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第二部 旅
128、嫉妬
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マラカイト王子は一晩眠り続けた。侍従の他は、心配して菫公イオンが様子を見に来たり、鳥兜公ヤートが容態を確認しに来た以外、ギアルギーナは誰とも話をせずに部屋にこもっていた。
ヤートの診察によると、危機は脱したらしい。彼は「天竺牡丹公の献身のおかげだね」と揶揄するように笑っていたが、ギアルギーナは渋面した。
侍従の報告によるとカーネリアン王子は公爵子息と赤薔薇白薔薇を連れ、宮殿を歩き回っているそうだ。賊は宮殿の敷地から外に出た形跡があるが、それも偽装かもしれないので、引き続き警戒しているという。テクタイト王子が妙な動きをしないよう、彼の見張り役は月下美人公が引き受けた。
ギアルギーナは椅子に座って腕を組み、ひたすら王子のそばに控えていた。ただ座して待つのは得意であった。
日暮れが迫った頃。ようやくマラカイトは目を覚ました。
「……あなたは、大丈夫なのか」
瞑目していたギアルギーナは、掠れた声を聞きつけて瞼を開けた。
「石持ちに力を奪われるのは、体に負担がかかると聞いたが」
マラカイトに身を案じられたギアルギーナは「大したことはありませんでしたよ」と笑った。実を言うとあの後は力が入らず、少し休む羽目にはなったのだが、吸われた量が多くはなかったので無事に回復している。
それより重い怪我を負っている王子の具合の方が問題だ。刺された直後に比べれば顔色は悪くはないものの、そうすぐには回復しないだろう。だが体調を聞いても「問題ない」の一点張りである。
傷はかなり痛むはずだが、もうほとんど痛みは引いていると嘘をつく。意地っ張りな御仁であるらしく、正確な状態を聞き出すのはギアルギーナも早々に諦めた。
逃亡した者達の捜索は続けられていると話すと、マラカイトは頷いた。そして、自分が刺された時の詳細を語り始めた。
ヘマタイト王子とカイヤナイト王子は、突然自分達が偽者だと打ち明けたそうだ。そして、あるものを見せつけてきた。それは二人の弟王子の体に埋まっているはずの石で、マラカイトは酷く動揺して隙が出来てしまい、そこを襲われたという。
石は本物だったとマラカイトは確信した。だからこそ弟達の死は確定しており、混乱のために判断力が鈍ったのだ。
「それは、こちらに来た時からお二人は偽者だったということですか? それとも、こちらに来てからでしょうか」
「わからない。奴らが石を身につけていて魔力を感じたからか、私も本物だとずっと思い込んでいたからな……」
それを話すだけでも、マラカイトは相当体力を消耗したらしかった。天竺牡丹の侍従がやってきて、王子に硝子の吸い飲みから花の蜜を混ぜた水を飲ませる。どうにか二口ほど飲み、彼は再び気を失うように眠りに落ちた。
◇
事件から三日後。
要するに宮殿にいる人数を確かめればいいんだろう、と言い出したのは赤薔薇公ローザである。考えがある、あれを試したい、僕に任せろ、と美しい赤薔薇がわめくので、皆は彼に好きなようにさせた。
近頃の赤薔薇は以前に比べるとおとなしくなったが、興奮すると声量が大きくなるのは相変わらずだ。
彼が発案した魔術は、光を宮殿内に飛ばして生命反応を感知するというものだった。人型で熱を持つものを数えるのだ。
宮殿にいるのは花の貴人と侍従の花の子、滞在している人の子達で、その総数はわかっている。賊がどこかに潜んでいたり、変装しているなら勘定が合わなくなるはずだ。
赤薔薇のローザは得意げに考案した術を使い、宮殿の敷地内にいる人数を数えた。結局数は合い、滞在中の人の子も入れ替わっていないか調べたので、怪しい輩は隠れていないだろうというのが最終的な判断であった。
「外に逃げたので間違いないと思うぞ。土の下に埋められているのでもない限りな」
そう赤薔薇は言った。しばらくはこの人数確認を定期的に続けるつもりらしい。一応各自、注意を怠らないようギアルギーナは皆に念押しした。
緊急の会合から引き上げたギアルギーナは、マラカイトの様子を見に戻るため、足早に部屋を目指した。
(何が目的なのかがわからんな。大して手が込んでいるわけでもない。マラカイト王子を亡き者にしようとしたとしても、とどめを刺さないのはお粗末だ。奴らはしくじっている。もしくは、成功したと思っていたが、王子の生命力が予想外に強かったか……)
だが、宝玉王の息子達が頑丈なのは周知の事実であるはずだ。
わからん、と胸中で繰り返し、ギアルギーナは第五王子が療養している部屋へと入っていった。ギアルギーナも貴人であり、傅かれる立場であるので他人の身の回りの世話は得手ではない。ほとんど侍従に任せているのだが、時間の許す限りギアルギーナは部屋にとどまった。
マラカイトを、一人にしておかない方がいいのではないかと思ったのだ。
寝衣に着替えさせられたマラカイトは、寝台に座っていた。背中にたっぷりとクッションが置かれ、それにもたれるような形でかろうじて座っている。短期間で身を起こせるほど回復できたのは、さすが石持ち王子といったところだろう。
侍従は重湯を食べさせていたが、食欲がないのは変わらないらしく、椀の中身はほとんど減っていない。
「……すまない」
食べられないことを王子は侍従に詫びていた。
彼のような男が、こうした些細な理由で他人に、それも目下の者に謝っているのがギアルギーナには意外に思えた。
すまない、の一言。言い慣れない言語を口にするかのような、たどたどしい響きを帯びていた。
しかし、彼の中に全くなかった言葉ではなかったようだ。おそらく幾度となく形になりかけ、声にならなかったもの。立場上、口にするべきではなかった場面が多くあったのだろう。
たくさんの「すまない」「すまなかった」「悪かった」は本人もそれが自分の中に浮かんだのを意識せず、押し込められて固まり、土塊みたいに変容して、どこかにあり続けたのかもしれない。
その一部が今、塊からぼろりとはがれ落ちて口から出てきたのだ。いつか言うはずだった、風化した言葉。
「お気になさらないでください。無理して召し上がられては、かえって毒ですから」
天竺牡丹の侍従は微笑むと、他に何か用事があれば何なりと申しつけてほしいと伝え、食器を片づけた。族長に礼をして、部屋を出て行く。
食後は本人の希望でしばらく座らせておくことになっていた。ギアルギーナが寝台の近くにある椅子に座っても、マラカイトの反応はない。ややうつむきがちで、ぼんやりと前方を見つめている。
「お話をさせていただいても?」
「ああ」
表情は虚ろだが、声はさほど掠れてはいなかった。意識もしっかりしている。
「あなたを刺した賊についてですが、本当に兄君にご報告されなくてもよろしいのですか」
出て行ったとすると、どこにいるのか、いよいよわからないのである。今のところ、花の国の奥に向かったのは確認されておらず、となると人の国を目指したのかもしれない。
王子の暗殺未遂である。ユウェル国としてもしかるべき処置をとるべきではないだろうか。彼らが千晶城に戻り、同じような事件を起こさないとも限らない。
「王子の中に偽者がいたという話を、兄の耳に入れたくないのだ」
マラカイトは前を向いたまま呟いた。彼の兄で存命なのは、第二王子のフローライトと第三王子のオニキスだ。マラカイトが言っているのは、現在城の中を仕切っている第三王子の方だそうだ。
「オニキス兄上は本来聡明な方で、滅多に誤った選択はしない。だがこのところは余裕がないせいか、極端な判断を下すことが増えた。偽者が出たなどと聞けば、今城にいるフローライト兄上を疑い、手にかけるかもしれない」
確か他にも弟王子が城に残っていたはずだ。何故フローライトを真っ先に偽者だと決めつけるのではと考えるのか。そうギアルギーナが問うと、マラカイトが微かに眉間に皺を寄せた。
「オニキス兄上は……目障りなフローライト兄上を亡き者にしたがっている。殺すきっかけが欲しいのだ。この状況で王子の偽者が出たとなれば、オニキス兄上は無意識のうちにそれを利用して、フローライト兄上を始末するのではないかと」
つまりマラカイトから見て、オニキスの精神状態も際どいところなのだろう。マラカイトが必死で王冠をさがしているのは、そのオニキスを宥めるという理由もあったようだ。
新王が即位する見込みが立たず、そこから生じる山のような問題に対処しているのがオニキスだった。いい加減彼も我慢の限界で、事態を好転させるには王冠が必要なのだ。
「私は……」
マラカイトの頬がひくりと動き、指はかけ布を強く握っていた。
「フローライト兄上に……死んで、ほしく……ない。どうしても、嫌だ。だから……」
感情が高ぶって、声が揺れる。呼吸が乱れ始めたので、ギアルギーナは椅子から腰を浮かせた。だがすぐにマラカイトは「大丈夫だ」と手で制し、目をつぶって深呼吸を繰り返す。
己を制御しようとするマラカイトを尊重し、ギアルギーナは座ったまま王子が落ち着くのを待った。下手に世話を焼きすぎると、彼の矜持を傷つける。
それにしても、マラカイトが一人の兄の身を案じているというのは考えてもみなかった。お喋りな第二十王子カーネリアンとの雑談で聞いたのだが、王子達は誰一人として兄弟に親愛の情を感じていないし、全員が全員を疑っているそうなのだ。
それに、マラカイトが兄のフローライトの名前を口にする時、敬愛というよりは困惑が感じられたから妙である。
「あなたがそう仰るのであれば、我々からは千晶城へのこの件についての報告は、今後も控えます」
ギアルギーナの立場からすると正直にあちらへ伝えるべきなのだが、ここはマラカイトに譲ることにした。一つ危険を背負い込んでしまったが、仕方ない。
マラカイトは頷いて目を閉じる。ギアルギーナが引き続きここにいていいかと尋ねると、また頷いた。
机には人の子に関する書物がいくつか置いてあった。菫公イオンが、前に自分が読むために書庫でさがしていたもので、よければお読みになってください、と届けてくれたのだ。
天竺牡丹族は戦でも貿易でも人の子とあまり関わってこなかったので、彼らの歴史も生態についてもさほど知らない。成り行きで王子の面倒を見ることになったので、勉強すべきだと思い、読み始めた。
本を開き、ギアルギーナが黙々と読んでいたところ、視線を感じて目を上げた。静かなので座ったまま眠っているかと思われたマラカイトだったが、こちらに視線を向けていた。
どうかされましたか、と声をかけると、いや、と首を振る。
「失礼なことを尋ねるようだが……、あなたは花宮殿での実力は上位だそうだが、あなたよりも上の者もいくらかいるのだろう」
唐突な質問である。ギアルギーナは栞をはさんで本を閉じ、マラカイトの方を向いた。
「私と同じくらい力があるのは胡蝶蘭公ですね。その上が薔薇二人。さらにその上が睡蓮公で、最も強いと言われているのが月下美人公になります」
マラカイトも情報収集に手を抜いていなかったから、貴人の力の順位についても当然頭に入れているだろう。
確認のために尋ねたのかと思ったが、マラカイトは続けた。
「上位の者に嫉妬を感じたことはないのか」
「嫉妬?」
それはつまり、自分より強い薔薇達や月下美人公が妬ましくならないか、という意味か。
ギアルギーナは首をひねって考えてから答えた。
「そうした感情は、一度も抱いた経験がありませんね」
初めから自分より強い花がいて、そういうものだと思っていた。その事実に、大して負の感情で悩まされた覚えはない。
そうか、とマラカイトは呟き、こう告白した。
「私は弟に嫉妬した。ジェードが憎かった」
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