亜由美の北上

きうり

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第二章

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「幣原春子なんてヤリマンだべ。あんなの口説こうなんて奴の気持ちが知れねえず」
 と、話すのはクラスメイトの中岡だ。昼休み、彼は別の男子とパンと牛乳を胃に流し込みながら、ひそひそとそんな内容の会話をしていた。
 当人はひそひそ声のつもりだろうが、隣でお弁当を広げていた私にはしっかり聞こえていた。
 またその話か、と私は思う。春子さんが、いかにも知的で男を寄せ付けない容姿なのとは裏腹に、先輩や同級生の男子と交際しては別れて……を繰り返しているらしいという噂はだいぶ前からあった。口さがない男子たちはそういう女子を「ヤリマン」とよく呼んでいる。
「ちょっと中岡。あんたさっきのおしゃべり、周りに聞こえったっけぞ。あだな言葉使うなず」
 昼休みが終わる直前、中岡が一人になったところで私は声をかけた。全部聞こえていたと言われた彼は一瞬ばつが悪そうな顔をしたが、すぐ開き直る。
「別にいいべ、みんな言っでだで。いくら成績よくても、男をとっかえひっかえの素行不良じゃ誰だってやんだず」
 私は中岡に忠告したつもりだったが、春子さんのことを追加で悪く言われたことでカッとなった。だが、何か言い返す前に先生が来たので話はそこで終わった。
 方言丸出しでこんな言い方をする男子なんて、さぞ幼稚で意地悪な性格のように思われるかも知れない。だが、私が学校を休んだりすると、きれいにとったノートを翌日に貸してくれる程度には几帳面で親切な性格だ。頭も悪くない。だからこそ――言えば分かる奴だと思うからこそ――私は忠告したのだ。ついでに言えば、彼とは一・二年生と同じクラスで、しかも席替えのたびに頻繁に隣り合わせになるという変な因縁がある。
 つまり、ある女子がヤリマンかそうでないかという話題は、こういう分別のある男子をもおかしくさせる効果があるのだ。
(もっと春子さんと仲良くなりたい)
 後から思えば、私が急にそう強く考えるようになったのは、中岡の発言がきっかけだったような気がする。言葉にすれば、もっと仲良くなりたい――と、その通りなのだが、実際にはそれは言葉になる以前の衝動のようなものだった。
 たぶん、いつも一人で駅のホームに立ち、誰とも会話をすることがないまま、黙々と電車を降りるだけの春子さんの姿に、私は「何か」を感じていたのだろう。その姿は、口さがない同級生たちの噂話と偏見、好奇、嘲笑のこもった目線に対して、孤独にじっと耐えているように見えたのだ。
「あの、こんにちは」
 だから私はその日の帰り道、駅のホームで話しかけてみた。休憩時間に、中岡に言い返せずに溜まってしまった感情を、そこで放出したのだった。
「え?」意外そうにこちらを見る春子さん。「ああ、こんにちは」
 急に声をかけられたので一瞬びっくりしたようだが、すぐに、友人と朝のあいさつをするような軽めののりで、彼女は返事をしてくれた。実は春子さんも、駅のホームや電車内でよく見かける私の顔を覚えてくれていたのだ。そのことは、この後の電車内でのおしゃべりで知ることになった。
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