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50 天上に連れて行く
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イリスはこの日、一人で山を歩きながらいろいろなことに思いを巡らせていた。いつものように飛び回って食材をさがす気分にはなれなかった。
山に来てからというもの、イリスには幸せなことばかりで、満ち足りた生活を送っていられた。といっても悩みは一切ないわけではない。
もっと力がほしいと願い、結局いつまでここにいられるのだろうか、と時折もどかしくなったり心を曇らせたりした。しかし最近は自分のことより、セフィドリーフのことで不安に思うことが多くなった。
彼の今までの言動。神殿で耳にはさんだ話。自分なりに繋ぎ合わせると気が重くなり、これからのことを考えると胸がざわついた。
うつむいて歩いていると、誰かに声をかけられる。前方に立っていたのは闇の聖獣、ディアレアンだった。二つ足の姿で、イリスを睨みつけている。
「ディアレアン様……」
「近々、セフィドリーフは天上に私が連れて行く」
きっぱりと言われて、イリスは困惑のために視線を揺らした。あんまり突然な気もするが、そういえばディアレアンは前からそうするべきだと主張していたのだ。何故来ない、早く来いと催促されている、とセフィドリーフがぼやいていた。
「人間の世界から引き離さなくてはならない。人間は嫌いだなどと口では言って、いかにも奴らには愛想が尽きたといった態度だが、本心であるとは限らんからな。何かあればまたセフィドリーフは巻き込まれるかもしれない。そうなる前に、あの男には昇ってもらう。もう我慢の限界だ」
それに対して何も言えずにいると、ディアレアンは音もなく歩いて近寄ってきた。イリスを冷たい目で見下ろして口を開く。
「セフィドリーフが過去に人間にどのような仕打ちを受けたか、お前は詳しく聞いたのか?」
「……いいえ……」
セフィドリーフは何も語らないし、精霊達もぼやかしたような言い方しかしなかった。多分、イリスが傷つくからだ。
「ならば教えてやろう」
戸惑うイリスに、ディアレアンはこれまでのことを語り始めた。感情をこめずに淡々と、それはかいつまんではいたがかなり細かい内容だった。
聞いていくにつれて――イリスは血の気が引いて立っていられなくなりそうになった。
フェンドリト王国という古い小国についてはイリスも歴史で学んで知っている。聖獣セフィドリーフが関わっていたとは初耳だったが。
彼の友人がいたその王国が戦で旗色が悪くなった時、セフィドリーフが手を貸したことで戦況は変わって、形勢は逆転した。
以来王国はセフィドリーフを捕らえて、利用しようとしたという。時には大仰に称え、時には牢に入れ、だだをこねるようにセフィドリーフに迫った。
イリスには、その時のセフィドリーフの困惑しきった表情が目に浮かぶようだった。
「セフィドリーフは一度として奴らに怒りをぶつけなかった。一人も手にかけていない。それをいいことに、人間共はじわじわと大胆になっていった」
聞いているだけで、動揺で呼吸が乱れそうになる。
家畜みたいな扱いをされて、侮辱をしのんで冷たい石の床に転がっていたセフィドリーフの姿を思い浮かべた。
彼が手酷い仕打ちを受けた理由はひとえに、人間側の思うように動かなかったからだ。
ディアレアンによると、それでもセフィドリーフは極力彼らの要望を叶えてやろうと努力したそうだ。といっても暴力や殺しが嫌いな彼は応じるのを拒むこともあったし、誰かに味方したために他の誰かが苦しむ結果になるのを見てほとほと困り果てていたらしい。
セフィドリーフは何かを割り切ったり切り捨てたりするのが苦手なのはイリスもしばらく近くにいたから知っている。
彼は無理に食事をとらされ、時には毒を盛られて苦しんだ。
その後聖獣達は意見の相違で揉めて、セフィドリーフが王の座におさまった。おそらく、人間を守る、それだけのために。
「お前が与えられた白銀の武具は、セフィドリーフを殺すためのものだ。あれはセフィドリーフの牙なのだ。か弱き人間を哀れんだあの男が、自分に対抗する力として愚かにも授けてやった」
あの方は、どういう思いで私に剣を教えていたのだろう。
それを考えると胸が締めつけられる。
「……私は、神殿から、セフィドリーフ様を殺すよう指示されたことはありません」
「それはそうだろう。神殿の奴らは武具を与えられてその扱いにうんと頭を悩ませたのだ。返すと言ったこともあったがセフィドリーフは受け取らない。しかし持ち続けていていずれ攻撃の意思ありと思われたままでも困る。予言のことが頭にあるからな」
「予言とは何です?」
「聖獣の王がいずれ人間を滅ぼすという、フェリクス王の予言と呼ばれているものだ。予言はもう一つあり、こちらは聖獣の王と人が和平を結ぶという内容だ。セフィドリーフが守り守られる存在がいずれあらわれるだろうとフェリクス王が言ったことが伝えられている。そこで神殿側は予言を参考に苦肉の策を思いついたのだ」
授かった武具を身につけた、聖獣を守る守護騎士。
この甲冑や剣は、あなたを傷つけるために所持しているのではありません。我々はあなたに刃向かいません。そういうメッセージをこめたのが、守護騎士という存在だった。
これをセフィドリーフが許容するか、馬鹿にしている、とかえって腹を立てるか、神殿側からすると賭けだった。
近頃体調が思わしくない聖獣は一人山へこもって人間への恨みを募らせ、前言を撤回して襲ってこようとするかもしれない。放置しておくのも危険なのでは、と神官達は話し合ったのだ。
心身共に弱っているセフィドリーフは鬱状態に近く、守護騎士というものへの反応は鈍かった。とりあえず城へ入れるだけ入れて、言葉通り守護騎士として働くつもりならすぐさま追い返そうと思っていたらしかったが、もう行き場のないというイリス・トリーヴェルダがやって来たのでそのままにしておいてやったのだろう。
セフィドリーフは人間に対する態度を決めかねていて、だからディアレアンなどが問いつめると最終的に逆ギレをしてごまかしてきていたのだ。彼は板挟みになり続けている。
「……天上にいる方が、セフィドリーフ様は穏やかに過ごせますか?」
「当たり前だ。悩ませているのはお前達人間なのだから」
イリスは強く拳を握りしめ、そしてゆっくり力を抜いた。詰めていた息を吐き出す。
「でしたら、セフィドリーフ様を連れて行ってさしあげてください」
どうにか浮かべた笑顔に、ディアレアンは目を細めた。
「……あ、でも……アエラス達が……」
聖獣が去ると精霊は消えてしまうのだと聞いている。
「僕達は構いませんよ、ディアレアン様」
という声と共に現れたのは、精霊アエラスだった。どうやらイリスとディアレアンの会話を聞いていたらしい。特に深刻そうな顔色も浮かべておらず、ディアレアンを見上げている。
「そもそも僕達は、皆様が天上に昇る時にセフィドリーフ様も昇られることに賛成していたんです。空気の質も上の方が良いですし、異存はありませんよ」
でも、とイリスは眉を曇らせた。
「君達は消えちゃうんだろう?」
「それが、リィ様のおかげで僕達長いことこの聖なる山にいたでしょう? そのおかげでかなり力を蓄えられて、強い精霊になったんだ。食事をして取り込んだ分もあるしね。イリスの作ったご飯って、なんか特別な力があるみたい。だから当分消えないよ。もしかしたらリィ様を追いかけて昇れるかもしれないし、そうでなかったとしても地上で姿をとどめられる方法があるかもしれないし、さがしてみよう」
「そう……」
明るいアエラスの説明を、イリスは鵜呑みにすることができなかった。イリスを悲しませないための嘘かもしれない。アエラス達はこういうところはさっぱりしていて、実際未練はないのだろう。
問いつめても仕方がないので、イリスも頷いて「そうなったら私も協力してさがしてみるよ」と言っておいた。
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