上 下
50 / 60

50 天上に連れて行く

しおりを挟む

 * * *

 イリスはこの日、一人で山を歩きながらいろいろなことに思いを巡らせていた。いつものように飛び回って食材をさがす気分にはなれなかった。
 山に来てからというもの、イリスには幸せなことばかりで、満ち足りた生活を送っていられた。といっても悩みは一切ないわけではない。

 もっと力がほしいと願い、結局いつまでここにいられるのだろうか、と時折もどかしくなったり心を曇らせたりした。しかし最近は自分のことより、セフィドリーフのことで不安に思うことが多くなった。
 彼の今までの言動。神殿で耳にはさんだ話。自分なりに繋ぎ合わせると気が重くなり、これからのことを考えると胸がざわついた。

 うつむいて歩いていると、誰かに声をかけられる。前方に立っていたのは闇の聖獣、ディアレアンだった。二つ足の姿で、イリスを睨みつけている。

「ディアレアン様……」
「近々、セフィドリーフは天上に私が連れて行く」

 きっぱりと言われて、イリスは困惑のために視線を揺らした。あんまり突然な気もするが、そういえばディアレアンは前からそうするべきだと主張していたのだ。何故来ない、早く来いと催促されている、とセフィドリーフがぼやいていた。

「人間の世界から引き離さなくてはならない。人間は嫌いだなどと口では言って、いかにも奴らには愛想が尽きたといった態度だが、本心であるとは限らんからな。何かあればまたセフィドリーフは巻き込まれるかもしれない。そうなる前に、あの男には昇ってもらう。もう我慢の限界だ」

 それに対して何も言えずにいると、ディアレアンは音もなく歩いて近寄ってきた。イリスを冷たい目で見下ろして口を開く。

「セフィドリーフが過去に人間にどのような仕打ちを受けたか、お前は詳しく聞いたのか?」
「……いいえ……」

 セフィドリーフは何も語らないし、精霊達もぼやかしたような言い方しかしなかった。多分、イリスが傷つくからだ。

「ならば教えてやろう」

 戸惑うイリスに、ディアレアンはこれまでのことを語り始めた。感情をこめずに淡々と、それはかいつまんではいたがかなり細かい内容だった。
 聞いていくにつれて――イリスは血の気が引いて立っていられなくなりそうになった。
 フェンドリト王国という古い小国についてはイリスも歴史で学んで知っている。聖獣セフィドリーフが関わっていたとは初耳だったが。

 彼の友人がいたその王国が戦で旗色が悪くなった時、セフィドリーフが手を貸したことで戦況は変わって、形勢は逆転した。
 以来王国はセフィドリーフを捕らえて、利用しようとしたという。時には大仰に称え、時には牢に入れ、だだをこねるようにセフィドリーフに迫った。
 イリスには、その時のセフィドリーフの困惑しきった表情が目に浮かぶようだった。

「セフィドリーフは一度として奴らに怒りをぶつけなかった。一人も手にかけていない。それをいいことに、人間共はじわじわと大胆になっていった」

 聞いているだけで、動揺で呼吸が乱れそうになる。
 家畜みたいな扱いをされて、侮辱をしのんで冷たい石の床に転がっていたセフィドリーフの姿を思い浮かべた。
 彼が手酷い仕打ちを受けた理由はひとえに、人間側の思うように動かなかったからだ。

 ディアレアンによると、それでもセフィドリーフは極力彼らの要望を叶えてやろうと努力したそうだ。といっても暴力や殺しが嫌いな彼は応じるのを拒むこともあったし、誰かに味方したために他の誰かが苦しむ結果になるのを見てほとほと困り果てていたらしい。
 セフィドリーフは何かを割り切ったり切り捨てたりするのが苦手なのはイリスもしばらく近くにいたから知っている。

 彼は無理に食事をとらされ、時には毒を盛られて苦しんだ。
 その後聖獣達は意見の相違で揉めて、セフィドリーフが王の座におさまった。おそらく、人間を守る、それだけのために。

「お前が与えられた白銀の武具は、セフィドリーフを殺すためのものだ。あれはセフィドリーフの牙なのだ。か弱き人間を哀れんだあの男が、自分に対抗する力として愚かにも授けてやった」

 あの方は、どういう思いで私に剣を教えていたのだろう。
 それを考えると胸が締めつけられる。

「……私は、神殿から、セフィドリーフ様を殺すよう指示されたことはありません」
「それはそうだろう。神殿の奴らは武具を与えられてその扱いにうんと頭を悩ませたのだ。返すと言ったこともあったがセフィドリーフは受け取らない。しかし持ち続けていていずれ攻撃の意思ありと思われたままでも困る。予言のことが頭にあるからな」
「予言とは何です?」
「聖獣の王がいずれ人間を滅ぼすという、フェリクス王の予言と呼ばれているものだ。予言はもう一つあり、こちらは聖獣の王と人が和平を結ぶという内容だ。セフィドリーフが守り守られる存在がいずれあらわれるだろうとフェリクス王が言ったことが伝えられている。そこで神殿側は予言を参考に苦肉の策を思いついたのだ」

 授かった武具を身につけた、聖獣を守る守護騎士。
 この甲冑や剣は、あなたを傷つけるために所持しているのではありません。我々はあなたに刃向かいません。そういうメッセージをこめたのが、守護騎士という存在だった。
 これをセフィドリーフが許容するか、馬鹿にしている、とかえって腹を立てるか、神殿側からすると賭けだった。

 近頃体調が思わしくない聖獣は一人山へこもって人間への恨みを募らせ、前言を撤回して襲ってこようとするかもしれない。放置しておくのも危険なのでは、と神官達は話し合ったのだ。
 心身共に弱っているセフィドリーフは鬱状態に近く、守護騎士というものへの反応は鈍かった。とりあえず城へ入れるだけ入れて、言葉通り守護騎士として働くつもりならすぐさま追い返そうと思っていたらしかったが、もう行き場のないというイリス・トリーヴェルダがやって来たのでそのままにしておいてやったのだろう。

 セフィドリーフは人間に対する態度を決めかねていて、だからディアレアンなどが問いつめると最終的に逆ギレをしてごまかしてきていたのだ。彼は板挟みになり続けている。

「……天上にいる方が、セフィドリーフ様は穏やかに過ごせますか?」
「当たり前だ。悩ませているのはお前達人間なのだから」

 イリスは強く拳を握りしめ、そしてゆっくり力を抜いた。詰めていた息を吐き出す。

「でしたら、セフィドリーフ様を連れて行ってさしあげてください」

 どうにか浮かべた笑顔に、ディアレアンは目を細めた。

「……あ、でも……アエラス達が……」

 聖獣が去ると精霊は消えてしまうのだと聞いている。

「僕達は構いませんよ、ディアレアン様」

 という声と共に現れたのは、精霊アエラスだった。どうやらイリスとディアレアンの会話を聞いていたらしい。特に深刻そうな顔色も浮かべておらず、ディアレアンを見上げている。

「そもそも僕達は、皆様が天上に昇る時にセフィドリーフ様も昇られることに賛成していたんです。空気の質も上の方が良いですし、異存はありませんよ」

 でも、とイリスは眉を曇らせた。

「君達は消えちゃうんだろう?」
「それが、リィ様のおかげで僕達長いことこの聖なる山にいたでしょう? そのおかげでかなり力を蓄えられて、強い精霊になったんだ。食事をして取り込んだ分もあるしね。イリスの作ったご飯って、なんか特別な力があるみたい。だから当分消えないよ。もしかしたらリィ様を追いかけて昇れるかもしれないし、そうでなかったとしても地上で姿をとどめられる方法があるかもしれないし、さがしてみよう」
「そう……」

 明るいアエラスの説明を、イリスは鵜呑みにすることができなかった。イリスを悲しませないための嘘かもしれない。アエラス達はこういうところはさっぱりしていて、実際未練はないのだろう。
 問いつめても仕方がないので、イリスも頷いて「そうなったら私も協力してさがしてみるよ」と言っておいた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

虐げられた落ちこぼれ令嬢は、若き天才王子様に溺愛される~才能ある姉と比べられ無能扱いされていた私ですが、前世の記憶を思い出して覚醒しました~

日之影ソラ
恋愛
異能の強さで人間としての価値が決まる世界。国内でも有数の貴族に生まれた双子は、姉は才能あふれる天才で、妹は無能力者の役立たずだった。幼いころから比べられ、虐げられてきた妹リアリスは、いつしか何にも期待しないようになった。 十五歳の誕生日に突然強大な力に目覚めたリアリスだったが、前世の記憶とこれまでの経験を経て、力を隠して平穏に生きることにする。 さらに時がたち、十七歳になったリアリスは、変わらず両親や姉からは罵倒され惨めな扱いを受けていた。それでも平穏に暮らせるならと、気にしないでいた彼女だったが、とあるパーティーで運命の出会いを果たす。 異能の大天才、第六王子に力がばれてしまったリアリス。彼女の人生はどうなってしまうのか。

傍若無人な姉の代わりに働かされていた妹、辺境領地に左遷されたと思ったら待っていたのは王子様でした!? ~無自覚天才錬金術師の辺境街づくり~

日之影ソラ
恋愛
【新作連載スタート!!】 https://ncode.syosetu.com/n1741iq/ https://www.alphapolis.co.jp/novel/516811515/430858199 【小説家になろうで先行公開中】 https://ncode.syosetu.com/n0091ip/ 働かずパーティーに参加したり、男と遊んでばかりいる姉の代わりに宮廷で錬金術師として働き続けていた妹のルミナ。両親も、姉も、婚約者すら頼れない。一人で孤独に耐えながら、日夜働いていた彼女に対して、婚約者から突然の婚約破棄と、辺境への転属を告げられる。 地位も婚約者も失ってさぞ悲しむと期待した彼らが見たのは、あっさりと受け入れて荷造りを始めるルミナの姿で……?

本物の恋、見つけましたⅡ ~今の私は地味だけど素敵な彼に夢中です~

日之影ソラ
恋愛
本物の恋を見つけたエミリアは、ゆっくり時間をかけユートと心を通わていく。 そうして念願が叶い、ユートと相思相愛になることが出来た。 ユートからプロポーズされ浮かれるエミリアだったが、二人にはまだまだ超えなくてはならない壁がたくさんある。 身分の違い、生きてきた環境の違い、価値観の違い。 様々な違いを抱えながら、一歩ずつ幸せに向かって前進していく。 何があっても関係ありません! 私とユートの恋は本物だってことを証明してみせます! 『本物の恋、見つけました』の続編です。 二章から読んでも楽しめるようになっています。

貴方にとって、私は2番目だった。ただ、それだけの話。

天災
恋愛
 ただ、それだけの話。

別れた婚約者が「俺のこと、まだ好きなんだろう?」と復縁せまってきて気持ち悪いんですが

リオール
恋愛
婚約破棄して別れたはずなのに、なぜか元婚約者に復縁迫られてるんですけど!? ※ご都合主義展開 ※全7話  

運命の選択が見えるのですが、どちらを選べば幸せになれますか? ~私の人生はバッドエンド率99.99%らしいです~

日之影ソラ
恋愛
第六王女として生を受けたアイリスには運命の選択肢が見える。選んだ選択肢で未来が大きく変わり、最悪の場合は死へ繋がってしまうのだが……彼女は何度も選択を間違え、死んではやり直してを繰り返していた。 女神様曰く、彼女の先祖が大罪を犯したせいで末代まで呪われてしまっているらしい。その呪いによって彼女の未来は、99.99%がバッドエンドに設定されていた。 婚約破棄、暗殺、病気、仲たがい。 あらゆる不幸が彼女を襲う。 果たしてアイリスは幸福な未来にたどり着けるのか? 選択肢を見る力を駆使して運命を切り開け!

救国の大聖女は生まれ変わって【薬剤師】になりました ~聖女の力には限界があるけど、万能薬ならもっとたくさんの人を救えますよね?~

日之影ソラ
恋愛
千年前、大聖女として多くの人々を救った一人の女性がいた。国を蝕む病と一人で戦った彼女は、僅かニ十歳でその生涯を終えてしまう。その原因は、聖女の力を使い過ぎたこと。聖女の力には、使うことで自身の命を削るというリスクがあった。それを知ってからも、彼女は聖女としての使命を果たすべく、人々のために祈り続けた。そして、命が終わる瞬間、彼女は後悔した。もっと多くの人を救えたはずなのに……と。 そんな彼女は、ユリアとして千年後の世界で新たな生を受ける。今度こそ、より多くの人を救いたい。その一心で、彼女は薬剤師になった。万能薬を作ることで、かつて救えなかった人たちの笑顔を守ろうとした。 優しい王子に、元気で真面目な後輩。宮廷での環境にも恵まれ、一歩ずつ万能薬という目標に進んでいく。 しかし、新たな聖女が誕生してしまったことで、彼女の人生は大きく変化する。

婚約解消して次期辺境伯に嫁いでみた

cyaru
恋愛
一目惚れで婚約を申し込まれたキュレット伯爵家のソシャリー。 お相手はボラツク侯爵家の次期当主ケイン。眉目秀麗でこれまで数多くの縁談が女性側から持ち込まれてきたがケインは女性には興味がないようで18歳になっても婚約者は今までいなかった。 婚約をした時は良かったのだが、問題は1か月に起きた。 過去にボラツク侯爵家から放逐された侯爵の妹が亡くなった。放っておけばいいのに侯爵は簡素な葬儀も行ったのだが、亡くなった妹の娘が牧師と共にやってきた。若い頃の妹にそっくりな娘はロザリア。 ボラツク侯爵家はロザリアを引き取り面倒を見ることを決定した。 婚約の時にはなかったがロザリアが独り立ちできる状態までが期間。 明らかにソシャリーが嫁げば、ロザリアがもれなくついてくる。 「マジか…」ソシャリーは心から遠慮したいと願う。 そして婚約者同士の距離を縮め、お互いの考えを語り合う場が月に数回設けられるようになったが、全てにもれなくロザリアがついてくる。 茶会に観劇、誕生日の贈り物もロザリアに買ったものを譲ってあげると謎の善意を押し売り。夜会もケインがエスコートしダンスを踊るのはロザリア。 幾度となく抗議を受け、ケインは考えを改めると誓ってくれたが本当に考えを改めたのか。改めていれば婚約は継続、そうでなければ解消だがソシャリーも年齢的に次を決めておかないと家のお荷物になってしまう。 「こちらは嫁いでくれるならそれに越したことはない」と父が用意をしてくれたのは「自分の責任なので面倒を見ている子の数は35」という次期辺境伯だった?! ★↑例の如く恐ろしく省略してます。 ★9月14日投稿開始、完結は9月16日です。 ★コメントの返信は遅いです。 ★タグが勝手すぎる!と思う方。ごめんなさい。検索してもヒットしないよう工夫してます。 ♡注意事項~この話を読む前に~♡ ※異世界を舞台にした創作話です。時代設定なし、史実に基づいた話ではありません。【妄想史であり世界史ではない】事をご理解ください。登場人物、場所全て架空です。 ※外道な作者の妄想で作られたガチなフィクションの上、ご都合主義なのでリアルな世界の常識と混同されないようお願いします。 ※心拍数や血圧の上昇、高血糖、アドレナリンの過剰分泌に責任はおえません。 ※価値観や言葉使いなど現実世界とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。 ※話の基幹、伏線に関わる文言についてのご指摘は申し訳ないですが受けられません

処理中です...