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37、救いの手

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 酷い嵐の夜だった。
 こんな日はさすがに、フィアリスの住処にも誰も尋ねては来ない。日課の魔法陣への力の注入は村長に見張られていて、村長に会った以外では一人で過ごしていた。

(すごい雷と……雨だ)

 まるで空の上で誰かが怒っているみたいだな、とフィアリスは膝を抱えて、雨音に耳をすませていた。

「……下さい、お待ち下さい!」

 誰かの怒鳴り声のようなものが聞こえるが、気のせいだろう。こんな天候の中を誰が外に出るというのか。
 しかし、その声は確かにこちらに近づいてくるようで、思わずフィアリスは腰を浮かせた。

「どうかお待ちを、侯爵様!」

 何か揉め事でも起こったのだろうか、とフィアリスは雨に打たれるのも構わず、外へと足を踏み出した。
 誰かが立っている。

 背が高くて、身なりが良い男だ。今までフィアリスが見たどんな人より、身分が高そうだった。そう言えば、こうしゃくさま、とか聞こえたけれど、きっと聞き違いだろう。侯爵なんて人がこんな村の、こんな奥に、こんな嵐の中やって来るはずがないもの。
 男の後ろから追いかけてきたのは村長だった。

「この子供だな」
「……っ」

 村長が険しい顔をして歯噛みをしている。フィアリスは目をぱちくりさせるだけだ。

「お前は、名を何という」

 話しかけられてるのが自分だと気づくのに、フィアリスはかなり長い時間を要した。

「え、ええと、フィアリス、です」

 わけがわからないまま、フィアリスは一応お辞儀をする。

「何故この子供に全て押しつけた? 何故お前達はこの子供からあらゆる自由を奪い取る権利があると思ったのだ?」

 稲光に時折姿が浮かび上がる。とてつもなく厳しい目をした人だった。

「お言葉ですが侯爵様、地下に迷宮が出たのでございます。我々の生活が脅かされていたのです。他に方法がなく……」
「嘘を言うな」

 睨みつけられ、村長は反抗的な目つきをしながらも言葉を飲み込む。

「迷宮が現れた場合は、リトスロードに訴え出ろと領内には通達しているはずだ。ここは我がリトスロード侯爵領の中である。勝手な真似は領主である私が許さない。お前はウェイブルフェン公爵家と通じていたそうだな」
「領主様……!?」

 フィアリスは仰天して、すぐに地面に伏せた。いくら学のないフィアリスでも、ここが誰の領地内にある村なのかくらいは知っている。
 リトスロード侯爵様。領地を守るためにいつも飛び回っていて、領民の信頼厚い領主様。
 フィアリスにとっては雲の上の存在だ。

「立ちなさい、フィアリス。お前の身は私が引き取る。一緒に来るんだ」

 地面を打つ激しい雨音の中、またしても信じられない台詞を聞いたフィアリスは、返事もできずに呆然と膝をついたまま目の前の偉丈夫を見上げた。

「それはなりません、侯爵様!」

 悔しげに顔を歪めた村長が、恐れも知らず侯爵に詰め寄る。もうこうなっては失うものもないというのと、侯爵家へのお門違いな憎しみが彼を大胆にさせているらしかった。

「このたった一人の子供のために、村人を皆死に追いやるつもりなのですか! このフィアリスが出てしまえば、凶悪な魔物が放たれてしまうのですぞ!」
「……フィアリスよ、事情は聞いている」

 侯爵は腰にはいた剣を鞘から抜いて、手にした。洗い流されつつはあるが、刀身にはぬらぬらとした赤い血がついている。村長が「ひっ」と悲鳴をあげた。

「お前をここに連れてきた魔術師は斬った。この男も斬り捨てるか?」
「い、いいえ、領主様……。どうか、村長様にお慈悲を……」

 フィアリスはあまりの展開に思考がついていかないながらも、どうにか理解しようと苦労しながら口を動かした。自分ごときが意見をするなど恐れ多いが、発言する許可を得られたなら気持ちは伝えなければならない。

「私はこの村の誰も恨んではおりません。食べ物を与えてもらいましたし、命を奪われはしませんでした。彼らへの罰を望んでいません」

 侯爵は手にした剣をおさめずに、目をわずかに細めた。
 こんな生意気な口をきいてしまっては、斬り捨てられるのは自分の方になるかもしれない、とフィアリスは内心ひやひやした。

 でも、村長のことも誰のことも憎んでいないのは事実であったし、目の前で斬られるなんて気の毒で見ていられなかったのだ。侯爵の気迫を見ていると、すぐにでも村長に向かって剣を振り下ろしそうだった。
 自分は大して何も損なわれていないのだ。世話もしてもらっていた。誰も死んでほしくはない。

「魔物を片付ければいいだろう。お前達はここで待っていろ」

 侯爵は数歩歩いて、村長の方を振り向いた。

「必ずここで待て。その子供を隠したり、逃げたりしたらどうなるかわかっているな? 村長、お前は数々の法を侵している。処分は追って伝える」

 そうして侯爵は、フィアリスの住んでいた洞の中へと姿を消した。
 あそこは魔法陣で封印がしてあるから、入れないはずなんだけど、とフィアリスが首を傾げていると、轟音が聞こえて地面が少し揺れた。侯爵が陣を破った音のようだった。

「いくら……侯爵でも、あいつの相手など……出来ないはずだ……!」

 進退きわまった村長はすっかり顔色をなくし、目をひんむきながらも口の中でぼそぼそと悪態をつき続けていた。
 フィアリスといえば、雨の中村長と一緒にずぶ濡れになりながら、ぽかんとして立ち尽くしている。

 地下の深いところから、わずかにしか感じないが確かに振動が伝わってきていた。
 そうしてどれほど待っていただろう。さほど長くはかからなかったように思う。
 死んでしまうに決まっている、と村長は願いをこめて口走っていてが、侯爵は入った時と同じようにしっかりとした足取りで洞から出てきた。

「魔物は倒した」
「……まさか……!」

 村長は腰を抜かした。濡れそぼった髪が顔に張り付き、座り込むその姿はいつもより小さく見える。

「当分魔物は湧かぬ。後の調査は家のものを使わせる」

 力を使った名残りなのか、剣にはめられている青い魔石が、キラキラとまだ輝いていた。

(あれが魔石なんだ。とても綺麗だ。初めて見た)

 フィアリスは場違いにもその美しいものに感動した。

「フィアリス、来なさい」

 そう言いながら、侯爵は村長の横を足早に通り抜けていく。座る村長には一瞥もくれない。村長もあらぬところを見上げて放心している。
 フィアリスは弾かれたように足を動かした。侯爵があんまり早く歩くので、ついていくにはほとんど走らなければならなかった。

 雨は幾分小降りになってきている。
 村の中を歩いていると、興味本位で家からのぞいていた顔がさっと引っこんでいくのが見えた。
 村を抜けたところに、見たことのない変わった黒い馬が繋がれもせずおとなしく主人のことを待っている。熾火のような、燃えているかのような赤い目をした馬である。

 戸惑っていると、侯爵に手をつかまれ、馬上へ引き上げられた。侯爵の前に座らされる。

「どこへ行くのですか?」
「リトスロードの館だ。お前に……」

 それまで、作り物のように変化がなかった侯爵の顔に、初めて感情らしいものが浮かんだ。
 深い、苦しみが。

「お前に、頼みたいことがある」

 馬はふわりと浮いて、空を駆け始めた。眼下の村がどんどん離れて、小さくなっていく。
 自分はあの洞で朽ち果てるのだと思った。
 どんなに助けを求めて叫んでも、救われることはなかった。けれど、差し伸べた手をつかんでくれたのは、思いも寄らぬ人だった。
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