花の貴人と宝石王子

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第二部 旅

115、鈴蘭の族長

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「鈴蘭族の問題なのに、あなたも巻き込んでしまって悪かった、白百合公」

 キミカゲが近づいてきて言った。

「私は何ともありませんでしたよ」
「あなたの『私は何ともありませんでした』ほど信じられない言葉もないんだけどね……」

 怒りを引っ込めたキミカゲの顔にはかなりの疲労の色が見えた。

「ずいぶんお早い到着でしたね。私は五日はかかると思っていたのですが」

 宮殿から故郷に戻る貴人は、一ヶ月ほどで入れ替わることになっている。菫公イオンの報告によると、現在鈴蘭公は外出組ではなかったはずだが、緊急事態なので誰かと変わってもらったのかもしれない。

「すぐ近くまでは鹿で来たんだよ」

 まあ、とリーリヤは目を丸くする。まさになりふり構わずといった感じで飛んで来たのだろう。
 珍しい植物の大鹿が人の子に目撃されれば、それだけで騒ぎになる。一応人目につかないように移動してきたが、見られても知ったことではない、とキミカゲは開き直っていた。

 花の国と人の国では魔力の質が異なるので、鹿を操るのは相当力を消耗する。慣れればさほど苦にもならないだろうが、久方ぶりだ。遠乗りも数千年はしていなかったので、疲れるのも無理はなかった。
 鈴蘭の子に会う、とキミカゲが言うので、リーリヤは彼を部屋まで案内した。

 メイとユラは二人とも青い顔をして直立不動の姿勢で待っていた。族長の顔に目を向けられないらしく、うつむいている。
 本来、一族の柱である族長との謁見は喜ばしいものなのだが、若い二人は怯えきっていて気の毒だった。

 部屋に足を踏み入れたキミカゲは、立ち止まってしばらく無言で若い鈴蘭の子達を眺めていた。

「私は、ある程度の掟破りは大目に見ていたよ」

 抑揚のない口調で、キミカゲは二人に話しかける。

「里を出て花の国をあちこち見て回るくらいなら、こっそりやる者は少なからずいつの時代もいたから。私はもう若くないけれど、若者の抑えきれない好奇心というやつは理解している」

 近年はそれなりに平和になったが、戦争が終わり、族長達が宮殿に集ったばかりで落ち着いていない頃は、花の子も同族同士での殺し合いがしばしば続いていた。摩擦を起こさないよう、自分達の支配地域からは出ないようにどの種族も族長より厳命を受けていた。

 今では自由に花の国を歩き回る種族が多いが、鈴蘭族の族長キミカゲは未だそれを許していなかった。それを閉鎖的と捉える者もいるだろうが、己の種族の安全を守るための掟とも言えた。

「花の国の探検なら目をつぶったけどね。人の国へ入るとは……何を考えていたんだ?」
「申し訳ありません、キミカゲ様」

 二人は頭を垂れて謝罪する。

「私は大昔に人の国を回って、人の子と交流があったから、特別彼らを嫌ってはいない。けれどどれだけ人の子が愚かしく危険かも知っている。だから興味を持つな、関わるなと言ってるんだ」

 そこでキミカゲはジェードの方を少し振り向いた。

「あなたの種族の悪口を言ってすまない、殿下。全員がそうだとは私も思っていないよ」
「貴殿の意見を私も支持する。人の子は大半が愚かだ」

 ジェードの返事にキミカゲは軽く肩をすくめただけだった。またメイとユラの方へと向き直る。二人は今にも泣き出しそうになっていた。

「好奇心というのは自分を成長させてくれるが、時には命取りにもなる。今回は、他人にも迷惑をかけただろう? 白百合公を巻き込んだじゃないか。自分達の軽はずみな行動で、誰かを苦しめるなんてあってはならない」

 これはリーリヤも口を挟まずにはいられずに前に出た。

「鈴蘭公。私は巻き込まれたのではなくてすすんで首を突っ込んだのです。私のことで二人を責めないでやってください。自分の身も守れないのに飛び込んだ私に非がありますから、叱るなら私を」
「黙っててよ白百合公。あなたが叱られるべきだとしても、説教するのは私の役目じゃない。悪いけど、今、あなたの気持ちはどうでもいいんだ。メイとユラが掟を破り、こういった事態を引き起こしてしまったのだから、責められるのは当然じゃない? あなたが気にしてないとか無傷だったとかいう事実と、二人の罪は別問題だ」

 キミカゲが正しいので、リーリヤは口を閉じた。そもそも一族のことで族長が他の族長にあれこれ口を出すのは御法度とされていた。
 震えながら涙を流しているメイとユラが哀れだが、リーリヤは何もしてやれなかった。
 申し訳ありません、申し訳ありません、と二人は繰り返すばかりだ。人の子で言えばまだほんの子供のような彼らは、くどくどと格式張った反省の弁を述べるほどの知識もない。

 自分達がしでかしてしまったことの重大さに打ちひしがれ、動揺して泣くだけだった。
 二人を見つめていたキミカゲは、一つ大きくため息をついた。そんな族長の態度にまたメイとユラはびくつく。
 そして、キミカゲは二人を両腕で抱きしめた。

「どれだけ心配したと思ってるんだ?」

 驚きを浮かべるメイとユラの顔はそっくりだった。
 花の子は生まれた時期と場所が近いとよく似て、兄弟のように成長することもある。

「私はね……お前達に、幸せに生きていてもらいたいんだよ。私よりずっと短い一度きりの生を、なるべく楽しく過ごしてほしいんだ。せっかくこの世に咲いたんだから。命を大事におし。お前達はみんな、私の大切な鈴蘭だ」

 感情表現がさほど豊かな方ではないキミカゲは、そんな言葉を口にする時もやはり淡々としていたが、声には隠された愛情が滲んでいた。

 族長達は誰もが罪を背負っている。戦という罪を。
 血と花弁で埋め尽くされた戦場。あたら命を散らした花の子達。
 同じ過ちは繰り返さないと誓った。
 族長達の一族に対する愛は、いつの時代も本物だった。

 メイとユラはわんわん声をあげて泣き始めた。優しい言葉をかけられて、緊張がゆるんだのだろう。嘆息しつつ二人の背中を撫でるキミカゲの姿を見て、リーリヤは微笑んだ。

 * * *

 鈴蘭の子達が落ち着いた頃、領主であるノグレー伯爵がこの別邸に到着した。
 かつて人の国に入って諸国漫遊していた桜のサクヤと鈴蘭のキミカゲは(キミカゲいわく、自分は付き合わされただけだそうだが)、東の国と特に関わりが深かった。今でもサクヤは東の国から酒を届けさせているくらいだ。

 そんな東の国では揉め事があり、とある氏族が根絶やしにされようとしていた。サクヤ達は仲裁するような立場にはなかったが、追われていた彼らが西の国へ逃げる手助けをしたという。
 山奥に御殿を建て、サクヤは一本の桜の木を植えた。救われた人の子は、子々孫々、この恩義を胸に、花の子を称えて生きていくと誓ったのだそうだ。


「で、その恩をお前達は仇で返すというわけだ」

 応接用の部屋で伯爵と対面したキミカゲは、冷ややかな視線で伯爵を威圧している。
 ノグレー伯爵は年の頃は四十を過ぎた辺りで、髪には白いものが混じっていた。余程急いできたと見え、髪は乱れ、顔色は血の気を失って白くなっている。

 彼はキミカゲより遅れて来た件について、すでにねちねち嫌みを言われていた。しかし、キミカゲは馬の何倍も速く駆ける魔術の大鹿に乗って来たのだから伯爵も予想外だっただろう。

 リーリヤとジェードは関係者というのもあってキミカゲの後ろに控えているのを許されていた。キミカゲは比較的常識がある方なので大丈夫だとは思うが、人の子を過剰にいじめないかが心配でリーリヤが同席を望んだのだ。

「面目次第もございません。鈴蘭公、私はあなたのお手を煩わせないよう……」
「言い訳はいいからさっさと報告を聞かせてくれ」

 伯爵の動揺の原因は、綿々と受け継がれた花の子への忠誠心によるものではないだろう。サクヤとキミカゲが人の国でそこそこ暴れていたのはリーリヤも聞き知っている。ノグレー伯爵の一族では二人の暴れ方が伝説となっており、だからこうして今、怖じ気づいているようだ。

 伯爵の調べによると、まずさらわれたのは鈴蘭ではない別の花の子だったそうだ。これには盗賊の集団が関わっており、リーリヤとジェードがアルト・ソルムの領地を出て接触した彼らがその盗賊だった。

 花の子を引き取ったのはゴーディン子爵という男で、この近くに領地がある。破格で花の子を引き取った子爵だったが、結局逃げられてしまった。盗賊達は再び花の子を求めてあちこちうろつき、リーリヤの噂を聞きつけてユウェル国までやって来ていたのだ。

 そして鈴蘭族のメイとユラが捕まったが、本当に花の子なのか証拠付きでないと引き取れないと注文がつく。例の魔術師が呼ばれたいきさつはそういうことであったらしい。

「お前の領地で花の子が計三人もさらわれている。一人目の件が起きた時に、こちらに報告するべきでないのか?」
「何分、噂話でしたので……。それに……、それに」
「それに、何千年も生きる花の族長なんてお伽噺とぎばなしみたいな存在で、現実味がないし接触することもないから、構わなくてもいいと思った?」

 口元にだけ冷たい笑みを浮かべるキミカゲを見て声を詰まらせ、伯爵はしきりに額の汗を拭っていた。

「残念ながらこの通り、しっかり存在しているんだよ。場合によっては直接来ることも可能なわけだ。油断したな」

 話をしているだけだというのに、伯爵は気を失いそうになっている。サクヤとキミカゲは彼の祖先を救ったと言うが、骨身も凍るような脅し方をした、の間違いではないのだろうか。

「殿下、魔術師はまだ処分してないって言っていたよね?」

 キミカゲに声をかけられたジェードは頷いた。魔術師や盗賊はジェードが手を回して秘密裏に捕縛され、閉じこめられている。

「貴殿のために五体満足で残してある」
「ありがとう。恩に着るよ」

 薄く笑ってキミカゲは椅子から立ち上がった。

「行くぞ、伯爵。後始末だ。花の子を舐めたらどうなるかわからせてやる。鈴蘭は人の子にとっては毒を持つ花だ。何なら奴らにたらふく食わせてやってもいい」

 キミカゲは伯爵を連れて誘拐犯やそれに関わった者、ゴーディン子爵らの元へ向かうようだった。私はサクヤのように甘くはない、とキミカゲは言う。確かにサクヤは喧嘩っ早いが情けが深い方であり、キミカゲの方は容赦がない。
 そもそも花の族長は誇り高く、やられたらそれ以上にしてやり返すという者が多いのだ。

「なるべく穏便に願います、鈴蘭公」

 止めるわけにもいかないので、リーリヤはこう言うしかなかった。

「一晩で戻って来る予定だから、メイとユラの面倒をもう少しよろしく頼むよ、白百合公」

 キミカゲは部屋を出て行き、その後をノグレー伯爵が追いかけた。
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