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第二部 旅
120、造花職人の末裔
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キミカゲはユラと共に馬に乗り、用意されたもう一頭の馬にはメイが乗った。このまま三人は花の国へと戻る。
リーリヤとジェードも各々馬にまたがり、彼らとは御殿から下って少し離れた三つ叉の道で別れた。
メイとユラは何度もリーリヤ達に謝罪と礼を言い、キミカゲは素っ気なく「では、また」と頷いた。
「女王の機嫌が良いことを祈っているよ」
鈴蘭の族長はそう言い残して去って行った。
つい忘れがちだが、そこがこの旅での最も重要な問題の一つであった。女王が不機嫌であれば全てが台無しになる可能性がある。
さて自分の運の良さもどこまで続くだろうかとリーリヤは一瞬黙り込んだが、やはり悩んでも仕方ないと不安を振り切って馬を走らせた。
北を目指す。
ここからは人里に入らず、野山や森の中ばかりを通ることとなる。ジェードは誘拐事件の時に身分を明かしており、他言は禁じたが広まらないとも限らない。
追っ手が迫る危険が前より増したため、なるべく先を急いだ。
この頃にはリーリヤも遠乗りにすっかり慣れていたため、長く馬に乗っていても苦痛を感じなくなっていた。アルト・ソルムが用意してくれた馬達は壮健で、驚くほど丈夫だったため途中で乗り換える必要もなく、ここまで来ることができた。
木下闇を駆ける。鳥のさえずりや葉擦れの音を聞く。昼を越えて、夜を迎える。
一度として、同じ景色は見ない。昨日の光と今日の光は異なり、風は日々新しく吹き、川面の煌めきも変化する。全ての尊い一瞬が過ぎていく。
あらゆる音、光、香り。自分が自然の一部であることを、強く実感した。
雨が降れば幕を張ってその下で休み、ジェードは「寒くはないか」とリーリヤに尋ねた。
二人で身を寄せ合って眠り、朝になれば手早く支度をして先を急ぐ。
言葉を交わさずとも意思が通じる場面が増えた。リーリヤにはそれがこそばゆく感じられ、その度に微笑んだ。
大きな川を見つけたリーリヤは、早朝、一人で身を清めようと水に入った。
清冽な川は絶え間なく水が流れ、輝いている。黄金の朝陽が一帯を照らしており、見上げた天はいつもより高く見えた。
空の下に白い裸体をさらしたリーリヤは、あらゆる自然の気配を感じながら、静かに水浴びを続けた。
「リーリヤ」
リーリヤが振り向くと、ジェードは木に寄りかかり、穏やかな目つきでこちらを眺めていた。黒ずくめの服装を好む彼は、影のようにくっきりと朝の川辺に浮き上がっている。
何もかも忘れて放心したかのごとく、白百合の姿に見入っていた。
「お前は、美しいな」
呼びかけるというよりは、独り言に近かった。
静謐な奇跡を目の当たりにした人が見せるような、満ち足りた表情。リーリヤがそこにいる、ただそれだけのことに、彼は満足しているのだ。
滅多に見せないその顔には鋭さが微塵もなく、あどけなさすら感じさせた。
それを見れば、彼がどれほど自分を必要としているのかがよくわかる。
寄る辺なく闇の中を彷徨し続け、やっと見つけた一輪の花――それが白百合なのだ。
リーリヤは川から上がると、ジェードに近づいていった。少しの間見つめ合ってから、口づけをする。
目を閉じかけたジェードが囁いた。
「美しすぎて、この世のものとは思えないな。消えてしまいそうだ」
ふと感じたらしい小さな不安を、譫言みたいにジェードは呟く。彼は時折、二人の出会いを、都合の良い夢か幻ではないかと疑っているのかもしれない。
幸福が、消えてしまうのが怖いのだ。
鋼のごとく強靱な殻の中に押し込まれた、ジェードの心。その繊細さを、リーリヤはいつも愛おしく感じた。
傷つき続けた心を、守ってやりたくなる。いつまでも私はあなたを信じ、そばにいます、と語りかけたい。
「ちゃんといますよ、ここに」
あなたの光は、幻ではない。
頬を撫でれば、ジェードはゆっくりと瞼を閉じた。濡れたリーリヤの手から滴が伝い、ジェードの頬を、まるで涙かのように流れていく。
* * *
まじない婆の情報によると、この辺りに造花を作った魔術師の末裔が住んでいるはずだった。
二人は鬱蒼と草木の茂る森の中を探索していたが、誰かが住んでいそうな建物などは発見できないでいた。おそらくだが魔術師の末裔は、人目につかないように隠れて住んでいる。
森は広大で、手がかりは少ない。しかしリーリヤとジェードは老女の言うことを信じ、根気よく探し回った。
徒歩でしか動き回れないような場所も多い。馬を木に繋いで歩いていたリーリヤは、膝をついてそこらの植物に顔を寄せた。
「見てください。ここらの花は摘まれています。獣は食べない種類で、よく人の子が茶を飲むために集めるものですよ」
ジェードが調べたところ足跡はなかったが、摘まれてからさほど時間は経っていない。
「近そうだな」
二人は頷き合うと、今まで以上に慎重に、足音を立てずに進んだ。
リーリヤは目を閉じて、風の流れをさぐった。そよ風の動きに妙なところはないだろうか。
ほんの微かにだが違和感があった。風が何かに当たっている。
何もないはずのそちらに目を向けると、ジェードも注視する。
頭上から葉が落ちて、一瞬、その葉の輪郭が歪んだ。
ジェードは鞘から剣を抜き放ち、空間を斬りつけた。
見せかけの景色に亀裂が走り、ぐにゃりと変形して幕のようにはがれていく。
現れたのは、しっかりとした造りの小屋であった。中には人がいるらしく、ジェードは扉を見つめていたが、剣を収めた。さほどの危険はないと判断したのだろう。
そろそろと外をうかがうように扉が開き、男が一人姿を現した。
「どちら様かな」
黒髪の、眼鏡をかけた陰気そうな男である。特に何の変哲もない清潔な服に身を包み、両目に不信感と諦めを滲ませてこちらを見ていた。
小屋を隠していた隠蔽の魔術を破られたことで、もう騒いでも仕方ないと腹を決めたようだ。
前に出ていたジェードの方が最初に目についたらしいが、男はもう一人訪問者がいるのに気づき、遠慮がちにリーリヤにも視線を移した。そして、驚いたような顔をする。
「ユウェル国第十五王子のジェードだ」
この名乗りには男も度肝を抜かれたのか、様々な感情が顔によぎった。いきなりあの大国の王子が訪ねて来たと言われても、すぐに信じられないだろう。
しかしジェードのまとう空気は常人とは違う。
見る間に青ざめた男は、数歩後ろへとよろけた。
「……では、私を殺しに来たのか」
「国が大昔にお前の一族を捕らえた件のことを言っているなら、私は無関係だ」
造花を作っていた一族は、ユウェル国に連れて行かれてその後消息不明になったという噂がある。宝玉王の命令だとされており、その息子がやって来たとなれば動揺しても仕方ない。
ジェードはどうしても相手を怯えさせてしまうので、自分も口を出すべきかとリーリヤが踏み出しかけたその時、小屋の中から別の声が聞こえてきた。
「主、その方達が話したい相手というのは、おそらく僕でしょう。そちらの白く美しい方は、花の子ですね。本物の」
出てきたのは少年だった。整った顔立ちをしており、どこか人間離れしている。彼は優雅な動作で礼をした。
清らかな白い髪。白皙の美貌に、薔薇色の唇。文句のつけようがない容姿の美少年だが、気になるのは「整いすぎている」ところだろうか。
「あなたは……」
「造花です」
無表情で告げられた言葉に、リーリヤは息をのむ。
しかし、造花と言うが、こんな花の子は見た覚えがなかった。
「どの花の造花なのですか?」
「野薔薇です」
首を傾げるリーリヤに、ジェードが「どうした」と問いかけた。
「花の国に、野薔薇の花の子はおりません。野薔薇は赤薔薇や白薔薇などと違う一重咲きの小ぶりな花で、いくつかの種類の総称となっているのです」
薔薇の子は赤薔薇と白薔薇の種族と、黒薔薇一人のみである。
造花の少年に、あなたはどの花なのかと尋ねられたリーリヤは、正直に自分は白百合で族長なのだと教えた。
「戸惑われるのも無理はありません。あなた方はある程度造花の事情に通じておられるのですね。造花は本来、花の子を模して作られます。しかし僕は最初の造花。創作なのです」
花の子であれば、おそらく作り物であっても見ただけでどの花なのかはわかるはずだ。
リーリヤは少年に近づいた。彼の体からは微かに野薔薇の甘い香りがする。
「僕、野薔薇の花をよく食べているんです」
ロサカニナと名乗った少年は、微笑を浮かべた。
リーリヤとロサカニナが話している間に、男が慌てた様子で割って入る。
「この子を連れて行かないでくれ! 私は、ロサカニナがいないと生きていけないんだ!」
取り乱しかけている男の腕にリーリヤはそっと触れてなだめた。
「我々が求めているのは、造花の情報だけです。話を聞かせていただけたら、すぐに帰りますし、この場所のことは誰にも言いませんよ」
単調な日常が突然破られた男は、かなり精神に苦痛を感じている様子だった。野薔薇の造花とリーリヤを不安そうに見比べてから、頭を抱えてうつむくと動かなくなってしまう。
「申し訳ありません。主は人見知りなもので。どうぞ、中へお入りください。主、僕がお茶の支度をしますから、椅子に腰かけて休んでいてくださいね」
見かけだけでいうと親子ほどの年の差もありそうな二人だが、ロサカニナの方が保護者のように男へ接している。
少年の話が事実だとするなら、彼は魔術師によって一番最初に作られた造花で、千年以上はこうして動いているのだ。
リーリヤとジェードは、小屋の中へと招かれた。
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