花の貴人と宝石王子

muku

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第二部 旅

130、陰鬱な黒

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 * * *

 マラカイト王子は食事の時以外は昏々と眠り続けるようになった。経過が悪いのかとギアルギーナは彼の身を案じたが、医者代わりの鳥兜トリカブト公によると、「不器用な殿下は休み方もろくに知らないから、今までの分をまとめて休んでいるだけだろうさ。良い傾向だ」とのことだ。
 口数は少なく、精神状態は良好でもなさそうだが、食事の量は回数を重ねるごとに増えていっている。

 そして、事件から一週間ほど経った日のことだった。
 眠る王子のそばで本を読んでいたギアルギーナだったが、迫ってくる忙しない足音を聞きつけて顔を上げた。
 扉も叩かずに部屋に飛び込んできたのは侍従であった。血相を変え、怯えた顔で報告する。

「テクタイト殿下が、マラカイト殿下に面会したいと……。お断りしたのですが、聞き入れてくださらないようです。すぐそこまで来られています」

 テクタイト王子は月下美人公が見張っているのだが、いつまでもぴったりはりついているわけにはいかないだろう。遅かれ早かれ一度は様子を見に来ると思っていたギアルギーナは、顔色を変えずに立ち上がった。腰帯には剣を吊ってある。

「お前はここにいろ。私が応対する」

 ギアルギーナは侍従へ声をかけると、部屋を出て行った。
 廊下を歩いていくと、前方から悠々とした足取りで第七王子テクタイトが向かってくるのが見える。宝石の王子は皆黒い服を身にまとっているが、彼のそれはことさら黒いようだった。夜闇よりも陰鬱な黒。悪しき影が膨らんで人の形をとったなら、ああいう姿になるであろうと思わせる。

 音もなく、影が迫る。
 まだ距離はあるがギアルギーナは足を止め、あちらも立ち止まった。

「殿下、何用でしょうか」
「兄上の見舞いだ。弟の顔を見せてやらねばな」
「面会謝絶だとお伝えしているはずですが」
「何故私と兄を会わせようとしないのだ?」
「あなただけではありません。弟君のカーネリアン殿下にも、ご遠慮いただいております」
「誰の判断なのか教えてもらおうか」
「私です」

 ギアルギーナは顔の筋肉一つ動かさず、真っ直ぐに相手を見据えていた。対してテクタイトは、可笑しそうに鼻息をもらす。
 彼の視線がそそがれているのは、ギアルギーナの腰の剣だ。ギアルギーナは柄に手をかけてはいないが、警戒を示すために、鞘はつかんでいる。

天竺牡丹ダリア公よ。マラカイト兄上を隔離するとの決定は、花の貴人の総意か?」
「いいえ。私の独断です。故に、抗議は私に直接願いたい」

 第五王子負傷の噂は、耳にしても気にしている貴人は少ない。天竺牡丹がマラカイト王子を庇おうがどうしようが、大体の者は興味がないし口も挟まないのだ。
 結果それが自分達の身に何らかの形で波及しようが、その時はその時だと考えているのだろう。良くも悪くも自由。それが花の貴人の世界。花宮殿はそういう場所だ。

天竺牡丹ダリアの名にかけて、孔雀石の殿下は無事に国へ帰っていただく」

 不気味な薄笑いに向かって、ギアルギーナは凛とした声で告げる。

「あなたを、マラカイト殿下には会わせません」

 暗に、兄を害するつもりだろうと非難していた。無礼は承知だ。
 テクタイトは笑みを崩さず、ただ目を細めた。

「いい度胸だ、天竺牡丹公ギアルギーナ」

 突然、猛烈な殺気が放たれた。風のような勢いで押し寄せ、ギアルギーナは全身にそれを浴びた。
 冷たく、骨の髄まで凍らせる「気」であった。陽の届かない凍土より、無数の死の嘆きを巻き込んでやってきた風のような。幾千もの刃に斬られたかと錯覚する痛みを感じる。壮絶な悪意が心に入り込もうとする。

 ギアルギーナは、瞬きもしなかった。真っ直ぐに暗黒を湛える瞳を見つめる。

「私は一歩も退かない。殿下、天竺牡丹はあなたの思うままには踊りません。引きなさい」

 石持ちと戦えば負けると知っている。それでもギアルギーナは必要とあらば剣を抜くつもりでいた。蛮勇を見せつけるためではない。剣は矜持と覚悟。屈しないという意志が、彼の真の勝利を妨げるのだ。

 睨み合いはしばらく続いた。互いに身動きせず、世界が静止したかのような、息詰まる時間。
 先に動いたのはテクタイトであった。ゆっくりと、首を傾げる。

「腹を決めれば絶対に惑わぬ、正義の天竺牡丹公、か。なるほど、遊び甲斐はなさそうだ」

 いつもの不可解な笑みを深めると、そのまま王子はきびすを返した。

「マラカイト殿下がお元気になられましたら、改めてご意向を伺い、あなたにご連絡を差し上げましょう」

 ギアルギーナが背中に声をかけると、テクタイトは肩越しに振り向いて笑い、そのまま去って行った。

 ◇

「族長! ご無事でしたか……!」

 部屋に戻ると蒼白な侍従が出迎えた。ここは魔術干渉を受けないよう入念に結界を張っているが、先ほど放たれた殺気の全ては防ぎきれなかっただろう。異様な気配を感じた侍従は怯え切っている。幸いマラカイトには影響がなかったようで、変わらず眠り続けていた。
 ひとまず飛来石の王子を追い払えたか、とギアルギーナは軽く息を吐いた。

 ああいう相手は、少しでも怯えれば負けだ。心の隙間を見逃さずに入り込み、支配する。
 そういう点ではギアルギーナは引かない自信があった。意志を曲げない生き方をしてきたからだ。それを感じたからこそ、テクタイトは興を削がれたのだろう。マラカイトをいたぶりに来たのも暇潰し程度のつもりであったから、ああもあっさり引き下がったのだ。気まぐれな男だ。たまたま運が向いていた。

「しかし、とんでもないものの侵入を我々は許してしまったようだな……」

 テクタイトが最も要注意人物であるというのは当初からわかっていたが、対峙してみると想像以上だと痛感した。
 自分達にとって石持ちは天敵みたいな存在だが、花の貴人は鷹揚で、来るもの拒まず去るもの追わず。来られたらまずいことになるかもしれないが、その時はその時で何とかなるだろう、と誰もがどこか気楽に構えていた。長命と平和による危機感の欠如、そして生まれながらの楽観主義がそうさせた。ギアルギーナですらそうだった。

 他の王子はともかく、第七王子があれほどの凶悪な気を秘めていると知っていたら、何が何でも宮殿へは入れなかっただろう。
 しかし、悔やんだところでもう遅い。
 ギアルギーナは目をつぶる。あの男の目から放たれる、恐るべき暗黒の色を思い出す。

 ――あれは一体、何者だ?
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