花の貴人と宝石王子

muku

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第一部 再会

36、貰ってほしい

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 * * *

 斬りかかられるのを受け止め、体を下げてかわし、ジェードは次に自分がどう出るべきか考えあぐねていた。
 テクタイトはこの場で自分を殺すのが目的なのだろうか?
 そのようでもあり、また、そうでないようにも思える。

 剣尖には殺気がこめられているようで、しかし動きは時折妙にふざけていた。もしもジェードが本気でやり返せば、自分から斬られにくるのではないかとすら思わせる。
 ここで、テクタイトを殺したら――テクタイトを、殺す?

「お前は私を殺せないだろう」

 まるで心を読んだかのように、テクタイトは笑いながらそばで囁いた。懐に踏み込んできたテクタイトは、しかしその好機に攻撃を繰り出さずに顔を寄せただけだ。

「お前が私を殺すとしたら、お前は初めから選択を誤っていたことになるのだからな。お前の最初の『殺し』が間違っていたことになる。あの時殺すべきだったのは、暗殺者ではなく私だったと」

 ジェードの脳裏に、あの日の光景が浮かぶ。今も生々しく覚えている、人を斬った感触。斬るべきだと教わったから斬った。

 ――お前は何故斬ったのだ?

 わからない、わからないと幼いジェードは無表情に繰り返したが、実は分かり切ったことだった。
 何故斬ったか。それは――。

 思考が逸れたのを見てとったテクタイトが、ジェードの頸を狙って剣を振った。ジェードも剣を振り上げたが、防げる速度ではなかった。ジェードの剣は全く別の方へと向いている。
 鈍い音が響き、テクタイトの剣が止まった。

「そこまで」

 どこから現れたのか、白い影がそこにあった。
 優雅に跳ねる長い髪。長身で、穏やかな顔つきをした花の貴人が剣を手に立っている。その切っ先は、テクタイトの剣を制していた。
 月下美人公ルナの剣が、もう後少しでジェードを斬りつけようとしていた刃を止めていたのである。
 ルナは微笑を崩さずに、テクタイトの方を向いた。

「テクタイト殿下。あまりやりすぎないようにと申し上げたはずですが。流血沙汰を起こされては困ります」
「誰も血など流していない。これは遊びだ」

 テクタイトも薄ら笑いを浮かべたままだ。
 確かに、ジェードもテクタイトも、まだ一滴の血も流していなかった。ルナが止めなければ、一秒後にどうなっていたかは何とも言えないが。
 仮にジェードを傷つけていたとしても、テクタイトならば飄々ひょうひょうと「手が滑った」と言うのだろう。
 ジェードはゆっくりと剣を体の前へ移動させた。

「兄上。私の勝ちです」

 ジェードの剣には、白い花が突き刺さっている。

「これはゲームです。そうでしたね? このゲームは私の勝ちだ」

 テクタイトはしばし剣に刺さった花を見つめていたが、そのうち、さも可笑しそうに笑い声をあげ始めた。
 自分の身を守らず、あくまでゲームに徹した弟の行動が面白かったのかもしれない。
 刺さった花は一振りすると散って儚く消えていった。

 剣を鞘におさめると、ジェードはテクタイトに背を向けて歩き始める。今に始まったことではないが、やはりこの男には玩具にされていた。
 テクタイトと戦っている間に見物人はいくらか増えているらしく、人目をひく赤薔薇公の姿などもあった。
 その中に、たった今駆けつけたばかりらしい、息を切らしている男を見つけた。


 リーリヤが到着したのと、月下美人のルナが二人の王子の間に割って入ったのはほぼ同時だった。
 危うくジェードがやられそうになったのを見た時は血が凍りそうになったが、どうにか回避されて安堵した。
 慣れない全力疾走で膝は震えているし、これほどか弱ければ間に合ったところで何ができただろう。普段は割り切っているはずの自分の体の弱さが恨めしくなる。

(月下美人公が来てくださって、よかった)

 テクタイトの剣を止められる花の貴人がいるとすれば、彼か睡蓮公くらいだろう。
 月下美人のルナはおそらく宮殿内で一番強い。おそらく、というのは、貴人達は長らく直接的な争いを避けている者が多く、力比べなどをしていないから予想するしかないのである。

 けれど昔から月下美人のルナは強かった。今もその力は変わらないだろう。
 ジェードがリーリヤの方へ歩み寄って来る。息を整えてリーリヤも笑顔で迎えた。

「大丈夫でしたか」
「問題ない」

 さっと彼の全身に視線を走らせて確認してみたが、怪我などはしていない様子だった。言葉通り何事もなさそうで胸をなで下ろす。
 すっかり気を抜いているリーリヤに、ジェードが突然こんなことを言った。

「もし私が死んだら、私の中にある翡翠はお前が貰ってほしい」

 リーリヤは驚いて目を見開いた。ジェードからこんな懇願をされるとは、思いもしなかったのだ。今まで何度も彼の言動には意表を衝かれていたが、今回はまた別種の驚きがリーリヤを戸惑わせた。

「……何故、そのような悲しい話を?」

 リーリヤは表情のないジェードに微笑みかけた。

「テクタイトは兄弟が死ぬと石を欲しがる。万が一私が死んで、石が奴の手に渡ると思ったら癪だ」
「私を守ってくださるのではなかったのですか?」
「無論、そのつもりだ。そう簡単に命を落とすつもりはない。戦士は戦う際に敗北した時のことなど考えないが、あらゆる準備をしておくものだ」

 ジェードはきっと、戦地であらゆる死を見届けてきたのだろう。散っても次がある花の貴人とは覚悟が違うのだと思い知らされる。
 リーリヤはただ頷いて、歩き出すジェードの後ろをついて行った。
 頂きましょうと約束をすれば、彼は喜んだのかもしれない。だが、切なくてそんな言葉は口にできなかった。その石を受け取るところを、想像したくない。

 * * *

 それにしたってらしくない、とリーリヤは唇を突き出して不満に思っていた。
 ジェード様らしくない。あれほど強引で自信たっぷりにやって来たのに、今になって突然弱気な発言をするだなんて。
 いや、弱気ではないのだろう。本人の言う通り、もしもの時のための準備だ。わかる。けれどもジェード様にはそんなことを考えてほしくない、というのもリーリヤの本音だった。

 どういうわけかジェード様がいきなり気弱になった、とイオンに相談すると、「愛しいあなたに再会して、たまには気が抜けることだってあるんじゃないですか」と言われた。
 常に気を張り続けてきたジェードが、運命の再会を果たして高揚し、安らいだあげくにちょっと気持ちに隙ができた。こういう心の動きだろうとイオンは解説する。

(そうだろうか? それほど私のことではしゃいだり気が沈んだりする方には見えないけれど……)

 と言ってもリーリヤも、ジェードの心の内の全てを見透かしているわけではない。

「あなたは恋をしたことがないから、恋をしている人の気持ちがわからないんですよ」

 こう、ばっさりイオンに言われては何も言い返せない。
 恋という言葉を聞くと、どうもむずむずする。自分が恋をしたり、されたりする価値のある存在に思えないせいだろう。

 ジェードの気持ちを否定するつもりはないが、彼が自分を愛しているという事実は時折リーリヤを落ち着かなくさせた。
 奉仕は好きだ。与えるのが好きだった。けれど与えられることには慣れていない。
 申し訳なさが先立って、素直に喜んで受け取れなかった。私ではなくて、もっと相応しい人にあげてくださいと言いたくなってしまう。

 私がもっと優れた花であったなら、たくさんの人を救い、好意を素直に受け取り、誰も彼をも幸せにしてあげられるだろうに。
 全ての願いが叶うことなどあり得ない。だから、皆悩むのだと知ってはいても、どうしようもない現実は気持ちを沈ませた。


 夜、一人で部屋の寝台に腰かける。
 何をするでもなくリーリヤは窓の外の夜空へ目を向けていた。刻々と夜は更けていき、静けさは破られない。
 ジェードが部屋に来なくなって、もう七日が過ぎていた。おそらく今夜も来ないのだろう。

 小さく息をついたリーリヤは立ち上がり、外へと出て行った。目指すのはジェードのもとだ。
 薄手の寝衣に、何も羽織らず廊下を進んでいく。寒いというほどの気温ではないが、心許なくて、明かりを持たない方の腕で自分の体を抱きしめて歩く。こんな姿で誰かと行き合ってしまったら、はしたないと眉をひそめられてしまうだろう。だが、幸いにも今夜は誰にも出会わなかった。

 彼の部屋まで行くのにそう時間はかからない。
 扉を叩くと、ジェードが顔をのぞかせる。こんな時間にリーリヤが訪ねて来たのが意外だったらしく、片眉を上げていた。

「何かあったのか?」
「そういうわけではないのですが。少し、あなたとお話がしたくなって」

 中に通されたリーリヤは、改めて部屋の中を見回した。
 客人なので当然と言えば当然だが、生活感のない部屋である。壁に立てかけられた剣以外は、特に目につくものもない。

「この部屋に一人でおられて、寂しくはありませんか?」

 振り向きながら尋ねると、ジェードは問い返すような視線を向けてきた。

「あなたは異国の方ですから。慣れない場所では気も落ち着かないでしょうし、心細くはならないかと」
「どこにいても大して変わらない」

 その言葉を、どのように解釈するべきだろう。どこでも平気という意味か、安らげるところなどなかったという意味か。

「私は……寂しいです。寂しくなりました。あなたが私の部屋からいなくなって」

 ぽつりと言うと、わずかにジェードが目を見開いた。
 ジェードの手をとって、寝台の方へと導いて行く。腰を落として、ジェードも隣に座らせた。彼の方へと体を向けて、じっと顔をのぞきこむ。そうしてしばらく黙って見つめ合っていたが、リーリヤは口を開いた。

「抱いてください、ジェード様」

 手をゆるく握ったまま、リーリヤは静かに言う。月明かりに照らされるジェードの表情には変化がなかった。

「私を抱いてください」

 これを言うために、ここへ来たのだ。
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