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45、竜
しおりを挟む深いため息が、レーヴェの口から漏れる。
「こんなことになるならさぁ、リトスロード家なんかにとどまるんじゃなかったよなぁ。ほんとお前らってめんどくせーな。どうしてそんな嫌な役目を俺に押しつけようとすんの?」
やだやだ、と首を横に振る。真剣味のない口調だがそれは彼の癖であり、表情を見れば心底苛ついているのが伝わってくる。
「お前がそこまでしなくちゃならない理由はなんだってんだよ」
「都合が良かったんだ。私はこの身を賭ける。そして、ジュード様に目を覚ましてもらうんだよ」
「お前のそれは、『献身』通り越して『自傷』だよ」
何て言われても構わない。反対されてももう決めたことだ。
こうすることでしか、もうジュードに訴えられないのだ。
別に命を粗末にするわけではない。国の為、人々の為になる。それにあの家からは離れた方がいいとフィアリスは思っていた。
自分がいれば混乱を招くし、自分も混乱してしまう。
遠くから、彼らの幸せを祈るのが一番良い。
「エヴァンはどうなる。お前を信じているんだぞ。あいつの気持ちが浮ついたものじゃないってお前も知ってるはずだ。あいつがお前のためにどれだけ努力してきたと思ってる?」
エヴァンの名前を耳にすると、鋭い痛みを感じて目眩がした。上手く、笑えなくなってしまいそうだ。それでもフィアリスは笑みを崩さなかった。
「エヴァンは強いから、喪失を乗り越えてちゃんと人生を歩んでいけるよ」
「逃げるのか?」
その言葉に、頬を打たれたような衝撃が走った。動揺で視界が揺れそうになる。
だが、こらえなければならない。
レーヴェの言葉の意味を深く考えてはならない。もう後には引けないのだから。
「逃げるのかよ、フィアリス。お前はエヴァンからも、自分からも逃げてるんだぞ、わかってんのか?」
「レーヴェ、私は決めたんだ!」
決然とフィアリスは声を張り上げる。
この運命こそ自分に相応しいのだ。拾われた石は村の奥で魔物を封じるために使われて、また同じ役目を与えられる。
魔力が強ければ出来ることではない、あなたの体質は特別だ、本当に魔石のようだ。王都の魔術師からはそう言われた。
希有な存在ならばこうすることが定められた役目だし、相応しいはずだった。
寂しくないし怖くもない。誰かの為になるのなら、いくらだって身を差し出そう。
けれど何より怖いのは。
私は怖い。愛されるのが。愛してほしいと願うのが。
自分がどれだけ汚くて価値がないのか知っているのに、今更これ以上幸せになりたいと思うのが許せない。
「眠らせてほしいんだ、レーヴェ」
これが自分の最後の我が儘だ。
その言葉を受けてレーヴェがどう返そうとしたのか。怒って拒絶するか呆れて受け入れるか、そのどちらでも有り得たとフィアリスは思う。
だが結局聞くことはなかった。
二人は即座に何者かの襲撃の気配を感じ取り、構えの姿勢をとったのだ。
フィアリスは一級石に防壁を張った。同時にレーヴェが駆け出して、フィアリスの方に跳ぶ。
物音がすぐに吸収されてしまう特殊な土地で、とんでもない言い争いをして気が立っていたせいか、気づくのが遅れてしまったのが失態だった。おそらく、敵は先に到着していたのだろう。
飛んで来たいくつもの矢を剣で払いながらレーヴェがフィアリスを抱えて地面をニ、三度転がる。
――ただの矢では、ない……!
フィアリスの防壁魔法は全ての矢を弾くことができなかった。
黒い矢の一本が、深々と一級石に刺さっている。一級石を傷つけられるということは、特殊な道具だ。並みの人間に手に入れられるものではない。
そんな魔道具が管理されているのは、王都の魔術院くらいである。
物陰から弓を手にした一人の男が姿を現した。
「元気そうで何よりだな、フィアリス」
貴族らしい品性を感じさせない雰囲気。捕食者のような目つきと、ひん曲げて笑う口元のだらしなさ。
歯止めのきかないこの危うさに、今までどれだけの人間が脅かされてきただろうか。
「ギリネアス様」
ギリネアス・ウェイブルフェンはにやにやしながら、首を傾げてこちらを見ていた。
――バ、キン……キィン……パキッ
「まずい」
フィアリスは立ち上がると、一級石に向かって手をかざし、魔力をそそぎ始めた。
風が巻き起こり始め、周囲の気が乱れて景色が歪み始める。
「いくらお前でも、完全に割れてしまった一級石を回復させるのは無理なんじゃないのか?」
せせら笑うギリネアスへとフィアリスは首をひねった。
「ギリネアス様……あなたはご自分が何をしたかわかっているのですか?」
「当たり前だろう。一級石が壊れれば、迷宮の封印が解けて魔物が溢れ出る。こっそりやるつもりが、お前らと鉢合わせたのは不運だった。けれどどうにかなるだろうよ」
「ここの迷宮にいる魔物は、そこらの魔物とは強さが違います。地上を荒らせば被害は甚大です」
だから慎重に調査が進められてきたのだ。王室で保管している一級石もどれもが封印に向いているわけではない。協議の最中だった。――そこをフィアリスが独断でおさめようとしていたのだが。
自分が犠牲になれば上手くおさまりそうな件になると、大胆に先走った行動を取ることを、それとなくジュードから注意を受けたことがある。
「甚大結構。リトスロード家の領地が滅茶苦茶になるところを是非とも見たいな」
「……っ、王都にまで被害は拡大するかもしれないんですよ!」
竜の足の速さは他の魔物の比ではない。一度羽ばたくだけで、とんでもない距離を移動すると聞いている。いくらリトスロード侯爵領と王都に距離があるといっても、竜にとっては散歩程度の気楽さでたどり着くだろう。
ギリネアスは笑っている。そんなことは知っているに決まっているじゃないか、と言いたげに。
「ここの責任者は誰だ? リトスロード侯爵だ。責任を取るのはあいつになるな」
「あなたは狂っていらっしゃる」
「よく言われるよ」
リトスロード侯爵家を貶めるためだけに、たくさんの人間を巻き添えにしようとしているのだ。
「一つ忘れてるみたいだが」
と口を挟んだのはレーヴェだ。剣を手にしたまま、うんざりした目でギリネアスを見やる。
「これがお前の仕業であることを、俺達は見てるんだぜ? だったら騒動の原因はウェイブルフェンってことが伝わって、困るのはお前なんじゃないの?」
「生きて報告出来ればの話だろう」
「へえ、なかなか強気な坊ちゃんだな」
レーヴェが片足を引く。お喋りはあまりせずにさっさとギリネアスの動きを封じて、これ以上面倒ごとを起こさせないつもりなのだろう。
ギリネアスも腕はそこそこだが、レーヴェの敵ではない。こんな時でなかったら、簡単に負かせただろう。
「レーヴェ……っ」
フィアリスは手をかざしたまま、声を絞り出した。レーヴェが振り向く。
「無理だ……!」
――パ、キィン!!
美しく儚い音と共に、魔石の半分が砕けて散った。刺さった矢も一緒に落下する。フィアリスにはその一瞬の光景が、酷くゆっくりと目に映っていた。
――ウォォォォン……
地底の深いところから、魔物の吠える声が響いてくる。それは地上を目指して、確実に上昇してきていた。
魔法陣がぐにゃりと歪んで変形し、一段と強く風が巻き起こった瞬間。
鋼でできているかのような鱗を持った黒い竜が、陣の下からぬっと頭をのぞかせた。一度窮屈そうに身を縮めてから体も出すと、躊躇なく頭上の岩を破壊する。
轟音と共に洞窟の天井は崩れて、砕けた岩が降り注ぐ。鈍色と赤色が混じって積もり、砂埃が立ち込めて、少しの間視界不良となった。。フィアリス達の立つところは無事で済んだが、すっかり吹き抜けになってしまった。
――ウオオオオオオオン!!
竜は雄叫びをあげると、そのまま広い世界へ飛び立とうと羽ばたき始めた。
『捕縛せよ!』
フィアリスが呪文を唱え、一級石に向けているのとは逆の方の手を竜へかざす。
空中に出現した黄金の鎖が、竜を縛り上げた。鎖の端はフィアリスが握っている。
けれど竜の動きは止まらない。鎖の間から羽を無理矢理広げて飛べることを確認し、浮き上がる。フィアリスは引きずられそうになった。
「レーヴェ、あいつを行かせないでくれ! ここは私が何とかする!」
今一級石に力をそそぐのをやめてしまえば、他の魔物もとめどなく出てきてしまう。最低限の結界を張り直さなければならないし、ギリネアスの相手もしなければならない。
鎖を手放すしかなかった。
代わりに鎖をつかんだのはレーヴェだ。
「簡単に言ってくれるよな……」
レーヴェは浮き上がる竜と一緒に地面を離れた。彼が得意とするのは剣術だが、魔法もさほど使わないだけで王都の一流魔術師と同等の才能はある。ただし攻撃魔法に限ってで、捕縛の鎖のような術は不得意だと聞いてはいるが。
切羽詰まった状況だから、後は任せるしかなかった。
「片手で俺に勝てるかね? フィアリスよ」
「…………」
対峙するギリネアスが笑みを深める。実に楽しそうな顔だった。
はっきり言って相手をするのは厳しいが、やるしかない。
「俺はな、とびきり気に入って遊んだ玩具は最後に壊すのが趣味なんだよ」
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