花の貴人と宝石王子

muku

文字の大きさ
上 下
112 / 137
第二部 旅

112、魔術師

しおりを挟む

「走りなさい!」

 リーリヤは鈴蘭の子を前に押しやりながら駆け出した。二人は路地の入り口に立っていたのだが、その奥へと向かって行った。
 後ろから追いかけてくるあの闇に包まれれば、視界が奪われる上に声をあげても周囲に伝わらない。今度はさらう現場を目撃されないよう、魔術師でも雇ったのだろうか。

 何にせよ油断した。
 右へ折れ、左に曲がる。ごみやがらくたを跳び越え、極端に狭い場所は壁に手をつきながら先へ進んだ。

 二人は土地勘もない路地をひたすら走ったが闇はしつこくついてくる。細い隙間に流し込まれたそれは、密度の濃いさらさらとした黒い霧のようにも見えた。退路を塗りつぶし、頭上にまで伸びていく。
 逃げ足に自信があるリーリヤと身軽な若い鈴蘭の子はどうにか追いつかれずにいたが、ついに行き止まりの道に足を踏み入れてしまった。

 壁を上れば越えられそうではある。しかしそこでぐずぐずしている間に、確実に追いつかれるだろう。闇は獲物を追いつめた余裕からか、速度を落として嬉しそうににじり寄ってくる。
 リーリヤは壁に向かって走りつつ、懐から小袋を取り出し、首飾りを外した。
 袋は鈴蘭の子に持たせ、彼の首に首飾りをかける。

「いいですか、壁にのぼってそこから高く跳びなさい。それには術が組まれていますから、私の連れの方のところまで移動できます。ユウェル国第十五王子、ジェード殿下という御方で、我々の味方です。このことを伝えてください」

 言いながらリーリヤは鈴蘭の子を上に押し上げる。鈴蘭の子は壁にしがみついたまま狼狽していた。

「白百合公、しかし」
「その袋は大事なものですから、絶対に手放さないように。殿下に渡してください」
「あなたはどうなさるのですか!」

 首飾りで跳べるのは一人きりである。リーリヤが一人逃げるわけにはいかない。
 自分が捕まるのは構わないが、幻獣の角と黒薔薇の蕾を奪われてはならないのだ。鈴蘭の子に袋を託して逃がす。これ以外に選択肢がなかった。

「私の方はどうにかしますから、構わず行きなさい」
「そんな、白百合公……!」

 もうすぐ後ろまで闇が来ているのがわかる。リーリヤは声を張り上げた。

「それを守ってください! さあ、行って!」

 鈴蘭の子は泣き出しそうに顔を歪めたが、間一髪のところで闇から逃れて飛び上がった。彼の姿がかき消えるのと同時に、リーリヤの視界が黒く塗りつぶされる。
 何者かが背後から手をつかみ、リーリヤの頭に袋をかぶせた。

 * * *

 移動中に闇の魔術を使われることはなかったが、後ろ手に縛られて、袋はかぶされたままだった。馬車に乗せられ、どこかへと向かっていく。
 道順が覚えられないだろうかとも思ったが、わざと何度も同じところを通ったりとこちらを惑わしているらしかったから諦めた。

 リーリヤを捕まえた男達は口数がさほど多くなかったが、すぐそばで何度か言葉を交わしていた。

「どこかで聞いた覚えのある声ですね」

 と首を傾げながら呟くと、「喋るんじゃねぇ!」と怒鳴られる。
 いつだかジェードに追い払われた盗賊の一人の声であった。ジェードが、盗賊の者達は身なりや言葉の様子から、西南の出身ではないかと推測していたが、当たっていたのだろう。やはり花の子と関わっていたのだ。

 先程鈴蘭の子を追いかけていた男はその時の顔ぶれにはなかったが、リーリヤとジェードの風貌を仲間から聞いていて、一致するので驚いていたのだろう。
 二人ほど魔術師が同行している。話から察するに二人は上司の助手で、上司より渡された魔道具を使い、あの闇の魔術を使用したようだ。

 下っ端として働かされているらしい盗賊の彼らは魔術に慣れていないのか怯えている。神経がたかぶって落ち着かなげであったため、リーリヤもそれ以上の発言は控えた。

(あの子はジェード様と無事に合流できただろうか。ジェード様もあの男に追いついていればいいのだけれど)

 厄介な展開になってしまったが、もう一人の鈴蘭の子が閉じこめられている場所に自分も運ばれるのだとすれば、さがす手間は省けるわけだ。
 嘆いても仕方ない、とリーリヤは冷静に考えた。自分よりジェードの方が余程嘆いているだろうから、後でたっぷり謝らなければならない。

 目的地に着くと馬車から降ろされ、どこかの建物の中に連れて行かれた。
 乾いた空気。埃っぽい匂い。音の響き方からしてこの建物は広いらしく、普段は使われていないようであった。
 階段を下り、地下を歩かされる。靴音が反響していた。

 いきなり頭の袋を外されたが、地下というのもあってさほど目はくらまなかった。目の前にローブ姿の男が立っており、どうやら彼はこの件に関わった魔術師の上司らしい。
 顔は縦にのばしたかのようにほっそりとしており、細い目につり上がった眉が特徴的だった。

 黒い口髭は先の方がねじってある。髪には整髪料を塗っていて、爪が磨かれていた。
 細部まで身なりを整えられるのは、裕福であることを示している。それなりの家柄の出なのか、もしくはかなり稼ぎが良いのだろう。

「一匹逃がしたと聞いたが、すぐにもう一匹新たな標本が手に入るとは僥倖ぎょうこうだった。これも白いな。鈴蘭か?」
「花を摘むのに興味はあっても、お詳しくはないようですね」

 リーリヤがうっすら笑って言うと、魔術師は顔をしかめた。

「随分と余裕だな。自分がこれからどういう目に遭うかと、恐ろしくはないのか? 花の子よ」

 魔術師は首を揺らしながらリーリヤに接近し、間近で全身を値踏みするように眺め回した。

「徹底的に身体を調べさせてもらおうか。お前達人外の化け物の血は、妙薬になるのではないかと私は期待している。だからお前からは、血をしぼり取らせてもらうぞ。なに、殺しはしない。花の子は丈夫だそうだから、かなり抜いても平気だろう」

 少し文献を調べれば、花の子が人の子より頑健な身体を持っているという事実くらいは知ることができるだろう。
 言うつもりはないが、もしリーリヤが咲き直し可能な花の貴人だと聞けば、この魔術師は喜びのあまり小躍りし始めるかもしれない。

「あまり私に手を出すのはおすすめをしませんが……」
「やはり恐ろしいかね?」
「いえ、あなたが後々、その行いを心底後悔するほど恐ろしい目に遭いそうなので……」

 魔術師はリーリヤのこの言葉を、わけのわからない強がりか命乞いだと思ったらしく、鼻で笑っていた。リーリヤが思い浮かべているのは翡翠の王子の顔である。もしもこの場に彼がいれば、魔術師は今の脅しをリーリヤに浴びせたという理由だけで鼻の骨を折られているだろう。
 おそらくリーリヤにはその行動を止められない。

「私より先に捕まったあの子達に、そのようなことをしたのではないでしょうね」
「まだだ。私はここへ来たばかりで、ちびには構っていない」
「ああ、よかった」

 胸をなで下ろしたかったが、後ろ手に拘束されたままである。

「仲間の心配をしている場合か? 今からお前は地獄を味わって、貴族に売られるのだぞ?」

 つまりこの魔術師も雇われらしい。どの程度花の子の体に利用価値があるか調べるよう依頼され、その後に渡すよう命じられているのだろう。

「命乞いをしてみてはどうかね。可愛げのあることを言ってみれば、少しは手加減してやるかもしれんぞ。血以外の『体液』も追々採取するつもりだが、それがどんな行為かはわかっているな?」

 魔術師は口髭をひねりながらいやらしい笑みを浮かべていた。陳腐な脅し文句を聞き流し、リーリヤは顔色を変えずに言った。

「哀れな方だ。その力を使い、いくらでも他人を幸福にできたというのに。才あるあなたが道を誤ったことを、悲しく思います」

 男は即、この挑発に反応した。彼の望んだ反応は「恐怖」であり、「哀れみ」ではない。精神的に優位に立たなければ満足がいかないのだろう。魔術師がリーリヤの顎をつかみ、顔を近づけて獣のように歯をむき出す。

「涼しい顔をしていられるのもこれまでだ、小僧。人間様に刃向かうとどうなるか、これからたっぷりと教えてやるからな。いいか、地上の支配者は我々だ! どんな綺麗な顔をしていたところで、貴様らは地面から生えてくる気味の悪い化け物ではないか。いずれは全て生け捕りにして、奴隷にしてやる」

 この手の輩は昔から一定数おり、しばらくぶりに聞いたとはいえ、リーリヤにとっては聞き慣れた台詞であった。いくつかの種族が存在すると、どうしても優劣をつけたがる者が出てくる。もっとも、これは人の子だけの特性ではなく、花の子同士もこの手の言い争いはするので、一方的に非難はできなかった。

 気分を害したらしい魔術師はリーリヤの腕を引いて歩かせていく。薄暗い通路には牢がいくつも並んでいて、そのうちの一つの前を通りかかった時にすすり泣きが聞こえてきたので、リーリヤは足を踏ん張った。

「鈴蘭の子よ、聞きなさい。あなたの友人は安全なところへ逃げました。あなたもきっと助かりますから、気をしっかり持つのですよ」

 泣き声は止み、戸惑いの声が暗がりから聞こえてきた。

「あなたは……?」
「仲間です。白百合族ですよ」

 舌打ちをした魔術師がリーリヤを引きずっていき、胸倉をつかむと壁に押し当てて締め上げるように力をこめてきた。

「殴られたいか?」
「献上する品を傷物にしては、雇い主からのあなたの評価が下がるのではないですか?」

 魔術師としての力はそこそこらしいが、いかんせん気が短いらしい。半端に実力があればある程度物事を思いのままに進められるので、癇癪を起こしやすくなるのだ。
 魔術師は通路の奥の突き当たりにある扉を開けると、その中へ手のいましめを解いたリーリヤを転がした。

「この牢は中の空間に術をかけた特別室だ。花の子の弱点は知っているぞ。どれほど効くか試させてもらおうか。生意気な口をきいたことを、たっぷり後悔するがいい」
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

冷遇された第七皇子はいずれぎゃふんと言わせたい! 赤ちゃんの頃から努力していたらいつの間にか世界最強の魔法使いになっていました

taki210
ファンタジー
旧題:娼婦の子供と冷遇された第七皇子、赤ちゃんの頃から努力していたらいつの間にか世界最強の魔法使いになっていた件 『穢らわしい娼婦の子供』 『ロクに魔法も使えない出来損ない』 『皇帝になれない無能皇子』 皇帝ガレスと娼婦ソーニャの間に生まれた第七皇子ルクスは、魔力が少ないからという理由で無能皇子と呼ばれ冷遇されていた。 だが実はルクスの中身は転生者であり、自分と母親の身を守るために、ルクスは魔法を極めることに。 毎日人知れず死に物狂いの努力を続けた結果、ルクスの体内魔力量は拡張されていき、魔法の威力もどんどん向上していき…… 『なんだあの威力の魔法は…?』 『モンスターの群れをたった一人で壊滅させただと…?』 『どうやってあの年齢であの強さを手に入れたんだ…?』 『あいつを無能皇子と呼んだ奴はとんだ大間抜けだ…』 そして気がつけば周囲を畏怖させてしまうほどの魔法使いの逸材へと成長していたのだった。

45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる

よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です! 小説家になろうでも10位獲得しました! そして、カクヨムでもランクイン中です! ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。 いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。 欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・ ●●●●●●●●●●●●●●● 小説家になろうで執筆中の作品です。 アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。 現在見直し作業中です。 変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。

獣人将軍のヒモ

kouta
BL
巻き込まれて異世界移転した高校生が異世界でお金持ちの獣人に飼われて幸せになるお話 ※ムーンライトノベルにも投稿しています

【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。 でも、頼れる者は誰もいない。 自分で頑張らなきゃ。 本気なら何でもできるはず。 でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

フェンリルさんちの末っ子は人間でした ~神獣に転生した少年の雪原を駆ける狼スローライフ~

空色蜻蛉
ファンタジー
真白山脈に棲むフェンリル三兄弟、末っ子ゼフィリアは元人間である。 どうでもいいことで山が消し飛ぶ大喧嘩を始める兄二匹を「兄たん大好き!」幼児メロメロ作戦で仲裁したり、たまに襲撃してくる神獣ハンターは、人間時代につちかった得意の剣舞で撃退したり。 そう、最強は末っ子ゼフィなのであった。知らないのは本狼ばかりなり。 ブラコンの兄に溺愛され、自由気ままに雪原を駆ける日々を過ごす中、ゼフィは人間時代に負った心の傷を少しずつ癒していく。 スノードームを覗きこむような輝く氷雪の物語をお届けします。 ※今回はバトル成分やシリアスは少なめ。ほのぼの明るい話で、主人公がひたすら可愛いです!

ボクが追放されたら飢餓に陥るけど良いですか?

音爽(ネソウ)
ファンタジー
美味しい果実より食えない石ころが欲しいなんて、人間て変わってますね。 役に立たないから出ていけ? わかりました、緑の加護はゴッソリ持っていきます! さようなら! 5月4日、ファンタジー1位!HOTランキング1位獲得!!ありがとうございました!

処理中です...