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14、刺激に満ちた館

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 * * *

「ノア様。ご相談がありますの」
「ノアとお呼び下さい。様は不要です、私は平民ですので」

 ティリシアに呼び止められたノアは、にこりともせず言った。
 ノアは表情が冷たく、愛想のない男ではあったが、気配りは細やかで若いながらも有能な使用人であるのがわかる。
 そして、驚くほど美しかった。鋭い目つきと人を寄せ付けない雰囲気に気圧されるので初めは意識しないのだが、その美貌は隠しようがない。
 平民とは信じられない高貴な顔立ちなので、着替えれば貴族か、一国の王子にも見えるのではないだろうか。

 ここは美形が多すぎる。そのせいでティリシアは何度も目眩を覚えた。
 貴族令嬢のお茶会に何度か出席しては、周囲の美しさと自分の凡庸な顔立ちに落ち込んでいたものだが、リトスロード家は比べものにならなかった。今まで見てきたどんな美人な令嬢も霞むほど、優れた容姿の人ばかりなのだ。あの時の嘆きが笑えるほどだ。
 エヴァンはもちろんのこと、魔術師フィアリスは人間離れした美貌で、もはや恐ろしいほどである。性別がどうだなどというのは大した問題ではないくらい圧倒的だった。

 そして家令のノアも、使用人としては目立ちすぎるほどの美形。エヴァンをからかって喜んでいたレーヴェルトだって、服を着崩していて一見だらしがないが、それを正せば美しい偉丈夫になるに違いない。彼のたくましさはまた別種の美しさだった。

 異様な家である。
 貧乏令嬢で平凡な顔をしたティリシアは、居たたまれなかった。このお屋敷は黒い宝石箱のようだ。どこを向いても目もあやな貴石ばかり。そして、そこに飛び込んでしまった路傍の石、それが自分だ。場違いにもほどがある。
 しかし居たたまれない理由は何も外見の劣等感だけではなかった。

「折り入って頼みがあります。私に何か、お仕事をさせていただきたいのです」

 ノアの眉がわずかにしかめられる。

「……ティリシア様。あなたはお客様です。そのようなことをしていただくわけにはまいりません。ご退屈であれば、付き添いの者に編み物の道具などを用意させますが」
「違うのです。退屈などではありません。もう、黙ってお茶を飲んでいるのに耐えられないの。わかって下さい。私この数日で、どれだけ自分が愚かで無力で、自分のことしか考えていなかったかを思い知りました。恥ずかしいのです。これだけ迷惑をかけて、優しくしていただいて、エヴァン様達は働いていらっしゃるのに、私だけのうのうと休んでいるわけにはいきません」

 忙しい彼の足を止めて思いを聞いてもらうのも迷惑だろうとは思いつつ、一度開いた口はなかなか閉じなかった。
 身近な者と我が身可愛さに、無理を通してエヴァンに保護をしてもらった。そもそも彼は全く関係がなかったというのに巻き込んだ。
 あの方の家はとてつもない権力がある。少しくらいは面倒を見てもらっても、さほどの負担にならないだろうと無意識のうちに考えていたのだろう。

 そして優しさにつけこんだ。ここまできてしまったら、今更全てを撤回するのは不可能で、エヴァン達を頼るしかないのである。
 心さえ強く持てば、自分は何でも出来ると過信していた。なんと愚かしいことだろう。
 貴族でなくなっても、貧乏でも、父が病気でも、使用人を失っても、一人で生きていける。一人で生きよう。

 ――とんでもない決意だった。
 追いつめられて、他人を自分の問題に引き込んでしまった。事態を収拾する力も持たないくせに、一人で生きていけるなどと、どうして思いこんでしまったのか。
 そんな思いをノアにぶちまけた。
 涙をこぼさなかったのは、なけなしの意地のおかげだった。

 ノアは黙って聞いていたが、ティリシアの言葉が途切れると口を開く。

「あなたのお気持ちはわかります。私もあなたと同じ年の頃、似たような失敗を何度かしでかしました。頼ることも勇気です。今回エヴァン様を頼っていただいたのは正解だと思います。心細い中、一人で立ち向かおうとしていたあなたはご立派です。それほどご自分を責める必要はありません」

 冷たい顔で優しい言葉をかけられるのはちぐはぐな感じがした。しかし彼の慰めが身にしみて、涙をまたぐっとこらえる。
 ノアは黙っていたが、ゆっくりとまばたきをするとこう言った。

「それではティリシア様。この館の植物の世話を手伝っていただいてもよろしいでしょうか。観賞用の花や薬草、小さいですが菜園もありますので」
「あ……ありがとうございます!」

 ティリシアは破顔した。この頼みごと自体が無理を言っていると承知していたが、どうしても、何もしないでいるのが嫌だったのだ。
 きっとエヴァンに言えば止められる。ノアはこういった申し出は断らなければならない立場なのだろうが、ティリシアの気持ちを汲んでくれたのだ。彼は優しい人だから、とエヴァンから教えられていたが、その通りだった。

 後で呼びに行く、と言ってノアは離れていった。
 廊下の先で、ノアとレーヴェルトが出くわしている。

「お前さぁ、他人にそういう説教するのは早いと思うよ。自分だって誰にも頼らず未だに無理しすぎるじゃんか」
「あなたはどうして立ち聞きするのですか。非常識だ」
「通りかかって聞こえただけだろ」
「そういうはしたないことばかりするなら、追い出しますよ」
「このうちの奴はみんな俺に当たりが強いんだよなぁー。何なんだよ。俺、拗ねて家出しちゃうかもよ」
「どうぞ。さがしませんから」
「なーんでそんな冷たいこと言うの。俺がいなくなったら寂しいくせに」

 やけに気安い会話をしている。
 誰にでも腰が低いノアが、レーヴェルトに妙に強く出ていた。レーヴェルトは貴族のはずだから不思議である。レーヴェルト様は相手が使用人であっても、ああいう話し方を許しているのかしら、とティリシアは首を傾げた。
 後日、ティリシアはこの疑問を客室にて口にした。付き添っているのはエヴァンの兄嫁の侍女である。長く勤めている彼女は侯爵家の内情には通じていた。

「レーヴェルト様は一時期ノアと共に、ノアの実家で暮らしていたことがありますから」

 そんな説明を聞いて、ティリシアは納得した。
 では、気心知れた友人のような関係なのね。
 そこでやめていればよかったのだが、侍女はうっかり口を滑らせてしまう。

「レーヴェルト様、いつもノアに迫ってますからね。二人は言ってみれば恋人のような……あ、いけない」

 この館でその事実は秘密でも何でもなく、知らない者はいない。あまりに当たり前だったので侍女は喋ったのだが、まずいと思って口に手を当てた。しかし遅かった。
 ええーっ! とティリシアが叫び声をあげて、侍女は慌ててその口を塞いだのだった。
 若いティリシアにとって、この館は刺激に満ちていた。
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