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52、好きなんだ

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 * * *

 まずはギリネアスだ、とフィアリスは衝撃波を放つがギリネアスの魔法で相殺される。
 一度石に力をそそぐのをやめると、どっと魔物が出てくる量が増えて、まるで黒い柱のようになった。

 放たれる矢を杖で叩き落とし、間近まで踏み込むとギリネアスが今度は剣を振るう。
 血だ。大量の血があれば最も強い魔法が使える。命を賭した術を使う場合は、己の血を捧げるのだ。

 ギリネアスに切りつけられて出血すれば、望むほどの力が使えるだろう。それで一切のけりをつける。
 フィアリスはギリネアスの方へと踏みこんだ。ギリネアスが斬りかかろうとする。
 防御をとらないフィアリスを、一瞬不審に思ったのだろうがギリネアスは剣を引かなかった。

 続いて訪れるはずの痛みを覚悟する。

 ――が。

 痛みには襲われなかった。
 それどころかギリネアスが、ゆっくりと後ろへ倒れていく。

 誰かの攻撃がギリネアスに当たったらしかった。そのまま地面に転がって、意識を失う。もう起き上がる気配はなかった。
 突然敵が無力化して、フィアリスは状況を飲み込めずに立ち尽くす。

 その時。

「フィアリス」

 一番聞きたかった、声がした。
 優しく耳に届く響き。低いけれど澄んでいて、何度だってその声で名前を呼んでほしかった。
 呼ばれる度に、自分の心には小さな幸せが広がるから。

 崩れて落ちた岩の上にエヴァンが立って、こちらを見ている。フィアリスは力をなくした両手を、だらりと下げたまま呆然としてエヴァンの方を見上げた。

「あなたは自分の身を犠牲にしなくたって、いたいところにいていいんですよ」
「エヴァン……」
「あなたは幸せになってもいいんですよ」
「…………」

 美しいと誉められたことは多々あったけれど、その容姿で人を惑わすなら罪ではないかと思った。
 嫌だと抵抗し続けずにおぞましい行為を受け入れたのは、きっと淫靡な人間だからだ。汚されて汚されて、それも罪だ。

 罪を償わなくてはいけない。この身をもって。
 それが間違いなのだとしたら、そんな間違いを頑なに捨てられない自分がやっぱり間違いで、罪で。

 自分を大切にできない。
 どの道、自分は愚かなのだ。

「どうしてこんな私が、幸せになっていいんだろう」
「あなたの幸せを願う人間がいるからです。それで十分じゃないですか。怖くないですよ、フィアリス。幸せになるのを怖がらないで。あなたは酷く苦しんだんでしょう? もういいじゃないですか」
「きっと私はおかしいんだよ。自分を傷つけることばかりしてしまう」
「あなたはお気づきじゃないかもしれないですが、すごく、優しいだけですよ」

 辺りは騒がしいはずなのに、どの音もみんな遠ざかって、静かになった気がする。その中でエヴァンの声だけが、はっきりと伝わる。
 愛情と慈しみのこもった声が。

「私はあなたを幸せにしたいんです。あなたを幸せにさせてください。あなたのそばにずっといたい。あなたを守りたい。そのために強くなったんです」

 エヴァンは立派に成長した。
 いつか離れてしまう手を、切なく思いながら握ったこともあったのに。こんな私にまた、手を差し出してくれる。

「フィアリス、あなたも私のことが好きなんでしょう? 認めて下さい。私のことを、好きだと言ってください!」

 いつかみたいに、言葉がまた胸に突き刺さった。
 今度は苦しくなくて、温かいものが広がって、口が自然に開く。

「好、き……だよ。エヴァン。君のことが、すごく……」

 喉に熱い固まりが込み上がってくるみたいで、上手く話せない。
 涙が、ひとしずく頬を流れたかと思えば、止まらなくなって次々に落ちていった。とうに涸れたはずの涙。

 一滴一滴に正直な思いが、感情が込められて、光った。

 ――私は、君に、恋をしている。

「君が、好きだ……エヴァン……!」

 エヴァン。大好きなエヴァン。
 どんな時も自分を慕ってついてきてくれた。真っ直ぐに育って、愚かな私を受け入れてくれた。
 いつも私の光だった。君が悲しみを和らげた。
 君の名を口にするだけで、心に浮かべるだけで、どれだけ癒されただろう。

 触れた手の温もりが、私を、闇に流されないよう繋ぎ止めていてくれた。
 こんなにも優しい。こんなにも愛してくれる。
 これほど愛しい人を、私は知らない。

 エヴァンが目を見開いて、岩からこちらへと飛び降りてくる。そのまま走ってきて、フィアリスを強く抱きしめた。

「好きなんだ、エヴァン」
「わかってます」

 とめどない涙が、エヴァンの服にしみこんでいく。
 逞しい体と体温を感じると、力が抜けていくようだった。
 耳元で、エヴァンが囁く。

「フィアリス。私の美しい、フィアリス。あなたは石ころなんかじゃなくて、私の宝石です。どれだけの人があなたのことを汚しても、あなた自身が汚したって、私にはいつでも、いつまでも美しい宝石なんだ」
「……言ってしまった。君のことを、好きだって……」

 一度口にしてしまったら、もう二度とは元に戻れないというのに。

「本当のことなんだから、問題ありません」

 フィアリスもしっかりと、エヴァンのことを抱きしめていた。幼子がすがるように、強く、強く。
 好意を口にすることが、愛を告げて触れ合うことが、こんなにも幸せなことだったなんて、知らなかった。
 エヴァンからの愛を確かに感じるし、自分の愛も受け取ってもらえている。

 足りないものをようやく、補えた心地だった。満たされるとはこういうことなのだ。
 そうやって長いこと、二人は抱きしめあっていた。

「あの……ちょっとそこのお二人さん……もういいかな……あの……惚気は帰ってからにしてくれない? ……こっち手伝ってほしいんだけど……まあまあ立て込んでるから……」

 というこちらをのぞきこんだレーヴェの懇願もしばらくは耳に入ってこなかった。気がつけば、確かにレーヴェやノアが魔物と戦っている音がした。
 ようやく身を離すと、エヴァンが少し悲しそうにフィアリスの全身を眺めた。

「いつものことですけど、無茶をしますね」

 言われてフィアリスは苦笑する。
 しかし割れた一級石の対処は自分しかできないので、休んでばかりもいられない。
 フィアリスが一級石に近づこうとした時、突然上方で光が迸り、周囲を真っ白に照らした。その光は穴を下って魔法陣まで入り込み、出て来ようとしていた魔物達が一気に消滅する。

 何が起こったのかと、フィアリスとエヴァンは揃って穴の上まで跳び上がった。
 すると、思わぬ人物がそこに立っていた。
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