秋田市内が具体的にどのような状態になっているのかは不明のままだった。
「夕食はどうしようか。良かったら、マックでも買ってくる?」
夫が尋ねてきた。私が、ずっとリビングの椅子に体を預けてスマホとテレビを交互に観てばかりいたからだろう。秋田市の状況が心配で、夕食どころではなかったのだ。
「……ううん、今から作る。そろそろ茉莉も起こさないといけないし」
「心配でそれどころじゃないって顔してるよ。茉莉はいつものように、刺激物抜きのチーズと肉だけのチーズバーガーでもいいだろうし」
夫はそう続けた。もしかするとハンバーガーが食べたいだけなのかも知れない。
「大丈夫、まずは茉莉を起こそう。昼寝しすぎると夜に寝付かなくなるから」
「そうだな」
ぐっすり寝ていた茉莉を、機嫌を損ねないように注意深く起こした。ボサボサの髪と紅潮した頬、寝ぼけまなこで昼寝から目覚めた彼女をリビングに連れていくと、次第に目が覚めてきたようで、磁石が仕込まれている魚釣りゲームを夫とやり始めた。
「さて、何か作りますか」
冷蔵庫を開けようとしたところで、スマホが震動したので手に取って画面を見る。春子からだった。
「連絡遅れてごめん。こっちはみんな無事だけど、いろいろ大変な状態になってる」
というメッセージだったので、すぐに返事を送った。以下の会話文は、ラインによるメッセージのやり取りだ。
「無事ならよかった。大変って?」
「まず停電。水も出ない。旦那が近所を見てきたけど、古い家はヒビが入ったり窓が割れたりしてたって。この分だと、震源に近い方はもっとひどいかも」
「きついね。この寒いのに停電って……」
「しかも、うちオール電化だからね。右往左往っていうか、寒くて動くのも億劫だから、みんなで部屋に集まって毛布かぶってる」
「何かできることはないかな」
「ないと思う。まずは、すぐにメッセージくれただけでも嬉しい。ありがとう。ただ、少なくとも今日はあんまり長くはやり取りできないな。スマホの電池がなくなったら切ないし」
それもそうか。そういえば東日本大震災の時はガラケーだったが、あの時は、私も電池の残りを気にしながら情報を集めていたっけ。
「分かった。じゃあラインはこのへんで……。でも、また必ず連絡してね」
「ありがとう」
そこで私は本当にラインのやり取りを終えるつもりだった。あとは「がんばって」を意味するスタンプの一つでも送って切り上げればいいだろうと思ったのだ。だが少し間があって、春子の方ですぐにメッセージをつなげてきた。
「いつも気づかってくれるね。ありがとう。お互いに忙しくなっても、亜由美はそういうところが全然変わらないの、本当にすごいよ」
ときた。どう返事をしたものかと戸惑っていると、すぐにメッセージが続いた。
「高校の時から、いつも私の心の支えになってくれて本当にありがとう。でも今度は大丈夫。今度こそ、亜由美なしでも乗り切って見せるから」
そして、春子は「がんばります」と気概を示すスタンプを送ってきた。言いたいことだけ言われて会話を切り上げられてしまった感があったが、それも、メッセージの内容的に私が返事をしにくかろうと配慮してくれたがゆえだったのだろう。私も、先に考えていた通り「がんばって」スタンプを送っておいた。
「あ、ツイッターだとちょこちょこ被災地の写真を上げてる人がいるな。……なんだこれ、完全に潰れてる家もあるじゃないか」
私が中華鍋でチャーハンを作っていると、夫がスマホをいじりながら声を上げた。茉莉のお絵かき遊びを見守りつつ、彼はSNSを覗いていたのだった。私は中華鍋の中で具材をかき混ぜながら言う。
「春子からもさっき返事が来たよ」
「あ、来たのか。じゃあ無事だったの?」
「停電と断水だって言ってた」
「マジか! よりによってこの時期に……。東日本の時もそうだったけど」
夫は続けて何かしゃべっていたようだが、聞こえたのはそこまでだった。あとは換気扇の音で聞き取れなかった。文脈からして、おそらく東日本大震災に被災した当時の思い出を話していたのだろう。彼はあの時、出張で宮城へ行っており、地震直後に津波にさらわれることになる地域の真っ只中にいたのだ。幸い、津波に遭遇する前に山を越えて帰ってこられたのだった。
チャーハンができたので、三人で食べた。
「亜由美、なんだか今日はずいぶん食べるな。大丈夫?」
私にしては珍しく、器に盛ったチャーハンは山盛り気味だ。それをかき込んだり、三歳児用に薄く味付けして取り分けた分を茉莉に食べさせたりしながら、私は答えた。
「あのね、パパにちょっとお願いがあるの。この後、茉莉のシャワーと歯磨きと、あと寝かせるのは全部お願いしてもいい?」
知らず、決意を込めた言い方になっていたようだ。それだけで夫は私の言いたいことを察していた。
「いいけど、マジか。もしかして春子さんのところに行くつもり?」
「ごめん、居ても立ってもいられなくて」
「待て待て。それなら俺も一緒に行くよ」
「三歳児を連れていけないでしょ。夜道で片道四時間も、無理だよ」
「無理って言うなら亜由美だって。気持ちは分かるけど、行ってどうにかなるもんでもないだろ。つぶれてる建物だってあるし、道路も影響を受けてるかも。危なすぎるよ。警察が規制をかけてるかも知れない……」
「ごめん、それでも行きたいの。――二階に、使ってない反射式ストーブがあったでしょ。あれなら停電してても動くはず」
「はあ……」
夫はため息とも呆れとも、あるいは感心したともとれる声を出した。
それからも夫は私を引き留めようと説得し続けたが、私の決意は変わらない。いくら春子が親友とはいえ、非常識だし迷惑だろうし、危険でもあるだろう。我ながら視野が狭くなっていると思う。だがこの時の私にとっては、それがどうした、という感じだった。
「分かったよ。仕方ないな、もう」
最後は夫も折れてくれて、でもさすがに不機嫌そうな態度で二階に上ると、反射式ストーブを持ってきた。そして、動くかどうか確認してから灯油をつめて(私たちの地域では、ガソリンや灯油を給油することを「つめる」という)、私の車の後部座席に積み込んでくれた。そこまでやったら、彼の気持ちも少し落ち着いたようだった。
「でも、いくつか約束してくれよ。到着するまで、コンビニあたりで休憩しながらこまめに連絡してくれ」
「分かった」
「あと、疲れてないと思っても、こまめに休憩するんだ。到着が遅くなって明日の朝になったって仕方ない、眠くなったら遠慮なく車の中で寝ちまえ。――あ、寝る時は必ず窓とドアをロックするんだぞ――早く到着することよりも、亜由美の体調優先だ。だから、春子さんには今から行くとか連絡しない方がいい。あっちもかえって心配する」
「そうだね。心得てる」
「俺は、亜由美が到着するまでこっちで起きてるよ。ちょうど録画した映画もいろいろあるし」
少し驚いた。夫は徹夜ができないタイプで、夜しっかり寝ないと体調に響く方だ。しかも彼は、防寒具を着こんだ私を、出がけに抱きしめてきたからびっくりした。
「明日の朝、茉莉を保育園に送ってから、俺が運転して行ってもいいんだぞ。本当は」
夫は言った。でも片道四時間のコースでは、どのみち保育園に茉莉を迎えに行く時刻には間に合わないだろう。それは彼も分かっているのだ。
「ごめんね。行ってくる。本当に気を付けるから」
「タイヤ交換はそこのスタンドでやってもらうんだな? 絶対にそこは省いていくなよ」
「もちろん」
こうして夫に送り出され、私は自分用の毛布とストーブを積み込んだ状態で愛車のエンジンをかけた。娘の茉莉も、私と夫のただならぬバタバタした雰囲気に少し不安そうだったが、夫に抱っこされながらハイタッチを交わすと、笑顔になって手を振って送り出してくれた。
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