花の貴人と宝石王子

muku

文字の大きさ
上 下
17 / 137
第一部 再会

17、美しいと感じる

しおりを挟む

 そんなわけでイオンと別れ、離宮へ赴こうと廊下を歩き出したところだった。

「どこへ行く?」

 黒い服に身を包んだジェードが壁にもたれて立っている。宮殿内での彼の格好は軽装に近いが、腰にはいつも剣を帯びていて隙がない。
 リーリヤは戦闘については生まれつきさっぱりなので、剣の腕が確かな白薔薇公ヴァイスにジェードの力量はどのくらいだと感じるか尋ねてみたことがある。すると白薔薇は「かなりのものだね。俺は負ける」と言い切っていた。立ち姿でもそれくらいはわかるそうだ。

「部屋でゆっくりなさっていればよろしいのに」
「そういうわけにはいかない。お前を守りに来たのだから」
「千年散らずに頑張ってきたのですから、そうそう散りませんよ」
「先日目の前で殺されそうになっていたがな」

 そういえばそうであった。あの時ジェードが抱えて避けてくれなければ、あっさり散っていただろう。あんなことがあったばかりでは、過保護な扱いをされても仕方ない。

「煩わしければ距離を取って追いかける。好きなところへ行くがいい」

 ジェードがそんなことを言い出すので、リーリヤは困ったように笑って彼の腕に手を添えた。

「煩わしいわけがないでしょう。そんなことを仰らないで。私はあなたが好きなんですから。あなたがよろしいのであれば、一緒に歩きましょう」

 体を寄せて微笑むリーリヤを、ジェードはしばらく黙って見つめていた。何か言いたげである。

「どうしました?」
「お前は誰にでもそうやって、好きだ好きだと言うのか」
「嫌いでなければ言いますね」

 ジェードは息を吸いこむと、表情を変えず微かなため息をついていた。

「危ない男だな、お前は」 

 危ないというのがこの場合どういった類の意味を持つのか考えている間に、ジェードが「行くぞ」と声をかけて歩き出すのでリーリヤも足を進める。
 気に障ったのかと表情を盗み見ると、そういうわけでもないようだ。ほんのわずかにだがその横顔に浮かんでいる感情は、困惑や疲れに近い。といっても本当にごくわずかなので、リーリヤの思いこみかもしれないが。

 リーリヤが離宮に行く予定だと伝え、二人は並んでその目的の場所へと向かった。
 すれ違う花の貴人や侍従達はまだちらちらとリーリヤとジェードの二人に視線を寄越してくるが、もう関係は知れ渡っているし(おそらく正確には伝わっていないだろうが)、誤魔化そうとしても無駄なのだ。それに、初めこそ庭師と王子の愛人関係という話題は刺激的で面白がられただろうが、そろそろ飽きがきているだろう。

 新たな王子が現れ、さらにそれが増えると聞けば、興味関心はそちらに移っている。長く生きてる花の子達は慣れるのが早いのだ。
 ジェードも兄王子テクタイトを強く警戒して密かに動静を探っているようだが、今のところ大きな動きはないという。テクタイトは供を連れて宮殿をあちこち見て回り、貴人達と会話を交わしているそうだ。今日は部屋にこもって休んでいる。

 花の国の花宮殿は巨大だ。人の国の城の比ではなく、敷地も広大だった。
 はっきり言って、不必要に広かった。使われていないところがほとんどなのだ。使用されている石材は主に白いが、一口に白と言っても色合いは場所によって異なっていた。銀白色、月白、生成。

 全体としての宮殿の色、外壁は象牙色である。
 階層は一部を除いて二十。花が住まう宮殿ということもあって、採光は重要視されている。吹き抜けが多く、空中庭園もたくさんあった。いつでも日光浴ができる。

「ここへ来る時にご覧になられたでしょうが、建物の外も庭園が広がっているのですよ」 

 リーリヤは立ち止まり、外廊下から窓の向こうを手で示した。
 宮殿を囲んでいるのは植物が生い茂る庭だ。青々とした樹木で作られた生け垣で迷路のようになっている部分や、数多の花が咲き乱れる花園もある。それが三百六十度、見渡す限り広がっているのである。

「あれもお前が管理しているわけではあるまいな」
「さすがにそこまで手は回りません。私が面倒を見ているのは宮殿の空中庭園だけです。外の植物達は聞き分けが良いのでさほど手入れをしなくても平気なのですよ。手がかかるものは空中庭園で世話をしているのです」

 庭は森とは違うが、ここ一帯の庭を見回ろうとすれば何日もかかる。慣れない者が足を踏み入れれば、迷ってしまうだろう。

「美しいな」

 眼下に広がる庭園を見たジェードが抑揚なく言って、リーリヤはそんな感想に顔を綻ばせた。
 ややあってジェードは眉をひそめる。

「……妙な気分だ」
「何がですか?」
「人斬りと呼ばれた私が、こうして景色を見て美しいと感じているのが不思議でならない。お前と再会するまでは、そんなことは思いもしなかった」
「そうなんですか。どうしてでしょうね」

 リーリヤはジェードの顔をのぞきこんだ。

「けれど、良いことです。あなたが何かを美しいと感じることは、私も嬉しい」

 ジェードが血にまみれた人生を送ってきたことは想像に難くない。本人に自覚がある以上に陰惨な場面に遭遇してきたことだろう。
 常に命を狙われ、人に欺かれ、殺伐とした日々をやり過ごしてきた彼が美しいものに心を動かされる暇などなかったはずだ。

「あなたはそうして、心を動かすことができる方だということです。ジェード様は本来優しく、また感受性が豊かな方なのですよ。私にはわかります」

 ジェードの唇の端には、自嘲めいた冷ややかな笑みが滲んでいた。

「人ばかり斬ってきた。先日あの厄介な兄王子はたくさんの人間を葬ってきたとお前に教えたが、私も大して差はないわけだ」

 リーリヤは微笑みを崩さないで彼の手を己の手で包んだ。

「……あなたが望んでしたことではなかったのでしょう? 人を斬るのは仕事だった。その仕事を楽しんでいるわけではなかった。違いますか」
「…………」

 ジェードは遠くに視線を投げたまま、答えなかった。
 初めて会ったあの時。彼は自身の中に広がる虚無にしか目を向けていなかった。そこに存在するのは諦観と怒りだけ。

 そんな彼の中に新たな芽吹きがあることを祝福したい気持ちになった。それはきっと、彼をもっと良い方向へと導くだろう。
 やがてジェードは自分の手に重ねられたリーリヤの手を見下ろした。リーリヤのその行動に気を良くしたのか目つきは穏やかになっていたが、何故か不満そうに変化していく。

「……お前は、そうやって誰の手も握るわけではあるまいな」
「どうしてジェード様はそんなに、私が誰に何をするかが気になるのです?」
「人の話を聞いていたのか? 私はお前に惚れている。 悋気りんきを起こして当然だ」

 嫉妬の自覚はあるらしい。自身を俯瞰して見られているのは立派だな、とリーリヤは感心してしまった。一部の殿方はそういった感情を持て余すことを恥じて認めないものだ。潔い。
 けれど過剰な心配だと思う。

 一体誰が変わり者と評判の白百合公リーリヤなどに妙な気を起こすというのだ。
 宮殿を出ていくつかの庭を抜け、橋を渡る。
 すると離宮が見えてきた。こちらも象牙色の建物で、さほど広くはない。とはいえ一人で暮らすとなるとやはり広すぎるのだろう。彼は侍従もつけずに長いことここで孤独に過ごしていた。

「ジェード様は少々お待ちいただけますか? そこらの庭でも見ていてください」

 彼は人間嫌いなので、と一応説明しておく。

「その睡蓮公とやらは危険な奴ではないだろうな」
「常識人に分類されていますよ。もっとも……昔よりはかなり気難しくなられましたが」

 散る前のことなので記憶がかなり朧気なのだ。あの頃は睡蓮公も宮殿に住んでいて、月下美人公と睦まじくしており、人望があったから花の子達の相談にもよく乗っていた。次第に口数が減って、他人との交流を絶ってしまったのだが。

「睡蓮公がお前を傷つける可能性は?」
「ないと思いますがねぇ。決して他人に手をあげるような方ではありませんから、安心してください。私は昔、彼と仲良くやっていた方ですし」

 口に出してからしまった、と思った。仲良く、という言葉の意味を勘ぐられはしないだろうか。ジェードの眉がぴくりと反応したようだったが、追求は控えたようだった。
 よかった、とほっとする。

 ジェードは聞き分け、待っていてくれると約束した。
 一人離宮に近づいていったリーリヤは、門番もいない扉の前に立ち、建物を見上げてから声を発した。

「睡蓮公アイル。私です。白百合のリーリヤです。お話があって参りました。中に入れてはもらえないでしょうか」
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

Lv1だけど魔王に挑んでいいですか?

れく高速横歩き犬
BL
ちょっとおバカで前向きな勇者の総受け異世界ライフ! 助けたヒヨコごと異世界トリップした青年、世那。そこは人間と魔族が対立する世界だった。そして村人に勇者に仕立て上げられてしまう。 スライムすら倒せずにLv1のまま魔王城へ。 空から降ってきた世那を姫抱きキャッチしてくれたアルビノ美形アディはまさかの魔王だった!その魔王の魔王(アレ)に敗北しても、打倒魔王をあきらめずレベルを上げようとするが・・・吸血鬼や竜神族、獣人にまで目を付けられてしまう。 ✼••┈┈⚠┈┈••✼ ・R18オリジナルBL ・主人公総受け ・CPはほぼ人外 ・小説に関して初心者ゆえ自由に楽しくがモットー。閲覧・お気に入り等ありがとうございます(*´ω`*)暖かく見守って下さると嬉しいです ・こちらの作品は、フジョッシー・ムーンライトノベルズでも掲載しております

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

ちっちゃくなった俺の異世界攻略

鮨海
ファンタジー
あるとき神の采配により異世界へ行くことを決意した高校生の大輝は……ちっちゃくなってしまっていた! 精霊と神様からの贈り物、そして大輝の力が試される異世界の大冒険?が幕を開ける!

【完結】嘘はBLの始まり

紫紺
BL
現在売り出し中の若手俳優、三條伊織。 突然のオファーは、話題のBL小説『最初で最後のボーイズラブ』の主演!しかもW主演の相手役は彼がずっと憧れていたイケメン俳優の越前享祐だった! 衝撃のBLドラマと現実が同時進行! 俳優同士、秘密のBLストーリーが始まった♡ ※番外編を追加しました!(1/3)  4話追加しますのでよろしくお願いします。

学院のモブ役だったはずの青年溺愛物語

紅林
BL
『桜田門学院高等学校』 日本中の超金持ちの子息子女が通うこの学校は東京都内に位置する野球ドーム五個分の土地が学院としてなる巨大学園だ しかし生徒数は300人程の少人数の学院だ そんな学院でモブとして役割を果たすはずだった青年の物語である

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

幽閉王子は最強皇子に包まれる

皇洵璃音
BL
魔法使いであるせいで幼少期に幽閉された第三王子のアレクセイ。それから年数が経過し、ある日祖国は滅ぼされてしまう。毛布に包まっていたら、敵の帝国第二皇子のレイナードにより連行されてしまう。処刑場にて皇帝から二つの選択肢を提示されたのだが、二つ目の内容は「レイナードの花嫁になること」だった。初めて人から求められたこともあり、花嫁になることを承諾する。素直で元気いっぱいなド直球第二皇子×愛されることに慣れていない治癒魔法使いの第三王子の恋愛物語。 表紙担当者:白す(しらす)様に描いて頂きました。

願いの守護獣 チートなもふもふに転生したからには全力でペットになりたい

戌葉
ファンタジー
気付くと、もふもふに生まれ変わって、誰もいない森の雪の上に寝ていた。 人恋しさに森を出て、途中で魔物に間違われたりもしたけど、馬に助けられ騎士に保護してもらえた。正体はオレ自身でも分からないし、チートな魔法もまだ上手く使いこなせないけど、全力で可愛く頑張るのでペットとして飼ってください! チートな魔法のせいで狙われたり、自分でも分かっていなかった正体のおかげでとんでもないことに巻き込まれちゃったりするけど、オレが目指すのはぐーたらペット生活だ!! ※「1-7」で正体が判明します。「精霊の愛し子編」や番外編、「美食の守護獣」ではすでに正体が分かっていますので、お気を付けください。 番外編「美食の守護獣 ~チートなもふもふに転生したからには全力で食い倒れたい」 「冒険者編」と「精霊の愛し子編」の間の食い倒れツアーのお話です。 https://www.alphapolis.co.jp/novel/2227451/394680824

処理中です...