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第2章 それぞれの夏 編
第20話 リリライト=リ=アルマイトの場合(後編)
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結局、休憩が終わった後の会議の内容は、国政の重要課題に関するものに終始した。主には、昨年占領地となったネルグリア帝国の統治体制が芳しくないことと、それとは対照的に同盟を結んだヘルベルト連合との外交調整は極めて順調であることなどについて、今後の施策が話し合われた。
そのようなレベルの政治的な話に、王族の血筋だからという理由で参列しているリリライトには口を挟む余地も無かった。カリオスやラミア、それに大臣グスタフが話の中心となって盛んに議論を交わす中、リリライトはほぼ口を開くことなく、最高評議会1日目は終了した。
会議終了後、リリライトは大臣グスタフと護衛騎士シンパを連れて、学園の校舎から自分の邸宅へと戻ろうとしていた。
「リリライト殿下」
校舎を出て馬車に乗り込む際に、声を掛けられるリリライト。その方を見やると、カリオス付きの護衛騎士――ルエールが、騎士らしく背筋をピンと伸ばしながら立っていた。
「ルエール騎士団長、ご苦労様です」
苦手なヴァルガンダル家の当主に、リリライトは努めて笑顔で接する。
「午前の殿下のお話は、大変ご立派でございました。それは私も認めるところで、勘違いしないでいただきたい」
「ええ、分かっています」
それはお互いに本心だった。
カリオス曰く「馬鹿が付くほどの愚直な騎士」というのがルエールの評だ。リリライトに対する厳しさは、皮肉や嫌がらせというわけではない。ルエールがリリライトに対して敵意を持っているというわけではないことは、リリライトも承知している。
「しかし、やはりリリライト殿下は第二王女という慎みが求められるお立場。積極的に政務に関わるよりは、花を愛でて国民に愛されることが、その責務かと存じられます。あまり、国王陛下や兄君を困らせぬよう、お気を使わることをお勧めいたします」
あそこまでカリオスに言われながら、それでもリリライトに直接そういたことを忠言してくるルエール。もうこれは、年齢故に変えることが出来ないルエールの主義主張なのだろうか。
「――ありがとうございます。貴重なご意見として、胸に留めておきますね」
王族にすら、自分が正しいと思ったことを忠言出来る彼の存在は、ある意味では貴重で尊い存在なのだろう。
リリライトは、愛想の良さを変えずに笑いながら、優雅に胸に手を当ててそう応答する。
リリライトが最高評議会に出席するようになってから、何度も繰り返されるこの問答に、リリライトは辟易していた。
ルエールの考えも分からなくはないが、リリライトはそんな生き方を受け入れることは出来ない。だから言われても言動を改めないのだ。言っても直らないのだから、この騎士は諦めるということはないのだろうか?
ルエールは、リリライトの返事に対して感情の見えない表情で、それでも礼儀正しく深々と頭を下げた。そして頭を上げると
「当家の愚女が、夏季休暇の間、殿下の下でお世話になっているとお聞きしました」
「……ああ、アンナのことですね」
数秒の間、誰のことを言っているのか分からなかったリリライトは呆けたような表情をした後に、ハッと息をつく。
「あれも、武芸や戦術といった、実に女らしからぬ方面にばかり長けておりまして。この夏、殿下の下で少しでも女らしさを磨けると良いのですが」
「そんなことはありませんよ。とても良くしていただいています。こちらこそ、せっかくの故郷に帰省できる貴重な時間、お借りしてしまい申し訳ありません」
「もったいないお言葉です、殿下。どうぞ、アンナを宜しくお願いいたします。リリライト殿下の、ほんの一握りでも女らしさを身に付けてくれればよいのですが」
この会話からも、ルエールが決してリリライトを忌み嫌っているというわけではないことが分かる。ああいった面倒くさいことを言わなければ、余計なストレスもかからないのに。
「ぐひっ、ぐひひひっ! 安心なされい、ルエール卿。日に日にアンナ嬢は女らしさを磨いておる。次にヴァルガンダル家に戻るときは見違えておるぞ」
突如、会話に入ってきたのは、リリライトの側に仕えるグスタフ。礼儀正しく、堅苦しい空気が、悪い意味で砕かれるのを、その場の全員が感じる。
「グスタフ卿も、どうぞよしなに宜しくお願いいたします」
リリライトにするのと同じように、深々と頭を下げるルエール。
リリライトの下にいるということは、同時にこの豚のような欲望丸出しの男も側にいるということだ。今の発言からしても、父親として不安でたまらないだろう。
しかし一騎士団長と大臣とでは、後者の立場が圧倒的に上。そこは騎士としての礼儀を貫くが、さすがに不快な表情は消せなかった。
「シンパ、グスタフ……それではいきましょう。それではルエール、また明日からお願いいたします。カリオス殿下――兄様のこと、宜しくお願いしますね」
「はっ」
ルエールとグスタフの不穏な空気に耐えかねたか、リリライトがそう切り出すと、お付きの護衛騎士と教育係の大臣を連れてリリライトは馬車に乗り込んだ。
去る馬車を見送るルエール。漸くして馬車が見えなくなると、下げていた身体を真っ直ぐにする。そして騎士から父親の顔に戻ると
「久々に夏休みは顔が見られると思っていたんだがな。中々家に帰れないのは私の方なのに――悪い父親だな、私は」
▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼
邸宅へ向かう馬車の中――車内にいるのはリリライト、護衛騎士シンパ、大臣グスタフの三者である。会議の疲れもあるのか、三人とも特に口を開くことなく、しばらくは馬車の揺れに身を任せていたが
「グスタフ卿、あのような態度は困ります」
「ひょ?」
嫌悪の色を込めてそう言ったのは初老の女性騎士シンパ。明らかにグスタフを非難するように表情を歪めながら
「ルエール卿に対して、あのような言動。リリライト王女殿下がお困りになるのが、分からないか」
「ひょほ? わしは真実を言ったまでじゃよ、シンパ卿? あの娘、日に日に雌の匂いを撒き散らすようになり、雄を誘っているかのようですわい。ぐひひ、ひひひっ!」
唾液をこぼしながら、気味悪く笑うグスタフ。どうしてこのような男が、内政の責任者であり王女の教育係のなのか――後者に関しては未だに謎だが、前者に関しては、実はこの男様々な実績を残しているため、シンパも強くは言えないのだが、
シンパはグスタフとまともに会話するのを諦めて、リリライトの方へ向き変える。
「王女殿下、ヴァルガンダル家のご令嬢をお預かりになっているというお話は、私も聞き及んでおりませんが」
「あら、そうでしたか? 向こうの方から、是非にとも女性としての所作や振る舞いを学びたいといわれまして……夏休み期間は、私の邸宅にて預かることにしたのです」
「あのヴァルガンダル家の娘が? そんなことを?」
シンパもアンナ=ヴァルガンダルのことは、1年首席ということもあり、よく知っていた。そんな暇があるなら、一つでも多くの剣術を学びたいと言いそうな娘だと思っていたが。
それに彼女はヴァルガンダル家という家督を大事にしている。寮生活を強いられる学園生活の中、実家に帰省出来る貴重な機会にそんなことを言い出すなんて、シンパにとっては違和感しかなかった。
「おかしいですね。シンパにはグスタフから伝えておくようお願いしていたのですが」
首を傾げながそういうリリライトの言葉に、シンパは鋭い目つきを向ける。
「貴様――よもや、ヴァルガンダル家の令嬢に」
「ひょほおっ! 怖い怖い。ご自身が婆で相手にされないからと、嫉妬されては困りますぞ。ぐひひひっ」
「――っ!」
言葉を失う程に激高したシンパは、馬車の中で立ち上がりグスタフに剣を向ける。
シンパもルエールに負けず劣らずの礼節を重んじる人間だったが、さすがに今の言葉には辛抱出来なかった。国王に次ぐ二番目の政治的対場の大臣に、刃を向ける。
「ほほ……ほ。お助け下され、リリライト殿下」
さすがに命の危険を感じたのが、グスタフは焦りながら救いを求めるようにリリライトへ視線を送ると、リリライトは今までにない大きなため息をつく。
「シンパ、剣を下げて下さい。よもや、こんな場所で、こんな理由で、一国の大臣を殺すわけにはいかないでしょう?」
「――御意に」
努めて怒りを沈めた声で、シンパは抜いた剣を腰に収めて、座席に座る。
「シンパの怒りも最もです。グスタフ、前から言っていますが、シンパに限らず女性の前でそういった言動は慎むことです。いつか、本当に背中から刺されても文句は言えませんよ」
「ぐひひっ……かしこまりました」
全くかしこまっていない声で返事をするグスタフ。リリライトもそれを察して、もうほとんど諦めながら、今度はシンパに
「この男は、確かにどうしようもなく不快で気持ち悪い男ですが……この国にとって必要な男なのは、分かりますよね。それに私の教育係でもあります。どうか、私に免じて許してあげてくれませんか?」
申し訳なさそうに頭を下げるリリライト。何故、王女殿下がこんな下劣な男のために、配下である騎士の自分に頭を下げないといけないのか。それだけでもシンパは頭の中が沸騰するくらいに怒りが渦巻くが、王女が許せという言葉に、何とか堪える。
「では、ヴァルガンダルのご令嬢の件は」
「くすくす。あのような可憐な方――こんな下衆に触れさせるわけがありません。ご安心を。今日も、侍女達と一緒に夕食の準備をしてくれているはずです」
ニコニコと笑顔で答えるリリライト。彼女にけなされながら、横では「ぶひぃ」と言いながら興奮しているグスタフが本当に気持ち悪い。
シンパはそれ以上グスタフの愚行を追求することを諦めて、無言でうなずいた。王女がそれだけ言うのだ。護衛騎士としては素直に引き下がらざるを得ない。留飲は下がらないが。
そして更に無言が続いた後、馬車は白薔薇騎士団に騎士兵舎へ到着する。
「シンパ、ありがとうございます。明日もどうぞ宜しくお願いしますね」
馬車を降りるシンパに連れて、王女であるリリライトが自ら馬車を降りて見送る。そんなリリライトに恐縮しながら、深々と礼をするシンパ。グスタフはといえば、馬車の中でふんぞり返ったまま。
いくら大臣とはいえ、王女自らが馬車を降りてきているのに、何という不遜な輩だろうか。グスタフの行動一つ一つが勘に触る。
「王女殿下――以前より申し上げておりますが、あの男が王女殿下の教育係など、相応しくありません。百害あって一利なしです。兄殿下に申し上げて適任の者をよこしましょう」
「シンパ、私からも言っておりますが――」
やれやれ、またか――といった表情で、リリライトは応答する。ルエールといい、シンパといい、騎士というのはしつこいのが性分なのだろうか。
「あのような男でも、学ぶべきところはたくさんあるのです。それに、どんなに問題があっても有能な人材なら使いこなすのが王族としての務めです。今、私の教育係をグスタフから変える必要はありません」
普段柔らかな態度のリリライトが、この件の話になるとやけに態度を硬化させるのも、シンパにとっては違和感だった。
「ではせめて、私を邸宅住まいにさせていただけませんか? どうも、グスタフ卿と王女殿下が近くにいると思うと、不安でたまりませんのです」
「シンパ――あなたも立場を弁えるべきです。白薔薇騎士団の団長とはいえ、貴女は騎士の身で王族たる私の邸宅で生活を送る、と言うのですか?」
「し、しかしグスタフ卿は――」
「あの男は、王族に次ぐ立場である大臣です。それに、私の教育係という立場上、住まいは私の邸宅に準備しなければ失礼に当たるでしょう」
「で、ではせめてあの男と二人きりになる時間は作らぬよう、お願いいたします」
有無を言わさない、強い語調のリリライト。普段は見せない、王族に相応しい尊大で圧力を感じる空気を見せるリリライト。こういったところは、さすがはあの国王ヴィジオールの実娘といったところか。
それでも、と必死に頭を下げるシンパ。そんな護衛騎士の態度に、リリライトは表情を一変――また先ほどのにこやかな笑顔に戻す。
「私のことを気かけて下さり、いつもありがとうございます。シンパにはいつも感謝していますよ」
「そ、そのような……勿体なきお言葉」
狼狽えるシンパの手を取り、リリライトは目を覗き込みながら、ゆっくりと言う。
「そんなに心配しないでください。というよりも、護衛騎士をそんなに不安にさせるなんて、私は王女失格です。これから、より精進しないといけませんね」
「い、いえ! そんなことはありません。全て私の、立場を超えた不敬な発言でした。失言でございます」
そう言って自分の発言を取り消すシンパに、リリライトは首を振って、再度「ありがとうございます」と礼を述べる。
それから2~3、明日のことなどを打ち合わせてリリライトは馬車に乗り込んだ。
馬車は御者の他、リリライトとグスタフの二人を乗せて、リリライトの邸宅ヘと向けて走り去っていく。
残されたシンパはそれを見送り、少し冷静になったシンパは思い返す。
リリライトがいったのは「心配するな」「安心しろ」ということだけで、具体的なことは何も口にしていなかった。何となく、話を有耶無耶にされただけではないか、と。
そのようなレベルの政治的な話に、王族の血筋だからという理由で参列しているリリライトには口を挟む余地も無かった。カリオスやラミア、それに大臣グスタフが話の中心となって盛んに議論を交わす中、リリライトはほぼ口を開くことなく、最高評議会1日目は終了した。
会議終了後、リリライトは大臣グスタフと護衛騎士シンパを連れて、学園の校舎から自分の邸宅へと戻ろうとしていた。
「リリライト殿下」
校舎を出て馬車に乗り込む際に、声を掛けられるリリライト。その方を見やると、カリオス付きの護衛騎士――ルエールが、騎士らしく背筋をピンと伸ばしながら立っていた。
「ルエール騎士団長、ご苦労様です」
苦手なヴァルガンダル家の当主に、リリライトは努めて笑顔で接する。
「午前の殿下のお話は、大変ご立派でございました。それは私も認めるところで、勘違いしないでいただきたい」
「ええ、分かっています」
それはお互いに本心だった。
カリオス曰く「馬鹿が付くほどの愚直な騎士」というのがルエールの評だ。リリライトに対する厳しさは、皮肉や嫌がらせというわけではない。ルエールがリリライトに対して敵意を持っているというわけではないことは、リリライトも承知している。
「しかし、やはりリリライト殿下は第二王女という慎みが求められるお立場。積極的に政務に関わるよりは、花を愛でて国民に愛されることが、その責務かと存じられます。あまり、国王陛下や兄君を困らせぬよう、お気を使わることをお勧めいたします」
あそこまでカリオスに言われながら、それでもリリライトに直接そういたことを忠言してくるルエール。もうこれは、年齢故に変えることが出来ないルエールの主義主張なのだろうか。
「――ありがとうございます。貴重なご意見として、胸に留めておきますね」
王族にすら、自分が正しいと思ったことを忠言出来る彼の存在は、ある意味では貴重で尊い存在なのだろう。
リリライトは、愛想の良さを変えずに笑いながら、優雅に胸に手を当ててそう応答する。
リリライトが最高評議会に出席するようになってから、何度も繰り返されるこの問答に、リリライトは辟易していた。
ルエールの考えも分からなくはないが、リリライトはそんな生き方を受け入れることは出来ない。だから言われても言動を改めないのだ。言っても直らないのだから、この騎士は諦めるということはないのだろうか?
ルエールは、リリライトの返事に対して感情の見えない表情で、それでも礼儀正しく深々と頭を下げた。そして頭を上げると
「当家の愚女が、夏季休暇の間、殿下の下でお世話になっているとお聞きしました」
「……ああ、アンナのことですね」
数秒の間、誰のことを言っているのか分からなかったリリライトは呆けたような表情をした後に、ハッと息をつく。
「あれも、武芸や戦術といった、実に女らしからぬ方面にばかり長けておりまして。この夏、殿下の下で少しでも女らしさを磨けると良いのですが」
「そんなことはありませんよ。とても良くしていただいています。こちらこそ、せっかくの故郷に帰省できる貴重な時間、お借りしてしまい申し訳ありません」
「もったいないお言葉です、殿下。どうぞ、アンナを宜しくお願いいたします。リリライト殿下の、ほんの一握りでも女らしさを身に付けてくれればよいのですが」
この会話からも、ルエールが決してリリライトを忌み嫌っているというわけではないことが分かる。ああいった面倒くさいことを言わなければ、余計なストレスもかからないのに。
「ぐひっ、ぐひひひっ! 安心なされい、ルエール卿。日に日にアンナ嬢は女らしさを磨いておる。次にヴァルガンダル家に戻るときは見違えておるぞ」
突如、会話に入ってきたのは、リリライトの側に仕えるグスタフ。礼儀正しく、堅苦しい空気が、悪い意味で砕かれるのを、その場の全員が感じる。
「グスタフ卿も、どうぞよしなに宜しくお願いいたします」
リリライトにするのと同じように、深々と頭を下げるルエール。
リリライトの下にいるということは、同時にこの豚のような欲望丸出しの男も側にいるということだ。今の発言からしても、父親として不安でたまらないだろう。
しかし一騎士団長と大臣とでは、後者の立場が圧倒的に上。そこは騎士としての礼儀を貫くが、さすがに不快な表情は消せなかった。
「シンパ、グスタフ……それではいきましょう。それではルエール、また明日からお願いいたします。カリオス殿下――兄様のこと、宜しくお願いしますね」
「はっ」
ルエールとグスタフの不穏な空気に耐えかねたか、リリライトがそう切り出すと、お付きの護衛騎士と教育係の大臣を連れてリリライトは馬車に乗り込んだ。
去る馬車を見送るルエール。漸くして馬車が見えなくなると、下げていた身体を真っ直ぐにする。そして騎士から父親の顔に戻ると
「久々に夏休みは顔が見られると思っていたんだがな。中々家に帰れないのは私の方なのに――悪い父親だな、私は」
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邸宅へ向かう馬車の中――車内にいるのはリリライト、護衛騎士シンパ、大臣グスタフの三者である。会議の疲れもあるのか、三人とも特に口を開くことなく、しばらくは馬車の揺れに身を任せていたが
「グスタフ卿、あのような態度は困ります」
「ひょ?」
嫌悪の色を込めてそう言ったのは初老の女性騎士シンパ。明らかにグスタフを非難するように表情を歪めながら
「ルエール卿に対して、あのような言動。リリライト王女殿下がお困りになるのが、分からないか」
「ひょほ? わしは真実を言ったまでじゃよ、シンパ卿? あの娘、日に日に雌の匂いを撒き散らすようになり、雄を誘っているかのようですわい。ぐひひ、ひひひっ!」
唾液をこぼしながら、気味悪く笑うグスタフ。どうしてこのような男が、内政の責任者であり王女の教育係のなのか――後者に関しては未だに謎だが、前者に関しては、実はこの男様々な実績を残しているため、シンパも強くは言えないのだが、
シンパはグスタフとまともに会話するのを諦めて、リリライトの方へ向き変える。
「王女殿下、ヴァルガンダル家のご令嬢をお預かりになっているというお話は、私も聞き及んでおりませんが」
「あら、そうでしたか? 向こうの方から、是非にとも女性としての所作や振る舞いを学びたいといわれまして……夏休み期間は、私の邸宅にて預かることにしたのです」
「あのヴァルガンダル家の娘が? そんなことを?」
シンパもアンナ=ヴァルガンダルのことは、1年首席ということもあり、よく知っていた。そんな暇があるなら、一つでも多くの剣術を学びたいと言いそうな娘だと思っていたが。
それに彼女はヴァルガンダル家という家督を大事にしている。寮生活を強いられる学園生活の中、実家に帰省出来る貴重な機会にそんなことを言い出すなんて、シンパにとっては違和感しかなかった。
「おかしいですね。シンパにはグスタフから伝えておくようお願いしていたのですが」
首を傾げながそういうリリライトの言葉に、シンパは鋭い目つきを向ける。
「貴様――よもや、ヴァルガンダル家の令嬢に」
「ひょほおっ! 怖い怖い。ご自身が婆で相手にされないからと、嫉妬されては困りますぞ。ぐひひひっ」
「――っ!」
言葉を失う程に激高したシンパは、馬車の中で立ち上がりグスタフに剣を向ける。
シンパもルエールに負けず劣らずの礼節を重んじる人間だったが、さすがに今の言葉には辛抱出来なかった。国王に次ぐ二番目の政治的対場の大臣に、刃を向ける。
「ほほ……ほ。お助け下され、リリライト殿下」
さすがに命の危険を感じたのが、グスタフは焦りながら救いを求めるようにリリライトへ視線を送ると、リリライトは今までにない大きなため息をつく。
「シンパ、剣を下げて下さい。よもや、こんな場所で、こんな理由で、一国の大臣を殺すわけにはいかないでしょう?」
「――御意に」
努めて怒りを沈めた声で、シンパは抜いた剣を腰に収めて、座席に座る。
「シンパの怒りも最もです。グスタフ、前から言っていますが、シンパに限らず女性の前でそういった言動は慎むことです。いつか、本当に背中から刺されても文句は言えませんよ」
「ぐひひっ……かしこまりました」
全くかしこまっていない声で返事をするグスタフ。リリライトもそれを察して、もうほとんど諦めながら、今度はシンパに
「この男は、確かにどうしようもなく不快で気持ち悪い男ですが……この国にとって必要な男なのは、分かりますよね。それに私の教育係でもあります。どうか、私に免じて許してあげてくれませんか?」
申し訳なさそうに頭を下げるリリライト。何故、王女殿下がこんな下劣な男のために、配下である騎士の自分に頭を下げないといけないのか。それだけでもシンパは頭の中が沸騰するくらいに怒りが渦巻くが、王女が許せという言葉に、何とか堪える。
「では、ヴァルガンダルのご令嬢の件は」
「くすくす。あのような可憐な方――こんな下衆に触れさせるわけがありません。ご安心を。今日も、侍女達と一緒に夕食の準備をしてくれているはずです」
ニコニコと笑顔で答えるリリライト。彼女にけなされながら、横では「ぶひぃ」と言いながら興奮しているグスタフが本当に気持ち悪い。
シンパはそれ以上グスタフの愚行を追求することを諦めて、無言でうなずいた。王女がそれだけ言うのだ。護衛騎士としては素直に引き下がらざるを得ない。留飲は下がらないが。
そして更に無言が続いた後、馬車は白薔薇騎士団に騎士兵舎へ到着する。
「シンパ、ありがとうございます。明日もどうぞ宜しくお願いしますね」
馬車を降りるシンパに連れて、王女であるリリライトが自ら馬車を降りて見送る。そんなリリライトに恐縮しながら、深々と礼をするシンパ。グスタフはといえば、馬車の中でふんぞり返ったまま。
いくら大臣とはいえ、王女自らが馬車を降りてきているのに、何という不遜な輩だろうか。グスタフの行動一つ一つが勘に触る。
「王女殿下――以前より申し上げておりますが、あの男が王女殿下の教育係など、相応しくありません。百害あって一利なしです。兄殿下に申し上げて適任の者をよこしましょう」
「シンパ、私からも言っておりますが――」
やれやれ、またか――といった表情で、リリライトは応答する。ルエールといい、シンパといい、騎士というのはしつこいのが性分なのだろうか。
「あのような男でも、学ぶべきところはたくさんあるのです。それに、どんなに問題があっても有能な人材なら使いこなすのが王族としての務めです。今、私の教育係をグスタフから変える必要はありません」
普段柔らかな態度のリリライトが、この件の話になるとやけに態度を硬化させるのも、シンパにとっては違和感だった。
「ではせめて、私を邸宅住まいにさせていただけませんか? どうも、グスタフ卿と王女殿下が近くにいると思うと、不安でたまりませんのです」
「シンパ――あなたも立場を弁えるべきです。白薔薇騎士団の団長とはいえ、貴女は騎士の身で王族たる私の邸宅で生活を送る、と言うのですか?」
「し、しかしグスタフ卿は――」
「あの男は、王族に次ぐ立場である大臣です。それに、私の教育係という立場上、住まいは私の邸宅に準備しなければ失礼に当たるでしょう」
「で、ではせめてあの男と二人きりになる時間は作らぬよう、お願いいたします」
有無を言わさない、強い語調のリリライト。普段は見せない、王族に相応しい尊大で圧力を感じる空気を見せるリリライト。こういったところは、さすがはあの国王ヴィジオールの実娘といったところか。
それでも、と必死に頭を下げるシンパ。そんな護衛騎士の態度に、リリライトは表情を一変――また先ほどのにこやかな笑顔に戻す。
「私のことを気かけて下さり、いつもありがとうございます。シンパにはいつも感謝していますよ」
「そ、そのような……勿体なきお言葉」
狼狽えるシンパの手を取り、リリライトは目を覗き込みながら、ゆっくりと言う。
「そんなに心配しないでください。というよりも、護衛騎士をそんなに不安にさせるなんて、私は王女失格です。これから、より精進しないといけませんね」
「い、いえ! そんなことはありません。全て私の、立場を超えた不敬な発言でした。失言でございます」
そう言って自分の発言を取り消すシンパに、リリライトは首を振って、再度「ありがとうございます」と礼を述べる。
それから2~3、明日のことなどを打ち合わせてリリライトは馬車に乗り込んだ。
馬車は御者の他、リリライトとグスタフの二人を乗せて、リリライトの邸宅ヘと向けて走り去っていく。
残されたシンパはそれを見送り、少し冷静になったシンパは思い返す。
リリライトがいったのは「心配するな」「安心しろ」ということだけで、具体的なことは何も口にしていなかった。何となく、話を有耶無耶にされただけではないか、と。
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