上 下
37 / 131

37限目 白紙

しおりを挟む
「君、その子を車に連れて行ってもらえますか」

 レイラの近くにいた女性のフロント・クラークに貴文はお願いすると、彼女は静かに返事をした。

「よろしく頼みます」

 貴文はため息をついて、医務室の扉から出た。すると事件と時にレイラを支えたフロント・クラークの男性が立っていた。

「大道寺様、こちらです」

 そう言って、彼は貴文を医務室の隣にある従業員控室に招いた。
 部屋の扉を彼が叩き、中からの返事がすると扉を開け、貴文を案内すると、頭を下げて扉を閉めた。

 部屋には椅子に座りうなだれる幸弘と彼に寄り添う両親が座っていた。目の前にレイラの母カレンと兄リョウが座っていた。
 幸弘は貴文が近づくとゆっくりと顔を上げた。その顔は涙で濡れていた。

「そんな……つもりは、なかったです。キスしてみたいとせがまれて……」

 頭を下げる幸弘の背中を左右にいる両親がなぜた。

「仕方ないわ。ゆき君は男の子ですもんね」
「そうだな」

 カレンは眉を下げてその様子を見ていた。リョウも同じように何も言わずにその光景を眺めていた。

 幸弘の父、英明は貴文の方を見た。

「誰でも可愛い女の子に誘われたらノッてしまうのは仕方ないですよね」

 ヘラヘラと笑い息子には非がないと言わんばかりの英明の態度に、貴文は冷た目を見た。

「なぜ、娘が誘ったと決めて話を進めるのでしょうか」
「それは、もちろん息子が言ったからに決まっているじゃないですか。息子は生まれてから一度も嘘をついたことのない人間なのです。それに、こんなに泣いて謝っています。反省しているのですよ」

 英明は横で頭を下げ続けている息子の幸弘に「なぁ」と同意を求めた。幸弘は“ヒクヒク”しながら頷いた。

 次の瞬間。

「―ッ」

 カレンが突然、リョウの前に手を出した。リョウがきれいな顔を極限まで歪ませて幸弘を睨みつけている。それは今にも飛び掛かりそうでな顔であった。カレンは貴文の方を見て首を振った。

「いや、大道寺さんも男ならわかるでしょう」
「娘は中学生になったばかりですよ」
「今の若い子は大人ぽいですよね」

 英明はニヤニヤと下品浮かべると、ガタンと大きな音がした。

 その場にいた全員が音がした方を見た。
 怖い顔したリョウが力いっぱい壁を叩いたのだ。

 その音で、部屋を静まり返った。中村夫婦は目を大きくして青くなり、幸弘はビクリと身体を動かし母、好美の手を握った。彼女は心配そうな顔をして「大丈夫よ。パパが何とかするかね」と彼の手を両手で包んだ。

「貴文さん」

 カレンは壁を殴ったリョウの手を抑えながら、貴文の名前を呼んだ。貴文はため息をついて頷いた。

「中村さん、わかりました」
「そうですか。分かって頂けて嬉しいです。それでは今後ともよろしくお願いします」

 英明が嬉しそうに頭を下げると、好美もニコリとして幸弘と共に頭を下げた。
 貴文は顎を触りながら、彼らを見下げた。

「いえ、今後はありません。彼と娘の婚約は白紙に戻しましょう。そして、治験の話もです」
「え……、ちょ、ちょっと待って下さい」

 英明は慌てて頭を上がると貴文を見上げた。

「息子はこんなに反省しているのですよ。もともとはレイラさんが誘ったせいですよね。息子は親の贔屓目を抜いたとしても整った顔をしています。レイラさんはそれに惹かれたのでしょう」
「娘は未成年です。そんな彼女の誘惑に負けてしまう弱い人間は大道寺家の婿として迎えることはできません」
「しかし、レイラさんは美しいから仕方ないですよ」
「どんな時でも冷静に対応できる人間を求めています。それでは私はこれで失礼しますよ。今後については書類を郵送します」

 その場を立ち去ろうとした貴文のスーツを英明は慌てて引っ張った。貴文は立ち止まり振り返ると迷惑そうに眉を寄せて彼を見た。

「ちょっと待ってください」
「まだ、何かありますか? 娘は未成年と言ったのが聞こえましたか? 被害届を出してもいいのですよ」

 貴文のその言葉に、英明の顔は真っ青になった。

「あ、では。婚約は白紙で構いません。でも、治験を進めさせて下さい」
「貴方には失望しました。信用がない会社に大切な患者を任せることはできません」

 英明はガタガタを震え貴文のスーツを掴む手が緩んだ。すると「フン」と鼻を鳴らして貴文は扉から出た。それをカレンとリョウが追った。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

皇太子の子を妊娠した悪役令嬢は逃げることにした

葉柚
恋愛
皇太子の子を妊娠した悪役令嬢のレイチェルは幸せいっぱいに暮らしていました。 でも、妊娠を切っ掛けに前世の記憶がよみがえり、悪役令嬢だということに気づいたレイチェルは皇太子の前から逃げ出すことにしました。 本編完結済みです。時々番外編を追加します。

もう彼女でいいじゃないですか

キムラましゅろう
恋愛
ある日わたしは婚約者に婚約解消を申し出た。 常にわたし以外の女を腕に絡ませている事に耐えられなくなったからだ。 幼い頃からわたしを溺愛する婚約者は婚約解消を絶対に認めないが、わたしの心は限界だった。 だからわたしは行動する。 わたしから婚約者を自由にするために。 わたしが自由を手にするために。 残酷な表現はありませんが、 性的なワードが幾つが出てきます。 苦手な方は回れ右をお願いします。 小説家になろうさんの方では ifストーリーを投稿しております。

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈 
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

何もできない王妃と言うのなら、出て行くことにします

天宮有
恋愛
国王ドスラは、王妃の私エルノアの魔法により国が守られていると信じていなかった。 側妃の発言を聞き「何もできない王妃」と言い出すようになり、私は城の人達から蔑まれてしまう。 それなら国から出て行くことにして――その後ドスラは、後悔するようになっていた。

マイナー18禁乙女ゲームのヒロインになりました

東 万里央(あずま まりお)
恋愛
十六歳になったその日の朝、私は鏡の前で思い出した。この世界はなんちゃってルネサンス時代を舞台とした、18禁乙女ゲーム「愛欲のボルジア」だと言うことに……。私はそのヒロイン・ルクレツィアに転生していたのだ。 攻略対象のイケメンは五人。ヤンデレ鬼畜兄貴のチェーザレに男の娘のジョバンニ。フェロモン侍従のペドロに影の薄いアルフォンソ。大穴の変人両刀のレオナルド……。ハハッ、ロクなヤツがいやしねえ! こうなれば修道女ルートを目指してやる! そんな感じで涙目で爆走するルクレツィアたんのお話し。

私がいなくなった部屋を見て、あなた様はその心に何を思われるのでしょうね…?

新野乃花(大舟)
恋愛
貴族であるファーラ伯爵との婚約を結んでいたセイラ。しかし伯爵はセイラの事をほったらかしにして、幼馴染であるレリアの方にばかり愛情をかけていた。それは溺愛と呼んでもいいほどのもので、そんな行動の果てにファーラ伯爵は婚約破棄まで持ち出してしまう。しかしそれと時を同じくして、セイラはその姿を伯爵の前からこつぜんと消してしまう。弱気なセイラが自分に逆らう事など絶対に無いと思い上がっていた伯爵は、誰もいなくなってしまったセイラの部屋を見て…。 ※カクヨム、小説家になろうにも投稿しています!

美人すぎる姉ばかりの姉妹のモブ末っ子ですが、イケメン公爵令息は、私がお気に入りのようで。

天災
恋愛
 美人な姉ばかりの姉妹の末っ子である私、イラノは、モブな性格である。  とある日、公爵令息の誕生日パーティーにて、私はとある事件に遭う!?

【完結】婚約者に忘れられていた私

稲垣桜
恋愛
「やっぱり帰ってきてた」  「そのようだね。あれが問題の彼女?アシュリーの方が綺麗なのにな」  私は夜会の会場で、間違うことなく自身の婚約者が、栗毛の令嬢を愛しそうな瞳で見つめながら腰を抱き寄せて、それはそれは親しそうに見つめ合ってダンスをする姿を視線の先にとらえていた。  エスコートを申し出てくれた令息は私の横に立って、そんな冗談を口にしながら二人に視線を向けていた。  ここはベイモント侯爵家の夜会の会場。  私はとある方から国境の騎士団に所属している婚約者が『もう二か月前に帰ってきてる』という話を聞いて、ちょっとは驚いたけど「やっぱりか」と思った。  あれだけ出し続けた手紙の返事がないんだもん。そう思っても仕方ないよでしょ?    まあ、帰ってきているのはいいけど、女も一緒?  誰?  あれ?  せめて婚約者の私に『もうすぐ戻れる』とか、『もう帰ってきた』の一言ぐらいあってもいいんじゃない?  もうあなたなんてポイよポイッ。  ※ゆる~い設定です。  ※ご都合主義です。そんなものかと思ってください。  ※視点が一話一話変わる場面もあります。

処理中です...