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28、彼を愛しているから

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 * * *

 暗い館の中で、微かに人の声がする。
 明かりも持たずに廊下を歩いていたエヴァンはそれを聞きつけて、声のする方へと足音を忍ばせて進んでいく。

 ノアの部屋だ。
 扉が開き、うっすらと明かりが廊下に漏れてきていた。

「待……って、ください、レーヴェ」
「働きづめは体に毒だって言ってるだろ」

 覗いてみると、レーヴェが机の前まで追い詰められたノアにのしかかるようにして迫っているところだった。手首をとらえられたノアは身をよじり、顔を背けている。

「昨日もしたばかりです」
「昨日したら今日は駄目なんて誰が決めた」
「嫌なんです……」
「お前の嫌は嫌じゃないって、もう知ってる」
「レーヴェ、……やめっ……」

 レーヴェがノアの唇をついばむ。息をもらしながらなおも逃げようとするノアの腰を引き寄せて、今度は首筋に口づけを落としていく。
 シャツの中に手が入りこみ、敏感な部分をさぐりあてるとノアは身を震わせ、声が出ないように口をきつく結ぶ。

「好きだ、ノア」
「……」
「声をあげろよ、お前の可愛い声を聞かせてくれ」
「……誰が……っ」
「その強がりもいつまで続くかなぁ」

 レーヴェは容赦なかった。
 慣れた手つきでノアを攻める。嫌だと口では言いながらも、ノアはほとんど抵抗せずにレーヴェに導かれていた。次第に喘ぐのもこらえられなくなっていく。

 ノアは美しい男だった。フィアリスのような温かみや光はないが、その冷たい美貌は誰もが認めるところである。月下に咲く白い花のような色の肌に、細い顎、けぶる睫は男にしては長い。
 普段は色香を放ちはしないが、いつもの無表情が崩れると、その魅力は妖しいまでに引き立つ。

 薄暗がりの中で、二つの影は重なり、絡み合う。

「あっ……ッ、レーヴェ……!」

 ノアを鳴かせるレーヴェがふとこちらを見て、エヴァンと視線がぶつかる。だがさすがレーヴェと言うべきか、慌てる素振りもなく行為を続けた。
 雄の顔に浮かべる余裕の笑み。間違いなく見せつけられているのだ。
 エヴァンは音を立てずに、そこを離れた。


 バルコニーに出たエヴァンは、手すりにもたれかかって遠くを眺めていた。見渡す限り、目に引っかかるものは何もない。
 今日も大地から立ち昇る瘴気が濃いらしく、空に散らばる星の輝きは弱かった。幼い頃から華やかなものには縁遠く、この寂寞とした景色ばかりを目にしながら暮らしてきた。

 リトスロードの家の者として生きるのは、容易なことではない。力がなければ死ぬだけだ。物心ついた時から、精神的な独立を求められている。
 いつも殺伐とした空気に取り巻かれていて、あらがうことも許されない運命に、身を縮こまらせて怯えていたこともあった。

 ――あの人が来るまでは。

 拠り所ができてからは、さほど不安もなくなった。長じるにつれて余裕すらできて、鬱陶しい貴族の足の引っ張り合いに巻き込まれるくらいなら、剣を振るっていた方がましだと思えるようになった。
 きっとフィアリスが来なかったら、自分はどこかで死んでいたのだろう。

 強くなる前に倒れていた。
 胸に空いた穴が塞がらずに、体に力が入らなくて、与えられた使命の重さにくずおれていたに決まっている。

 リトスロードの男としては、生まれながらに不足していたものがあって、本来であれば淘汰されていく存在だった。
 一人前にしてくれたのは、あの人だ。

 命なんてもう惜しくはない。国の盾として役目を果たし、民のために戦う覚悟はできている。
 欲しいものは一つだけ。自分を満たしてくれるのは、たった一つの存在だけだ。
 エヴァンはそれが欲しかった。けれどなかなか手に入らなくてもどかしい。

「外は涼しいなぁ」

 乱れた服装を特に正そうともしないまま、レーヴェが現れる。

「相変わらずお盛んだな、あんたは」
「おかげさまで元気が有り余ってるんでね」

 レーヴェとノアがそういう関係なのは察していたが、現場を目撃したのは今夜が初めてだった。

「ノアは嫌がってたぞ」
「お子様だねぇ、あれはもっとやってくれって意味なの」

 エヴァンは平静を装ってはいたが、悶々とするのはどうしようもなかった。ノアの嬌声を聞くと、ある人の姿を重ねてしまう。それがとてもいけないことのような気がして、頭を冷やすために夜気にあたりに来たのだった。
 それなのにまた思い出させるような奴が現れたのでまいってしまう。

「何であんたはノアを抱くんだ?」
「体の相性がいいからじゃないか? あと俺は、あいつのこと好きだし」
「好きな割にあんたは他の女も抱く」
「他の女とノアとは別なわけ。俺が好きなのはノアだけだな」

 何を言っているのだか、エヴァンにはさっぱりわからない。下半身がだらしない男の戯言にしか聞こえない。だから素直に「わからない」と口にした。

「お前が思う『愛』ってやつは非常に凝り固まっていて、見識が狭いな。世の中にはたくさんの愛の形がある。それぞれだ。人の数だけあるし、世間に認知されている形ではないからって『それは愛じゃない』なんて言えないだろう?」

 ノアは真面目すぎるから、少し力を抜かせてやるためにちょっかいを出すのだとレーヴェは笑った。エヴァンが言う「好き」とレーヴェがノアに対する「好き」は異なっているものらしい。
 恋慕ではない、とレーヴェは断言する。かといって友情でもない。しいて言うならその中間。それに庇護欲と支配欲を混ぜたような。

「ますますわからないが」
「わかってもらわなくて結構。生憎俺の気持ちはこの国の言葉じゃ表現できないほど複雑でね」

 愛はそれぞれ、という言葉が、エヴァンの胸に刺さっていた。
 この気持ちは間違っているのではないかと、悩んでいたから。
 恋煩いなんて気のせいだ。あの人に告げたなら、困ったようにそう返すに決まっている。

 けれど気のせいでないことは、自身が一番よく知っていた。
 男だから、年上だから、師だから、身分が違うから、父の愛人だから。好きになってはいけないのかもしれないと煩悶した。

 それでも気持ちは、抑えきれない。

「苦しい」

 エヴァンは呟いた。

「愛してるからだな」

 いつも飄々としているレーヴェは、どこまで本気で言っているのかわからない。茶化されているようでもあるし、感じ入っているようでもある。

「好きだと言って、受け入れてもらえなかったら、つらいな。私には確信があるのに」

 フィアリスは自分を愛してくれている。
 絶対にそう思う。自惚れなどではない。
 心の底で自分達はとうに繋がっているのに、様々な事情が邪魔をしているのだ。

 あの瞳が自分を見つめる時、あの手が自分に触れる時、いつしか特別な熱が伝わるようになってきた。その意味を、とうの本人が気づかないまま、エヴァンだけが知っている。
 決していやらしいものではないが、それは確かに萌芽だった。

 ただ庇護する者と庇護される者の関係から、別のものが芽生えていった。
 フィアリスは酷く鈍い上に、気づいてはならないと深層心理が働きかけているのだろう。
 エヴァンの望みは、フィアリスを幸せにしてやることだった。守るために、強くなろうと決めたのだ。

 あの人は、自分など幸せにならなくてもいいと思っている。大切にされることを拒んでいる。そんな姿を見ていると、胸が締めつけられた。

「俺がしてやれることはなーんもないな、悪いけど。お前の想い人は強情で思いこみが激しくて優しすぎて、あまりにも踏みにじられすぎた。自覚があるのか知らんが、どこか壊れてるんだよ。癒すのは並大抵のことじゃない」
「……だとしても」

 どれだけ難しくても、救いたい。救わせてほしい。
 自分を満たしてくれる人を、自分も満たしたい。

 彼を愛しているから。
 言葉を尽くしたところで、この気持ちの全てをあらわすことは難しい。必死でさがして、当てはまる言葉は結局一つしかなかった。

 愛している。それだけだ。
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