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第二部 旅
77、隣で寝る
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次に向かったのはジェードの私室である。そこくらいしかまともに会話ができる場所がないからだそうだ。
ジェードの部屋の扉には、大きな翡翠の石が埋まっている。それが鍵の代わりなのか、魔力を込めてから扉を開いた。
「城に住む王子達が唯一気を抜いていられるところがあるとすれば私室だろう。各々長い年月魔力を込めて工夫している」
部屋の掃除などは侍従などにさせているが、何か不審な動きがあればすぐに感知できるような仕組みになっているそうだ。誰かが入室する前とした後でおかしな変化があれば即座にわかる。よって、危険な仕掛けなどはできないのである。
そこまでしなければならないということは、そうせざるをえない悲惨な前例があるのかもしれない。
ジェードは入り口に突っ立ったまま、整えられている室内の隅々にまで視線を投げている。とても自分の住む部屋に戻ってきたという様子ではなかった。
リーリヤも部屋を眺めた。さすが、大国の王子の居室ということもあって、豪華である。寝台、鏡、窓かけ、机、どの調度一つとっても一級品だ。
しかし、生活感はなかった。本人の話によると、そもそも城に戻ることが少なく、寝る以外ではほとんど使っていなかったそうだ。
許可を得てリーリヤは部屋の中を見て回る。リーリヤが花宮殿で普段使っている私室の三倍は広かった。
長椅子に腰を下ろして見事な座り心地を堪能していたところ、外から声がかかり、女官が入って来た。この女官もジェードを恐れているらしく、背筋をのばして真っ直ぐ前を向いているが、視線はジェードの顔から外していた。
「失礼いたします、殿下。お客様のお部屋のご用意ができました」
それもそうだ。とりあえず話をするためについて来たが、いつまでも王子の部屋にいるわけにはいかない、とリーリヤも気がついた。花の国では一緒にいるのが当たり前になっていたが、ここではそうもいかないだろう。
密室で長時間二人でいれば、何をしているのだと勘ぐられそうだ。ではひとまずそちらに案内してもらって、後ほどまた合流を……と立ち上がりかけたところで、ジェードが口を開いた。
「その必要はない。彼はここへ泊まる」
「は?」
女官とリーリヤの声が重なった。ジェードがリーリヤを見る。
「お前はここで寝起きすればいい。何か問題が?」
いや、大有りだと思いますけど。
リーリヤは少しの間呆気にとられていたが、どうにか自分を励まして声を出す。
「しかし、その……殿下にご迷惑をおかけするでしょうから……私が長椅子で寝るとしても……」
「何故お前が椅子で寝るのだ。寝台があるではないか」
「けれど、殿下が……」
「お前の隣で寝る。広さは十分だ」
確かに、先日までもっと狭い寝台でくっついて寝ていたのだが。
見ると、女官が顔を真っ赤にしてうつむいていた。二人の関係をどうとらえているのかというのは、聞くまでもないだろう。ジェードは王子である。王子が滅多に他人の侵入を許さない私室に男を引っ張りこんで、一つの寝台で寝ると言っているのだ。つまりそういうことだ。それ以外に何があるのだ。
リーリヤは女官を横目で見ながら、「私と殿下は確かに、親しい友人ではございますが……」と言い訳めいたことを言うが、女官が聞いているかはわからない。
そういうわけだから下がれと命令された女官は、視線を床に落としたままそそくさと退室した。
リーリヤは額を押さえたが、ジェードの表情は変わらない。
「疑われますよ」
「何がだ」
「私とあなたに肉体関係があるということです」
「事実なのだから構わない」
事実なら誰に知られてもいいというものでもないだろう。
花宮殿の中でなら噂が広まってもさほど問題はなかった。好奇の目で見られたり、からかわれたりといった煩わしさはあるが、花の子はそもそも性生活が奔放なので特におかしなこととはとられない。それに、男しかいないので男同士で絡むのは当たり前である。
だが、ここは人の国の王城内だ。人の子は異性と番になるのが普通である。王子が男色家と思われていいものだろうか。
そんなような疑問をジェードにぶつけると、彼は全く気にしていないらしかった。
「風聞が立つことより、お前と離れる時間が長くなる方が問題だ。花宮殿とは比べものにならないほどここは危険な場所なのだ」
前からそうであったが、ジェードが最優先しているのはリーリヤの身の安全であるらしい。この辺は頑ななので意見を変えさせるのは無理だろう。
ジェードは、花の子は毒に強いのかと尋ねてきた。効果のある毒もないではないが、植物性のものは特に、人間よりははるかに耐性がある。人の国で手に入る毒で花の子の体に害を及ぼすのはかなり困難だろう。それに口に含めば毒かどうかは大体わかる体質である。
「では、お前にここの水を飲ませても平気なようだな」
「どなたか毒を盛られたことが?」
「王子は幼い頃から少しずつ毒に体を慣らしていくからそれでやられた者はいないが、重要な役職についている者が毒殺されるのはしょっちゅうだ」
ジェードは王城を酷いところだと言い切っていたが、全くその通りであるらしい。花の貴人達の陽気ないがみ合いとはまた異なる惨たらしさを感じる。
そのうち茶器などが運ばれてきたのだが、やはり警戒しているのか彼は給仕も断って女官を下がらせた。また王子に茶の支度をさせるわけにはいかないからと、リーリヤが茶をいれる。
林檎のような甘い香りが立ちのぼる。加密列である。リーリヤも自分で摘んで茶にするので馴染みがあった。
ジェードは普段、白湯以外あまり口にしないそうで、酒も控えているという。味のあるものは毒が入れられてもわかりにくいからだろう。
お先に失礼、と断ってリーリヤは加密列の茶を口に含んだが、何も盛られてはいないようだった。
二人で椅子に座り、やっと人心地つく。
「あのオニキス殿下は、どのような方ですか?」
尋ねられたジェードはカップを手にしたまま、間を置いてから口を開いた。
「生き残りの王子の中では、あの男が最も王に相応しいと思われている。力もあり品性に問題はなく、常識もわきまえている。テクタイトと比べればはるかにましだろう」
だが、と彼は続けた。
「オニキスは無情な男だ。他人に厳しく、容赦がない」
第三王子は「粛清のオニキス」と呼ばれているそうだ。反対者を追放し、時には処刑する。気紛れではなく熟考の末の判断なので今のところ非難はされておらず、彼の動きによって秩序は保たれているという評価を受けていた。
けれど、オニキスには温情というものが欠けている。冷血な彼が即位すれば、周囲は恐怖で畏縮するだろう。いつか歯車が狂えば、情けが無さすぎるゆえにオニキスが暴走して恐怖で国を支配しようとするのではないかとも危惧されていた。
オニキスも元はそれほど厳しい性格ではなかったそうなのだが、兄弟同士の争いの中でどんどんと気難しくなっていったという。殺さなければ殺されるという空気の中で、彼もまた心が荒んでいったのだ。それでもテクタイトと対立して正気を保てているので立派ではある。
「しかし、あなたはオニキス殿下とも仲良くはなさそうですね」
「オニキスは忠誠を誓わない者は皆敵と見なす。私はオニキスが王になるなら支持をすると何度も言っているが、誰がなろうがどうでもいいという考えが見透かされて信用されないのだろう。弟を一人討てと言われたのも拒んでいるし、テクタイトも手にかけないし、言いなりにならないのが疎ましいのだろうな」
オニキスは白ではないものは黒と決めつける。彼にとってジェードは白ではない。ならば黒だ。不安分子は早急に取り除くに限る。聞けば想像通り、オニキスの手の者にジェードは命を狙われた経験があるという。
リーリヤは熱い茶を飲んで息を吐いた。
ジェードは兄のオニキスを大して褒めはしないが貶しもしない。真面目な男だと評する。ああまで冷たい人間になったのも無理はないと考えているらしく、だとしたらジェードはやはり優しいのだとリーリヤは思った。
人の国で家督を相続する嗣子といえば普通、最初に生まれた男であると聞いている。しかしユウェル国では立太子の儀はなく、年齢順に王位継承権があるわけでもない。言ってみれば王子は皆横並びだ。だから混乱が生じているのだ。一応、王子達の間では年功序列があるのか、弟が兄を敬っているという形はとっているが。
オニキスは第三王子、花の国に訪れたマラカイトは第五王子、テクタイトは第七王子である。長兄の第一王子ルビーはもういないが、確か第二王子が存命だったはずだ。それなのに、仕切っているのは第三王子というのは何故なのだろう。
「オニキス殿下の上のお兄様も城にいらっしゃるのでしょう?」
「フローライトか……」
第二王子は蛍石を持つフローライトだ。確かに城にはいるが、ほとんど塔にこもっているのだとジェードは説明する。
「フローライトはおそらく国一番の魔術師なのだが……」
「お具合でも悪いのですか?」
「心を病んでいる」
フローライトは聡明で魔術の才があったが、昔からいささか精神の方が弱かった。そんな繊細な彼を兄のルビーは気にかけており、フローライトもルビーを頼みにしていた。
だがルビーはテクタイトの奸計にはめられて命を落とし、フローライトはいたく打ちのめされた。以降、フローライトは精神の均衡を崩し、完全にではないものの気が触れたのだそうだ。
魔術師としては一流の腕を持っているため、周囲は扱いに困り果てている。万が一暴れられては手がつけられない。正気らしい時もそれなりにあるのだが見極めが難しく、皆が腫れ物に触るように接していた。
「普段は何をなさっておいでなのですか」
「中庭で花をむしって食べている。後は虫や土を口に突っ込んでは笑っているな」
あまり良い状態ではないようだ。
より症状が悪化する原因を作ったのはテクタイトで、兄の死に関してフローライトを追いつめるような言葉をしつこく耳に吹き込んだらしかった。
「フローライトにも近づくなよ。気が狂いかけているから危険だ」
ジェードの兄弟は近づくべきでない人物が多すぎるようである。
リーリヤは一部を除き王子達に対して恐怖はなく、強い哀れみを感じていた。気の毒な人々である。疑心暗鬼に過ごし、心が丈夫な者は気難しくなり、繊細な者は病んでいく。
状況から見て、王になるべきなのはオニキスなのだろうが、はたして彼が無事に新たな王となったところで、王子達に安寧の日々は訪れるのだろうか。オニキス自身も、追いつめられはしないだろうか。
とリーリヤが悩んだところで詮方ないのだが。異国の王位継承問題に首を突っ込めるはずがない。
話が終わるとジェードは部屋から出ていろいろ用事を済ませてくると言った。様子を見てきたり、明日以降に動くために準備をすることがあるらしい。
だから先に休んでいろと言われるが、リーリヤは座って待っている、と抵抗した。
「長旅の疲れが顔に出ているぞ。寝ていろ」
ジェードはリーリヤの上着を脱がせて手早く着替えさせると軽々と抱え、寝台に連れて行ってしまった。柔らかい寝具の中に突っ込んでしまう。
「誰かが訪ねてきても応じる必要はない。部屋から出るなよ」
ジェードは扉を開けて出て行く。そういえば、花宮殿でもこんなようなやりとりをしたなとリーリヤは思い出していた。
するとジェードが再び戻って来る。
「絶対に出るな」
わざわざ引き返して念を押す理由は、彼もあの時のことが頭に浮かんだからだろう。部屋にいろと言われたにも関わらず散歩に出かけたリーリヤが、危ない目に遭いかけた件だ。
リーリヤは布団の中で何度も頷いて見せる。ジェードはまだ何か言いたげだったが出て行った。
そこまで心配されなくても、さすがに来たばかりでどこがどこだかわからない城の中を徘徊する勇気はない。なるべくジェードに迷惑をかけたくないので、部屋でおとなしくしているつもりでいる。
それにしても、彼の部屋で先に休んでいるなんて、いくらなんでも無礼だろう。だから座って待っていようと思うのだが、寝具があまりに上等で寝心地が良く、出るに出られなくなってきた。
布団は羽根のように軽いのに驚くほど暖かくて、爽やかな良い香りがする。枕も弾力が絶妙で、敷布の手触りは滑らかである。
リーリヤはどこでも眠ることができる。周りがうるさかろうが岩の上だろうが睡眠をとるのに支障はない。だから馬車の中で座って眠るのも平気だった。
だが、こうして柔らかいところで足をのばして体を温めながら横になるのは格別だった。旅は久しぶりだから、自覚はなかったが疲れていたのかもしれない。
まぶたが重いようだが、気のせいだろう。ここで眠れるほど面の皮は厚くないはずだ。
(もう少しだけ横になろう。それから体を起こして、茶器を片づけて……)
欠伸をしたリーリヤは寝返りを打ち、いつしか寝息を立て始めていた。
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