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第一部 再会
44、赤薔薇の頼みごと
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鹿に乗ってリーリヤのもとへとジェードが戻ってきたが、そこへまた別の人物が近寄ってきた。
彼は遠く離れたところからでも目につく。言動が目立つというのもあるが、見た目の華やかさは宮殿内随一とも言われているからだ。
煌びやかな深紅の長髪を揺らしながら、赤薔薇公ローザは姿勢良くこちらへと歩いて来る。彼はいつも大股で進み、移動速度が速いので侍従がついて行くのが大変なのだ。今日も引き離したのか、姿は彼一人である。
ローザはずんずん歩いてくると、ジェードのそばで立ち止まった。
「ジェード殿下。頼みがある」
間を置いてから、ジェードは「何だ?」と返事をした。
ローザは真っ直ぐにジェードを見つめている。
「僕に剣を教えてほしい」
これには、ジェードとリーリヤも顔を見合わせた。
「しかし貴殿は、この宮殿ではかなり強い方だと聞いているが」
「まあ、僕は三番手だと昔から言われている。一番が月下美人公で、二番が睡蓮公だ。ここしばらく、貴人同士で戦う機会はめっきり減ったから、力比べもしていない。だから、今どうなっているかはわからないが」
ローザの言う通りだった。だが実力というのはそう変わるものではない。他の誰かが昔と比べてやたらと力をつけたなどの話は聞かないから、その剣の腕の順位は変わっていないように思われる。
「あなたがテクタイト殿下とここで戦っているところを前に見た。あなたは強い。強い人に教わって、もっと強くなりたいんだ」
普段駄々をこねてばかりのローザが、こうしてまともに頼みごとをしてくるというのがリーリヤには意外でならなかった。
以前のローザであれば、教えてもらいたかったとしても「僕が教わってやってもいいぞ!」くらいの発言はしただろう。
「もう十分力をつけているのだろう」
「いいや、まだだ。足りない。いくら強くなっても足りないくらいなんだ」
大きな剣を腰に帯びているローザは、両手を強く握りしめている。
「僕はもっと強くなりたい。あんな屈辱は二度と御免だ」
テクタイトに襲われかけたことを言っているのだ。あの出来事が、どれほど彼の自尊心を傷つけただろうか。
ジェードは冷静に、現実的な意見を口にする。
「いくら鍛えたところで貴殿が兄に勝つのは難しいだろう。石持ちの人間は花の子の魔力を吸う」
「それは承知の上だ。それでも、僕は腕を上げる必要があると感じたんだ。何度戦っても僕が負けるだろう。けれどもしかしたら、僕に好機が巡ってくることもあるかもしれない。そうした時に、テクタイト殿下に一矢報いたい。どんなに不利な相手でも、諦めたくない。やられっぱなしは嫌だ!」
ローザより強い花の貴人は、月下美人公か睡蓮公だ。しかしこの二人ではローザの特訓に応じないだろう。そうなってくると、ジェードに頼むしかない。
飾り気のない素直な言葉に、ジェードは何か思案している。
「……何故、私に頼もうと思った?」
「あなたは優しそうだから、きっと聞いてくれると思ったんだ!」
ジェードの目がわずかにだが見開かれて、リーリヤも同じように瞠目した。そしてつい吹き出す。ローザのこの素直な物言いは、いつも周囲をざわめかせている。
「人斬りが優しそうだと?」
眉を上げてジェードが尋ねると、ローザはむくれた。
「僕があなたのことをどういう人間だと判断しようが、それは僕の自由だ。あなたが文句を言っちゃいけない」
言っていることが無茶苦茶で、リーリヤはジェードの横に立ちくすくす笑っていた。
こういう男に対し、どのように振る舞うべきかジェードも迷っているらしかった。ローザは引き続き、剣の稽古をつけてくれ、と頼み込む。
ジェードは目をつぶってそれを聞いていたが、やがて一言「いいだろう」と応じた。断ってもおそらく引き下がらないなと諦めたのかもしれない。
それに、一泡吹かせたい相手の名前を聞いて、思うところがあったのだろう。ローザが襲われかけた時、ジェードも駆けつけていた。敵が同じであれば、仲間意識のようなものが芽生えてもおかしくはない。
丁度ここは訓練場なので、その場ですぐに稽古をつけることとなった。
ローザはこの頃少し元気がなかったが、昔から戦うのが好きなので、剣を握ると生き生きし始める。ローザの繰り出す攻撃をジェードが受け、助言を与えていた。
「動きが派手すぎる」
「派手な方が見栄えがいいじゃないか」
「無駄な動きは隙となる。そこをつけこまれるぞ、赤薔薇公。戦いに華々しい演出は不要だ」
主人に振り切られた赤薔薇の侍従達もやっと追いついてきた。またどんな騒ぎを起こしただろうと冷や冷やしていたらしかったが、稽古の相手がジェード王子だと知って緊張が解けたようだ。
案外、ジェードはここの花の子の間で好感度が高いのだとリーリヤは知ることとなった。
翌日も翌々日も、ジェードによるローザの稽古は続いた。
ジェードは指導が得意な方ではないようだが、指摘は的確だった。ジェードに聞いてみたところ、ローザはまだ伸びしろがあるそうだ。荒い部分があるが、間違いなく強いと言う。
だからこそローザは悔しいだろう、とジェードはローザの心中を察していた。
ローザとテクタイトがまともにやりあえば、勝機が全くないとは言えない。けれど花の子と人の子という関係が、戦う前から勝敗を決してしまう。
ローザは生まれながらの戦士だとジェードは評した。気構えもセンスも、戦うことに向いている。
意味があるのかわからない鍛錬にジェードは何日も付き合ってやっていた。だがこれは同情のためではない、とジェードはリーリヤに説明した。
どれほど不利な立場であっても、努力を欠かさず心を折らない。そうして得た力は、必ず己のためになる。
リーリヤは、そんな二人が打ち合うさまを毎日見学していた。
(優しい方ですよ、あなたは)
いつの間にか、ジェードはローザを「お前」と呼んで打ち解けている。ローザの口調がかなり気安いというのもあり、他国の貴人同士といった空気はもはやなかった。
リーリヤと同じように二人から離れたところで控えている赤薔薇の侍従達が、どこかへ向かって頭を下げるのでリーリヤはそちらへ目を向けた。
人の子の王子が歩いてくる。
第二十王子カーネリアンだった。ジェードやテクタイトよりも髪の色素が薄い。瞳の色は橙色で明るいが、表情にはいつもどこか陰のある御仁だ。暗いというのではなくいつも笑顔なのだが、朗らかさがない。
カーネリアンはついてくる従者に手を上げて、控えているように指示をした。
リーリヤが挨拶をするとカーネリアンは頷く。
「あなたが噂の白百合公ですね」
――噂の。
翡翠の王子の寵愛を受ける花の貴人。王子と同棲をして同棲を解消してまた同棲を始めた白百合公。噂の内容はこんなところだろうか。テクタイト王子を殴った狂人、という話も追加されているかもしれない。
「殿下は御用があってこちらへ来られたのですか?」
「いいえ。散歩の途中です」
などと会話をしていると、早速ジェードが歩いて来る。それとなく弟王子に睨みをきかせていた。
「何の用だ、カーネリアン」
「用はないですよ……。そんなに警戒しないでください。あなたの白百合公とは少しお話をしただけです」
カーネリアンは苦笑しているが、ジェードの反応は冷ややかである。
ローザには休憩をとらせているそうだ。侍従達が飲み物を持って駆け寄って行く。
「僕はこの程度で疲れるほど軟弱じゃないから、休み時間なんていらないんだ!」とわめくのをみんなで宥めて水を飲ませていた。
「お前は見ているだけで退屈ではないか?」
ジェードがリーリヤに声をかけてきた。ローザとの訓練に同行するよう言ったのはジェードだった。リーリヤを目の届くところになるべくいさせたいらしい。だがリーリヤが長時間突っ立って眺めているだけなのが気になっていたのだろう。
「とんでもない。興味深く見学させてもらっています。私のような剣の才がない者でも、ローザが強くなっていっているのがわかるので楽しいです。ジェード様が剣を振るう姿も、芸術的で素晴らしいですから、いつまで見ていても飽きません」
「そうか」
ふっと笑うと、ジェードはリーリヤの頭に口づけをする。
「ジェード殿下! 僕はもう復活したぞ! いちゃついているところ悪いが、再開しよう!」
ローザに呼ばれたジェードはリーリヤから離れて行った。ローザは待たせれば待たせるほどやかましくなるというのを、ジェードもここ数日で学んでいる。
笑って送り出したリーリヤは、ふと横を見てカーネリアンが固まっているのに気がついた。
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