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第5章 少年パティシエにできること

第7話 国外退避?

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 夜の町を、車は走る。
 ツッコみたいことは山ほどあったが、京旗はひとまずそれは横に置き、日本大使館に今からそちらへ向かうとだけ電話をかけて、伊太郎の車に乗せて貰っていた。
「ムゴド氏を、ヤムイモンで、ムサ・ビトオ軍の仕業に見せかけて、暗殺するだとぉッ?」
 運転しながら、京旗の話を聞いた伊太郎が目を剥く。
「ムゴドって誰っすか。ヤムイモンって?」
 伊太郎は、顔をくしゃくしゃにして、
「こんのお菓子バカが……たっはっは……。ダロ・ムゴドはワール国大統領、ヤムイモンはワール国の首都だ、この野郎。といっても前々大統領が卿里だってんで無理矢理首都にしたものの、中部の田舎で、首都機能の移転なんぞされてねぇままなんだがな。おかげで首都はアビジャンと、みんなまだ平気で公言してる。――大事なのは、その名目上の首都ヤムイモンで、ちかぢか、和平会談がある。ECOWAS――西アフリカ諸国経済共同体――の議長国たる隣国のリマガルナ国から大物政治家のECOWAS事務局長はやってくる、宗主国フランスからアフリカ担当大統領顧問も出席する、調停会議だ。もともと紛糾すると見られているが、ムゴド大統領がその前後に暗殺されたら、まとまるもんもまとまらなくなる。反政府組織とされてるムサ・ビトオ将軍が犯人となったら、なおさら」
「伊太郎さんすいませんッ! つけられてるっす~!!」
 京旗は悲鳴をあげて話を遮り、シートを抱えるようにして振り向いていた。まぶしいヘッドライト。トレーラー。見る見る追い上げてきた。
「アッタに張り込まれてたのか。セザールの手の者だな? てめぇ、オレを巻き込んだな?」
「だだだって、まさかこんなことになるとは……」
 ゴオッと重量級の巨大な壁が迫ってくる。吹けば飛ぶよなこちらの車。もしくは象の足の手前のアリンコか。ドン、と一度リアが小突かれ、ひぇっと二人は息を呑んだ。
「重大な秘密を握ったときにゃ、親類縁者に危害がおよばねえよう、一人で孤独に戦うもんだろ? ――ットォ!!」
 改めて激突される寸前、伊太郎がハンドルを切りきった。急ブレーキ。金切り声とともに片足を浮かせて、車が派手にターンする。遠心力に振り回され、
「オレと伊太郎さんは親類でもなんでもないっす~!! あがっ!」
 続いて、うりゃ、と伊太郎がハンドルを戻してクランク走行、路地に滑り込み、京旗は頭を振り子のように往復終了、ガツンとダッシュボードに額をおさめていた。
「ひててててて!」
「親・類・縁・者! 縁者だろうが! 縁切ってやろうか!? ……ついたぞ。裏口だが」
 車をキッと伊太郎が止め、身軽にドアを開けたとき、背後の大通りでドーン!と音が跳ねた。京旗がびくっと振り向いた目に、カッとオレンジ光が道に一方から反対へと射すのが見えた。ビルの狭間の空に、黒煙がモクモクとあがって星空を隠していく。
「おっと、速度オーバーで、なんかに激突しちまったみたいだな。自滅ってやつ?」
「てゆーか、あんた、ナニモノすか!」
 カンカンカン、と階段を駆け登りながら、京旗は喚いた。伊太郎は扉の錠を下ろして後から追い掛けてきつつ、あんれぇ、お前、知らなかったのッ?とまたお得意の頓狂な叫び。
「知らざあ言ってきかせやしょう。――料理人よ」
 ニヤリ。


「いいい、一色くん!!」
 大使館に駆け込んで、はぁ、はぁ、と息をしている京旗に、バタバタと大人達が駆け寄った。若い職員、染矢大使、伊同忠商事、ニチケイ、横下電気、木松製作所とかの日本人企業各社の駐在員、JETROの桑原、などなど。
「おおお表の騒ぎは、まさかッ!」
――察しがいいっすね。ちょっと殺されかけました。脅しだったかもしんないスけど。
 言うのをやめて、京旗は、首を振った。
「なんでもありません。この国は安全で、治安もよくて、内戦の激化なんてしない国っすよね?」
 そのはずだ。もしそうじゃなくても、俺がそうしてやる。セザールのもくろみなんてぶっこわしてやる!
 決意のこもったまなざしに、大人達が、
「な、何を……!!」
 動揺して、顔を見合わせ、ざわめいた。
 見回すと、各デスクのパソコンの灯は当然入りっぱなし。方々に電話確認をしていたらしいメモや資料が乱れ飛び、テレビもつけっぱなし、ラジオもかかりっぱなしになっている。ほんとうに日本人会総出だった。
「一色くん」
 たしなめるような声が降った。ざわめきがピタリと収まる。発言しようとしているのが、日本大使だからだ。
「キミはできるだけ早く、国外へ脱出したほうがいい。安全な場所へ、逃げなさい」
「な……!!」
 京旗は驚愕した。
「キャタピラー・キャピタルは、この国を内戦でめちゃくちゃにしてから、自分の好きに支配するつもりなんです。思いどおりになんてさせたくない。帰りません」
 京旗にとっては、兆胡との言い合いの繰り返しだった。
「キミに何が出来る」
 染矢大使は、諭した。
「子供がどうこうできる問題じゃない。私たちにだって、どうにもできない。精一杯、いられる限りいて、この国の人々のために尽くして、日本とワール国とのかけはしになるよう務めるが、最後は日本へ帰っていくしかない」
 それではセザールのロードマップどおりだ。
 京旗はうつむき、ぶつぶつとひとりごちた。
「……子供に何ができるって……? オレに何ができるって……?」
 知っている。わかっている。
 ゆっくりと顔をあげる。きっぱりと言い切る。
「オレには、洋菓子を作ることしかできないっすね」
 その口の端に皮肉に浮かんだ笑みに、大人たちが何故かたじろいだ。
 底知れない少年の顔。何か考えがある顔だが、いったい何を考えている?
「それが、なんの役にたつ!」
 イライラと言ったのは、桑原だった。他の大人達のように怯まない。揺らがない。
「お菓子で内戦はおさまらない。子供のけんかじゃないんだよ、一色クン。おいしいお菓子を一緒に食べて仲直り、なんてわけにはいかないんだ」
「日本から視察団が来るって言ってたでしょう。この国にどれほど素晴らしい産物があるか、プレゼンテーションして、価値を再認識してもらえば、日本からのはたらきかけも変わってくるんじゃないですか。――僕が、この国の食材によるスペシャリテを作りますよ」
 天才少年パティシエの自信に満ちた笑みには、大人たちもつい、つりこまれそうになる。
 だが、桑原は眼鏡をクイと押し上げ、もう勝利したというように、唇を歪ませて笑った。
「今の発言で、この国のことをキミがどれほど知っているかがよく分かったよ。この国にはね、〝素晴らしい産物〟なんてないのだよ。長年、貿易振興の仕事で幾多の産物を発掘し、商品になるかどうかを試しつづけてきたこの私が言うんだ。間違いない。この国にあるのは、お喋りとサッカー観戦が大好きで怠惰な黒人と、マラリアや黄熱病の蔓延する不潔な大地だけです!」



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この物語はフィクションであり、実在の団体・個人・事件とは一切関係ありません
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