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45、新月の呪術
しおりを挟むその時、ふっと前方の壁が消え、フィアリスが鋭くそちらへ目を転じる。
広い空間があり、奥には巨大な結晶があった。いくつもの砕けた石を集めて固めたものらしい。それが薄ぼんやりと暗がりの中で明滅している。
ドレスを着た少女が、こちらに背を向けて立っていた。
「ユリーナ様……」
駆け出そうとするティリシアに、フィアリスは腕を広げて制止する。ティリシアが不思議そうに目で問いかけてきた。
「私は落ちる時に、彼女の顔を見たんです。ユリーナさんはとても幼く見えました。多分、せいぜい十四かそこらじゃないかな。とても二十四歳とは思えない」
十四歳。それは聖女に認定されたユリーナがさらわれた歳だった。
若く見えるのではない。実際、彼女の見た目は子供のままだ。ユリーナはさらわれた時からおそらく、歳を重ねていない。
前方に立つユリーナが、ゆっくりと振り向いた。
あどけない少女の顔をしたユリーナは、感情の抜け落ちた無表情のままぼんやりとこちらを見ている。
「あなたはあの時、もう殺されていたんですね」
そんな、とティリシアが震える声で呟く。
「助からないのですか」
「彼女の肉体には魔物が融合されています。先ほどまでは気がつかなかったけれど、今は魔物の強い気配を感じます」
フィアリスはティリシアをかばうように立った。
ユリーナを解放しなければならない。できることがあるとすれば、そのくらいだ。
* * *
「私は、あの死にかけの娘が聖女だとは長いこと気がつかなかったのだ。惜しいことをした。知っていればもっと上手くやれたものを」
エヴァンは剣を構えたまま、伯爵の話を聞いていた。伯爵は首元をくつろげながら、ゆっくりと歩く。黒く異質な自分の腕に目を落とした。
「魔物の強靱な肉体を、人間に移植することはできないか、長年の間研究を進めていたのだ。それがどうにも上手くいかなかった。それどころか、私も腕を失うことになり――」
魔物を檻に入れて運ぶ道中、檻が壊れて魔物が飛び出した。同行した使用人は全てやられて、近くを通りかかった少女も襲われた。腕を失った伯爵は、少女が魔力持ちだと気づいて古城へと運んだのだった。
その少女こそがユリーナ・トリス。
伯爵は魔力持ちから力を集めて、十年仕込んだ呪術をその日発動させる予定だった。
それこそが、魔物と人の融合だ。伯爵は自分の腕の代替品を手に入れることに成功した。
呪術はユリーナの体にも影響を及ぼした。彼女は死んだが、魔物と一つになったのだ。
「ユリーナの体からは魔力を回収し続けることができた。しかし、何分まだ十四という歳だったからな。聖女の力が最高潮に達する十八目前でああしておけば、もっと多くの力を回収できただろうに。どの道私の呪術は十年周期でしか使えないのだがな」
外の世界に興味がない伯爵は、ユリーナが聖女であることも知らず、また彼女の魔力が特別であるのにも気づかなかった。全ては自分の呪術が上手くいったからだと思い込んでいたのだ。
古城に運び込んだ少女の正体と力の効果に気づいた伯爵は、他の聖女の存在を求めた。そしてたどり着いたのが男爵令嬢のティリシアだった。
「私のもとで多くの人死にが出ているのは不審に思われ始めていた。ティリシアは貴族で、さらわれれば騒ぎが大きくなるだろうからうかつに手出しはできん。落ち着いて実験をするなら、妻として迎えた方がよいかと思ったが、今となっては失敗だったな」
城には仕掛けや秘匿してあるものが多い。何らかの理由で調べられては伯爵は今度こそ罪人になるのだ。
次の十年目が迫っていた。ユリーナから貯めた力でも呪術は成功しそうであった。けれどもやはり新しい、より強い力が、ティリシアの力が諦めきれなかった。
「今回の新月の呪術で、あなたはどんな禁忌をおやりになろうとしていたのですか?」
ノアが冷えた声で詰問をする。
「城の地下にはいくつも、準備を整えた死体がある。今度は魔物人間を複数作って私に従えさせるつもりだった。あれは丈夫だ。少々聞き分けが悪いがな。ユリーナだったあれは凶暴で、なかなか手がつけられなかったのだ」
伯爵は動き回りながら、もういい、もういい、と神経質に頬をひきつらせながら笑う。
「ティリシアを妻にして、次の十年までまた力を貯めようと思っていたのだ。魔物と融合させれば聖女の力は固定されて引き出し続けることが出来る。時折他人の目に触れさせれば生きているとわかり、殺しを疑われはしないだろう。だが、もういい。もう面倒だ。爵位も惜しくない、魔物人間達を連れて、私はこの地を去ろう。ユリーナだったものと、ティリシアもだ。私がこの身分に固執しなければ、いくら殺しても問題はないのだ。お前達には皆ここで死んでもらおう。私は新天地を目指す」
もしこの場にレーヴェがいれば、伯爵の淀んだ目を見て「こいつ相当頭にキテるじゃねーか。化け物はお前なんだよ、このイカれクソ野郎」と吐き捨てたかもしれない。
伯爵は全く、極限のところで理性を保っているという顔である。
エヴァンは伯爵から目を離さずにノアに声をかけた。
「ノア、呪術の発動を止められるか」
ノアは一瞬黙り、「止めます」と言い切る。やってみます、と言わないところが彼らしい。
「十年仕込みだぞ? この城中に術式は編み込まれている。お前のような若造に解除できるわけがない」
せせら笑う伯爵に一瞥を投げ、ノアは崩れかけた広間をしっかりとした足取りで出て行った。
エヴァンはノアがやり遂げると信じていた。彼は出来ないことを出来るとは絶対に言わない。
(……フィアリス。ティリシア)
魔物と融合しているというユリーナと、二人は落ちていった。今頃どうしているだろう。
(フィアリス。あなたは、私の前からいなくなったりしませんよね?)
今はただ、自分の師を信じるしかない。
伯爵の後ろから新手の魔物が飛び出してきて、エヴァンは剣を振るった。
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