花の貴人と宝石王子

muku

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第一部 再会

69、花の太陽

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 望みを叶えて欲しいと、その美しい瞳が訴えている。悲嘆に暮れる日々に終止符を打ちたいと願っている。
 愛するものを失い、虚無を抱えて生きるのはさぞつらいだろう。
 黒い蔓をつかむ手に、僅かに力がこもった。

 リーリヤには選びがたい答えなのだろうが、ジェードならしてやれるかもしれない。自分は人斬りで、数え切れないほど手を汚し、見送ってきた。
 無言で佇むジェードに黒薔薇が向ける視線には、少しばかり期待が混じっているようだった。

 哀れな花を、救ってやりたくなる。部外者の自分であれば、同胞殺しにはならないだろう。ジェードは花殺しの汚名が増えても大した痛手にはならない。

「殿下」

 呼びかける赤薔薇の声が緊張していた。
 ジェードが、剣の柄を握りしめる。
 黒薔薇の瞳が濁り始め、放出される魔力が高まっていくのが感じられた。正気と狂気の間を綱渡りしているかのようで、発作的な殺意が閃こうとしている。
 そこで、張りつめた空気が、誰かの声によって破られた。

「黒薔薇」

 優しいとしか言いようのない声だった。愛情をこめて、撫でるような呼び方だ。
 何かが風を切る音がして、黒薔薇の体が揺れる。
 見ると、彼の胸には深々と矢が刺さっていた。驚きに目を見張りながら、黒薔薇が振り返る。

 暗がりから現れたのは、弓に矢をつがえている白百合のリーリヤだった。

「お前は、また……」

 一歩歩き出そうとした黒薔薇の胸へ、リーリヤが矢を放つ。鈍い音がして、その矢はしかと胸の真ん中へ命中した。
 魔力の強さが関係しているのか、それでも黒薔薇は散らなかった。膝を折りそうになりながらも、リーリヤに向かって進もうとする。

「私は、消えたいんだ……」
「そんなことは、私がさせません」
「もう……黒百合は戻らないのに……! また咲けというのか、お前は……!」

 血を吐くような声にも、リーリヤは動じない。背筋を伸ばしてしっかりと目を開き、澄んだ瞳で黒薔薇を見つめている。

「そうです。黒薔薇、光はあります。悲しみが永久に癒えずとも、あなたは別の光に慰められる可能性がまだあるのです。私がそれをさがしましょう。あなたを救います」
「お節介め……!」
「よく言われます」

 微笑んで、リーリヤは矢を放った。三本目の矢が黒薔薇に刺さる。

「私のことを、どうぞ恨んでください。けれどこの世の全てを憎まないで。あなたは、幸せになるべきです」

 慈愛に満ちたその顔に、ジェードの目は釘付けになった。
 最後の矢を放った時のリーリヤは、ジェードがこれまで見た誰よりも強く、凄絶なまでに美しかった。
 ジェードがとうに信じるのを諦めたものを、彼は、リーリヤは信じている。その重みも愚かしさも承知の上で、信念を手放さずに生きる男の目をしていた。

 ――花が散る。

 黒薔薇の体は消えて、大きな黒い蕾が転がった。リーリヤは息を吐くと、弓を置いて蕾に近づいていく。眉を下げて少し困ったような表情を浮かべながら、蕾を抱き上げた。

「痛かったでしょう、ごめんなさい。こうするしかなくて……。恨み言は、また今度聞きますからね」

 赤子を抱く母のように、リーリヤは蕾に囁いている。
 悔やむでもなく、こらえるようでもない。自らのしたことを背負う覚悟がある笑みだった。
 蕾を抱いたまま、リーリヤはジェードの方へやって来る。

「巻き込んでしまって申し訳ありませんでした、ジェード様。黒薔薇を救ってくれようとしたのでしょう? ありがとうございます」

 ジェードが何をやろうとしていたのかも見抜いていたようだ。責めようともせず、悲しみに顔を曇らせたりもしない。ここで感謝を口にするのがいかにもリーリヤらしかった。

「この子にはもう少し、私のわがままに付き合ってもらいましょう」

 蕾にリーリヤが微笑みかけていると、赤薔薇と白薔薇がそばまでやって来た。

「また会議が荒れるんじゃないかな、白百合公」

 白薔薇が言っているのは、今後の黒薔薇の扱いについてのことだろう。暴走は二度目であるから今までより更に厳しい意見が貴人の中から出そうである。リーリヤは「でしょうねぇ」と間延びした声を出す。

「お前、何か考えがあるのか?」
「ないんですよ、それが。これから考えます」

 赤薔薇はやや呆れていたが、複雑そうな表情でリーリヤの腕の中の蕾を見下ろした。

「……白百合。こいつのこと、お前にばかり押しつける形になって悪かったな。黒薔薇は言ってみれば僕らの身内みたいなものだ。同じ薔薇だものな。でも、僕はどうしたらいいかよくわからなかった。斬るのは得意だけど、僕が黒薔薇を斬るのは、何か、違うだろう?」

 リーリヤは神妙な顔をしているローザを前に、やや驚いたようにまばたきを繰り返していたが、すぐに嬉しそうにして肩に触れた。

「黒薔薇のために悩んでくれたのですね。ありがとう。あなたはやはり、優しい子です」

 黒薔薇ほどの力があるとそのまま拘束するのは難しく、となると散らせて蕾にするしかおとなしくさせる方法はないのだ。彼を生かすと決めたからには、リーリヤはその役目を誰かに押しつけるわけにはいかなかったのだろう。

 遅れて駆けつけたのは、天竺牡丹ダリアのギアルギーナとすみれのイオンだった。天竺牡丹ダリアによるとこの騒ぎで散った花の子は一人もいないとのことで、リーリヤは安堵している。
 天竺牡丹ダリアが被害状況を確認している中、赤薔薇のローザが顔をしかめた。

「何か、変じゃないか?」

 皆がローザの方を振り向き、ローザは続ける。

「いつもより暗いぞ。まだ昼のはずなのに」

 言われてみれば確かにそうだった。あちこち崩れたり土埃が舞っていたから気づきにくかったが、薄暗い。まるで雲が太陽を隠したかのような変化だったが、花の国では雨の日を除き、多くの雲が発生することはまずないのである。そして今日、降雨の予定はなかった。
 その場にいる全員が、崩れた壁から外へと踏み出す。露台のようなところへ出て、周囲や空を確認してみた。

 どこか異様な光景であった。
 空は雲一つない天気で、青空が広がっているのだが、その青がくすんでいる。花の太陽はといえば、変わらず光っているのだが光量が明らかに普段とは違った。

「まさか……」

 顔色を変えた天竺牡丹ダリアがどこかへと駆け出して行く。
 この現象が起こる理由に花の貴人達は心当たりがあるのか、皆が黙って顔を見合わせ、天竺牡丹ダリアが戻るのを待っていた。
 しばらくして、顔色の悪い天竺牡丹ダリア公ギアルギーナが早足で現れる。両手には半透明の細長い何かを握っていた。

「思った通りだ。魔力を集める装置が壊れている。おそらく、黒薔薇の蔓にやられたのだろう」

 ギアルギーナが差し出したのは、巨大なつららのようなものだった。尖っていて、見るからに氷でできているかのようなのだが、そういう材質なだけで氷ではないらしい。
 事情のわからないジェードに、リーリヤがやや青ざめながら説明した。

「これは、太古に滅んだ巨大な一角獣の角だと言われています。宮殿では魔力を集めて太陽に送る装置の一部として使われていたのです」

 花の太陽の光が安定して地上に降り注いでいるのは、宮殿に集う花の貴人達の魔力を送っているからだ。そして、魔力を送るにはこの装置が不可欠なのである。
 角は五本ある。だから完全に魔力が送れなくなったわけではないのだが、この一本が最も大きく、主要なものだったのだ。

「太陽光が安定しなくなる可能性が高い」

 それが意味することを想像してか、天竺牡丹ダリアのギアルギーナの頬の辺りに緊張が見られた。

「直すことはできないのか?」

 ジェードが尋ねる。

「装置を作ったのは王なのです。王は不在ですし、一角獣の角は繊細で我々に扱える代物ではありません」

 新調するのも無理だという。となると、打つ手はないということか。
 ひとまず、天竺牡丹ダリアのギアルギーナが周囲に事情を説明して歩きながら、瓦礫の撤去作業を侍従達に命じた。それから装置が壊れた影響をさぐるためにいろいろと調べ始める。
 そして、すぐに会議が開かれることになった。影響は花の国の外にも及ぶことから、人の国の王子達の出席も求められた。

 これだけの大事であってもやはり来ない貴人はいくらかいて、人間側はテクタイトが欠席していた。マラカイトと二人の弟、カーネリアン、ジェードは出席している。ぐるりと机を囲んで席に着く貴人達の外側に、王子達はそれぞれ離れて椅子に腰かけていた。
 前代未聞の大事件に、貴人達の間に漂う空気は重い。大方の揉め事や事故は放っておく主義の彼らだが、今回ばかりはそうもいかないのである。

 天竺牡丹ダリアから一通りの説明がなされた。黒薔薇の暴走の話を聞いた胡蝶蘭が大げさにため息をつく。

「それで? 黒薔薇公はどうなったのです? またしてもお優しい白百合公が、情けをかけてやったのですか? 全く、涙なしでは聞けない話ですね」

 嫌みったらしい言い方にも、白百合のリーリヤは顔色を変えず前を向いている。リーリヤもいつものように目立ちたくないと引っ込んではいられないだろう。黒薔薇のことで意見を主張し続けてきたという立場がある。

「これで二度目です。黒薔薇の蕾を処分しなさい、白百合公リーリヤ」
「お断りします。彼を裁く権限は誰にもありません」
「多数決という言葉をご存じですか? 我々は閉ざされた特殊な環境で生活しているので、それなりに意見をすり合わせなければなりません。日頃の小競り合いはともかく、大多数の者の存在を脅かし、宮殿への破壊行為を行った者は罰を受けてしかるべきでは? この場にいる全員に意見を聞いてみなさい。おそらく私に賛同する方が多いでしょう。多数の意見を黙殺するのはいかがなものかと思いますが。あなたは何様なのですか? 王の代理候補であるからそのような横暴な態度をとるのですか? でしたら、まだ早い。代理に選ばれてからそうなさい」

 リーリヤの隣に座っている菫のイオンは口をはさむのはこらえていたが、非難をこめて胡蝶蘭のファラエナを睨みつけていた。
 リーリヤはさすがに笑みは見せなかったが、ごく穏やかな顔つきをファラエナに向けている。

 ジェードが見たところ、おそらく、ファラエナの言う通りなのだろう。大多数は厄介者の黒薔薇を排除したいと思っている。黒薔薇は貴人の中で腫れ物のような存在であり、いつ爆発するかわからない爆弾も同じである。前回似たような騒動が起きた時、リーリヤがどうにかなだめ、黒薔薇の問題についてひとまず結論を出すのを先送りにしたのだ。

 閉鎖的な社会の中で、秩序を乱す存在に対しての風当たりが強いのは当然のことだった。ましてや今回は装置が破壊され、国全体へ被害が及んでいる。
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