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第二部 旅
91、王子と秘密の花
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フローライトは長大息をつき、自室の椅子に腰かけた。
ジェードを追いかけようとしていた男達はおとなしく引き下がった。もちろん無傷だ。あんな小物に使う魔力が惜しい。
ため息が出るのは気疲れではなくて肉体的な疲労のせいだった。あの塔は遠い。近頃城内を歩くのが酷く億劫になっている。
冷めた加密列の茶を飲んでいると、部屋の隅の凝った闇が、微かに動く気配がした。そこから白い影が踏み出してくる。
「あんな無力な花一輪しとめられないとは、情けない。ここにはろくな人間がいないようだ」
フローライトは挨拶もなしに登場してぼやく白い男に視線を投げた。
「しばらく来ないんじゃなかったの?」
「すぐ戻りますよ。私が宮殿に不在だというのを知られるわけにはいかないので」
白い髪を後ろに撫でつけた花の貴人、胡蝶蘭公ファラエナは、いつもと同じ仏頂面でフローライトを見下ろしていた。
「今日は正気ですか、フローライト殿下」
「そうだね、調子は良い方かな。何日も眠れない日が多くてわけがわからなくなる時もあったけど、白百合公がくれた花のおかげか、久しぶりによく眠れたから」
徐々に発作が酷くなってきている。していたことも発言も覚えておらず、奇行も止まらない。まるで夢遊病のようだ。
「さっきの騒動は、あなたの仕業だね? 力を気取られるようなへまはしないはずだけど、わざとかな」
異種族の魔力というのはファラエナの力だろう。白百合公にそんな力がないのは確認済みだ。
ファラエナが何をしようとしていたのかは知らないが、ついでに白百合公に嫌疑かかかるよう、あえてわかりやすくやったのだろう。ファラエナが千晶城を出入りできるという事情を知っているのはフローライトだけであり、今回の件でファラエナはまず疑われない。
「何故誰も白百合公を散らせられないのですか」
「知らないよ、私はやれと言われていない。そんなに散らせたいのなら、彼が宮殿にいた時、あなたが手をくだせばよかったんだ。事故を装えばいいんだし、簡単でしょう」
「私が? 私があの男を散らせたら、仲良しのご友人の小さな菫にずっとつきまとわれ、始終恨み言を浴びせられる羽目になりますよ。考えただけで鬱陶しい」
ファラエナは驚嘆を覚えるほど整った顔を不愉快そうに歪めている。この魔性の美貌を目にする度に、彼はやはり花なのだなとフローライトは再認識するのだ。人の子とは異質な美しさを持っている。
花の化身は指の先、爪一枚に至るまで、完璧な形をしていた。美という言葉は我らのためにあるのだと全身で語っているかのようである。
フローライトは寝台の近くに置いてある瓶に目をやった。あの紫色の薫香草は、フローライトを心地良い眠りへと誘ってくれた。
「どうしてあなたは、そんなに白百合公に散ってほしいの?」
「散るべきだからですよ。あんな馬鹿な男、行く先々で酷い目に遭うに決まっています。散れば身動きが取れなくなって、おとなしくさせられる」
「それだと、まるで白百合公の身を案じているように聞こえるけど」
白百合公はフローライトに指を与えようとした男である。自分を犠牲にするのに抵抗がないのだろう。そういう人物の魂の清らかさは賞賛に値する。しかし、あっという間に群がられて食い尽くされる危険があった。
蕾にしておけば傷つくことはないだろうし、それが手っ取り早いだろう。
ファラエナが白百合公を憎く思っているなら、手を出さずただ高見の見物をしていればいい。彼の想像通り、勝手に自滅する確率が高いのだから。
「優しいんだね、ファラエナは」
からかうように笑うフローライトを、ファラエナはきつく睨みつけた。
「私が優しいと感じるなら、あなたの頭もいよいよおしまいのようですね」
今にも殴りかかってきそうな気迫だが、フローライトは取り合わずに茶を飲み続けた。大体ファラエナはいつだってこの調子で、機嫌の良い時などない。
だが今日は、その不機嫌さの中に疲労の色が見て取れた。
「あなたも随分参っているみたいだけど、大丈夫?」
ファラエナは返事をせずに目をそらした。弱っているのを気取られたくないらしい。見栄っ張りのファラエナが疲れを隠しきれていないのだから、相当深刻なのだろう。
常に完璧に身だしなみを整えている彼だが、今日は後ろに流した髪が一筋、額に落ちてきている。
「今こちらに来ている、あなたの弟君のことですがね。あの臆病で役立たずで、無能な方」
「カーネリアンのことかな」
第二十王子カーネリアンは現在、花の国の花宮殿に滞在している。目立たない男ではあるが頭の回転が早く、人当たりが良いので敵を作らない。一応オニキス派だが、誰に対してもほどほどに愛想を振りまいてここまで乗り切ってきていた。
王位を狙っている雰囲気はなく、花宮殿に向かったのはテクタイトの動向が気になるからのようだった。
「あの方が幼かった頃、一度城の中庭にいるのを見ました。畑で間引きされるのを待っている、発育不良の芽のような子供だった。よくここまで生き延びたものだ」
カーネリアンが生まれてからはファラエナはそう頻繁にこちらへ顔を出さなくなっていたので、目にしたのもその一度きりだっただろう。
間引きされそうな芽というのは上手い例えだ。あんなひ弱な子は王子という立場でいるのも迷惑がられ、真っ先に殺されるものだと思われていた。
「彼はあなたと同じ、魔術師の才能がありますね。しかし能力は開花していない」
「そうだね。あの子は剣も魔術もてんで駄目だ」
ファラエナはカーネリアンと接触でもしたのだろう。魔術に詳しいので、触れただけで相手の力量がわかるのだ。
「どうして何も教えなかったのですか」
「本人が拒んだんだよ」
カーネリアンは幼い頃、フローライトと同様、病弱でよく寝込んでいた。そんな理由もあって剣も魔術も無理に習わせなかったのだが、回復してからも何かと理由をつけて彼は技術を学ぼうとしなかった。
ジェードは剣を扱えるようになれと忠告したし、フローライトも一応は魔術を習う気はないかと尋ねたのだが、カーネリアンは力を欲しないままここまで来たのだ。
「目をつけられたくなかったんだろう。あの子は白旗をあげて、無抵抗であるのを示し続ける生き方を選んだんだ」
数々の争いと身内の屍を見てきたカーネリアンは、そうして生き残る術を見つけたのだ。
「八方美人の処世術はともかく、最初からまるで戦意を喪失しているとは、あまりにみっともない」
「生き方はそれぞれじゃないか」
実際カーネリアンの選択はそれほど間違っていたとは言えない。本人の望み通りにカーネリアンは今も生存しているのだから。
「あの方は本来、あなたと同じくらい力がある」
それはフローライトも感じていた。カーネリアンが本気で魔術と向き合ったなら、それなりの魔術師になれたはずだった。本人は何の才能もないと決めつけていたが、宝玉王の血を引く息子が全くの無能であるはずがないのだ。
「もう遅いんだよ、ファラエナ。カーネリアンが今から頑張ったところで、私くらいの魔術師まで上り詰めるには何十年もかかるだろう。いくら才能があろうと、技術というのは一朝一夕に身につけられるものではないんだ」
原石を磨くには時間と技が必要だ。そして本人の強い意志。カーネリアンは気が弱くて奮起しそうもなく、上手く導ける師もいない。
「このままでは彼は殺されますよ」
「かもしれないな」
王子の数は減り続けている。テクタイトが一人ずつ輝きを奪っている。
テクタイトの狙いはいまいち読み切れないが、まだ他の兄弟を殺すつもりでいるのだろう。いくら無力といってもカーネリアンだけをこのまま見逃すとも思えなかった。
「私は何もしてやれないよ。何もしてこなかったし、誰も助けられなかった。ルビー兄様もみすみす死なせた」
兄を失った苦しみは時間が解決してくれると言われたが、そうはならなかった。自分は弱すぎて、時が過ぎるごとに心が爛れていく。
もう会えない。そう思う度に胸が張り裂けそうになるのだ。消えゆく弟達を横目で見ながら、フローライトは悲しみを抱きしめて微睡むだけだった。罪の重さは父のそれに匹敵する。
「カーネリアン殿下は、死にたくないと仰っていました」
「消えてしまいたい私よりは、余程まともだね」
遠からぬ未来に望む死絶が訪れるだろう。テクタイトがいずれ命を奪いに来る。もしオニキスがテクタイトに打ち勝ち、宝玉王となったとしても、扱いにくいフローライトは処分するだろう。現状フローライトは必要だが、宝玉王が現れれば用済みになる。
ファラエナは黙っていた。カーネリアンには辛辣な評価を下しているが、彼は後ろ向きな発言しかしないフローライトをほとんど責めなかった。壊れかけているのを知っているから追い打ちをかけないのだろう。
「もっと散歩をしなさい、殿下。足が萎えますよ」
ファラエナからこう注意を受け、フローライトは笑ってしまった。このまま城で朽ちていくのに、運動をしたところで何になるというのだろう。
彼はいつもこうだ。白百合公のように気遣った贈り物はしないが、フローライトがテクタイトから与えられた麻薬を見つけると「健康に悪い」と腹を立ててみんな廃棄してしまう。生活態度を改めるよう小言を言う。
人の子の中で最も宝玉王を恨んでいると言いながら、その息子のフローライトの健康は案じてくれるのである。
「ところでファラエナ、あなたは王の代理候補には選ばれないみたいだし、この先どうするつもりなんだ」
――沈黙。
ファラエナは多くを語らないが、何かしらに肝を砕いている様子で、暗い秘密をいくつも抱えているのはフローライトも察していた。
「お仲間に相談できる友人はいないのかな」
「花の貴人達は仲間などではありません。私は花の子が嫌いだ。誰も彼もどうでもいいし、好き勝手すればいい。ただ……」
ファラエナの顔に苦悶がよぎった。口を滑らせそうになったのか、ぐっと唇に力を入れて喋りかけたものを飲み込む。
私に打ち明けてみなよ、とは口が裂けてもフローライトは言えなかった。今更善人面して誰かに手を差し伸べても、罪を重ねるだけである。そもそもフローライトとファラエナは気心知れた仲ではない。
顔を合わせれば何となく喋る。その程度の間柄だ。
「お茶でも飲んでいく?」
「そんな冷めたものは御免です」
ファラエナは踵を返すと、再び闇の中へと戻っていった。音も立てずに消えていき、気配もなくなる。
あの胡蝶蘭も、破滅へとひた走っているのだろうか。
フローライトは椅子の背もたれに体をあずけた。
――ジェードは、危険だ。
いつかの兄の声が、耳の奥によみがえる。
第一王子ルビーは、ジェードの行く末を案じていた。早い時期から世界というものに失望し、やるべきことは人斬りだろうと投げやりに成長していった弟。
力だけ持ち、希望も大切なものも持たないで過ごしていけば、その虚しさにいずれ耐えられなくなる。闇に呑まれやすくなる。
全てを諦めたジェードは、テクタイトの言葉に耳を傾けるようになるかもしれない。そうなれば、何もかもが終わるだろう。
――あの弟が、大切なものを見つけられるだろうか。
無感動に人を切り捨てられるのだから、もう手遅れではないだろうか。ルビーはジェードを持て余しているようだった。
「それがね、兄様。ジェードは見つけたみたいですよ」
追憶に耽っていたフローライトは囁いた。
白百合公が花を届けて帰った翌日。長い間使う気にもならなかった水鏡の術で、フローライトは城内の廊下を歩くジェードと白百合公を透し見た。ジェードは隣にいる白百合公の姿を目の端でとらえ、口元を綻ばせていたのだ。
「……あの子、笑うんですよ」
百年前から少し様子が変わってきたと感じていたが、その頃から白百合公と関係があったのかもしれない。
ジェードの微笑みを目にした瞬間、胸に迫るものがあった。
兄弟はある種の希望をジェードに背負わせようとしていたが、彼はそれを拒んだ。そして互いに隔意を感じて恨んだのだ。
我々はどうして、かくもここまですれ違ってしまったのだろうか。
人斬り王子もただの人。花を愛で、あれほど嬉しそうに笑うのだ。しかしジェードがこの世を諦めているからと、こちらも早くにジェードを諦めた。
兄が生きていて、弟の笑顔を見たら何と言っただろう。ルビーであれば潔く間違いを認めて、ジェードに謝罪したかもしれない。
そして兄は――何と言って弟達を励ますだろう。
わからない。輝く紅玉。彼はもういないのだ。
「にいさま」
フローライトはうなだれて、祈るように指を組んだ。
私は弟達を導けない。誰かに罰せられるのを待ち、生き恥をさらし続ける屑石だ。
第二王子は思考するのにも苦痛を覚えてみんな投げ出し、暗くなりつつある部屋の中で瞑目した。
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